あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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書評:「不屈の棋士」は人工知能に追い詰められ苦闘するプロ棋士達をリアルに描く傑作でした!

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【2016年11月21日更新】

かるび(@karub_imalive)です。

素晴らしいドキュメンタリーでした。

2016年7月に講談社現代新書から出た新刊、大川慎太郎著「不屈の棋士」は、衝撃的なノンフィクションでした。

どうすごいのか?

これまで、将棋界から出版される本は、個人に焦点を当てた英雄譚や偉人伝的なものや、ビジネス書的なアプローチで「プロ棋士に学べ」的なスタンスのものが多いイメージがありました。いわば彼ら個人や業界のブランディングの延長線上にあった、一種行儀の良い本が多かったわけです。

が、この本は違います。2016年時点で、彼らのプロ棋士としての『存在価値』を激しく揺さぶる「人工知能」について、トッププロに真正面からタブーなく切り込み、生々しい苦悩や迷いを証言として引き出したリアルなノンフィクションです。

僕も、読み終わって非常に衝撃を受けました。この感覚を忘れないうちに、以下、早速感想を書いていきたいと思います。

人工知能をテーマとしてまとめられたインタビュー

将棋界では、ここ数年人工知能を搭載した将棋ソフトがどんどん強くなり、公式棋戦等でも、プロ棋士にコンスタントに勝ち越すようになってきています。

昨今、人工知能の発達普及により、将来失業者が増えるのではないかという話をよく耳にすることが多くなりました。それは、我々一般の職業人にとっては、正直まだまだ先の話です。

でも、将棋界はいち早くこの「失職リスク」が現実化しつつあると言っても過言ではありません。だってソフトに勝てないのですから。「最強」という称号を失ったプロ棋士の存在意義が根底から揺さぶられつつあるのです。

そんな中、長年専門誌等で将棋ライターを務める著者が、将棋界の代表的な棋士11名に対して、非常にセンシティブなトピックである「人工知能についてどう思うか?」に焦点を絞り、ストレートに切り込んだインタビューをまとめたのが本書です。

インタビューでは棋士達の危機感や苦悩が強く感じられた

インタビューでは、プロ棋士たちの、AIを搭載した将棋ソフトウェアに対する様々な思いがあふれだします。トッププロ達の怒り、苦悩、焦りなど様々な感情が、インタビューの文面からにじみ出ます。

インタビューに応じたのは、第一人者である羽生善治を始め、長年将棋界を牽引するA級棋士である森内俊之、佐藤康光、次世代のエースである渡辺明、糸谷哲郎、そして実際に電王戦、叡王戦でコンピュータソフトに敗れた経験のある山崎隆之、村山慈明など錚々たるメンツ。

彼らトッププロをも実力面で凌駕しつつある将棋ソフトに対する見方や、対策、将来の展望などは様々に分かれましたが、彼らに共通するのは、強い「危機感」でした。

もはや将棋ソフト抜きでは成立しない将棋界

先日、映画「聖の青春」を見てきました。2000年代初頭の将棋界は、ソフト全盛の2016年現在に比べると、まだ古き良き牧歌的な将棋の世界が残っているように感じました。今、村山が生きていたら、果たしてこの個性派将棋指しはどういう立ち回りをしていただろうな、と感慨深くなりました。

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今や、ソフトを好きか嫌いかにかかわらず、将棋界全体は将棋ソフトにより大きく影響されています。研究段階でソフトウェアの活用が進み、徹底的なシミュレーションにより新たな定跡や、新手が次々に生まれる反面、その対策も早い。流行の戦型が出ては消え、出ては消えという目まぐるしい状況です。

また、ソフトウェアの指す手は、良い意味でも悪い意味でも固定概念や定跡から解放された指し方になります。ソフトウェアを日常の研究段階から深く使い込む若手棋士を中心に、「もっと自由に奔放に指してもいいんだ」と良い意味で固定観念から解放された斬新な指し方をする若手も増えているといいます。

そして、ほぼ全員の棋士が、「自分たちプロ棋士よりもすでにソフトウェアの方が強い」という非常に現実的で冷静な分析ができていることも、ハッとさせられました。

プロ棋士という職業は今後どうなるのか

著者による「ソフトの進化によって、プロ棋士の存在価値はどうなるのか」という非常に核心を付いた厳しい質問への回答が、本書の最大の見どころです。

半数以上の棋士は、その価値の源泉である「強さ」が失われる以上、これまでと同様の待遇を受けるのは難しく、いつかは棋士という存在がいらなくなる可能性もあると認識していました。いわば「人工知能による失職のリスク」が十分現実味を帯びてきているということです。

しかし、こういった厳しい質問にも一つ一つ、絞りだすように誠実に回答する彼らの姿勢と、彼らが現時点で見出したそれぞれのスタンスは見事でした。決して現実から逃げることなく向き合い、現時点で彼ら自身がどう対応していくかーそれはひとりひとり違っていてユニークなのですがー非常に読み応えがありました。

プロ棋士という仕事はなくならないと感じた

読了しての感想ですが、個人的には、「プロ棋士」という仕事はなくならないのではないかな、と感じます。

彼らを支えるメインスポンサーである新聞社が厳しい状況ということもあり、人工知能全盛時代には、現在の「名人戦」という枠組みを基本とした現在のプロ制度は変化せざるを得ないでしょう。

ただ、コンピュータと人間の能力差がどれだけ広がったとしても、やはり観ていて面白いのは、人間対人間の真剣勝負が生み出す様々なドラマやストーリーだと思うのです。

「3月のライオン」「月下の棋士」等の将棋マンガが人気を博した理由は、登場人物達の競技レベルの高さではなく、彼らトップ棋士達が真剣に戦う中で生み出される人間模様の面白さにあります。

また、ジャンルは違いますが、箱根駅伝や高校野球といった、競技者達のレベルは決して最高ランクとはいえないアマチュアスポーツが、「真剣に競技に取り組む人間ドラマの面白さ」という点で国民的人気を保ち続けている点も、先行事例として参考になりそうです。

まとめ

世界的な人工知能研究者のレイ・カーツワイルによると、2045年には、人工知能が人間の情報処理能力を上回る特異点「シンギュラリティ」に至るとされ、その時、人間生活は後戻りできないほど変容する、と言われます。

現時点で、人工知能の脅威を間近に感じるところで生活している人は少ないと思います。ただ、いつかはわからないけれども、我々一人一人今の将棋界のトップ棋士のように失職のリスクやアイデンティティそのものについて嫌でも考えさせられる日が来るはずです。

この本は、そんな近未来の私達の状況を先取りしたかのような将棋界の現状を、迫真に迫るリアリティを持って感じさせてくれます。読んでいて、複雑な気持ちにさせられる深い内容の本でした。また、ハイレベルなインタビュー内容を現場の緊張感をそのまま本にまとめ上げた作者の力量にも感服しました。

ゼロから分かり易く背景知識が解説されているため、将棋についての背景知識も必要ありません。ノンフィクション好きに幅広くおすすめの本です。是非手にとって見てください。

それではまた。
かるび

【2016年10月13日追記】

この本が出版されて3ヶ月、三浦弘行9段が、いくつかのプロ対局中に離席した際、スマホアプリの将棋ソフトを指し手決定の際に使った疑惑から、竜王戦への対局中止と2016年12月末までのプロ棋戦出場停止処分が科されました。(公式アナウンスでは直接「ソフト指し」が原因と言及されてはいない模様)

まだ真偽は不明ですが、三浦9段といえば、2013年の第2回電王戦で大将として出場し、「GPS将棋」に敗れ、波紋を呼びました。人工知能に追い詰められたプロ棋士の現状を象徴するような事件で、非常に興味深く推移を見ていきたいと思います。

なお、「不屈の棋士」でも、三浦9段と小学生の時から同期で仲の良い行方8段のインタビューのところで少し言及されていますね。