【2016年12月30日最終更新】
かるび(@karub_imalive)です。
映画「アズミハルコは行方不明」を見てきました。サブカル色が強めの快活な文体で、郊外で生きる女性達のストーリーを写実的に描いた原作の世界観を、うまく映画に落とし込んだ良作でした。
早速見てきましたので、以下感想を書いてみたいと思います。
※後半部分は、かなりのネタバレ部分を含みますので、何卒ご了承下さい。
- 1.映画の基本情報
- 2.主要登場人物とキャスト
- 3.映画の見どころ(ネタバレ無し)
- 4.結末までの簡単なあらすじ(※ネタバレ有注意)
- 5.感想や評価(※ネタバレ有注意)
- 6.伏線や設定などの解説(※ネタバレ有注意)
- 7.原作との相違点(※ネタバレ有注意)
- 8.まとめ
- 9.映画をより楽しむためのおすすめ関連書籍など
1.映画の基本情報
<予告動画を見てみる!>
【監督】松井大悟
【原作】山内マリコ(「アズミハルコは行方不明」)
監督は、若干31歳ながらすでに数作の商業映画で実績がある早熟の天才肌、松井大悟監督。若手監督らしい感性で、疾走感のあるキビキビした画面展開が爽快でした。
原作は、山内マリコの同名の小説「アズミハルコは行方不明」。「R-18文学賞」を受賞したデビュー作「ここは退屈迎えに来て」に続き、郊外に生きる若者を快活な文体でリアルに描写した小説は、若い女性読者を中心に共感を呼びました。
2.主要登場人物とキャスト
主役のアズミハルコは、映画中では別に「桐島、部活やめるってよ」みたいに不在なわけではありません。ちゃんと主役として、蒼井優が演じます。もう一人の主役は、高畑充希演じる木南愛菜です。
安曇春子(蒼井優)
行方不明になった28才の地味な田舎のOL。物語の主人公。
木南愛菜(高畑充希)
キャバクラを辞めて現在はネイリストを目指して勉強中のフリーター。さみしがり屋でユキオ、学と行動をともにする。
富樫ユキオ(太賀)
名古屋の大学を中退して実家へ出戻る。「でっかいことがやりたい!」と学、愛菜とグラフィティアートのチーム「キルロイ」を始める。
三橋学(葉山奨之)
成人式にも出席せず、地元のCDショップで働く地味な青年。ユキオに誘われ、「キルロイ」を始める。
"曽我氏”曽我雄二(石崎ひゅーい)
シンガーソングライターだが、最近は映画やドラマで起用されることが増えてきた注目の個性派俳優。監督いわく「ぬるっとした演技が好演だった」
3.映画の見どころ(ネタバレ無し)
3-1.場面転換のスピード感
シーンの切り替えが非常に早く、2人の主人公の女性、時系列の異なるハルコと愛菜のストーリーが同時に進行していくため、スクリーンに集中しないとすぐに置いていかれます(笑)セリフや説明が最低限で抑えられた分、映像で物語の行く末を暗示させる演出も多く情報密度が高いので、ハマった人は2度見必死になると思います。
3-2.郊外で軽薄な男たちに翻弄される女性のリアルな人物像
ハルコ、愛菜に限らず、映画で出てくる主要な女性キャラは全員、田舎の茫漠とした生活に疲れた存在だったり、軽薄な男たちに翻弄・抑圧される存在として描かれています。もちろん、その状況をどう切り抜けていくのか?一つの解決策がラストでしっかり提示されています。
3-3.高畑充希の好演!
出演が決まった順番では「とと姉ちゃん」より前だったらしいですが、20歳で鬱陶しいほど依存体質のマイルドヤンキー役は、NHK連ドラで演じた女性像とはまったく違うもの。インタビューで、「普段の私とはまったくキャラクターが違うので難しかった」と答えていますが、痛いほど焦燥感と孤独感が伝わってくる好演が光りました。
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4.結末までの簡単なあらすじ(※ネタバレ有注意)
※映画では、特に前半パートではアズミハルコの時間軸と、木南愛菜の時間軸が入り乱れて展開されるため文字に起こすとわかりづらくなります。ここでは、わかりやすさを優先し、ストーリーの時系列に再編したあらすじとなります。ご了承下さい。
少女ギャング団という女子高生の集団があった。神出鬼没で、夜な夜な男を集団暴行するという。LINEでつながり、誘いのアプローチがあった男性を待ち合わせ場所で襲い、ボコボコにした上、金銭を奪って逃げる。そんな事件が多発していた。
安曇春子27歳。栃木の地方都市に住む地味で普通の女性である。ある時、親友のひとみの結婚披露パーティで、旧友の今井と中学卒業以来再会を果たした。ひとみと今井、春子の3人は、幼馴染だった。
ひとみの結婚相手は、かなり年上の安定感のありそうな男性だった。野球選手と結婚し、子供「瑠樹(ルージュ)」を産んでから、家庭不和で離婚し、地元に戻ってきた今井とは対照的だ。
一方、春子はずっと地元で大人になり、地元の企業で事務の仕事をしていた。家族は、父母と認知症が進んだ祖母の4人暮らし。休みの日、母から日用品の買い物を頼まれた春子は、車で国道沿いのドラッグストアで、レジでバイトをしていた幼馴染の曽我氏とばったり再会した。
曽我氏とは隣同士の幼馴染の間柄だった。その晩、曽我氏の部屋へ遊びに行った。曽我氏から、ひとみの近況やひとみ、春子と3人で拾った捨て猫のことを聞かれた。今、15歳になった捨て猫は春子の家で飼育しており、あとで自宅に戻ってから、自室の窓から曽我氏に見せてやった。
春子の勤め先は、地元の零細企業。30歳後半の事務員、吉澤と、社長・専務、春子の4名の会社。社長・専務は暇そうにしてはネチネチとセクハラを仕掛けてくる。
ある晩、春子は、男が少女ギャング団に襲われているところを見かける。急いで男のもとにかけつけると、それは曽我氏だった。家まで曽我氏を運んで自宅に帰ると、その晩もう一度曽我氏の部屋に行き、なんとなく男女の関係になるのだった。
それ以後、なんとなくデートに出かけるようになった春子と曽我氏。車で地元のファミレスにでかけ、曽我氏の家でまったりする地味なデート。「一緒に海に行こう」という約束もしてみたが、それが実現することはなかった。曽我氏の本命の女性が別にいたからだ。
会社では、吉澤はフランス人と結婚しアフリカに移住すると言って、退職していった。代わりに若い女性が入ってきたが、さらに居場所がなくなった春子だった。
そして、曽我氏にも携帯がつながらなくなっていった。コンビニでバイトをする別の知人の男の情報によると、曽我氏はひとみと不倫をしているのだという。それを聞いたその晩、曽我氏にちゃんと付き合ってほしいと懇願した春子だったが、曽我氏に捨てられてしまうのだった。
翌日、全てに疲れ切った春子は家を出て失踪した。平成27年5月17日のことだった。
一方、木南愛菜は20歳になったばかり。勤務していたキャバクラの尊敬する今井先輩が野球選手と結婚、妊娠して退職すると、愛菜も風俗嬢をやめて、今はネイリストを目指してフリーター生活を送っている。
成人式の日、名古屋から戻ってきていた富樫ユキオと意気投合する。さみしがりやで、女友達といるより彼氏にべったりしたいタイプの愛菜はユキオに急接近。まもなくユキオと付き合うようになった。
地元に戻ってきたユキオだったが、何か大きいことがやりたいが、何がやりたいのかわからない。たまたま、誕生日プレゼントに愛菜から買ってもらった、グラフィティ・アートの巨匠、バンクシーが監督を務めた「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」を、成人式の時に再会した高校の同級生、三橋学に貸してやると、学も大ハマリ。
まもなく、ユキオと学はDVDにインスパイアされ、夜な夜なグラフィティ・アートを手がける「キルロイ」というユニットを結成する。文字では飽き足らず、人物画を構想中、たまたま、交番前で安曇春子の「失踪中」の張り紙を目にする二人。
安曇春子の顔写真から、グラフィティの型紙を作成し、以後これを地元のあらゆるカベや窓、公共物などに吹き付けていった。そのうち、愛菜も加入し、3人で活動するようになっていく。
しかし、活動をすすめるに連れ、すぐに地元のSNSや掲示板で、彼らのグラフィティについて話題になり、交番でも警告の張り紙が出るようになった。これにびびったユキオは、「キルロイ」の活動を降りてしまう。
取り残された二人だったが、その晩、ノリでホテルに入った学と愛菜。学はうっかり愛菜に、ユキオが愛菜に関心がなく、都合のいい女扱いしていることを口を滑らせてしまう。
ユキオは、愛菜より地元の女子高生に関心がうつり、別の日にファミレスで学を誘って合コンを企画していた。学についてきた愛菜は、ファミレスの駐車場でユキオの様子を伺おうとする。その時、女子高生の一団、少女ギャング団が学に近づいてきて、学を愛菜の目の前でボコボコにしてしまう。
愛菜とユキオは、学を置いて逃げてしまい、なんとなく彼らの間柄はそこで終わってしまったかのように見えた。
一人で活動を続ける学に、地元で開催される芸術祭のアートディレクターがコンタクトを取ってきた。「アズミハルコ」のグラフィティを応用したアートを、地元の芸大生の制作協力を得て、芸術祭で出展することが決まる。
地元の遊園地で行われる芸術祭の出展準備中、たまたま土木業に就いていたユキオが学を見つけ、再度「キルロイ」を結成して、二人で出展することになった。
出展当日、プレスや関係者が引いたら、ガラガラの芸術祭。これをきっかけに大きいことをやれると目論んでいたが、田舎での展示には誰も見に来ない現実を見て、「キルロイ」は解散することに。
しかし、展示ポスターを駅前の掲示板で見かけた愛菜は、ひとり声がかからなかったことに腹を建て、その晩展示会場に酔って現れ、展示をメチャクチャに壊してしまう。アズミハルコの幻想も見えるほど泥酔していたので、その晩そこで眠ってしまう愛菜。
翌朝早朝に地べたで目が覚めた愛菜。すぐにその場を逃げ出し、遊園地の近くのコンビニまで走ってくると、そこにはキャバクラ時代の尊敬する先輩と、失踪ポスターでしか見たことがなかった安曇春子がいた。今井と春子、そして今井の一人娘「瑠樹(ルージュ)」と一緒に、海に向かう愛菜だった。
ある地元の映画館にどこからともなく集まってくる少女ギャング団。大騒ぎしながら、少女が男たちを撃ちまくる素人風の映画を見て興奮するメンバーたち。映画が終わる頃、情報を聞きつけた警察が映画館の出入り口を固める。映画が終わり、警官に囲まれた少女ギャング団だったが、リーダーの少女が指鉄砲を警官に向けて放つと、次々に警官は倒れるのだった。そんな中、ゆうゆうとその場を立ち去る少女ギャング団だった。
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5.感想や評価(※ネタバレ有注意)
5-1.若手監督らしいテンポの良さが爽快だった
特に前半の数分で、目まぐるしく場面が変わるなど、原作を知らないと最初は何が起きているのか把握するのに非常に手間取ります。説明的なセリフが少なく、情景描写に情報を濃く詰め込むことで、テンポの良さを保ちながら物語を最後まで一気に走るスピード感は、非常に爽快でした。多分、一度目では見落としがあるので、2回目以降も楽しめるスルメ作品だと思います。
5-2.郊外で生きる若者たちの閉塞感が痛いほど伝わってくる
終始ダルそうな春子の表情。自宅でつまらなそうに過ごし、ロードサイドのお店に入っても知り合いばかり。「ファスト風土」と呼ばれ、生活必需品は問題なく揃うが、意外性や大きな夢を持てない予定調和な田舎の日常生活。「何か大きいことしてぇな~」と言って始められるのはせいぜい夜中のスプレーでの落書きくらいなもの。刹那的な快楽は味わえても、それをグラフィックアートに仕上げて発表したら、見に来るギャラリーは誰もいなかった・・・。
春子編でも愛菜編でも、地方独特のゆるさ、だるさが画面を通してがっつり伝わってきました。
5-3.「ダメ」な男性達に振り回される女性たちが印象的
本作で登場するどの男性も、魅力がなくダメな人物として描かれていました。セクハラや差別発言ばかりで働かない春子の勤め先の上司達や、口先だけで軽薄なユキオ、ダサい身なりでバイト先でも怒られてばかりの学、春子を捨て、働かず幼馴染と不倫に走る曽我氏、むすっとして家庭をまとめない春子の父・・・。
同じ男性として、スクリーンを見ているだけでもどかしくなる男子ばかりでイライラしました(笑)でも、退屈すぎる代わり映えのしない毎日の中で、そんな身近なダメ男たちにでも依存し、振り回され傷つく春子と愛菜は、さらに見ていられない感じでした。
5-4.現状から逃げ出すことで幸せを掴んでもOK
本作で、包囲した警察をも指鉄砲ひとつで動けなくするなど、いわば「全知全能」の象徴としてファンタジックに描かれた無敵の少女ギャング団は、観客にカタルシスを感じさせる効果はありましたが、若さもパワーも半端に失われた春子や愛菜には、ギャング団のように現状をひっくり返すほどの激しい行動を起こすことは難しいでしょう。
現実的には、ラストシーンであったように、気の合う仲間と今の環境から「逃げ出す」ことで幸せをつかむしかないのだろうと感じます。
実際、映画中で春子、愛菜の他に脇役として出てきた春子の親友、今井と勤め先の先輩、吉澤は、ともに今の環境から「逃げ出す」ことで、いちはやく現状を変えて幸せに近づきました。
今井は、子供の面倒を見ないプロ野球選手と離婚し、子供を連れて地元に戻ってきましたし、吉澤は遠いアフリカ、ブルキナファソで結婚生活を送ることになりましたよね。ともに、置かれた環境から「軽やかに」抜け出して不幸を脱出しています。
ラストシーンで、遊園地で泥酔した愛菜が見た春子の幻影が、女の子にとっては、「優雅な生活が最高の復讐である」と言いましたが、不幸な自分を見せつけて男に対抗するのではなく、不遇な現状から軽やかに逃げ出すことで、現状をリセットして幸せになることで復讐せよ、というのは極めて現実的だと思います。むしろ、女性だけでなく男性でも応用できる教えです。
5-5.がんじがらめになった息苦しい田舎生活から救い出したのもまた田舎で培った人間関係だった
ラストシーンで、合流した今井、愛菜、春子が女だけの楽な共同生活をスタートすることを示唆して終わりました。狭い田舎で完結する予定調和な退屈な生活、絡み合った不毛な人間関係のしがらみから抜け出すきっかけをくれたのもまた、地元の古い友人だった、というのが何とも皮肉な展開で、考えさせられました。
6.伏線や設定などの解説(※ネタバレ有注意)
6-1.アズミハルコは結局なぜ失踪したのか?
これは原作や映画でも明確に「理由」は示されませんでした。受け手側の自由な想像に任されていますが、おおむね以下の理由が重なったためと考えられます。
・職場の先輩、吉澤の退職(=職場の同志を失った)
・曽我氏にひどい振られ方をした(=恋人を失った)
・自宅も安住の地ではない(=家の中に居場所を失った)
・どこへ行っても知り合いだらけでの地元(=町中でも居場所を失った)
・ギャング団にも入る自信がない(=若さを失った)
仕事、プライベート、生活など、全ての面で行き詰まり、どうでも良くなった、あるいは消えてしまいたいと自暴自棄になったのでしょうね・・・。
6-2.アズミハルコは失踪後、どうしていたのか
いつものように母親から買い物を頼まれたことをきっかけに、そのまま放心状態でコンビニで佇んでいたところ、離婚して実家に帰ってきていた今井が発見し、しばらく今井、今井の娘と落ち着くまで3人で暮らしていました。
6-3.少女ギャング団はなぜラストシーンで警察の包囲を突破できたのか
先頭の女の子が指鉄砲を構えて撃つふりをしたら、包囲していた警察官は倒れ込みました。この描写で、特に論理的な説明はなかったので、彼らは春子や愛菜の理想像である、「強い女の子」の理想を体現した、ファンタジックな存在であったと理解しておけばいいのかなと思います。現実感のあるなしというより、物語にスパイスとカタルシスを与えるための軽い仕掛けだと思って解釈するのが良いのではないでしょうか?
6-4.映画のロケ地はどこなのか?
映画中で明言はされませんが、群馬県足利市~桐生市のあたりだと思われます。駅のポスターに「足利市」と張り紙がしてあったこと、ラストシーンで使われた遊園地が「桐生が丘遊園地」であったことなどが手がかりです。また、エンドロールでクレジットされていたお店などに、足利市や桐生市の施設が多かったです。なお、小説の原作では、春子や愛菜が住んでいる場所はぼかされています。
6-5.映画中で、愛菜がユキオにプレゼントしたグラフィティ・アートのDVDは?
イギリスのロンドンを中心に活躍するグラフィティ・アートのレジェンド、バンクシーが監督を務めた映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」です。資本主義を風刺したストリートアートが、バンクシーが有名になるにつれ、オークションで高値売買される皮肉と矛盾。そんな中、バンクシーを追いかける男が、いつの間にか自分自身がグラフィティーアーティストに仕立て上げられてしまいます。バンクシー自身も出演し、「アートとは一体何なのか?」を問いかける、ドキュメンタリー映画の名作です。
映画中では、まずユキオがバンクシーにあこがれて、愛菜から買ってもらったこのDVDを学に勧めますが、学も「スゲー!!」と絶賛していましたね。以降、彼らのグラフィティアート活動のバイブルとして二人に共有されていました。
物語の結末で、アズミハルコのグラフィティアートが地域芸術祭のプロデューサーに発掘されたところまではバンクシーのDVDと似たような展開でした。ただ、田舎ゆえ注目してくれる観客はおらず、泥酔した愛菜に壊されてしまうラストは、あまりにバンクシーの成功譚と対照的です。
7.原作との相違点(※ネタバレ有注意)
7-1.少女ギャング団と春子のやりとりが真逆になっていた
春子は、失踪直前に少女ギャング団と偶然遭遇します。映画ではギャング団のリーダーに「来る?」と誘われますが年齢を元に弱々しく断っていました。原作小説では、春子はもう少しアグレッシブで、「私も連れてって」と頼み込みますが、少女たちから「女子高生でなきゃダメ」と断られます。
誰にも頼れず、居場所をなくした春子が失踪する流れにつながるのであれば、原作のほうがやや物語的には自然な流れなのかなと思いました。
7-2.ラストシーンで少女ギャング団が見ていた映画
映画のラストシーンで、少女ギャング団のメンバーが見ていた映画はアメコミタッチで少女が大人たちを撃ちまくる痛快な内容でしたが、原作では、「スプリング・ブレイカーズ」(2013)というアメリカの美人大学生が無双する実写映画でした。いずれも少女ギャング団の無敵性、全能性を象徴する内容でしたが、できれば映画版でもこの「スプリング・ブレイカーズ」を見たかったです。(権利関係等でムリなのかな?)
8.まとめ
狭い生活圏の中で、退屈な人間関係と刺激のない毎日を送る郊外の若者たちの情景を、リアルに描き出した印象的な作品でした。現実的には、田舎の若者が全員不幸なわけでもなく、ローカルな地元生活を満喫し、不満のない若者も多数いるはずです。
でも、もし閉塞感を感じて行き詰まったのなら、彼らが幸せをつかむためには一旦、人間関係や環境をリセットして「行方不明」になるしかないのかもしれません。
いろいろな意味で考えさせられる、おすすめの映画です。
それではまた。
かるび
9.映画をより楽しむためのおすすめ関連書籍など
映画同様、ポップでスピード感のある文体にぐいぐい引き込まれました。小説だと、中盤までハルコ不在となるため、より失踪した「行方不明」感が強く感じられます。
映画公開を記念したKindle限定コンテンツ。本音で対談することにより、作者山内マリ子氏の人間感や女性感が良く理解できます。250円と非常に安いですし、原作世界をよりよく知るためにもポチッて損なしです。
「アズミハルコは行方不明」原作者、山内マリコのデビュー作。映画同様、倦怠感、閉塞感の広がる田舎に生きる8人の女性達の退屈な日常を描いた連作短編集。物質的な豊かさは都会とさほど変わらない地方都市での生活が、なぜこれほど色あせてつまらないものに映るのか。登場人物たちの物憂げな心情が痛いほど伝わる良作。