あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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「ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝」@パナソニック汐留ミュージアムに行ってきた

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かるび(@karub_imalive)です。

汐留地区といえば、日本テレビ、電通、パナソニック、ソフトバンク、日本通運等々、名だたる会社の本社の高層ビルがあるわけですが、今日はそんな汐留に月曜日の昼から突撃してきました。お目当ては、パナソニック汐留ミュージアムで開催されている、「ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝」展です。少し感想を書いてみたいと思います。

0.無職になってから初めて来た真昼の新橋(笑)

会社員だったときまでは、スーツで頻繁に出入りしていた東新橋の汐留地区。そんなサラリーマンのメッカみたいな汐留地区に、月曜日の昼間からプライベートでうろうろして、優雅に美術館に入っちゃうなんて不思議な感覚であります。

特にこのパナソニック汐留ミュージアムは、サラリーマン臭い場所であります(笑)すぐ下のフロアには白物家電の展示スペースがあり、ミュージアムと同じ空間に商談スペースがあります。美術館に来る客と、パナソニックに商談で来る営業が同居する不思議な空間になっていました。

フロア内にも、パナソニックの社員さんが普通に展示を見てたりして、こんなところでさぼってていいのかな(笑)なんて思いながら展示を見ていました。あれ、やっぱり社員ならタダなのかな。

1.混雑状況と所要時間目安

パナソニック汐留ミュージアムの展示スペースは、どちらかというと小~中規模クラスのコンパクトな展示場です。今回も、ミケランジェロの建築系の素描を中心として80点くらいの展示でした。所要時間は、1時間あれば回れるでしょうか。

平日昼間に行ったのですが、混雑はありませんでした。テーマもわりと専門的ですし、レア絵画や彫刻の出展もないので、恐らく土日含めて混雑はしないと思います。

中の雰囲気としては、こんな感じ。(※別のサイトから映像お借りします。)

2.鉛筆とバインダーの貸し出しがありがたい!

音声ガイドの貸出はなし。ただし、1点1点の展示に非常に詳しい解説のホワイトボードがつけられているので、問題ありません。うれしかったのは、口前に鉛筆が「自由にお使いください」とあり、学習者やブロガーには優しい配慮。

そして、僕がB6のメモ帳片手に書きにくそうにしていると、案内のお姉さんが声をかけてくれて、バインダーを貸してくれました。ありがたいことです。おかげでメモ書きがはかどりました。いろいろと、オリンピック公式スポンサーだけあっておもてなし精神ができているようです^_^

3.ところでミケランジェロって誰なの

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ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は、16世紀のヨーロッパで、彫刻・絵画・建築全てにおいて驚くべき才能を発揮し、数多くの優れた作品を遺した大芸術家です。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロと並んで、ルネサンスの3大巨匠と呼ばれ、非常に長命でした。

性格は気難しく、誇り高き天才職人とも形容されます。制作物について、常にわがままなオーダーを出す教皇に一歩も引かず、自己主張をしたと言われます。日本で言うと千利休みたいな人なわけです。ダヴィンチとは仲も悪かったし、作業場に見学にきたラファエロを「俺の芸を盗むな」と言って追い返したらしい(笑)

代表作は、システィーナ大聖堂の天井画「創世記」と、障壁画「最後の審判」、それから彫刻では「ダヴィデ像」などです。本人の中では、本職は彫刻家であり、絵画や建築には得意意識はなかったといいます。

創世記f:id:hisatsugu79:20160627232241j:plain

展示会では、ミケランジェロが「俺は画家じゃないんだ!天井画を描くときに、上を見過ぎてて腰が痛い、首が痛い」と友人に弱音を吐いた直筆の手紙が展示されており、これは何気に必見です。ブツブツ文句を言いつつも、手を抜かず最高傑作を仕上げてしまう職人魂が感じられ、感慨深い手紙でした。

 

最後の審判
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4.ミケランジェロの「建築」に焦点を当てた展示会

さて、今回は、そんな天才ミケランジェロの芸術の中でも、特に「建築」について、焦点を当てた展示会でした。とは言っても、建築についての展示会の場合、まず、現物そのものを展示会に持ってくることが非常に難しいので、展示方法に工夫が必要となります。

例えば、ひたすらバーチャルな映像で「建物」自体を紹介する手法などは有効です。先日試写会に行ってきた、7月2日公開の映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」では、ルネサンス期のフィレンツェの建物、建物内のデザイン、彫刻などを、ドローンを飛ばしてレアな角度から撮影したり、最新の4K映像技術を活用して、よりリアルに写しだしたりする工夫がなされていました。 

今回は、それに比べると文書中心で、一見するとわりと地味な展示会です。しかし、建物の設計書となるミケランジェロが描いた「素描」や「デッサン」、あるいは本人の手紙や、周辺資料が丁寧に展示されており、落ち着いていてよかったと思います。

5.デッサンは全ての芸術の基本

一番多かった展示物は、「デッサン」や「素描」となる、建物のデザイン案でした。通常の絵画展などだと、デッサン類などはいわゆる下書き的なものとして、さしみのつまのように脇役的な展示が多いような気がしますが、今回の展示会では、これらが主役です。

ルネサンス期では、「彫刻」「絵画」「建築」等は、親方や師匠が経営する工房単位で貴族や教皇などからの発注に対応していました。そこで、各工房で一番大切とされたのが、こうした「デッサン」でした。特に、建築や彫刻の場合は、「デッサン」は単なる下絵ではなく、そのままそれが「制作指示書」となっていたケースも多かったようです。

また、親方や師匠を中心として、徒弟制度により工房が経営されていた当時、こうした師匠が描いたデッサンは勉強のため非常に貴重な資料であり、中には貸し借りにあたって、有料で賃貸料を払ってまでも勉強させてもらっていたケースもあったようです。

ミケランジェロ本人も、親しくない外部からのデッサン拝借依頼を度々断り、自分の重要なパトロンである懇意にしている貴族や、弟子にだけ素描を譲り渡すなど、デッサン類を非常に大切にしたそうです。

残念なのは、本人が亡くなる前に、手元にあった素描類は全部自分で焼き捨てたらしいということ。現存する約600点のデッサンは、他人の手などに渡り、焼却を免れたものを後日彼の子孫たちがかき集めたもので、その最大のコレクションが、彼の名を冠したカーサ・ブオナローティ美術館に所蔵されています。今回の素描・デッサン類はそのカーサ・ブオナローティからの出品が大半となりました。

6.ミケランジェロが実際にデザインに関わった建築物たち

ミケランジェロは、長命だったこともあり、生涯を通して実に12名の教皇に仕えました。(というか教皇早く死にすぎ・・・)そのたびに、あれやこれや造れ、改造しろ、やめろと指示され、振り回されるのですが、本当によく頑張ってそれらの要求に応えました。

展示会で紹介されているフィレンツェ、ローマでの沢山の建築物のうち、特に気に入ったものをいくつか紹介しますね。

6-1.ラウレンツィアーナ図書館(フィレンツェ)

ミケランジェロが関わった建築物の中で、一番重要な建築物と言われています。メディチ家出身のクレメンス7世の発注により、1524年に設計開始、1571年に建築が完了しています。特に、この天井部分のゴージャスなデザインや、広々とした図書スペースが印象的でした。

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図書閲覧コーナー。広々としていて気持ちよさそう。f:id:hisatsugu79:20160627183948j:plain

ミケランジェロが設計した天井部分のデザインf:id:hisatsugu79:20160627190753j:plain
(引用:フィレンツェガイド日記

6-2.カンピドーリオ広場と建築物(ローマ)

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この広場床面の幾何学模様や、左右対称の整然としたルネサンス期のデザインが印象的でした。後に、昭和の大建築家、丹下健三がつくばセンタービルを作った時に、このカンピドーリオ広場の床面から着想を得て、オマージュとしてデザインに取り入れたそうです。

6-3.サン・ピエトロ大聖堂(ローマ)

ルネサンス期になり、老朽化したからリニューアルしよう!ということになって、建築設計競技(今で言う企画競争入札みたいな)で選ばれたブラマンテが、着手中に亡くなってしまい、後継として指名されたラファエロも急逝し、最後の頼みの綱としてお鉢が回ってきた案件。今で言うとさしづめ炎上案件の火消し役といった感じです。ミケランジェロの胸中はともなくとして、彼はこれに晩年のエネルギーをほぼ全部注ぎこみ、財政難の中、実に17年間も無給でやりきってしまいます。

サン・ピエトロ大聖堂f:id:hisatsugu79:20160627191132j:plain

ドーム天蓋部分の、ミケランジェロがやり直した設計部分f:id:hisatsugu79:20160627191146p:plain

 

6-4.プラート門要塞化計画(フィレンツェ)

1529年、神聖ローマ帝国のカール5世とローマ教皇クレメンス7世(メディチ家出身)が手を組み、フィレンツェへ侵攻しました。その際、ミケランジェロは教皇側ではなく、市民側につきます。市民側から、フィレンツェを守る要塞建設のプロデュースを依頼され、これに応えました。

クレメンス7世の仕事もメディチ家の仕事も一杯受注していたにも関わらず、フィレンツェ愛が爆発し、彼はローマを捨てて一旦故郷へ戻るわけであります。ミケランジェロの設計した要塞は、よく持ちこたえて難攻不落でした。

しかし戦争終結後、また何事もなかったかのように、ローマに戻ってクレメンス7世の仕事をやっているあたり、なんだかよくわからないですね・・・。
プラート門(現在)f:id:hisatsugu79:20160627193351p:plain

(引用:プラート門フィレンツェ

プラート門要塞 設計図面
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(引用:プラート門の要塞のための習作

7.まとめ

美術史家としても有名な同時代の画家、ヴァザーリは、「美術家列伝」にて、ミケランジェロに最高位の格付けと賛辞を送っています。絵画・彫刻・建築と、その土台となる素描技術全てに優れ、なみいる美術家たちの頂点に君臨する「神の如き」と表現しました。

僕は、これまで西洋絵画・日本絵画を中心に(というかそれしか見えてなかった)美術展に通ってきました。焼き物や彫刻、建築物、写真、デザインなどはまだまだこれから勉強中、というところだったので、今回のテーマは「天才」ミケランジェロを通してルネサンス期の建築物に触れてみるいい機会となり、個人的には非常に勉強になりました。

しかし、こういった建築物については、やっぱり展覧会に行ったからには、是非現地で見てみたいなぁと思うわけです。つくづく、ローマ、フィレンツェは街全体が美術館っていうのがわかりますね。ローマ、フィレンツェに近いうちに旅行に行く人は、逆にこういう展覧会を見ておくといいかもしれません。会期は、8月28日(日)までです。

それではまた。
かるび

PS
同時期のフィレンツェの建築物、ミケランジェロの絵画、彫刻が美しい映像で見れる映画です。合わせて見ると理解が進むと思います!