あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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若冲展は素晴らしかった!混雑必至だけど、最強の大回顧展でした!

【2016年11月29日更新】

かるび(@karub_imalive)です。

2016年度上半期の美術展で一番盛り上がったのが東京都美術館で企画された「生誕300年記念 若冲展」。伊藤若冲の生誕300年記念を期して開かれた展覧会でした。

若冲展は、他の美術展に比べてマスコミの注目度が半端無くて、会期の1か月前くらいから、テレビや雑誌、それからムック本などの特集本なども沢山刊行されました。にも関わらず、日本美術の企画展の泣き所として、展覧会の会期は4月22日~5月24日までのわずか33日間でした。開催される前から、大混雑するのはわかっていましたが、それでも予想を超えたフィーバーぶりに、連日大変な騒ぎとなりました。

本エントリは、そんな「若冲展」に行ってきた感想レポートとなります。

  • 1、展覧会の混雑度
  • 2、音声ガイドは中谷美紀
  • 3、伊藤若冲ってところで誰なの
  • 4、なぜ伊藤若冲が今ブレイクしているのか
  • 5、伊藤若冲の作風って?
    • 5-1、詳細まで描きこまれた緻密な作品たち
    • 5-2、だけど完全に写生に徹したわけではない
  • 6、今回の展示会の見どころ
  • 7、まとめ
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【ご報告】中小企業採用担当者向け記事を人事タックル様に寄稿しました

かるび(@karub_imalive)です。

3月に引き続いて、4月も人事タックル様に寄稿させていただきました。

中小企業にとって、ここ数年の新卒採用は厳しい、、、を通り越して苦行のような感じになってきています。何やっても説明会に人来ないけど、どうすりゃいいの?!みたいな。いくらお金をかけて就職ナビサイトに力を入れても、知名度がない中小企業にとっては、底なし沼のコンプガチャのような感じでお金だけカモられる現状。

ネットでの情報収集が当たり前の時代だからこそ、新聞や本を読もう、と言われるのと同じように、デジタル就活が全盛の今だからこそ、アナログ的な手法で学生と向き合っていかなければいけないんじゃないの?って、切にそう思います。

今回寄稿した記事では、そのあたりの分析と、個人的な体験談に基づく実践的なアプローチについて書いてみました。もし良ければ、リンク先の記事を読んでみてくださいね~。

それではまた。

かるび

 

PS ちなみに、第一弾の寄稿記事はこちらです。結構読まれてて嬉しい(^^)

会社退職10日前を迎えた心境について

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かるび(@karub_imalive)です。

このブログでも何度か書いてきましたが、僕はこの春に13年間勤務してきた会社を退職することになりました。40歳という一つの区切りとなったため、人生の充電期間として、1年間自主的に休みを取るためです。

最終出社日は4月28日。いよいよ今の会社もあと5営業日で退職となります。(その後有給休暇を消化しての退職なので、最終的な退職日は6月中旬)

人生のうち、そうそう10年以上勤め上げた会社を退職する、という経験もないと思うので、少々露悪趣味だとは思うけど、今の心境をブログに書き残しておこうと思います。

ほっとする気持ちと不安な気持ちと

僕は、23歳で社会人になってから、以来17年間サラリーマンとして働いてきました。基本的には切れ目なく、ストレートに17年間です。以前から、漠然と40歳頃になった時に、1年間自分へのご褒美として、長期休暇を取得したいな、と思っていました。欧米のビジネスマンで良くある「サバティカル休暇」的な感じですね。

ちょうど今の会社の業務にも飽きてきたし、いろいろあって会社への帰属意識もなくなってきたので、このままダラダラ働くのもあれかな、と思って、思い切って一旦辞めることにしました。

本当は「休職」みたいな形が良かったのですが、残念ながら、今の会社、、、というより、日本企業の企業カルチャーとして、1年間も勝手きままな理由で休職させてくれるような余裕のある会社なんてありません。従って、一旦退職するのはやむなしというところです。

来月から、17年ぶりに大学時代のようなモラトリアム的生活に突入するのですが、やっぱりあんまりあれこれ先行きのことを考えなくてよかった大学時代とは、心持ちはだいぶ違いますね。

まず第一に、ホッとした、という安心感と、来月から空いた時間で何しようかな~というワクワクする気持ちはそれなりにあります。割とがむしゃらに働いてきたので、結構プライベートでやりたいことは溜まっています。

だけど、その一方でやっぱり不安な気持ちもあるんですよね。たとえば、世間体的に肩身が狭いこと。中年になってからのモラトリアム的長期休暇って、日本ではまだ一般的ではないので、世間体的にはしんどそうだな、と。

実際、去年試しに保育園のパパともで集まって飲んだ時、ちらっと「来年春に子供が小学校に上がったら、今の会社やめるんですよね~。えっ?仕事?当分しませんよ。」みたいな話を馬鹿正直にしたら、みんなに「えっ・・・」みたいな感じでかなり引かれてしまいましたから。親戚にも、カミングアウトしたら確実に烈火の如く怒りそうな人頭の固い人も何人かいますし。世間の目は思ったより厳しい。

ということで、これからは親戚の前や、あまり親しくない知り合いなどと会う時は、当面「在宅でネット関係の仕事とかしてます」ってことにしよう(笑)

また、1年間休んだ後、仮に就職活動して、またサラリーマンとして社会復帰するとして、40代で1年ブランクが空いている無職の中年をいい感じの給料で採用する会社なんてあるんだろうか?って思ってしまいます。

もちろん、辞める前に散々資格なども取得したし、自分なりにキャリアが断絶しないための準備はしてきたつもりではあります。多分、今ならITエンジニアとしても、営業としても、人事としても、あと経理もできるかな。どれも中途半端ではありますが。また、今は空前の売り手市場。40代でも転職フェアや人材紹介でどんどんマッチングに成功している例が増えてきてはいます。

それでも、なんとなくやっぱり不安な気持ちはあるんですよね。このまま復帰できなかったらどうしよう・・・的な。まだ子供も小学生だし、嫁にばっかり負担をかけるわけにはいかないし。復帰できなかったらいっそプロブロガーにでもなるか大学生の時は、同じモラトリアム的期間であっても、先行きの心配はあんまりなかったので、年を取ると色々くよくよすることも増えるものだな、というのが感想であります。

辞める直前まで普通に使われる

一方、会社では、もうすぐ退職だというのに(だからこそなのかもしれないですが)最後までなんか忙しいです。そろそろいい加減後任への引き継ぎ等に入って仕事のペースを優雅に減速してきたいというのに、仕事が一向に減りません。

直属の上職にあたる役員からは「辞めるからって、最近手を抜いてるんじゃないか」みたいな嫌味混じりの牽制を何度もされるし、退職前なのを分かってて、絶対退職日までに終わらない仕事も平気で振ってくるし、なんだかなーと。

今日なんて、仕事柄、採用担当だから、ということもあるんですが、もうすぐ退職するっていうのに僕よりちょっと前に最終出勤日を迎えた退職者の退職手続きのお世話をしたり、普通に中途採用で採用面接とかしてたり。「当社のどのような点に惹かれて志望されましたか?」なんて聞いてる貴方の目の前に座ってる面接官は、数日後にはもういないんだよ・・・。

なんていうか、イメージと違うんですよね。退職する前って、腫れ物に触るかのように取り扱われ、仕事がサーッっと潮が引くように振られなくなって、所在ない窓際社員のような心持ちでちょっとずつ机の整理とかして余生を過ごすのかと思っていたんです。でも、そんなに甘くはないのね。通常業務が普通にあって、後任への引き継ぎ資料作成工数分が乗っかってくる分、単に忙しくなるだけだった(笑)まぁ、それだけ皆余裕もないし、辞めるってわかってる奴でも普通にガンガン使えるだけ使ってやろうってことなのかなと。

ということで、せっかくブログやってるんだから、会社を退職する直前の今の心境について、少し書き出してみました。会社辞めた後は、あんまりこういった会社ネタはブログには書かなくなるんだろうなぁ。不安な気持ち半分、ホッとしている気持ち半分ってところですね。

それではまた。
かるび

戦火をくぐり抜けた秘宝が大集結!黄金のアフガニスタン展(国立東京博物館)に行ってきた!

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かるび(@karub_imalive)です。

皆さんは、アフガニスタン、って言うとまずどんなイメージを思い浮かべますか?僕は、「戦争」「内戦」「テロ」といったようなネガティブなイメージと、荒廃して乾いた砂の大地しか思い浮かばないです。実際、今でもほぼ準戦時状態のようなものですよね。首都カブールを中心に米軍が10,000人以上駐留する中、この2月にもタリバンによるとされる自爆テロが起こるなど、政情不安が続いている状況のようです。

そんな中、先日黒田清輝展を国立東京博物館で見た際に、「黄金のアフガニスタン展」まもなく開催、と言う看板が出ていたのを見かけました。よくこんな危ない中、企画展ができたものだな、と思い、気軽な気持ちで覗いてきたら、そこには予想外に壮絶なストーリーと、そして文字通り黄金だらけの秘宝が待っていました。

今日は、その展示会、「黄金のアフガニスタン展」の感想を少し書いてみたいと思います。

混雑状況と所要時間について

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土曜日の夕方に行ってきたのですが、人の姿はまばらでした。まだ始まったばかりということもあり、快適に見て回ることができます。展示品は、全246点と展示点数はそれなりですが、細かいものが多いのでそれほど出展量が多いイメージはありません。さらさらっと見て回ると1時間ちょっと、音声ガイドもつけてまじめに見ると1時間30分位といったところでしょうか。

音声ガイドは鈴木亮平

僕は、可能な限りどの展示会に行っても音声ガイドをつけながら見て回るようにしていますが、今回は、若手俳優の鈴木亮平。

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つーか、ドラマあんまり見ないから、若手俳優といってもあまりピンと来ないのですが、人気あるんですよね?(汗)まぁ頑張って語ってくれていたとは思います・・・。

なぜ、今、アフガニスタン展を日本でやっているのか

実はここが少し気になっていたのですが、その理由は、展示会の冒頭のパートでビデオ映像やフリップなどで、詳細に説明されていました。

アフガニスタンの歴史

まず、入り口手前にあるフリップと、入場直後の映像資料の2点は必見です!各遺跡の発掘品を見る前に、是非アフガニスタンの簡単な歴史と、地政学的背景、それと展示に至るまでのストーリーを少しでも頭に入れておくことで、今回の展示会をより興味深く見ることができます。

アフガニスタンは、西はイラン、東はパキスタンと接する内陸国で、西側のヨーロッパ世界、東側の中国、南側のインドの結節点となるシルクロードの要衝にあたる位置にあります。よって、古来から、アレクサンドロス大王の東征があったり、インド系王朝がやってきたり、あるいは遠く東からモンゴル帝国が長駆して攻めこんで来たりと、まぁ騒がしい国なんですね。アフガニスタンの歴史は、異民族の度重なる侵入の繰り返しによって形作られてきているのです。そのため、多様な文明や人種が流入し、そして融合する中で、その魅力的な独特の文化遺産や遺跡が各地に残されてきました。

その、歴史的な工芸品や文化財30,000点あまりをコレクションし、収蔵展示してきたのが、アフガニスタン国立博物館でした。

アフガニスタン国立博物館が1922年に開設される

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20世紀初頭に入り、弱体化したイギリスの支配下から独立すると、国王、アマーヌッラー・ハーン国王は、首都カブールにアフガニスタン国立博物館を開館させます。1920年代、旧宗主国のイギリスに代わり、フランスと組んで国家建設と国力増強を進めていきますが、そのフランスとの共同作業を中心として、以来50年、ソ連によるアフガニスタン侵攻が始まるまで、遺跡の発掘作業は順調に進みました。

ソ連のアフガニスタン侵攻~タリバンによる破壊まで

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しかし、1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻により戦争が始まると、それ以来発掘作業は完全にストップします。やがてソ連が撤退した後は、その空白を埋めるかのように国内有力部族同士で今度は内戦が始まり、博物館も戦火に見舞われることになります。

また、90年代後半に入り、イスラム原理主義過激派グループ、タリバンが国内のイスラム教以外の偶像や美術品をかたっぱしから破壊して回り、博物館は壊滅的なダメージを受けました。最大で100,000点程あった文化財のうち、実に7割以上が戦火で失われたといわれます。

ニュースにもなりましたが、バーミヤンの大仏が爆破されたのもこの時期のタリバンの所業であります。(リンク貼らないけど、Youtubeに爆破動画も上がっています)

しかし、被害を見越して秘宝は隠されていた

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相次ぐ内戦やタリバンによる破壊活動・略奪により、その大半の展示物が失われたり壊されたりしたのですが、いくつかの展示物は、戦火や略奪を免れていたのです。1989年、戦火を避けるため当時のナジブラ政権が博物館を閉館した際に、収蔵品のうち約30%の特に大切なものだけが選定され、心ある博物館スタッフの手によって密かに中央銀行の金庫と情報文化省に持ち込まれて隠されていたのです。

タリバンも資金源確保のため必死で文化財の行方を探しました。その過程で博物館員もその中で厳しい尋問・拷問等が展開されましたが、彼らはプライドをかけて秘匿先について口を割らなかったといいます。

タリバン政権崩壊後、約15年ぶりのご開帳となる

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やがて、アメリカ軍が駐留を開始し、タリバンが政権を追われると、ようやく内戦が終結して、国内政情も小康状態を迎えます。そこで、2004年、15年ぶりに中央銀行の金庫が開けられ、激烈な内戦や戦火をくぐり抜けた秘宝が陽の目を見ることになりました。

アフガニスタンの文化遺産の復興支援のため企画される

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これら秘宝の再公開をきっかけに、アフガニスタンの文化財・名宝を国際的にアピールし、その保全への啓蒙等を目的として、アフガニスタン政府は世界各国で巡回展を開催することを決めました。巡回展は2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での開催を皮切りに、名だたる美術館・博物館で展示され、世界中ですでに10カ国以上、延べ170万人が本展示会に足を運んだと言います。そしてこの2016年、ようやく日本にも回ってきて、九州国立博物館、東京国立博物館と順に展示されることとなりました。

展示会で記憶に残ったもの

今回の展示会では、様々な古代の遺跡のうち、特に有名な4つの遺跡「テペ・フロール」「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「べグラム」から出土した美術品・工芸品の 展示と、戦乱時に非合法に日本に持ち込まれた流出文化財をあわせ、5つのセクションに分けて展示されています。

個人的に特に印象的だったのは、そのうち「ティリヤ・テペ」という、1世紀頃に栄えた遊牧民の王の墓から出土された様々な黄金の装飾品・工芸品です。

「牡羊像」
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「冠」
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「襟飾」
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(3枚とも引用:特集:アフガニスタン 輝ける至宝 2008年6月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

「アフロディーテ」
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(引用:九州国立博物館 | 特別展『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

そして、どの時代の出土品も異国文化の融合する「文明の十字路」と言われる地だけあり、無節操なほどに(笑)、各種東西文化が融合、折衷された出土品が非常に興味深かったです。あからさまにアレクサンドロス大王が東征時に持ち込んだギリシャ・ヘレニズム文化から影響を受けたものもあれば、同じ遺跡から南方インドの仏教文化から伝来したインドっぽい装飾版が出土されたりです。 

「青年上半身メダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419072010p:plain

「エロスとプシュケーのメダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419071950p:plain

(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

「マカラの上に立つ女性像」
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(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

盗掘、流出との戦い

2002年にタリバン政権が去った後も、内乱で国力が疲弊したままであり、首都カブールの街中には貧しい失業者が溢れています。彼らを日雇いで報酬を払い、遺跡で発掘させて盗掘品を買い上げる外国人や、そういった盗掘品を白昼堂々と販売する土産物屋など、日々アフガニスタンの文化財は国外へと流出されていると言います。東京にも、パキスタン~ドバイの闇マーケットを経てかなりの点数がコレクターへと流れている様子です。このあたりの状況は、この展示会を機に復刊されたこの本に詳しく描かれています。

日本では、シルクロードを中心としたオリエンタルな情景を描いた日本画家の故・平山郁夫が、ユネスコと連携して、「流出文化財保護日本委員会」を立ち上げ、日本におけるアフガニスタンの流出文化財を保護する運動を行っていました。今回の展示会では、日本で保護され、「黄金のアフガニスタン展」を機にアフガニスタンに返還される102点の流出文化財のうち、15点が最終セクションで展示されています。

「カーシャパ兄弟の仏礼拝」f:id:hisatsugu79:20160419080512p:plain
(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

しかし考えてみると、日本でも諸外国に遅れて平成14年にようやく発効した「文化財等不法輸出入等禁止条約」により、不法持ち込みは禁じられているものの、アフガニスタンのケースでは、こうして流出したことによってタリバンに破壊されることを免れた点は不幸中の幸いというか歴史上の皮肉としか思えません・・・。

ちなみに、流出保護された文化財102点中、残りの87点は、同時期に東京芸術大学美術館陳列館にて、「素心 バーミヤン大仏天井壁画 ~流出文化財とともに~」と題して、特別展示されています。

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また、山梨県の八ヶ岳山麓ですが、平山郁夫シルクロード美術館でも、「アフガニスタンと平山郁夫」と題して、流出文化財の返還と連動した特別展を実施しています。ちょうど夏前に涼しい時に八ヶ岳方面に旅行に行く人は、是非覗いてみるといいですね。

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まとめ

アフガニスタンは、歴史的に大国になった時期がなく、どの時代でも中国やイラン、インドといった大国に挟まれた周縁国として、文化や歴史を独特な形で積み重ねてきました。おかげで、各文化圏からもたらされた様々な複数のカルチャーがどんどん時代を重ねるに連れて上塗りされていき、多様で多元的な歴史・文化遺産を国内各地に残してきました。

そして、近代を終えて現代になってもずっと戦乱が続くため、その保護や発見は大幅に遅れています。相当量の文化財が非正規ルートで世界中に流出していった一方で、まだまだ沢山の文化財が地下に眠っているところでもあると思うんです。前回タリバンに爆破された東西のバーミヤンの大仏の間に、超巨大な大仏がもう1体未発掘で残っているという話など、夢がある話も沢山あります。

美術品や文化財は、単に見て楽しむだけじゃなくて、人類共通の歴史遺産として、後世に残していくための努力もしていかなきゃいけないんだなぁとしみじみ感じた、そんな考えさせられる展示会でした。

それではまた。
かるび

40歳にして初めてホール落語会に初めて行ってきた感想→落語はライブが一番面白い!

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は割と多趣味なんですが、40年間も生きているとその種類も色々と増えてきます。このブログにも少しだけエントリを上げたのですが、例えば音楽鑑賞ではヘヴィメタルとクラシック。また、美術館などの展示会回り。読書。ワイン。ランニングと陸上長距離鑑賞、家庭菜園、etc・・・。年々増え行く趣味に、やりたいことはたくさんあるのに、時間とカネは有限で非常に最近悩ましい状況です。

そんな悩ましい状況下、2015年の冬から僕にもう一つ加わったのが「落語」でした。ブログを開設して以来、面白くて度々覗かせてもらっている憂き憂きマンドリルのリクさん(id:r1ckey)のサイトやリクさんが留年した暇つぶしにツイキャスなどで落語の面白さを教えてもらってから、はや5か月経過。

その間、同じくリクさんのお薦めの

このあたりを夕飯のしたくや後片付けをしながら(夕飯づくり担当なので。)全部聞いたり、初心者らしく図書館で笑点系の落語家、桂歌丸や先代三遊亭円楽らのCDから、昭和の名人三遊亭圓生、三遊亭金馬、古今亭志ん朝らまだ薄く広く借りて聴いていたりしました。

聴いていてすぐ分かったのですが、落語って特に冒頭の「マクラ」と呼ばれる、場を温めるためのブリートーク部分を始め、演題に入ってからもたびたび挟まれるアドリブ部分が非常に大きいんですよね。その場の観客との呼吸や一体感の中で噺家と観客が即時的作っていく即興的作品としての性格もあるので、一度近場のライブに足を運ばなければ!と思い立ちました。

早速ライブに行ってきました

善は急げ、ということで、速攻でコンビニに走って適当にチケットぴあの端末をたたいて購入したのが、昨日のホール落語会です。余談ですが、僕は近い将来に地方への移住かニ拠点居住を目指していますが、こういう時、本当に東京に住んでいて良かったなって思いますね。文化系・芸術系のイベントはほぼ365日東京ならどこかしらでやっていますから。思い立ったらその日にでもいけちゃうという便利さ。

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(引用:日本橋が大人の遊び場に大変身 「コレド室町2、3」 |フード|NIKKEI STYLE

で、行ってきたのが、COREDO室町1号館の4F「日本橋三井文化ホール」で実施されている、いわゆる寄席ではないホール落語会「COREDO落語会」。

実は僕の家から歩いて10分のところに両国演芸場という三遊亭円楽一門が使っている寄席があったりして、そこが一番近いのですが、いきなり寄席にいくのはやっぱりちょっと敷居が高いな(知らない噺家ばっかりでしょうし・・・)と思い、落語会ライブデビューはホール落語にしてみました。

ということで、今日は落語会にデビューして感じた感想をつらつら書いてみたいと思います。

落語会の内容

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COREDO落語会は、今回で6回目だそうで、料理評論家の山本益博氏の趣味が高じて心血注いでプロデュースするホール落語会です。構成は、毎回ベテラン/人気噺家が4名集まり、一人1席ずつ披露する流れで、昨日の終演は21時20分でした。

価格は5000円。多分、ホール落語としては高いほうなんだとは思います。だけど場所代や落語家のギャラ等を考えるとこんなものなんじゃないかなーと思いました。

落語会の感想

1.客層はやっぱりかなり年配の人が多い

いわゆる若手芸人のお笑いライブとは全然違いますね。どちらかと言うと古典芸能に近いので、客層も40代以上が中心でメインは50代、60代のお客さんが多かったと思います。若い人は残念ながら皆無。客層の平均年齢が高いのは、がよく行くクラシック音楽のコンサートと似たような雰囲気。あるいは、昔良く出入りしたFacebookのオフ会とかかな。日本橋三越前という都心中の都心で、時間帯も19時からのライブだったのですが、案外仕事帰り風の人は少なくて、自宅からわざわざ出てきた人が多そうでした。

2.おしゃれな老人が多い

老人が多いとは言え、身なりも綺麗で、割と裕福そうな人が多かったです。特におしゃれな老婦人が多かったかな。身なりだけじゃなくて、ウィッグをしてたり着物で来てたり、髪がオレンジや紫など、普段行っているクラシックのコンサートや美術館などで見る老婦人よりもだいぶ派手だったような?!これってたまたま昨日場所柄そうだったのか?

男性は、結構気難しそうな評論家風のオジサンや、なんかのタニマチをやっていそうな、富裕層的オーラを出しているおじいさんが多かったです。終わった後、楽屋かなんかにそっとおひねりとか渡してたりするんだろうか。

3.しかしよく寝ている

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(引用:浜 矩子|教員紹介|同志社大学大学院 ビジネス研究科

僕の隣の髪の毛が紫色の浜 矩子楓のおばあさんは、ほとんど全編寝ていました。その隣のおばあさんも半分くらいは寝ていました。クラシックのコンサート(推定平均就寝率30%)ほどじゃないですが、高い金払ってきてるのにもったいない話であります。

ただし、これはなんとなくわかる気もします。僕もクラシックコンサートなどで、仲入りでワインを飲んだあとつまらない演目だった場合、つい眠くなってしまうので。貧乏性なので、根性で目はなんとか開いてますけどね。特に落語ファン歴が長い耳の肥えた客は、メジャーな古典落語の演目ならば、つまらない噺家のものだと寝てしまうだろうな。

4.思った通り落語はライブが一番面白い!

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別にCDやYoutubeでもいいんですけど、やっぱりCDなどだと落語家の表現される作品のうち、「声」の部分しか伝わらないんですよね。言葉に現れないメタ・コミュニケーション的なもの、つまり「顔つき」「身振り手振り」などで表現される感情表現や、観客と噺家のその場だけの相互作用で生み出される空気なども伝わりません。

じゃあDVDみたいに映像が見えていれば良いのかっていうと、多少はCDよりはマシかなっていうレベルですが、五十歩百歩です。録画映像だと不思議とやっぱり大幅に言外のメッセージが減衰して伝わりづらくなるんだろうなってすぐに気付きました。

美術展やクラシックのコンサートでも同様の現象が起きるので、落語の特性を考えると、このあたりはやっぱり落語はライブに行ってなんぼなんだろうと思っていました。

で、実際にホール落語会に行ってみた感想としては、落語こそライブで見るべきなんだろうな、と。特に、上手な落語家ほど、言葉以外の表現やアドリブを駆使したコミュニケーション力が高いため、よりライブで見たほうが満足度が高くなるだろうなと感じました。

昨日見た中だと、4人の噺家のうち、春風亭小朝と三遊亭円楽はそれぞれの持ち味を生かし切った見事な高座でした。小朝は、一歩間違えたら引かれてしまう地震ネタもうまく枕マクラに取り入れて、緩急のついたトーク術が光ったし、円楽はマクラからサゲまで手堅い円熟味のある語り口に非常に納得感を感じました。数十分に及ぶセリフを全部叩き込んだ上、臨場感たっぷりに、かつ機動的に笑いも取り入れて観客との一体感を切らさずに演じきる。芸歴40年以上のベテランの圧倒的な技芸とライブでの存在感に素直に感嘆しました。彼らの独特の間合いや話し方の1/10でも仕事に行かせれば、すごい営業成績とか上がりそう・・・。

まとめ

どんな分野でもそうですが、一流の芸術や技芸に触れると、その一瞬だけかもしれませんが心を空っぽになって作品へと没入し、一体になれる感覚があります。自分の場合はそれが一種の「癒やし」「気分転換」となって、精神的な活力を再充填出来るんですよね。

この落語も、お値段は決して安くはないですが、上手な噺家の演目をライブでそれだけに集中して取り組むことによって、CDやDVDでは見えない良さが感じられたのは良い収穫でした。恐らく、中途半端に何度も行った後に書くよりも「初心者のうちに」ライブ初体験の感想をどこかで書き起こしておいたほうが面白いかな、と思ってエントリを書いてみました。

5月以降、毎月2~3回ライブのチケットを既に抑えているので、またいくつか行って気づいたことができたら色々書いてみたいと思います。次回は26日の柳屋喬太郎のライブに行ってまいります。

それではまた。
かるび

 

東京の商談時間って短くない?ゆったり仕事をしたいとたまには思う

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かるび(@karub_imalive)です。

とりとめもない雑談です。
ふと思いついたのですが、東京の商談時間って本当に短くないですか?

僕は、現在中小Sierの営業兼採用担当として働いていますが、会社の支店が東京・大阪・名古屋にあります。もう今の会社で13年位働いていますが、何年もいると東阪名各地で多数商談の機会があります。

そこで、振り返ってみると、商談一つとっても、東京・名古屋・大阪、あるいはそれ以外の地方都市各地で、地域性や地域差があるように思うんですよね。

東京の場合

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例えば東京です。東京(を中心とする首都圏)での商談の特徴は、仕事や案件の流れるスピードが速くて、圧倒的にドライだってことです。

いわゆる情報システム開発の案件というのは、歴史的な経緯もあり、現状は仕事が東京に一極集中している状況であります。東京・横浜で全国の仕事の70%以上が集中している。だから、競争相手も多いのですが、商談機会も多く、案件が常に同時並行でめまぐるしく動き、あっという間に展開していきます。

例えば、ある開発プロジェクトに人員をアサインしていくとして、案件がバッティングしていようがなんだろうがお構いなしです。で、早い者勝ちで決まった案件に入り、商談中だった他の案件をお断りしても、さしたるお咎めもありません。トラブルになりそうになったら、契約書や法律を盾にとって、正当性を主張しあう。みんなドライなものです。

当然、一度の商談時間も非常に短いですね。新規で営業訪問した際も、あまり話さなければ30分位で終わってしまうこともザラであります。要件が済んだら帰ってね?みたいな。最近は下記エントリでも入れたのですが、雑談をがつがつ振っていくようになり、商談時間がムダに伸びてきましたが(笑) 

単に年取って話がねちっこくなってきただけかもしれませんが、最近だとようやく平均45分位にはなってきました。それでも東京で商談をした際に、1時間はお互いにとって長いかな?と思うレベルです。

大阪・名古屋の場合

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これに対して、大阪、名古屋では基本的には商談は1時間は下回らない事が多いです。あくまで自分の感覚値で、統計データはありません(笑)

単に大阪の人がサービス精神旺盛だったりして、話し好きの方が多いだけなのかもしれません。あるいは、名古屋は「大きな村社会」と昔から言われるように、ウェットな関係が出来上がるので長くなってしまうのかもしれません。一通り商談が終わったら、なんか延々とゴルフの話をしてたり、雑談三昧です。

大阪・名古屋で逆に30分で帰ろうとすると、「やる気あるの?」的なオーラを相手から感じることもありますね。

そんな大阪・名古屋で仕事の話を進める時に大切になるのは、既存のお客さんとの関係性や仁義だったりします。

お客さんと「あ、うん」の関係で進んでいくことも多いので、発注書が来月から来てなかったので、契約終了かと思い、要員をプロジェクトから一斉に引き上げたりすると、「何で勝手に動いてんねん」みたいなトラブルになりがちです。いやいや御社の注文書が来ないから、うちとしても要員を空かせるわけにはいかないし、仕方なかったんですよねみたいな話をしても、まぁ通じない(笑)

逆にそれが良い面もあり、東京みたいにスパッと案件がなくなったりせず、一度気に入られたお客さんには長く贔屓にしてもらえるという良い点も多々あるんですけどね。何かと、人間関係や地縁、過去商談経緯のコンテキストを深く考慮して動いていかなければいけないのが、僕が学んだ大阪・名古屋の仕事の進め方であります。

地方都市はビジネスのスピードがゆるい気がする

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あるいは、東京・大阪・名古屋以外の地方都市だと、もっと時間感覚がゆったりしてくるような気がしています。前の会社の話です。前職は、メーカー勤務で一時期情報システム部にてパソコンやネットワークの調整をしていたのですが、仕事柄、地方の営業所や出張所、工場を沢山回ります。

そこでまず感じたのは、基本、地方都市の営業所では勤怠がまずゆるい(笑)

「あのー、かるびと申します。本日10時からそちらの事務所でパソコン設置にお伺いするのですが、所長さん、いらっしゃいますか?」
「えー、所長?・・・今日は多分二日酔いで朝は来ないよ(笑)。しゃあないから来たらしばらくゆっくりしてなよ。あ、そうだメシ行こう。せっかく来たんだから海鮮丼の美味しい店連れてってやるよ」
「あざーす!(やった、ラッキ~)」

真面目に出張で事務所に行ってみると、相手方の責任者は寝坊して出勤してないとか、こんな感じのやり取りは本当に良くありました。また、いざ事務所を訪問した際も、基本的には定時前になったら帰りの支度をいそいそと始める社員の姿がよく目についたものです。で、終わったら必ず飲みに行くという・・・。

また、事務関係のやり取りでもゆるさを感じることが多いです。
地方の会社と請求書や見積書のやり取りをする際は、全ての会社がそうだ、ってわけじゃないのですが、送ってくるのが遅かったり、宛名の会社名が間違っていたりすることがしばしばあります。その地域の有力企業であっても、そんな感じなのですよね。で、電話して指摘すると、「あ、ごめんごめん~。直して明日までには送るわ~」みたいな。いや今欲しいんだよ今!

でも、そういうシーンに出くわすたびに、確かに少しいらっとすることはあるのですが、同時に、「ゆるい感じで働けていていいな~」なんて思ってしまいます。

まとめ

そういえば今の会社で働き始めてから、割と毎日時間単位でマルチタスクの波に飲まれながら、あくせくと働いてきたな~と思い出して、急遽思い立って書いてみました。

もちろん、こういうのって千差万別だと思いますし、地方企業でもキッチリしっかり働いていたり、商談がドライで短い会社や職種も多数あるかと思います。ただ、全体的には、20年前、30年前と比べると、日本全国どこでも、ビジネスのスピード感は上がってきているとは思います。

そんな中、たまに地方出張などをした際に、いい意味で今の会社がなくしてしまった精神的・時間的余裕を持った「昭和的な」雰囲気の職場をみつけると、しみじみいいな~と思ってしまうわけです。せめて、短い時間の中でもいいから、ビジネスの中で出会ったお客さんとも、楽しい交流を心がけたいなと思う今日このごろです。

それではまた。
かるび

 

ロマン溢れる歴史画が集結!安田靫彦展の感想(東京国立近代美術館)

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かるび(@karub_imalive)です。
当初どうしよっかなと思っていたのですが、友人が「これは行くべき!」と強く勧めるのと、この土日は両日とも外出予定がなかったので、ちょうどいいや、ってことで、急遽参戦してきました。結論としては非常に良かったので、感想を書いてみたいと思います。

1,混雑度と所要時間について

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写真を見て頂いたとおり、ガラガラです。土曜日なので少し混雑しているかな?と思いましたが、まだ朝10時台だったこともあり、全く混雑していませんでした。順路も広めに取ってあるので、ゆったり見れる展示会だと思います。いつもよりきちんとした身なりの人が多かったイメージでした。(土曜日なのにスーツのおじいさんとか)

作品数が100点以上なので、メモを取ったり、音声ガイドを活用してじっくり見ようと思ったら、2時間程度は必要かな?とは思います。僕も10時過ぎに入って、出てきたのは12時30分頃でした。

2,音声ガイドのメインナビゲーターは高橋英樹

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声も渋くてなかなかの好キャストだと思いました。日本画だと、やっぱりこういう時代劇系や歌舞伎系の俳優がやってくれると世界観を壊すことなく、スッと絵画には向き合えるのでいいですね。

また、中身についても、安田靫彦本人の生前の講演会やインタビュー等での実際の肉声をところどころで聞けるようにオプショントラックが用意されており、粋なはからいだと思いました。

これはお金に余裕があれば、借りる価値は大きいと思います。

3,安田靫彦の作風について

デビューは15歳と早熟だった

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安田靫彦(やすだゆきひこ、1884-1978)は、明治時代から昭和の戦後高度成長時代までを生き抜いた、いわゆる近代~現代の日本画における代表的な画家の一人です。明治期の少し先輩格である横山大観や菱田春草、下村観山らの作風にインスパイアされ、日本画を志します。若干15歳で日本画壇にデビューした天才肌の画家でした。

画風は優雅で気品漂う大人の日本画

画風は、伝統的な日本画の描き方を基本としています。ムダの無い構図、美しい線に加え、植物や風景、衣装などの細密で写実的な描写が特徴です。誰もが感じる「日本画らしい」特徴を備えた王道の画風でした。ロマンと気品溢れる柔和なタッチは、同時代のライバルにして盟友、速水御舟にして、気品が”匂い立つ”と評されています。

安田さんの芸術については事新しく述べるまでもないが、一言にして尽すと、安田さんの芸術の特色はあの馥郁(ふくいく)たる匂ひにあると思ふ。梅の花か何の花か非常にいい匂ひが漂ってくる。それはどこに咲いているのか、ハッキリ所在はわからないが実に馥郁としている。安田さんの人格にもさういふ感じがあるが、作品には特にその感が深い。[・・・]ああいう芳香を放つ芸術は現代はもとより古人のうちにも極めて稀れであらう。*1

いやほんとその通り。下にもいくつか絵を貼りましたが、各絵画からは、独特のやわらかで上品なオーラを放っています。現場で是非その「匂い立つ」絵画群を見てきてほしいです。

歴史画にこだわりがあった

また、デビューしてから亡くなるまで一貫して、日本や中国の歴史や古典に題材を得て着想した歴史画を多く手がけました。靫彦曰く、

えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている。*2

現実には見られぬ美しい世界を組み立ててみたい。高い完成された美を求めて今の我々の解釈で表現してみたい。*3

とのことで、自然と同じくらい古典芸術に学び、現代の感覚で捉え直した、品格あふれる普遍的な造形を作ろうとしたといいます。

4,今回の展示会の位置づけについて

そんな安田靫彦ですが、生前は最晩年に同じく東京国立近代美術館で1976年に大回顧展を行っています。今回は、それ以来40年ぶりとなる2度目の回顧展となりました。日本中の博物館・美術館から作品が集結し、15歳でデビューするところから、亡くなる直前の絶筆まで100点以上の作品が展示されています。絵画だけでなく、絵巻物や屏風絵なども展示されており、ものすごいボリューム感ですよ。

見どころは、昭和戦前期のナショナリズムが高揚した時期~戦後高度成長時代で価値観が激変する中、この歴史の大きな流れの中で、何をどう描いてきたのか、作風はどう変化してきたのかということです。これら作風・画風の変遷がわかりやすいように、各作品が時系列で追って行けるような展示になっています。

5,感想

まず、入場して最初に驚くのが、安田靫彦が少年時代に描いた作品群です。入口付近に展示されていますが、若干15歳、16歳の時から、目の覚めるような写実的な歴史画を描いており、天才ぶりにいきなり度肝を抜かれます。

『守屋大連』

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靫彦24歳の時の作品。飛鳥時代、聖徳太子と蘇我氏と激しく対立し、仏教の国教化に反対した物部守屋を描いています。守屋の不穏な表情が、もうすぐ一触即発な事件の前触れを暗示しているようです。聖徳太子じゃなくて物部氏にスポットライトを当てて描かれた題材の絵画はあまり見たことがなかったので新鮮でした。(※聖徳太子の絵もそれ以上に沢山描いています)

『五合庵の春』

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靫彦は、体が弱く、キャリアの途中で何度か大病にかかりますが、そのたびに作風を変化させていきました。作風が落ち着いたのは、30代も半ばを過ぎてから。初期の写実的な描き方から、背景等を大胆にデフォルメした柔軟な描き方も取り入れ、繊細で柔和な色使いで独特の作風を確立します。

これは、初期の写実主義的な絵画から、少し作風をチェンジした中年期に差し掛かる際の代表作品。良寛が長年住んだと言われる国上寺の五合庵という離れを描き出したものです。霧深く神秘的な雰囲気の山中の庵にて悠々自適にくつろぐ良寛がいい味を出していました。

『黄瀬川陣』(重要文化財)

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これは、平氏打倒の挙兵を行った際、弟義経が初めて兄頼朝の陣中に馳せ参じて数年ぶりの対面を果たした際の有名なシーンです。源頼朝の顔が歴史の教科書等に載っていそうな顔つきですね。兄頼朝の余裕のある表情に比べ、弟義経の緊張感と、どこかしら悲壮感の漂う顔つきが、将来の兄弟の運命を暗示しているようでした。

『伏見の茶亭』

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もう、解説も何もなくてもすぐにわかりますね。豊臣秀吉です。歴史の教科書で見た通りの顔つきで、歴史資料に忠実に描いた安田靫彦ならではのわかりやすさ。この展示会でも若い時から老年期まで、たびたび秀吉をモチーフとした作品を好んで描いています。この派手な衣装とバブリーな金色の茶室は、伏見城内での茶会の一コマだと言われます。

『出陣の舞』

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(引用元:http://atelierrusses.jugem.jp/?eid=369

これもまぁ見た瞬間にわかりますね。桶狭間に出陣する直前に「敦盛」を舞っている場面の信長です。ド派手な着物に西洋風の燭台など、時代考証と歴史資料に基づいた細かい描き込みが見事でした。

そして、靫彦晩年の作品では、こちら。

『卑弥呼』(九州バージョン)

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(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shiga-kinbi/20100925/1285371002

派手に噴火している阿蘇山をバックに、堂々たる統治者としての厳しい表情を浮かべた卑弥呼を描いています。日本古代の独特の奇抜な?高貴なファッション(帽子のようなもの)と、体から滲み出るオーラが印象深かったです。なお、展示会には出展されていませんでしたが、バックが近畿地方版の卑弥呼像も残しています。未だ邪馬台国がどこにあったのか、決着がついていないですしね。

まとめ

これまで、僕は日本画といえば江戸時代末期までしか知りませんでした。明治以降で名前だけでも知っていた日本画家は、せいぜい、昔永谷園のお茶漬けカードに入っていた横山大観や竹久夢二ぐらいのものでした。

この安田靫彦のことも、恥ずかしながら友人が「絶対行っとけ」というのでチェックしてみて初めて知ったレベルです。そんな素人ですが、最初の数枚の展示を見ただけで、その実力は素人目にも本物であることはすぐにわかりました。

構図、色彩、人物、テーマ設定、どれを取っても高い技術・品格を持って丁寧に作りこまれており、間違いなくこのあとも後世に語り継がれていく芸術家であると思います。本当に充実した回顧展でした。最後は単純な感想ですが、行ってよかった。こういうのがあるから美術展回りは癖になるんだよな~。ほんとおすすめです。開催は、5月15日まで。

それではまた。
かるび

PS 同じ日本画では、浮世絵の大家「歌川国芳・歌川国貞」をフィーチャーした展示会も6月まで開催されています。これも良かったですよ!

blog.imalive7799.com

 

*1:速水御舟「安田靫彦論」『美術評論 四巻一号 1935年1月』

*2:「古画雑感-日本画とは何か-」『美術評論 1939年9月』

*3:『読売新聞 1941年10月11日』

小学校入学式に参加した感想→最近の小学生って、すごく恵まれてるよね?

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かるび(@karub_imalive)です。

一昨日、息子の小学校の入学式が無事に終わりました。

一生に一度のまたとない機会なので、仕事をお休みして夫婦で入学式に出席しました。入学式の後、初日ということで保護者も子どもと一緒に教室で担任の先生からのオリエンテーションを受け、記念写真撮影を行う中、校舎の中に入って色々と観察する機会がありました。

そこでまず感じた感想としては、なんだかんだで、今の小学生の学習環境や教育環境は、20年~30年前に比べてかなり改善してきているんではないかということです。今の子供は、中学受験に向けての受験勉強の早期化や学力低下など問題はまだ山積ではあるかと思います。それでも、僕が小学生だった約30年前に比べると、格段にその学習・教育環境において進歩改善が見られるのではないかなと思った次第です。

そこで、今日のエントリでは、ざーっと小学校1日目に観察してみて、どのあたりが良くなったのかな?というところを、僕が小学生だった約30年前と比較して、簡単に書いてみたいと思います。

30年前に比べて良くなったところ

1,校舎がきれいになっている

単純ですが、校舎の清潔さや設備の充実ぶりにおいて、30年前とは比較にならない位良くなっていると感じました。まず、2011年以降耐震補強工事がしっかりなされている上に、教室の床や廊下が綺麗なのです。(校舎は築40年くらいだったのですが・・・)

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僕が30年前に通っていた小学校は、床が常にワックスがけされていて、茶色くなっていました。よって立膝をついたりしたら、油で膝がベトベト汚れたりしました(それでも気にせず床でメンコとかやってましたが)。また、校舎の壁や外壁などもペンキが剥がれて汚くなっていましたね。

これは、たとえば「3年B組金八先生」の初期作品などを見てもわかるのですが、80年代の学校校舎って、壁は塗装が剥げていたりして、結構ぼろぼろなんですよね。今にして思うと、よくこの汚い校舎でドラマとか撮影したよな、っていう汚さです。

一度機会があったら是非チェックしてみてください。写真はロケ地となった、今は閉校された旧足立第二中学校(現:東京未来大学校舎へと改築済み)ですが、古さの否めない60年代~70年代に建てられた雰囲気の校舎であります。

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(引用元:http://homepage3.nifty.com/aru-kn/kinpachi.html

それが、息子の入学した学校は外観こそ年代を感じさせますが、内装はリフォームされているのか、非常に床も綺麗で、立膝をついても全然汚れませんでした。非常に清潔感あふれる館内に非常に感銘を受けた次第です。

2,少人数学級になっている

僕の息子の学校は都心なのにわずか2クラス。いや、都心だからこそ過疎化したのかもしれませんが、1クラス27名✕2クラスで、1学級30名を切るゆったりした環境となっています。30年前に僕が埼玉の郊外ベッドタウンの小学校に通っていた時は、常時1クラス50名以上いましたから・・・。子供も大変でしたが、運営側の先生も大変だったと思います。

ちょっと統計データを見てみると、小学校における1学級あたり平均収容人数は、どんどん少人数化が進んでいますね。少人数化によりきめ細かい指導を行う方針の下、文科省、教育委員会の取り組みが成果を上げてきていることがよく分かります。

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上記グラフは、統計データのまとめが非常に有用なガベージニュース様から引用させていただきました。いつも勉強になります。

3,副担任がいる!

30年前は、1クラス50名に、担任1名で全教科を回していました。当時は特にそれでも違和感はありませんでしたが、やっぱり1クラス50名は多いですよね。担任の目が行き届く人数ではありません。

それが、僕の息子の学校は特に1年生の1学期は常時副担任が授業の補佐にあたってくれるそうです。ただでさえ1クラス27名と少ないのに、担当教師は2名体制とは、本当に贅沢な話です。

実際、財務省のデータでも、教師1名あたりの生徒数も劇的に少なくなってきており、児童生徒あたりの教員定数は、平成元年以降、ここ25年ほどで1.4倍まで増員されてきています。これに危機感を覚えた財務省が、逆に昨年度、文科省に対して「無駄使いしすぎじゃね?」とツッコミが入れたほどであります。

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僕の息子の行く学校は、ここ何年も荒れることなく、たまに雑誌や新聞の取材が入ったりする割と優秀な公立のモデル校になっているようなのですが、これだけ目が行き届いていれば確かにそうだよな、と納得させられます。

4,算数での少人数クラス分け

さらに、小学校3年生から、算数の授業のみ日頃の理解度に応じて習熟度別のクラス分けを行うようです。東京都教育委員会では、10年以上前から小学校の算数、中学校の数学において、モデル校での先行事例→効果測定を繰り返してきており、2014年度よりほぼ東京都の小中学校全校で習熟度別クラスの実施を決めたようです。

算数・数学で 来年度にも全校で習熟度別授業 都教委 | 月刊私塾界|
東京都教育委員会 児童・生徒の「確かな学力」の向上~「確かな学力」を育成するための授業改善の一層の推進~:文部科学省

我が家では特に英才教育など施していないので、これは非常に安心です。公立なのにそこまできめ細かくやってくれるのかと素直に感嘆いたしました。

5,配布物がしっかりしている

昔、学校でもらうプリント等の配布物は、質の悪いわら半紙とインクで印刷されていました。消しゴムで消すと印字されていた文字や絵柄まで合わせて消えちゃう、、みたいなそんな感じ。。

しかも、先生が手書きで書いた適当なプリントなので記載事項に抜けも色々合ったような気がします。

それが、今はプリンタも紙質も向上し、1年分の学校行事がすでに印刷された卓上カレンダーに加え、細かい持ち物リスト、生活ガイドなどいろいろ行き届いた配布物を頂きました。きっとモンスターペアレント対策から、抜け漏れがなくなったのだと推測。おかげで親としても迷いなく心の準備ができます。

6,学校に学童が併設されている

僕の小学校時代はもちろんそんなものはありませんでした。みんな小学校低学年から、「カギっ子」と呼ばれ、家に帰ったら自分でカギを開けておやつをたべながらファミコンをやる、みたいな家庭が多々ありました。当時は社会問題にもなっていたような記憶があります。(※今も絶対数は減少しているけど、かなりの児童がカギっ子状態の様子)

が、今は学校に学童が併設される時代なんですね。学校が終わったら、校内に併設する学童へそのままスライドして両親の帰りを待つ。少なくとも小学校低学年のうちは、学童が至近距離に用意されていると非常に安心です。

7,体罰がなくなってきた

昔は、担任の教師に木の棒で担任におしりを叩かれる「ケツバット」を食らったり、教師の機嫌の悪い時に頭をよく叩かれたりしました。また、廊下で足が限界になるまで長時間立たされたりとか、今思うと「体罰」と言われて問題になるような行為も平気で行われていたように思います。

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(引用元:http://himalab.com/p/_0001410

今もまだまだ全国レベルで見るとかなりの体罰件数が発生しているようではありますが、少なくとも僕の子供が行く小学校に関しては、ここ数年表立って事件や問題になった体罰もなく、非常に安心しています。

8,校庭が芝生だった

東京都では、平成25年度から都内の公立小中学校について、「校庭の芝生化」を推進してきています。

一時期こそ震災とその後の放射能汚染問題により、一端は芝生を全部泣く泣く外して表土の入換えをせざるを得なかったのですが、昨年より再度芝生化が試みられていました。こんな感じ。

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それまではコンクリートの上に陸上やサッカーコートなどの枠線がプリントされていて、「これはこけたら痛いだろうな」と思っていたので、学校の英断に感謝であります。芝生だと、運動時に足腰にかかる負担も格段に緩和されるので、目の保養にもフィジカル的にも良いことづくめです。

9,無料で防犯ブザーがついてきた

僕の居住区江東区では、すでに10年前から始めていたようなのですが、不審者に対抗するための防犯ブザーが1人1個ずつ無料支給されています。

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試しに自宅でブザーをならしてみたところ、想像を絶するボリュームでピーピー鳴りましたので、これは使えそう。物騒な事件が続発していることを受けての措置ではありますが、是非30年前から導入しておいて欲しかった。30年前でも、下校時に下半身まるだしで何も履いていないような変質者が通学路に出現したり、普通に痴漢騒ぎなどもあり、危険度は今とそれほど変わらなかったように思います。

なんだかんだで教育環境は進歩してきている

これは最近読了した古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」にも書かれていてハッとしたことですが、現代は、例えば1980年代などと比べると、生活水準・教育・労働環境・娯楽、どれをとってもレベルが向上し、選択肢も広がっているという事実は案外見落としがちだということです。

我々はつい過去の体験をノスタルジックに美化して「昔の学校は素朴で良かった」「今の学校教育はたくましさが足らん!」なんて語ったりします。ですが、冷静に調べて振り返ってみると、実際に20年、30年前の社会の効率性・利便性や生活水準は、今よりも数段劣っていたのです。学校教育も、間違いなく今の2016年時点のほうが格段に優れていると思えます。

上記にも書きましたが、30年前は校舎は汚く、体罰は(軽いものも含めて)日常風景でした。収容人数の限界までつめこまれた教室では、個性より集団統制に力点が置かれた、より旧式的、画一的な教育手法しか取り得なかったように思います。

まるでサラリーマン予備養成所みたいな我々団塊ジュニア世代の小学校生活に比べると、質的にも量的にも恵まれた教育環境が実現されてきているのだな、改めて実感。ここまで社会や地元PTAの先輩諸氏が残してくれたよい教育環境に感謝せねばな、と思うのでありました。

そして、今日からは早速集団登校が始まっています。つい10日前まで、ママチャリの後部座席に乗せて保育園の送迎を行っていたとは思えない環境の変化に、嬉しくもあり少し寂しさも感じる今日このごろであります。

それではまた。
かるび

 

 

 

 

 

読書は2周目からが面白い!40歳にしてやっと精読の価値に気づきました

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かるび(@karub_imalive)です。

読書、好きですか?

僕は、昔から読書が大好きです。物心ついた頃から本の虫で、小学生の頃は運動は苦手だったので、学校の図書室に入り浸っていました。それから40歳の今に至るまで、ずーっと本を読み続けています。ちゃんと読書記録をつけてるわけじゃないので何ともいえないですが、定期的にみかん箱単位で本を断捨離しているので、年間で50冊~100冊程度はコンスタントに読んでいると思います。

読書スタイルが少しずつ変わってきた

そこで、自分の読書遍歴を少し回想してみたのですが、子供の頃から、読書の質が少しずつ変わってきていることに気づきました。

小学校~中学校の頃は、絵本や小説など、物語を「味わい、楽しむ」ための読書がメインでした。小学校だと、機関車トーマスとか、ずっこけ探偵団とか、少年向けにカスタマイズされた江戸川乱歩シリーズとか、ファーブル昆虫記とかですかね。中学に入ってからは、三国志とか水滸伝などの歴史もの、それから赤川次郎や西村京太郎などの推理小説ものもよく読んでいました。

これが、大学に入ってからは少し変わってきます。大学時代は英語サークルで英語ディベートを行っていたこともあり、「学び、調べるための」読書に変わります。さらに、大学卒業~社会人生活では、「仕事に役立てるための自己啓発」としての読書がそこに加わりました。・・・ん、なんだかだんだん読書への向き合い方がつまらなくなっているような気がしないわけでもないな・・・。実際、自己啓発本はほとんど実践で役立ててないような気がするし

そして、アウトプットのための読書に

そして半年前位からブログを書くようになってからは、「アウトプットを前提としたネタ探し」のための読書が加わりました。

この雑記ブログ、「あいむあらいぶ」も、4月4日現在で、やっとエントリが100を少々超えた程度ですが、それでもブログを始めた当初よりもだんだんとストックしてあったネタがなくなってきています。

40年生きてきた蓄積ってわずか100エントリでなくなっちゃうくらいだったのか?と愕然としますが、まぁそんなものでしょう。

でも、それでもブログは今後も続けていきたいのです。と、すると、ストックが減ってきたなら、新たにインプットしたもので書いていくしかありません。

また、ブログ上に文章として何かを表現する時に、自分の中で知識や知見が十分体系化されていなかったり、ライティングの技量が足りていなかったりするため、文章になかなか深みを出すことができずにいることも悩みの一つであります。

ということで、この春、インプット不足解消と文章内容に深みを持たせる狙いで、これまでの自分の読書スタイルを量的にも質的にも少し変えてみることにしました。

読書の仕方を少し変えてみた

1)量的な変化(読書量を増やす取り組み)

単純に、これまで気が向いた時にダラダラっと読むことで、大体月5冊位のペースで読んできました。これを、まずは当面3倍の月15冊ペースにしています。また、近日中に会社を退職するので、退職後しばらく自由な時間が取れる時は、月30冊ペースに引き上げようと思っています。(1日1冊ですね)

最近、いろんな読書論の本を読みましたが、割とその中で共通しているのが、アウトプットを多くしたければ、インプットである読書量を単純に増やすしかない、という話です。

このあたりは、この本から学びました。1日10冊~20冊読む有名な書評家、小飼弾氏の読書論です。

意味ある読書に必要な冊数は、1000冊。プロの物書きは300冊の本を読んだら1冊本がかけるといいますが、これはアウトプットがすでに習慣になっている人の話。そうでない人は、その3倍くらいは読まないと、意味のあるアウトプットになりません。

1000冊か・・・。いや、きついわ。と思ったのですが、実際、ノンフィクション系のデキの良い新書1冊を読むと、その著作の中で参照・引用されている書籍って、少なくても20~30冊程度、多ければ100冊、200冊と引用されているんですよね。

小飼氏の言うとおりであります。一つのクオリティの高いアウトプットを出すには、圧倒的にインプットしていくしかないのかな、と思わされます。

2)質的な変化(理解度を上げる取り組み)

今までは、単に1度ザァーッと読んでみて、面白ければそれで満足しておしまい、ということが多かったです。性格的に移り気で飽きっぽく、新しもの好きなので、読み終わったそばから、次から次へと新しい本に手を出してしまうのですね。

でも、これではちょっと知識や知見が効率的に残って行かないのですよね。読んだ直後は、「面白かった~」と満足なのですが、あとでそこで得た知識や学びを整理していないため、最終的にはほとんどの内容を忘れていってしまうんです。

有名な話ですが、「エビングハウスの忘却曲線」って聞いたことありませんか?

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(引用元:日経新聞電子版)

我々は、何かを見たり聞いたりして学習した内容は、脳の構造上、1日後には早くもそのうちの実に74%の内容を忘れてしまうのですね。これじゃ、ガンガン新しい本に手を出し続け、単に読書量を増やすだけでもほとんど頭に残らず、読書の効用を最大限に享受できてないのではないか、と考えました。

そこで、この春から、

  • 「どんなにつまらなかった本でも、最低2回は読む」
  • 「2回目以降は、Evernoteにメモを取りながら読む」

という精読のためのマイルールを自分に課しました。

1度目はどんなに乱読・速読してもいいから、とにかく1回読み終わったら、少し時間を置いて再読する。そして、気になった項目をEvernoteに好きなようにメモとして残していく。まぁダメだったらまた別のやり方でもいいや、と気軽に始めてみました。

そして、これが割と自分の読書体験を何十年ぶりに変えてくれそうな感じなのです。

読み返すことで、大事な項目が頭に入るようになった

これが非常に大きかったです。
僕は結構本を読むのは速い方で、平易な文章で書かれたビジネス書や小説などは、1時間で100ページ以上は進みます。大抵のハードカバーや新書は300ページ以下なので、大体まとまった時間が2時間強あれば、これまでは1冊読み終わっていました。

でも、今回2周目に入った時に気づいたこととして、そもそも速読気味に読んだ本は、無意識のうちに読み飛ばしている箇所があったり、内容をほとんど覚えていないセクションがあるんですよね。

だから、2周目に読んだ時に、「あれっ?こここんなこと書いてあったっけ」みたいにとばしてしまっていた未読箇所を拾い読みできることがかなりありました。

また、1周目に読んだ時は、完全に理解せず、あいまいな解釈のまま飛ばしてしまっていた箇所も、2回目に読み返すことによって、理解が格段に進んでいることがありました。

このように、2回目からは「本を味わい尽くす」そんな感覚で学びを深めていけることが非常に新鮮で自分にとっては収穫だったのです。

マンガや小説も2度目からが味わい深い

2回目の読み返しが有効なのは、人文系のノンフィクションだけではありません。伏線が幾重にも張られた小説やマンガなどのエンタテイメント系も、2周目を読む時は味わい深いです。
たとえば、僕のお気に入りのマンガに、非常に巧妙にストーリーが練られ、伏線が張られている「東京喰種(トーキョーグール)」という大ヒット作があります。

現在もその続編の「東京喰種Re:」と合わせて20巻刊行されていますが、幾重にも練りこまれた伏線やプロット、複雑な人間関係や心理描写が秀逸で、非常に良い作品だと思います。Kindleで全巻揃えました。

ただし、その分ストーリーも複雑なので、僕はこの漫画を1回や2回読み返したくらいでは(アホなので)全体像が完全に理解できていませんでした。最近、4周目を終えたのですが、4度目の読み返しにして、ようやくストーリーの伏線や登場人物の関係像などがクリアになりました。

これって、マンガだけでなく、推理小説やSF、名作文学などにも当てはまると思うんですよね。名作には何度読み返しても新しい発見や驚きがあるのだと思います。

2回目以降は、メモを取りながら読む

これも、今回初めての取り組みになったのですが、Evernoteに読書録をつけることにしました。メモの取り方・書き方は、特に決めず、その時の気分次第で自由にメモを取っていきます。

文体が好きな箇所はそのまま写経したり、文章から連想して考えたことを書いたり、内容を要約したり、とにかく自由にEvernote上にメモをアウトプットしながら書くようにしていきます。こんな感じです。

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そして、この、「メモを取りながら読み返すメリット」って結構大きかったんです。主に2つありました。

メモを取りながら読み返すメリット

1)内容理解が進む

一つは、要点を書き出すことにより、さらに内容が頭にも入りやすくなったこと。書いてまとめることによって、頭が活性化され、知識として定着している感覚があります。エビングハウスの忘却曲線により、一旦忘れかけた内容を、ぐぐっと脳に引き戻す、そんなイメージでしょうか。

2)家がきれいになる

そして、もう一つは、家がきれいになること。メモを残せば、あとは本を参照しなくよいので、思い切って読み終わった本をどんどん手放すことにしました。

例外として手元においておく本は、これは3回以上読み返す価値があるな、と思ったものだけです。あとは、ブックオフに持っていくなり、友人にあげるなり、図書館に寄贈するなりできるようになりました。

なんせ、東京都心のうさぎ小屋に住んでいますので、単純に本を貯蔵するスペースがないわけです・・・。

ということで、長くなりましたが、現時点での自分の読書に対するスタンスや思いを書いてみました。読書は、2回目の読み返し、精読からが本番なんだなと思います。本の読み方なんて自由でいいじゃん、と思っていたのですが、方法論を決めて取り組んでみると、やはり違うものですね。

多分、これって人によって合う合わないがあると思いますので、最終的には自分なりの読書のあり方は人それぞれということになるんだと思います。ただ、たまにはこうして定期的に読書に対する取り組み方を考えてみるのは非常に有益だと感じました。

また、別のエントリでは「読書論」系の本のレビューもしてみたいですし、これを機会に読書がはかどるとっておきの文房具も買いましたので、近い将来そのあたりの話も書いてみたいと思います。それではまた。
かるび

近代洋画の巨匠、黒田清輝展(国立博物館)に行った感想→裸婦像多めでした(笑)

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かるび(@karub_imalive)です。

今年は特に美術展に見どころが多くて、年明けからずーっと上野に通いっぱなしです。そして今日は金曜日。美術館・博物館の開館延長日です。サラリーマンでも業務終了後にダッシュすれば何とかスーツのまま見て回れる日ですね。

折しも桜が満開で、出先で業務を済ませてそのまま18時過ぎに上野駅に直行すると、もういきなり酒臭いわけですが、桜もお花見の乱痴気騒ぎも何のその、脇目もふらず到着したのは国立博物館平成館。いやー、遠いわここ。そう、今日のお目当ては日本近代洋画の父と言われた黒田清輝の特別回顧展「生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠」でした。

早速ですが、その感想を簡単に書いてみたいと思います。

混雑度と鑑賞時間について

さて、まずは展示会の混雑度です。3月23日から開催されていますが、さすがにカラヴァッジョやボッティチェリに比べると知名度は低いと思われ、全然混んでいませんでした。

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もともと、ハコ自体が「国立博物館平成館」というゆったりとした展示室なので、人が一杯入ってもそれほど息苦しくはないと思います。前回行ったBunkamuraの国芳国貞展の狭い展示室に比べると広々としています。

ただし、今回の展示は絵画の数が非常に多いのです。黒田清輝の生い立ちから亡くなるまで、時系列でその絵画や書簡、メモ、デッサン、写真、映像資料、アトリエ復元など約200点程の大量展示でした。よって、じっくり見るなら2時間は欲しいです。

実際、僕も金曜日は18時過ぎに入場しましたが、閉館時間ギリギリまで粘ってようやく全部見終わったくらいです。なので、しっかり見たい人はある程度時間を確保して来場するのがいいと思います。

音声ガイドは綾小路きみまろ!

マイナーな展示会だから音声はないかもな?と思っていましたが、行ってみたらちゃんと綾小路きみまろの音声ガイドがついていました。うーん、なんかフィットするのかな?と思いましたが、そこはさすが漫談で鍛えた語り口。違和感なく耳に入ってきて大いに理解の助けになりましたよ。

#1を再生すると、黒田と同じ薩摩(鹿児島)出身で、今年65歳になるそうです。もうそんな年なんですね。彼の決め台詞「あれから30年・・・」的な語りが結構あった(笑)

ただ、なんか借りてる人ちょっといつもより少なめでした。

最初は法曹家を目指してパリへ留学した

黒田清輝(1866-1924)は、よく「日本近代洋画の父」と呼ばれます。その名の通り、明治~昭和初期にかけて、日本の西洋画画壇に多大な影響を残した重要人物でした。

ちなみに、明治の元勲で総理にもなった黒田清隆とは1文字違いです。同郷薩摩藩出身ながら、近縁ではなかったようですね。遠い親戚って感じです。

黒田清輝が面白いのは、彼のキャリアのスタートが画家志望ではなく、法律家志望だったことです。当初18歳の時、法律の勉強のためにパリに留学しました。しかしパリにいて、趣味で絵を描いているうちに、後に洋画家になる山本芳翠などの勧めもあり、20歳の時に画家へ転身します。

転身を決意した前夜、両親に宛てた書簡も展示されていました。
「今般天性ノ好ム処ニ基キ断然画学修行ト決心仕候」(超訳:やりたくてしょうがないので画家として頑張るぜ!)と決意が示されたその書簡を丁寧に読むと、近年再評価が進んでいる「五姓田義松」の名前なども書簡中に入っていて、そういえば同時期にパリにいたので交流もあったのだろうな、としみじみしました。

リア充な修行時代(彼女もサロン入賞もゲット!)

それ以来、フランスに約7年間滞在する間に、外光派の大物ラファエル・コランに師事します。そして、現地のパリ近郊農村で絵を描きに遠征したついでにちゃっかりとフランス人の彼女、マリア・ビヨーと出会います。こ、このリア充め!。そのマリア・ビヨーの親戚の家に転がり込んでをアトリエとして、マリアをモデルにした名作を多数描きました。特に印象深かったのは、入り口1枚目に展示されていたこれ。

黒田清輝『婦人像(厨房)』

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そして、同じく彼女をモデルとした「読書」が見事サロン・ド・パリに入選することで、一躍有名画家としてデビューすることになりました。

黒田清輝『読書』

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そう、この人の作品で彼女を描いた作品はいいのが多かったのです。

今回パンフレットやホームページ等で掲載された一番の代表作「湖畔」(重要文化財)も、日本に帰国してから後に結婚する奥さんをモデルにしたものと言われていますしね。フランスの彼女はどうしたんだお前

黒田清輝『湖畔』

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この絵画は、避暑として芦ノ湖畔に彼女(後の奥さん)と一緒にでかけた際に、急遽湖畔に座らせて絵筆を取ることになった作品だそうです。夏の涼し気な雰囲気がよく伝わってくる佳作だと思います。

黒田が影響を受けた画家たち

黒田自体、モネなどの印象派と同世代ではありますが、印象派の影響をある程度受けつつも、一歩引いたところから印象派の絵画については捉えていたと見られます。

彼がフランスにいる間に特に影響を受けたのは、田舎での農民たちの素朴な日常風景を描いた、通称「バルビゾン派」のミレーや、明るい戸外の写実的描写が特徴な自然主義のバスティアン・ルパージュ、そして外光派の主要画家だった師匠のラファエル・コラン達でした。そんな彼らの代表的な絵画も今回の展示会に持ち込まれており、黒田の絵画と合わせて非常に楽しめます。特に、オルセーからきているミレー「羊飼いの少女」は必見です!

ミレー『羊飼いの少女』

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バスティアン・ルパージュ『干し草』

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留学から帰国後、日本画壇で大活躍した

帰国してからは、それまでどちらかと言うと暗めで褐色系の色彩を帯びた西洋画が主流だった日本洋画界に、新風を持ち込みます。フランスで学んだ「外光派」絵画手法そして、印象派的な手法を取り入れた明るい色調の洋画を発表し、日本の洋画界に大きな転換点をもたらしました。

やがて、その勢いで1896年に美術の新団体「白馬会」を立ち上げたり、東京美術学校の西洋画科教授に就任します。さらに流派や作風を問わない文部省美術展(通称文展)を立ち上げたり、自ら絵筆を取るだけでなく、積極的に業界を盛り上げていきます。

元々は薩摩藩の有名氏族出身だったこともあり、この勢いで子爵家を継ぎ、貴族院議員になってしまうなど、晩年まで体制派、主流派のドンとして、日本における西洋画のレベルアップや画家の地位向上などに奔走しました。

今も昔も美術の中心地はパリやニューヨークであり、その西洋絵画に如何に追いつき、国際的な日本美術の地位を高めるかに腐心したあたり、時代は違いますが現代アートで奮闘する村上隆に通じるものがあると思いました。

裸婦にこだわりがあった

彼がフランスから帰国して西洋美術を広める際に、人体のありのままを描く「裸婦像」は西洋美術の基本形である、として、「裸婦像」作品を積極的に内国博覧会や文展等に出品していきます。しかし、なかなか当時はそれが理解されませんでした。たびたび彼が描く裸婦像は「わいせつなもの」として批判を浴び、規制がかかります。

そのたびに、毅然として圧力に負けず、「裸婦像」を出品し続けた熱い反骨精神は見事でした。パトロンが三井財閥の重鎮だったり、後の宰相、西園寺公望だったりと、体制側にがっちりパイプや後ろ盾があるにはありました。ですが、それでも今よりも言論統制が行き届いていた明治・大正期にそこまで自分の信念を貫くのは波大抵の決意ではなかったと思います。代表作を貼っていきますね。

黒田清輝『野火』

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黒田清輝の裸婦像では、代表作です。構図に師匠のラファエル・コランの影響が大きいとされています。

黒田清輝『裸体婦人像』

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1901年に制作され、文展に出品されましたが、審査員から糾弾され、なんと展覧会では下半身に絵画の上から腰巻きの布を被せられたという逸話が残っています。(上半身は良かったんだろうか・・・)

黒田清輝『花野』(未完成と言われている)

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そして、極めつけはこれ。

黒田清輝『智・感・情』

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パリの博覧会に持込み、銀賞を獲得して以来、ずっと死ぬまで公開せず自宅で確保していたというこの3枚の大判の連作です。日本人の理想的な身体像を表現したと言われるこの作品、意味深な謎のポーズが考えさせられます。3枚とも、顔つきがまさしく日本人らしいなと感じました。

黒田がなぜ「裸婦」にこだわったか、明確には展示会で示されてはいませんでしたが、明らかにこれはフランス留学時代の師、ラファエル・コランの影響と思われます。展示会ではコランの代表作品が展示されていましたが、コランはやたら裸婦ばかり描いています。

コランは「外光派アカデミズム」という流派に属し、写実主義と印象派を折衷した、明るく温和な画風が特徴です。黒田の画風にも多大な影響を与えたという文脈で、先に出したミレーなどと同様に、いくつか代表作が展示されていました。これがまた迫力のある特徴ある絵画で見応えがありました。

代表作の「フロレアル(花月)」は、印象派的な色彩の背景に、細部までリアルに描かれた3D画像のように画面真ん中に描かれた裸婦がものすごくリアルです。

ラファエル・コラン『フロレアル(花月)』

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どうでしょうか?画面真ん中に配置された裸婦が立体的に浮いて見えませんか?

まとめ

日本における西洋美術史を眺めてみると、画家として、また美術教育、行政にも深く関わった権威として、必ず名前が出てくる黒田清輝。 その強力な政治力をバックに、非主流派の画家たちに冷や飯を食わせるなど、後に日本西洋画壇の流れを印象派偏重に歪めてしまったと断罪されることもあります。

しかし、亡くなる直前までとにかく描きまくった大量の絵画を時系列で見ているとやはり政治家や教育・啓蒙家である前に、一人の画家として生涯キャリアを追求した熱い人物だったんだなと実感させられます。その意味では間違いなく本物のプロのアーティストでした。

黒田清輝という一人の人物そのものや、彼の人生を通して見えてくる近代日本洋画の歴史、また同時期の西洋画の状況など、いろいろなことが見えてくる濃い展示会でした。本当に行ってよかった。同時開催のカラヴァッジョ展等と比較すると地味かもしれませんが、非常に見応えがある骨太な展示会です。おすすめです!

それではまた。
かるび

PS 同時開催で、上野近辺ではこんなのもやってますので興味があれば、どうぞ~。

★4月3日まで「ボッティチェリ展」@東京都美術館

★6月12日まで「カラヴァッジョ展」@国立西洋美術館