かるび(@karub_imalive)です。
5月に会社を辞めてから、週1ペースでいろんな落語会に通っているのですが、昨日は、桂歌丸の芸歴65周年記念落語会に行ってきました。その感想を書いてみたいと思います。
桂歌丸と言えば、つい最近、笑点の司会を5月22日付けで勇退すると発表してから、何かと話題になっていますよね。このチケットは、その報道がされるかなり前、3月上旬の時点で購入してあったのですが、報道後に全席ソールドアウトになったようで、当日券の販売はありませんでした。
それにしても芸歴65周年って半端ない
落語家は、職業生活に定年はありません。でも芸歴65周年とは半端ない。65歳じゃないんですよ。「芸歴」が65年なんです。笑点でもいじられている通り、もうすっかり骨と皮だけになっちゃって、今年80歳になる歌丸ですが、その経歴は結構異色です。
15歳の時に、いてもたってもいられなくなって、高校も行かずに最初の師匠古今亭今輔に弟子入りしたのが落語家としてのキャリアのスタートです。そこから、実に65年間落語一筋で、笑点も初回から50年出続け、その間落語界の人気噺家の地位を築いてきた。月並な感想ですが、本当にすごいことだと思います。
ちょうど自伝が出ていたので、読んでみましたが面白かったです。
落語会はこんな感じでした
落語会は、定刻通り18時30分にスタート。以下のような構成で、終演は20時35分頃。もう少し演るのかなと思ったのですが、やはり体力面でギリギリなのか、歌丸自身の高座は一席のみでした。
開口一番(前座):春風亭昇羊『初天神』
(引用:円丈らくご塾 : 春風亭昇羊(しゅんぷうてい・しょうよう))
開口一番(幕が開いた最初の前座)は、春風亭昇太のお弟子さんで、前座の春風亭昇羊でした。お題は前座噺では定番の『初天神』。
年が明けて天神様へ初詣に子供に行く道中、子供が団子やたこを買ってとせがむ、父親は嫌がる、そのやり取りを描いた前座噺です。今年から落語にハマりはじめた僕でも、ライブでも映像でももう何回も見ているくらい、有名な噺です。
定番の噺だからこそ、その話芸の出来が厳しくファンからチェックされちゃうわけですが、マクラも含めてまずまず面白かった。奔放なスタイルで新作落語を得意とする師匠と全くしゃべり方や雰囲気が違うのですが、どうやって修行してるんだろうか。
特別ゲスト:春風亭昇太『ストレスの海』
続いて、前半のハイライトである春風亭昇太。マクラの冒頭で「弟子の落語を近くで聴くと指摘したい箇所が一杯あってもやもやっとする」と言ってましたが、すぐに笑点の裏話へ。
笑点メンバーのマクラは、やっぱり必ず笑点メンバーの楽屋話になるんですかね。今回はホール落語でも客層がライトユーザーが多かったようで、自虐的な笑点の裏話で盛り上がります。曰く、おっさんとおじいさんがただ座って大喜利やってるだけで、圧倒的にドラマなどの他番組に比べて手間隙かかってないにも関わらず、いつもいつも高視聴率で不思議だと。
あとは、安定の「結婚できない」小話。歩いていたら道端の浮浪者から「早く結婚しろよ」と言われたり、新幹線のホームで5人組のおばちゃんに絡まれてからかわれた話など、笑点で確立した「結婚できない」キャラを活かしたマクラがバカ受けでした。
演題は、長年の持ちネタである新作落語「ストレスの海」。展開が早く奇想天外なバカ話なんですが、マクラで温まったところで、昇太特有の若々しく妙に素人風味なハイテンションで押し切り、最後まで笑いが切れません。さすが人気落語家です。本当に50代後半なんでしょうか、この人は。
仲入り前に桂歌丸よりご挨拶「まだまだ引退しません!」
昇太が終わると、一旦幕が下りて、アレ?これで休憩かな?ちょっと早いよな?と考えていたのですが、館内アナウンスがなく、どうしたものかと。2,3分待っていたのですが、なかなか幕が開かないので、トイレに立つ人もちらほら。
すると、しばらくして幕が空き、すでに桂歌丸が高座上で、黒紋付で座布団に正座して待機していました。
ここで軽く一席か?と思ったら、そうではなく「芸歴65周年の口上」とのことで、10分程度の軽い漫談とご挨拶。「本当は昇太さんと二人で演る予定だったのですが、あの人が次に仕事をいれちゃったので、今日は一人でやります」と(笑)
そして、やっぱり話題は笑点の司会引退の話になりました。報道されている通り、体力的な限界により、笑点50周年という節目で、司会は引退させてもらうことにしたとのこと。
現在、週に4回医者に通っているそうです。ほぼ毎日ですね。特に2015年に腸閉塞で入院した際にベッドに寝たきりになって、足の筋肉が一気に落ちてしまったため、今もまだ数メートル歩くだけでも非常にキツいそうです。
5月22日の最終生放送で、司会の交代と笑点の新メンバーを紹介するので、「相撲なんてほっといて」笑点を見てねとのことでした。うん、そうするよ。
また、司会を交代しても、落語は死ぬまで続けていきたいとの話でした。夏には国立演芸場で、ライフワークとしている三遊亭圓朝の怪談ものも国立演芸場でネタおろししなきゃと張り切ってました。
三味線漫談:林家あずみ
(引用:本人Twitterプロフィールより)
仲入り休憩後は、三味線漫談。いわゆる落語会での色物では、漫才や紙切り、コントは何回か見ましたが、「三味線漫談」というジャンルは初めてです。AKB48の柏木由紀がいい感じに年を取ったような美人さんで、京都出身。笑点で有名な林家たい平の一番弟子とのことで、4年間の前座を経て、今は寄席や落語会を中心に高座に上がっているそうです。
三味線の歌が4曲と、その合間に漫談を入れていくスタイルですが、やはり男性中心の落語界だと、立ち位置的にはアイドル的な存在なんでしょうね。それなりに面白かったのですが、ネタのキレやキャラの押し出しがもう一歩で、上品にまとまりすぎかな?とは思いました。芸人として売っていくならもっとエグい方がいいかな。
このジャンル、まだ女流三味線漫談では数名しかいないそうなので、パイオニア的な存在として頑張って欲しいです。また聴いてみたい。
トリは本人が一席:桂歌丸『紺屋高尾』
林家あずみが退席後、一旦幕が降りて、しばらくして開いたら、すでに高座には桂歌丸がスタンバイ。足を崩さないと座れないとのことで、よく上方落語で使う「膝隠し」の机を置いての高座です。
膝隠し(イメージ図)
演題は、本人のCDも出ている「紺屋高尾」でした。もちろんこれは予習済み。
神田紺屋町*1の染め物職人久蔵が、吉原の超人気おいらん、高尾太夫に一目惚れ。一夜過ごすために、3年間必死に働いて10両ためて高尾太夫のいる吉原に会いに行きます。その一途ぶりに高尾太夫が惚れ込み、二人は身分の違いを超えて結婚する、という江戸時代版格差婚をテーマにした人情噺で、これも非常に有名ですね。
どの芸能でも共通しているのですが、巨匠になって年をとると何かと良い意味でスローテンポになりますね。漫才も講談もそうだし、畑違いですが、クラシック音楽などでも、巨匠指揮者が降ると演奏がどっしりと遅くなりますし。
この「紺屋高尾」も、若手なら20分ちょっとで終わる中ネタ程度の噺ですが、噛みしめるようにゆっくりゆっくり丁寧に噺が進行し、マクラ入れてで45分程度の長丁場となりました。
最近の笑点を見ていると、滑舌が今ひとつで病気の影響などもあるのかな?と思っていましたが、さすがに高座では全く問題なし。スピードは遅いですが、言い淀むところもなく、聴きやすかった。体で覚えているのでしょう。
まとめ:巨匠の講演は一期一会。見逃したくない。
今回の船橋市民文化ホールは、1500名位の中型ホールですが、時期柄もあるとは言え、ホールを満席大入りにする知名度はさすが。このホールサイズで落語を見たのは初めてだったのですが、特に春風亭昇太と桂歌丸のベテラン達の話芸のレベルの高さもあり、会場の一体感は損なわれていませんでした。
ジャンルは変わりますが、少し前、2009年にクラシックの名指揮者、フランス・ブリュッヘンが晩年に新日本フィルの演奏会で来日したことがありました。彼はすでに75歳を超えて足を悪くしており、昨日の歌丸同様、指揮台では椅子に座っての指揮となりました。「あ、これはもうここで聴き逃したら次はないな」と思って、仕事を無理やり空けて演奏会へ馳せ参じたことがありました。
その演奏会では、巨匠ブリュッヘンが限界まで新日本フィルの潜在能力を引き出し、非常に良い音が鳴っていました。まさにベテラン指揮者とオーケストラの奇跡のコラボ。感動しました。で、その後はもう来日することはなく、2014年に80歳でブリュッヘンは亡くなります。本当に無理して見ておいてよかった。
巨匠は、見れる時に見ておかないと、次がないんです。そして、巨匠の作品・舞台はそのクオリティに関わらず、ただ巨匠がそこで何かをやっているだけで、感動を生みだします。
落語でもクラシックでも、絵画でもなんでもいいのですが、高齢となった超ベテラン・巨匠がなおも第一線で活動を続ける時、そのモチベーションは、お金や名誉といったものではなく、純粋に「これが作りたい」という創作意欲や求道精神を源泉としているのですよね。
自分に残された寿命を強く意識しつつ、人生の集大成として、気力を振り絞って最後の作品を作り上げている姿勢が、共感と深いリスペクトを呼ぶ。
モネは、白内障で目が見えなくても、絵を描き続けました。ルノワールも、リューマチで手が動かない中、やはり死ぬまで絵を描き続きました。ベートーヴェンは完全に耳が聞こえない中、「第九」を完成させました。そして、歌丸も満身創痍になっても、なおも第一線で落語に取り組んでいる。
その、一心に芸に打ち込む姿が、見ている観客を魅了するのだな、と。65年間の集大成として、今があり、そして今日の高座があったわけです。
芸歴65周年を迎えても、まだ鬼のようにスケジュールを入れて、新ネタにも意欲的に取り組んでいる。その原動力は、もう純粋に「落語を極めたい」というものでしょう。
不謹慎な話かもしれませんが、本人も、昨日の高座で「もうあと10年は持たない」と自ら言及していたとおり、今の健康状態を考えたら、プロの一線級としての高座のレベルを維持できるのは長くてあと数年でしょう。
本当に、今回65周年という節目で、船橋まで遠征して見ておいてよかった。今後少しでも長生きして、生きるレジェンドとして、落語道に取り組んでいって欲しいと思います。
22日の笑点は、拡大版生放送だそうですが、その引退口上を楽しみにしています。
それではまた。
かるび
*1:どうでもいい話だけど、神田紺屋町はまだ実在する地名で、僕が以前勤めていた会社の前の事務所が神田紺屋町にありました。今は残念ながら雑居ビルしかない(笑)