かるび(@karub_imalive)です。
2017年1月28日から封切りとなる、美術家の半生をその女性関係を中心に描いた映画作品「エゴン・シーレ 死と乙女」の試写会に行ってきました。
試写会なので、ネタバレは極力無しで、以下感想を書いてみたいと思います。
- 1.映画の基本情報
- 2.主要登場人物とキャスト
- 3.結末までの簡単なあらすじ(※ネタバレ無し)
- 4.感想や評価
- 5.エゴン・シーレとはどんな芸術家だったのか(解説)
- 6.他の方が書いた試写会レポート
- 7.まとめ
1.映画の基本情報
<映画「エゴン・シーレ 死と乙女」公式予告動画>
2.主要登場人物とキャスト
エゴン・シーレ(ノア・サーベトラ)
映画の主人公。ディーター・ベルナー監督が見出し、ノア・サーベトラは今回が実質の俳優デビューとなる。実物のシーレ以上に甘いマスクのイケメン。
ゲルティ(マレシ・リーグナー)
シーレの実妹。映画冒頭から、兄のヌードモデルを努めるためいきなり脱ぐが、どうも雰囲気的に二人は兄妹以上の関係にあるような描かれ方。兄への複雑な思いを表現した好演が光りました。
モア(ラリッサ・アイミー・ブレイドバッハ)
ストリップ劇場の踊り子で、シーレの最初の恋人となる女性。
ヴァリ(フェレリエ・ペヒナー)
シーレの恩師、クリムトのモデルを務めており、その縁で知り合ったシーレと恋人関係になる。実直で健気な女性。
(※上記画像4枚とも、映画「エゴン・シーレ死と乙女公式HPから引用)
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3.結末までの簡単なあらすじ(※ネタバレ無し)
映画は、エゴン・シーレが成人してから、28歳でスペイン風邪(インフルエンザ)で亡くなるまでの芸術活動やめまぐるしい女性遍歴に彩られた8年間を順番に描いていきます。
以下のあらすじは、映画「エゴン・シーレ 死と乙女」の公式サイト掲載文面の転載となります。
第一次世界大戦末期のウィーン。天才画家エゴン・シーレはスペイン風邪の大流行によって、妻エディットとともに瀕死の床にいた。そんな彼を献身的に看病するのは、妹のゲルティだ。
――時を遡ること、1910年。美術アカデミーを退学したシーレは、画家仲間と“新芸術集団”を結成、16歳の妹ゲルティの裸体画で頭角を現していた。そんなとき、彼は場末の演芸場でヌードモデルのモアと出逢う。
褐色の肌を持つエキゾチックな彼女をモデルにした大胆な作品で一躍、脚光を浴びるシーレ。その後、敬愛するグスタフ・クリムトから赤毛のモデル、ヴァリを紹介されたシーレは、彼女を運命のミューズとして数多くの名画を発表。
幼児性愛者という誹謗中傷を浴びながらも、シーレは時代の寵児へとのし上がっていく。しかし、第一次世界大戦が勃発。
シーレとヴァリの愛も、時代の波に飲み込まれていく――。
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4.感想や評価
4-1.純粋にストーリーを楽しめる伝記/恋愛映画でした
エゴン・シーレ自体は、20世紀初頭に活躍したオーストリアの著名な画家ですが、この映画ではそんな彼の内面的な思想の解析をしたり、アート作品の制作過程をドキュメンタリー風に追う小難しいスタイルではありませんので、安心してください。
ストーリーは、ほぼ史実に沿ってかなりわかりやすく整理されています。ガツガツ(だらしなく?)恋愛と絵画制作に明け暮れ、シーレ自身の目指す先鋭的な芸術のあり方や独自の倫理観についてこれない周囲からの批判や無理解と戦いながら、画家としてのキャリアを突き詰めていく若きシーレを描き出しています。
また、映画では、最後に個展を開催するシーン以外では、「絵画」そのものはあまり出てきません。ヌードモデルを近くに座らせて絵を製作しているシーンはたっぷりあります(笑)だから、エゴン・シーレの絵画や美術史等に精通しなくても全く問題なく映画を楽しむことができます。
4-2.芸術家って結局女にだらしない人が多いような(笑)
映画を見ると、公式サイトのあらすじでネタバラシされている時点で、すでにシーレと2名(妹入れて3名)との女性遍歴が明らかになっていますが、さらにこれに2名追加になります(笑)
20歳を過ぎてから亡くなる8年間の間に、5名の女性と同時並行的に(あるいは五月雨的に)関係を維持したという、今風に言うと「ゲス」(笑)な感じのシーレですが、生涯で9名もの女性をとっかえひっかえしたピカソを筆頭に、他にも女にだらしなかった著名な芸術家は山ほどいるので、「まぁ、そんなもんか」と思って見ていました。
シーレ自身の倫理観や解釈では、一人の女と婚姻してもう一人の女と愛人契約を結ぶことはごく普通のことだったのでしょうが、それを芸術家としての独自の感性として捉えるべきなのか、若さゆえの傲慢な姿勢だったと解釈するのかは、映画の鑑賞者に委ねられています。
4-3.音楽が物悲しくヨーロピアンな雰囲気で良かった
少しトレイラーを見ていただくとわかりますが、物悲しく、叙情的な映画中の劇伴音楽が非常に良い出来でした。ハリウッド作品ではこのタッチは味わいは出せないだろうなぁと思います。湿り気のある憂いを帯びた曲調は、志半ばでスペイン風邪で早逝してしまうシーレの行く末を暗示するようでした。
5.エゴン・シーレとはどんな芸術家だったのか(解説)
(引用:Wikipediaより)
エゴン・シーレ(1890-1918)は、日本では、一部のコアな美術ファン以外にはあまり名前を知られていない、どちらかといえばマイナーな部類の画家です。日本で大規模に最初の回顧展が開催されたのは、1979年の西武美術館の「エゴン・シーレ展」です。
(引用:http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=115585)
そこから、少しずつ80年代、90年代を通して、散発的に幾つかの展覧会が開催されつつ、美術ファンの間で名前が知れ渡っていきました。(かく言う自分も去年までは知らなかった)
後世の美術史におけるエゴン・シーレの位置付けは、ウィーン分離派、または表現主義に属する作風だとされます。最晩年、最後の妻エディットのススメで描いたいくつかの風景画以外は、ほとんどヌードを中心とする人物画を手がけました。
シーレは、幼いときから絵を描くのが大好きな少年だったと言います。そして、何かに縛られるのが嫌で、学校や教師を敵視していました。妹、ゲルトルード(ゲルティ)と近親相姦的な関係にあったとされ、また、父が梅毒の影響で狂死して困窮を極めるなど、かなり特殊な家庭環境の下、多感な時期を過ごしたようです。
転機となったのは1906年、16際の時。絵の才能をようやく認められ、ウィーンの絵画アカデミーに入学します。以後、師匠クリムトとの出会いや仲間との会派結成、ゴッホへの傾倒などを経て、エロティックなヌード等の人物画を描く独自の作風を急速に確立していきました。
★クリムトに傾倒していた時期の作品を比較
左:クリムト「接吻」
右:エゴン・シーレ「アントン・ペシュカ」
代表作のうち特に映画を見る前に1枚だけチェックしておくとしたら、間違いなく、映画サブタイトルにも付けられた通り、1915年に制作された「死と乙女」です。2番めの恋人ヴァリと破局してから、シーレがヴァリとの恋人時代をテーマに、その別離に込めた思いを描いたとされます。
エゴン・シーレ「死と乙女」
(引用:Wikipediaより)
映画作品中では、(当然狙っての上だと思いますが)この作品と全く同じポーズで二人が絡むシーンがありますので、是非注目してみてくださいね。
シーレの最後は、あっけなくやってきました。第一次大戦の従軍絵師としての務めを終え、個展も成功していよいよこれから!という大事な時期に、妻エディットのスペイン風邪をもらい、妻の死後3日後にシーレもあっさり亡くなってしまいました。
6.他の方が書いた試写会レポート
同じく、試写会に参加した他の美術ブロガーの方々が書いた映画レポートが非常に参考になります。こちらも映画館に行く前に是非参考にしてみてください。
映画「エゴン・シーレ 死と乙女」: 今日の献立ev.
映画「エゴン・シーレ 死と乙女」 | 弐代目・青い日記帳
7.まとめ
芸術家の一生・・・というには、あまりに短く、わずか28歳で亡くなったエゴン・シーレ。芸術家としての成功を夢見て、また大切な恋人と充実した日々を過ごしたシーレの青年時代を情感たっぷりに描いた作品でした。
アートファンはもちろん、アートファン以外の映画好きな方にもしっかりと心に残るものを運んでくれる映画だと思います。おすすめ。
それではまた。
かるび