かるび(@karub_imalive)です。
日本美術がブームとなって久しいですよね。2016年春、社会現象にまでなった伊藤若冲展をはじめ、歌川広重や葛飾北斎といった浮世絵の巨匠や、京都・奈良の古刹や仏師を特集した仏教美術展など、大都市圏で開催される企画展は、朝から行列ができることも珍しくなくなりました。
今まで美術史の中で埋もれかけ、低評価に甘んじていた画家たちも、熱心なファンたちによって少しずつ見直されてきています。鈴木其一、河鍋暁斎、渡辺省亭といった江戸末期~明治期の画家たちです。いずれも、美術館でのまとまった規模の回顧展がきっかけでした。
そんな中開催された本展「狩野芳崖と四天王」は、美術史の中で完全に忘れ去られた狩野芳崖の弟子だった4名の日本画家たちに新たに光を当てた意欲的な展覧会です。
知られざる実力派絵師4名の作品を掘り起こしつつ、横山大観、菱田春草といった、明治期の日本画壇を引っ張ったエースたちの作品も合わせて展示した、展覧会場はまさに「近代日本画づくし」!
早速、初日に行ってきましたので、簡単に感想・レポートを書いてみたいと思います!
1.「狩野芳崖と四天王展」とは?
そもそも狩野芳崖って知ってます?
Wikipediaより引用
「狩野永徳や狩野探幽はよく知っているけど、狩野芳崖は名前くらいしか知らない・・・」という方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?僕も、アートを見始めた頃は、「狩野芳崖、誰それ?」って感じでした。なので、念の為狩野芳崖について簡単にまとめておきますね。
狩野芳崖は、室町時代から延々と続いた日本画の御用絵師集団、狩野派における最後の大物絵師とも言える存在です。江戸末期、幕府の奥絵師(将軍にも謁見を許された)として10代目木挽町狩野家当主だった狩野勝川院雅信の下で修行時代を送りますが、明治維新後はフェノロサ・岡倉天心らとともに新しい日本画の再興を目指して、日本画壇の中心人物として活躍しました。
狩野芳崖《悲母観音》東京藝術大学蔵
引用:Wikipediaより
代表作は、教科書にも掲載された《悲母観音》(重要文化財)。
狩野派特有の強い線描は抑えられ、色彩の濃淡で神秘的な空気感を全面に押し出した芳崖絶筆となる作品です。まさに今、赤子が地上に降り立ち、生を受けようとするスピリチュアルな感じも受ける作品。(※後期展示で観れます!)
狩野芳崖の4人の弟子たちとは?
狩野芳崖は、橋本雅邦・川端玉章ら同時代の画家たちに比べ、あまり多くは弟子を取りませんでしたが、少数精鋭となる4人の弟子たちがいました。彼らは、師匠・狩野芳崖が亡くなってから、確かな実力を持っていたにもかかわらず、完全に目立たない存在となり、歴史の間に埋もれてしまいます。今では、日本美術史の中で完全に埋没した「知る人ぞ知る」存在レベルになってしまっています。
公式図録『狩野芳崖と四天王ー近代日本画、もうひとつの水脈』(求龍堂)から短評を抜粋してみると、
岡倉覚三(天心)の甥で、芳崖の顕彰にもっとも積極的に取り組んだ最大の功労者
◯岡不崩(おかふほう/1869-1940)
本草学を志し、植物画として正確で鮮やかな草花図を数多く残した学者画家
◯高屋肖哲(たかやしょうてつ/1866-1945)
仏画師と自称し、仏教美術研究に基づいた精神性の高い仏画を残した市井画家
◯本多天城(ほんだてんじょう/1867-1946)
懇願し続けて芳崖門下となり、のちに狩野派の筆墨と写実の雪中に取り組んだ画家
本展が画期的なのは、展覧会中前後期で展示される全76点の作品中、約4割強となる33点が、この忘れ去られた4人の弟子たちの作品や関連資料であるということ。現在、明治~昭和期に活躍した忘れられた天才画家・渡辺省亭のミニ回顧展も同時期に加島美術にて開催されていますが、彼ら4人もまた、これを機に見直されることになるのでしょうか。
3世代の特徴ある「四天王」作品で明治~昭和期の日本画を堪能
本展が巧いのは、芳崖門下の4人の弟子だけでなく、それ以外の画家たちも4人ずつ「四天王」としてまとめて、章立てして整理してくれていること。各章では、芳崖に関連した、異なる3世代の画家たちがキリよく4人ずつ取り上げられています。
つまり、本展では明治期を中心に活躍した合計(四天王×3世代+1人=)13人の日本画家の作品を楽しめるということなんです。
まとめると、こんな感じです。
会場内には、この3世代の「四天王」の登場人物関係図が、うまく解説パネルでまとめられています。(※公式図録P184にも掲載されています)
2.展覧会の3つの見どころ
3世代の異なる四天王を集中的に取り上げ、日本画づくしの展覧会となった本展。初日に僕が見てきた中で、特に見どころと感じた4つのポイントをピックアップします。
見どころ1:日本画壇主流派たちの「過渡期」における試行錯誤が楽しめる展覧会!
本展では、岡倉天心・フェノロサらの指導の下、江戸狩野派から日本画壇のバトンを受け継いだ作家たちが、新しい日本画を生み出そうと試行錯誤した明治初期~明治30年頃までの作品を集中的に楽しむことができました。
特に、明治期の重鎮だった狩野芳崖・橋本雅邦の作品を前後期で合計19点まとめてチェックできるのは嬉しいところ。両者とも、展覧会で頻繁に作品を見かけはしますが、いつも「◯◯に影響を与えた明治期の巨匠~」みたいな扱いで、脇役的に1,2点パラパラとした展示にとどまることが多いので、今回のようにまとまってガッツリ楽しめる機会は貴重なのです!
いくつかピックアップして紹介してみますね。
狩野芳崖《壽老人》泉屋博古館分館蔵
狩野芳崖が何度か好んで描いた七福神の一人「壽老人」が展示室を入ると、まず最初に目に飛び込んでくる作品(※前期展示)。極太の輪郭線で描かれた力強い筆触は、周囲の作品を圧倒するオーラを放っていました。
狩野芳崖《伏龍羅漢図》福井県立美術館蔵
続いても老人が主役の絵画。こちらは、仏教美術を主題に、狩野派伝統(?)のいかり肩をした高僧が、獰猛な龍を調伏して手懐けたシーンを描いています。老人のユニークな顔相と、細部まで徹底的に描きこんだ丁寧なタッチが見どころ。
狩野芳崖《伏龍羅漢図》福井県立美術館蔵
特に、老人の膝上でおとなしくする龍の表情が素晴らしい!馬が草を喰む場面を徹底的に観察して、龍の表情に応用したのだとか。
橋本雅邦《神仙愛獅図》川越市立美術館
つづいて、橋本雅邦の作品。木挽町狩野派のエース格としてキャリアをスタートさせた雅邦は、明治30年代を頂点として、西洋画から遠近法、色彩感覚を日本画に取り入れて作風を変化させていきますが、本作は江戸期までにはなかった「モチーフ」が新鮮。
橋本雅邦《神仙愛獅図》川越市立美術館 拡大図
つまり、このライオンの写実的な描写が新しいんですよね。1886年にはライオンを伴ったイタリアのサーカスが初来日するなど、この時代になって、雅邦は恐らくライオンの実物を見たか、写真を目にする機会があったのでしょう。ライオンの優雅なたてがみの表現など、味わい深いです。
橋本雅邦《西行法師図》
東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館蔵
つづいて、前期展示からもう1枚。湖畔に静かに悠然と佇む西行法師を描いた歴史画作品。湖面に反射する光やモヤを表現した絶妙の色彩感覚や、空気遠近法などが駆使されており、ほとんど西洋絵画のような構図です。
見どころ2:狩野芳崖の4人の弟子たちの作品をガッツリ観る!
展覧会副題にもある通り、本展で初めて大きくクローズアップされた狩野芳崖の4人の弟子たちの作品も、詳細資料合わせて前後期で33点展示されます。
岡不崩《群蝶図》個人蔵
画家としてのキャリアの傍ら、本草学に傾倒した岡不崩が、生涯好んで描いたテーマが、こういった草花図でした。非常に多くの草花に、10種類以上の蝶が群がる華やかな絵画です。
岡不崩《群蝶図》部分図 個人蔵
どうですかこの華やかさ。試しに数えてみましたが、描かれている蝶は軽く10種類以上ありました。
本多天城《山水》川越市立美術館蔵
遠目からざーっと見ると、山水画というより、遠景に巨大な山脈がそびえ立つ西洋の風景画のような印象です。しかしよく目を凝らしてみると、近景の岩や松の木は、狩野派由来の伝統的な技法で描かれており、本多天城が西洋画と日本画の融合を目指していたのだなと言うのがよく分かる作品でした。
近景部分は、狩野派の伝統技法で描かれている
本多天城《山水》川越市立美術館蔵 部分図
なお、本作が描かれる元となった作品は、橋本雅邦《月夜山水》という絵画で、後期に展示される予定です。
高屋肖哲《武帝達磨謁見図》東京・浅草寺蔵
インドより海を渡り、「梁」の都、南京で達磨大師が武帝と謁見するシーンを描いた屏風絵です。左隻に描かれた達磨大師の表情は、禅画でよく見る典型的な描かれ方ですが、左隻左端の役人の表情などは写実的に描かれています。
岡倉秋水《龍頭観音図、雨神之図、風神之図》個人蔵
本展では、仏教美術や歴史を主題とした作品が多めに出展されている岡倉秋水の作品は、画面内で描かれた人物が味わい深いのです。どことなくマンガタッチと言うか、絵本の挿絵みたいな感じが面白いんですよね。
たとえばこれ。
岡倉秋水 《風神之図》 部分図
伝統的な風神雷神・・・の「風神」を表現しているのですが、我々がよく知る琳派の風神雷神図や浅草寺・三十三間堂などの彫刻と違い、なんだか妖怪みたいな顔つきです・・・。でもあんまり怖くなくて、どことなくコミカルな感じが非常に面白い!
つづいてはこちら。
岡倉秋水《不動明王》部分図 個人蔵
こちらも平安時代より伝統的に仏画の人気モチーフとして描かれ続けてきた不動明王(青不動)。片目を閉じて口をへの字口に閉じるという密教絵画における「儀軌」を遵守しつつも、マンガの挿絵のような親しみやすさ。
きっと現代に生きていたら、人気イラストレーターとして活躍してたんじゃないのかなと思いながら絵を見ておりました。
見どころ3:やっぱり名作《悲母観音》は見ておきたい!
狩野芳崖《悲母観音》東京藝術大学蔵
引用:Wikipediaより
本展のハイライトは、歴史や美術の教科書にも採用されている狩野芳崖《悲母観音》 でしょう!後期での展示となるため、今回は観ることができませんでしたが、前期では、代わりに師匠の《悲母観音》を丁寧に模写した岡倉秋水の作品をはじめ、弟子たちの模写した下絵などが展示されています。
岡倉秋水《慈母観音図》福井県立美術館蔵
模写した下絵に鉛筆で書き込まれたメモに注目!
高屋肖哲《悲母観音図 模写》部分図 金沢美術工芸大学蔵
3.その他特に気に入った作品
木村武山《祇王祇女》
木村武山《祇王祇女》永青文庫蔵
「朦朧体」による日本画の新しい方向性を模索した、橋本雅邦門下の四天王(横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山)の中では一番知名度が劣る木村武山。僕は彼の描く丁寧な花鳥画が結構好きなのですが、本作は朦朧体を一通り消化して身につけた繊細な色彩感覚と、写実的な草花の描写がぴったりフィットした力作だと思います。
木村武山《祇王祇女》永青文庫蔵 部分図
また、隣にかかっていた仏画で描かれた仏像の顔もそうでしたが、女性のふくよかで丸い顔は、武山の好みなのでしょうか。
西郷孤月《深山の夕》
西郷孤月《深山の夕》長野県信濃美術館蔵
こちらも「朦朧体」を一部作品中に取り入れ、夕暮れが迫る樹海のダークな風景が醸し出す不安定な感じを見事に表現した作品。
西郷孤月は、将来を嘱望されながら、師匠・橋本雅邦と衝突し、日本美術院を脱退して台湾へと出奔し、非業の早逝を遂げた悲劇の画家・・・というイメージがあるのですが、この絵を見ていると、何となく孤月の行く末を暗示しているようで、非常に強く印象に残りました。すごくいい作品だと思うのですが、家の床の間には・・・いいかな^_^;
4.混雑状況と所要時間目安
泉屋博古館分館は、滅多なことでは混雑しないため、土日祝日を含め、いつ行っても快適に観ることができると思います。小規模な美術館なので、前期・後期に展示が細かく分かれることもあり、所要時間は30分~60分程度あれば問題ないと思います。
5.関連書籍・資料などの紹介
公式図録がAmazonで買える!
本展は、福井県立美術館、山梨県立美術館でも展示された巡回展。だからなのか、図録にISBNがついていてAmazon等で気軽に買えるようになっています!。狩野芳崖ですらそこまでメジャーじゃないのに、その弟子にスポットライトを当てた本が、ネットでしっかり流通するなんていい時代です(笑)もちろん、展覧会を見てから会場で購入することも可能ですよ。
6.まとめ
幕末~明治期の中で、庇護してくれる江戸幕府という後ろ盾を失ったことで一旦は混迷を極めながらも、その後フェノロサ、岡倉天心と共に新たな日本絵画の本流を作り上げてきた狩野芳崖。彼らの取り組みは、やがて朦朧体を開発し、日本美術院を立ち上げた横山大観らに受け継がれていきます。その一方、芳崖直系の弟子たちは、大観ら主流派の陰に埋もれてしまいますが、師匠の作風を継承し、それぞれの地道な作家活動を続けていました。
本展は、狩野芳崖や、彼の仲間・弟子たちが明治~昭和初期にかけて、どのようにそれぞれの画業に取り組んできたのか、わかりやすく整理・提示してくれた展覧会でした。個人的には非常に勉強になった展覧会です。近現代の日本画が好きな人には是非おすすめ!
それではまた。
かるび
展覧会開催情報
特別展「狩野芳崖と四天王」展覧会詳細:
◯美術館・所在地
泉屋博古館分館
〒106-0032 東京都港区六本木1-5-1
◯最寄り駅
・東京メトロ南北線線六本木一丁目駅北改札口より徒歩3分
・東京メトロ日比谷線神谷町駅4b出口から徒歩10分
・東京メトロ銀座線溜池山王駅13番出口から徒歩10分
◯会期・開館時間
2018年9月15日(土)~10月28日(日)
※前期:9/15~10/8 後期:10/10~10/28
10時00分~17時00分(入場は閉館30分前まで)
◯休館日
毎週月曜日(※9/17、24、10/8は開館、9/18、25、10/9は閉館)
◯入館料
一般800円/大学生・高校生600円/中学生以下無料
◯公式HP
https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/
◯Twitter
https://twitter.com/SenOkuTokyo
※なお、本エントリで使用した写真・画像は、Webメディア「楽活」取材のため、予め主催者の許可を得て撮影・使用させていただいたものとなります。何卒ご了承下さい。