あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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クラシックで心を豊かに!超初心者向けオーケストラ曲10選!

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は仕事柄なのか性格なのか、結構多趣味な方です。

中にはおとなになってから増やした趣味もあるのですが、そのうちの一つが「クラシック音楽」。2009年からハマりました。

従来、音楽については中学生の頃からたまに洋楽全般やJ-POP、アイドル(笑)に寄り道しながらも、ヘヴィ・メタル一本だったのですが、結婚してから妻の影響で徐々に聴くようになっていったのでした。

クラシックにハマったきっかけ

きっかけは、仕事の不振でした(笑)

リーマン・ショックでIT業界(Sier)にも半年遅れで不況の波が押し寄せ、急にストレスフルな仕事が増えた時期でした。あの時は本当にひどかった。人、余り過ぎに辞めすぎで阿鼻叫喚でした。

採用担当をやっていたのに、採用の仕事は開店休業。採用しようにも既存社員にも割り当てるプロジェクトがないわけです。代わりに、ちょっとでも営業を強化するんだ!ってことで、気の進まない営業に回され、でも採用担当として半リストラに近い退職処理(というか退職勧奨に近いのもあった)にあたっていたので心も荒んでおりました。

その時に妻が聴いていたモーツァルトのピアノ協奏曲(27番だったかな)をたまたまじっくり一緒に聴く機会があり、「おおこれは心が落ち着く!」ということで30歳を過ぎていましたが、クラシック音楽に目覚めました。

クラシックも、ハマりようによっては、オーディオにカネをかけ出したり、古い音源漁りをしだすと「沼」の様相を呈してきますが、それほどお金がかかるわけじゃなくて、入りやすい趣味だと思います。

どこから入ったらいいのかわかりづらいよね

ただし、クラシック音楽って、最初は何から入ったらいいのかちょっと分かりづらいところがあると思うんですよね。自分の場合は、たまたま幼い時からピアノをやっててクラシックに詳しい妻がいたので助かりました。

入っていく際に「これはどうなの」「あれは上手なの」とか根掘り葉掘り聞けたわけですが、もしいきなり何のとっかかりもなければハマれなかったと思います。

じゃあどこから入ったらいいのか、ということなんですが、ずばりお薦めは「オーケストラ」でキャッチーで聴きやすい曲から入ることです。あ、これテレビのCMとかどこかで聴いたことがある!という曲が馴染みやすくていいと思います。

オーケストラ曲と言っても色々ありますが、聴きやすいのは18世紀後半のモーツァルト以後、19世紀一杯のドヴォルザークあたりまでが入門としては良いでしょう。

クラシック音楽も西洋絵画と同じであり、いきなり現代音楽を聴いても、サッパリわけがわからないです。絵画が19世紀終盤の「印象派」以降ワケがわからなくなって難解になっていくのと同様、クラシック音楽も概ね1920年以降は不協和音いっぱいの「現代音楽」であります。僕も徐々に挑戦していますが、まぁなかなか理解が追いつかない(笑)

ということで、前置きが1,000文字を超えてしまいましたが、このエントリでは、僕がリーマン・ショック後のつらい時期に聴いて心が満たされた、聴きやすくてわかりやすいオーケストラの初心者向け作品を幾つか紹介してみたいと思います。

初心者向けオーケストラ曲10選

1,ブラームス「交響曲第1番」

名前は知っているけど、定番って何があるの?って聞くと、なかなかパッと出てこない作曲家です。1800年代後半に活躍した寡作の大作曲家ですが、ベートーヴェン没後、30年程画期的な曲が生み出されず停滞していたクラシック界に、とうとう風穴を開けた金字塔的作品。本人もそのプレッシャーに悩みぬき、約20年かけて制作されたといいます。計算され尽くした譜面は圧巻。壮大な第4楽章の盛り上がりがとにかく好きで、本当に聞きまくりました。子供の胎教にも使いましたが、息子は当然「知らない」だそうです(笑)

2,ドヴォルザーク「交響曲第9番」"新世界"

この第9番は、チェコの大作曲家ドヴォルザークの最晩年の作品です。第2楽章は小学校の「下校時間」のアナウンスで昔良く使われていました。この第2楽章とともに、「下校時間になりました。気をつけて帰りましょう~」とよく学校で聞かされたものです。第4楽章の怒涛の盛り上がりも最高ですね。この副題”新世界”は、ドヴォルザークがニューヨークに数年間滞在した際に見聞きした「新世界」での情景を音楽にしたものだと言われています。また、日本では年末の「第九」に対して、新年明けた正月公演は「新世界」で始まるところが多いです。

3,ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」

全盲の天才ピアニスト、辻井伸行が幼少の時からオーケストラとの共演時に18番としていたロシアの天才作曲家のピアノ協奏曲です。聞き所は、第1楽章~第3楽章まで全部!ピアノの演奏者によって曲調がガラリと変わるのが特徴で、お薦めは、曲調から全面的に滲み出る優しさが心地よい辻井伸行の演奏です。とにかく癒される。浅田真央の2013年度の演技曲でもありましたね。

4,モーツァルト「交響曲第41番」"Jupitar"

ソロからオーケストラまであらゆる形態のクラシック曲をアホみたいに量産した天才音楽家モーツァルトの晩年の大傑作です。音量を下げ気味にして朝食と一緒に是非頂いてくださいませ。気分は高級ホテルでの優雅な食事をしている気分(?)にひたれるかもしれません。ちなみに、僕も気合を入れてモーツァルト大全集を買いましたが、なんと200枚組でした。その200枚の中でもやっぱり一番のお気に入りです。

5,マーラー「交響曲第1番」"巨人"

マーラーは、後の方の交響曲は複雑・壮大で通好みの難解で長時間なものが増えていくのですが(それはそれでスルメ盤的な良さがじわじわわかってくる)、初心者には壁が厚い。でも、クラシック聴いてるからには「このあいだマーラーがさぁ。。。」とか語ってみたいじゃないですか。そんな人にお薦めなのがこのマーラーの1番。若い時に作曲されたドイツ直系の正統派的でキャッチーなメロディラインはマーラーのオーケストラ曲全10曲の中でダントツの聞きやすさ。

6,シューマン「ピアノ協奏曲」

ベートーヴェンとブラームスのまさに谷間世代の作曲家。最後は発狂して自殺しちゃうんだけど、このピアノ協奏曲は発狂するすこし前、シューマン全盛期の時の作品。第3楽章などはうっとりするロマンチックかつ美しい旋律が怒涛の音密度で流れていきます。シューマンのピアノ協奏曲はこれ1曲だけど、彼が作った他の4つのフルオーケストラ曲よりもこっちのほうが完成度が高いような気がするな。

7,ショパン「ピアノ協奏曲第1番」

ピアノ協奏曲ばっかりですみません。好きなんで。で、これも本当に日本のオーケストラでは定番中の定番として演奏される曲です。ショパンといえばピアノ・ソナタ(ピアノソロ)が有名ですが、この第1番と、もう一つオーケストラ曲としてピアノ協奏曲を残しています。非常にキャッチーで、どこをどう聴いてもショパンらしいわかりやすい曲ですね。ただしピアノパートがとんでもなく超絶技巧なのは、ソロもコンチェルトも変わらないようです。

8,チャイコフスキー「交響曲第5番」

シューマン同様最後は非業の死を遂げてしまうチャイコフスキーですが、有名な曲が一杯ある中で、個人的にはこの第5番が一番好きです。どれを聴いてもわかりやすく、とにかくメロディーラインがしっかりしている親しみやすいチャイコフスキーですが、オーケストラ曲だと第4番~第6番が傑作との評価を受けています。特にこの第5番は起承転結がハッキリした名作で、第4楽章の最後の盛り上がりは生で聴くと鳥肌モノです。

9,ベートーヴェン「交響曲第5番」"運命"

ベートーヴェンは交響曲9曲とピアノ協奏曲5曲、どれも全てわかりやすく初心者にピッタリなのですが、お薦めはこの第5番と、第7番にしておきたいと思います。いわゆる「第9」は初心者にはちと長尺すぎて、第4楽章以降の盛り上がりまでにきっと寝てしまうでしょう・・・。第5番は最初から最後まで小学校の音楽の授業で耳にしたことがあると思います。「ジャジャジャジャーン」というやつですね。

10,ベートーヴェン「交響曲第7番」

 最後はおなじくベートーヴェンの第7番。少し前になりますが、クラシックを題材にしたヒット漫画「のだめカンタービレ!」のアニメ化された際のオープニングテーマにこの第一楽章が使われて、CDが結構売れてクラシックファンの裾野が広がったことがありました。こちらも「静」と「動」のメリハリがついた聴きやすい名作です。

まとめ

僕も、クラシックにハマる30代までは、クラシックなんぞ上流階級の聴くものだ、と思っていましたが、まぁ全然そんなことはありません。確かに上流階級のすました方々も多いし、コンサートの休憩時間にはワインとか出てきて優雅な感じはあります。

だけど、国や自治体の補助金などもありチケットはそんなに高くない(海外の有名オーケストラ公演を除く)ですし、コンサートでちらっと席を見ると何割かのお客さんはボケーっと寝てますから(笑)多分休憩時間中のアルコールのせいです(+_+)

最近は、上記に貼ったようにYoutubeで色々音源も試し聞きできますし、TVやDVD、それから有名ドコロだと映画館でのパブリック・ビューイングもあります。さらに、なんといってもCDが安い!新品でもベートーヴェンやマーラー等の大全集は、3,000円位でささっと買えますし、ブックオフなどの中古はさらに安いです。10,000円あれば、中古で頑張れば20枚は買えるんじゃないでしょうか。

そんなわけで、春はクラシック入門にはピッタリの季節。実は、今日3月31日は、「オーケストラの日」。それにちなんで、いつかは書きたいなーと思っていたクラシック音楽についての記事を書いてみました。また、GWには東京・金沢・びわ湖で毎年恒例の日本最大級のクラシックイベント「ラ・フォル・ジュルネ2016」もあります。いい機会なので、是非皆さん聴いてみてくださいね!


それではまた。
かるび

「俺たちの国芳 わたしの国貞展」の感想→浮世絵って面白い!

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かるび(@karub_imalive)です。

先週3月19日から渋谷Bunkamuraにて始まった、幕末浮世絵師の巨匠、歌川国芳と歌川国貞をフィーチャーした浮世絵展「俺たちの国芳 わたしの国貞展」に行ってきました。

じつは、恥ずかしながら浮世絵を始めとする日本画の美術展はほとんど行ったことがないので、どんなもんなのかな、と思っていたのですが、これが予想以上に良かったのです。

僕は、浮世絵については、子供の頃からふとしたきっかけから、日常生活の中で親しんできました。母親が永谷園のお茶漬けが好きだったこともあり、そのお茶漬けのモトのおまけについていた「東西名画選カード」の中に、葛飾北斎や東洲斎写楽などの浮世絵が結構あったんですよね。

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(出典:http://w2222.nsk.ne.jp/~kita1ym/random2.html

とはいえ、僕の中の浮世絵のイメージといえば、かなり残念な感じ。ステレオタイプな風景画か美人画位のもので、まぁお茶漬けのカードに描いてあったとおりだろう、、、と思っていたのですが、今回の展示会では、いい意味で大きく期待を裏切られることになりました。いや、すごかったです。それでは順番に少し紹介してみたいと思います。

混雑状況について

検索で来てくれる人は、まずこの「混雑状況」がやっぱり気になるかと思いますので、先に書いておきますね。僕の行ったのは、初日3月19日の午前11時頃。雨の中行ってきました。

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入り口の写真などを見るとわかりますが、それほど人は入っていません。ただし、このBunkamuraの展示スペースは中が狭いので、少し人が入っただけですぐに息苦しくなります。

入場者数はそれほど多くなかったですが、1点1点の絵の周りにはがっつり人がいて、やや混雑しているように感じました。特に、西洋絵画と違い、浮世絵1点1点は非常に小さいので、人だかりができたらもう見ることができません。良い絵の周りには人が一杯で、ちょっとしんどかったです。がっつり行くなら午前中か平日推奨です!

初日朝にグッズが売り切れる怪(笑)

で、入り口にこんな注意書き看板があったのですが、特に歌川国芳がネコ好きだったエピソードから臨時発売されたフィギュアショップ「小夏屋」の「大王ネゴラ 歌川国芳ヴァージョンは売り切れました」と。

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いやいやおかしいでしょ。いかに雨降ってたとしても、カルトな人気があったとしてもそれはちょっと変だよな、と思って、帰ってからヤフオクを見たら案の定、出品されまくりで引いた。

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せどり屋さんも土曜日雨降りの中、朝から展示会には興味ないのにご苦労さんなことです。フィギュア買い占めるなら、お前らせめて展示会は見ていけよな!!最高だったから!!

音声ガイドは歌舞伎役者

音声ガイドは、中村七之助でした。

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出典:グッズ・音声ガイド|ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞|日本テレビ

中村勘三郎の息子ですね。やっぱり浮世絵の展示会だけに、歌舞伎や能などの伝統芸能の芸能人か、関連する文化人が起用されてるのかなと思ったら、思った通りでした。それほど手慣れた感じはしませんでしたが、一生懸命解説で声を張ってくれてました。

ところで、国芳と国貞って誰なの

この展示会で取り上げられている二人の浮世絵師は、歌川国芳、歌川国貞です。兄弟じゃないですよ、もちろん。歌舞伎や落語みたいな日本の伝統芸能でよくある、代々襲名されていく芸名であります。彼らはいわゆる同門の兄弟弟子であり、ライバルでした。共に師匠は初代歌川豊国。

主に、徳川家斉の治世下で花開いた「化政文化」から、水野忠邦による「天保の改革」を経て、幕末を迎え、幕府の威信が大きく揺らいでいく激動の時期に生きた絵師でした。

歌川国貞(1786-1864)は人気役者が演じる好漢達を描いた役者絵や伝統的な美人画で当時絶大な人気がありました。人気歌舞伎俳優の表情やしぐさの特徴を的確に捉え、当時の女性ファンの心を掴んだといいます。

『あつまのわか手五人男』

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(出典:http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc172578.jpg

まだ写真がなかった頃だから、各歌舞伎興行に合わせて、5枚一組などでこうした一線級の浮世絵師の書く「ブロマイド」代わりの浮世絵が飛ぶように売れたそうですね。

一方の歌川国芳(1797-1861)は最後は大浮世絵師として歴史に名を残しましたが、当時ブレイクしたのは30歳を過ぎてから。江戸中に「水滸伝」ブームを巻き起こした豪傑の絵が大当たり。ここから、江戸時代のいわゆる「ヤンキー」を描いた「武者絵」という新ジャンルを確立して、人気浮世絵師になっていきます。

『通俗水滸伝豪傑百八之一人浪裡白跳張順』

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(出典:http://www.geocities.jp/shinzogeka/SuikodenKuniyoshi.htm#56

当時は二人はライバルであり、国貞が結局3代目「歌川豊国」として歌川派のトップに立つことになりますが、後世の評価は圧倒的に歌川国芳に軍配が上がるようです。

特に、歌川国芳は「武者絵」で新分野を切り開くと、圧倒的な世界観や大胆な構図の妖怪画、合戦モノなど従来の浮世絵の概念を大きく超える自由な作風で江戸中を熱狂させました。そして、天保の改革で歌舞伎興行が中止になり、浮世絵や黄色本(当時のエロ本みたいなもの)の出版物規制がかかる中、マンガ風の滑稽画、戯画など新ジャンルを次々と開拓し、浮世絵の多様性をさらに切り開いていきます。まさに浮世絵界の革命児的な存在でした。

今回の絵はほぼ全部ボストン美術館からやってきた

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今回の展示会の副タイトルは、「ボストン美術館展」なんです。1860年代にパリから火がついた「ジャポニズム」はアメリカにも飛び火していました。廃仏毀釈運動等、旧来の日本文化の保全には全く関心がなかった明治政府の無策もあり、当時、世界中の美術収集家が欲しいままに日本の美術品を買い漁っていきました。

その最大級の流出先がボストン美術館で、なんと日本美術品だけで10万点以上、日本の版画コレクションがその半数を占める52,360点あります。うち、国貞が10,304点、国芳が3,794点、主に閉架式で同美術館内にて収蔵されています。つーか流出しすぎやろ・・・。今回展示された珠玉の作品群も、ほとんど全部ボストンから来ていると思うとなんとなく情けない。。。

よくもまぁこんなに流出させたものだと展示物を見ながらやや憤りましたが、展示されていた絵はどれも非常に保存状態がよく、発色も豊かでした。いい美術館に拾われたようですね。

特に良かった絵画を少しご紹介

今回展示されている作品は、大判作品を中心に、全170点。どれも見応え抜群で、しっかり見たら2時間、3時間はかかりますが、中でも印象的だったものを幾つか紹介しておきますね。

『相馬の古内裏』

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山東京伝の読本『善知安方忠義伝』のワンシーンなのですが、この骸骨の半身像が凄いインパクト。骸骨の骨格がリアルで、解剖図とか参考にして描いたんでしょうが、ほんとに浮世絵かこれ?と思うほど大胆で自由な構図だと思います。

『讃岐院眷属をして為朝をすくう図』(歌川国芳)f:id:hisatsugu79:20160326063023j:plain
(出典:讃岐院眷属をして為朝をすくう図(1組) 文化遺産オンライン

3枚の浮世絵を横につなげた大判画。みてくださいこの大きな魚。圧倒的にマンガ的であり、見ているだけでワクワクしてきます。国芳が現代のクリエイターに大きな影響を与えているとされるのも理解できるような気がします。

『東都両国橋 川開繁栄図』

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最後はこの1枚。深川地区に住む自分としては外せません。200年前も今も変わらず隅田川は人々の憩いの場だったんだなぁとしみじみ見入ってしまいました。今も隅田川大花火大会は健在ですし、屋形船は年中運行してますから。

まとめ

これまでも数年に一度、歌川国芳については何度も大きな展示会がありましたが、今回も全170点、すごく楽しめる展示会に仕上がっています。浮世絵って、なんか変な顔の美人画とか銭湯の富士山みたいな絵のことなんでしょ?っていう先入観がある人こそ、是非足を運んで欲しい展示会です。きっと、これを見たら「あれ、結構日本画すごくない?」ってハマるきっかけになるかもしれませんね。

そういえば4月は東京都美術館で「生誕300年記念伊藤若冲展」が開催されますね。今年は日本画がブレイクするような気がします。これも行かないとな~。

それではまた。
かるび 

 

人生変えるならやっぱ旅行しかないと思うんです。

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かるび(@karub_imalive)です。

深夜もう寝ようと思ったけど、これをみて思い浮かんだことを書かねばと思い、短めにアップします。

いわゆるタイトルにあざとさがあり(笑)、このあたりははあちゅう氏のお家芸ではありますが、中身についてはよーく読むと、言わんとしたいことはわかりました。でもちょっとマイルドな反論をしますよ(^^)

エントリを読むと、かなり昔、はあちゅう氏が昔なんかの企画でスポンサーを募って世界一周旅行にでかけた時、それほど思ったより感動もしなくて、人生が変わるほどのインパクトは感じなかったよ、という話です。その個人的な体験から、旅行を大げさに語る奴は大したことないし、信用できん!という結論ですね。

それは何となく分かる気がします。

世界一周旅行って結構ダレると思う

だって、世界一周旅行って絶対ダレると思うんですよね。何十日もバスや電車でゆられてたら、車窓の外の風景も、まぁそのうち見飽きてきますよね。旅行っていうのは、基本的には非日常に属する出来事だけど、世界一周旅行でずーっと非日常空間に居続けたら、それが「日常的な風景」に変わっちゃいますから。むしろ海外旅行中に「Miso soup」を飲むことが一番の楽しみになってたりするでしょうし。

そりゃ、エアーズロックに行ってもウユニ塩湖に行っても、「あぁ、またか」みたいになっちゃうんじゃないかな。

また、その世界一周旅行はスポンサーを集めて、いわば人様の財布で、タダで行くっていう、いわゆる「仕事」的な性格も持ち合わせていたわけで、それでは100%旅行の「非日常性」のもたらす効用を味わい尽くすことは難しかったんじゃないだろうかって推測します。

旅行の効用について

一般論ですが、旅行が、なぜ時に「人生を変える」ほどのインパクトを持ちえるのかっていうと、旅行という「非日常空間」で見聞きした風景や体験が、自分の心の内面に大きくプラスに作用するからですよね。旅行の持つ「非日常感」が、旅行者の心の表面にあった雑念を一掃させ、心の奥底に潜在的に抑圧していた願望や気づきを揺り動かしてくれるからだと思うんです。

僕も旅行は大好きですが、なぜ好きか?って言うと、毎回行くたびに、多かれ少なかれ心がリセットされ、自分の中に眠っていた気づきを得ることができるから。何度もその気付きに救われました。

初めて行く風光明媚な場所やダイナミックな風景を目にすると、その雄大さや神聖さに心が真っ白になって、非常に心洗われますよね。すると、そのたびに、決して劇的に即座に自分の中に変化が現れるわけではないのですが、時間差を置いてふと緩んだ時に、気付きやアイデアがポップアップしてくるというか。その時に自分が抱えていた問題解決へのアプローチだったり、以後のキャリアの方向性だったりと、重要な洞察を得られることが多いのです。

僕の場合は、「海」や「湖」、あるいは「温泉」など、「水」のある風景と相性が良いです。数年前だったか、国内旅行に行った時です。北海道の小樽から少し車で足を伸ばしたところにある積丹半島の神威岬というところがあるのですが、この岬の先端の風景は凄かった。その場に立つと、ほぼ270度位に眼前に広がる大海原。陽光にキラキラ反射する水面を目の当たりにして本当に感動しました。

コメントにも頂いたのですが、この風景の素晴らしさは写真では表現することはできない壮大さでした。日本にもこんなところあったんだなって。自分にとっては、ものすごい非日常空間がそこにありました。

で、そこで大いに感動するわけです。

その非日常空間に、ほんの短い時間でもいいから、身を浸してみると、普段の仕事や生活で荒れた心が一瞬でリセットされて、自分の心に覆いかぶさっていた余計な思考や観念が晴れていく感覚になりませんか。

そうすると、この爽快感とともに、雑念まみれの日常生活では潜在意識下に埋もれてしまっていた、自分自身の本音や気付き、洞察などが水面下から次々と浮上してくる。

その時、これを逃さずに顕在意識上で整理したり、メモに残すことができれば、きっと人生を変えうるインパクトを持つひらめきを得られることだってあり得ると思うんです。

これこそが、旅行の持つ実用的・実質的な効用ってところなんじゃないでしょうか。

「旅行はいいぞ。オレも旅行で人生変わったもん」って男性が若い女性に語る時、シチュエーションによっては若干の誇張やオラオラ感が増している感じはあるかもしれません。

でも「旅で人生が変わった人は中身がゼロだ」っていうのは性急に一般化し過ぎなのかなという気がします。たまたま変な男につかまり過ぎたんじゃないかな、、、

ということで、「旅行はいいぞ。」っていうのが言いたかっただけであります。はー。会社辞めたらまずどこ行こうかな。迷う~。

それではまた。
かるび

 

やりたい仕事が見つからない?なら適当にどこかに就職してから始めたらいいと思うんです

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かるび(@karub_imalive)です。

毎年春先になると、学生の新規購読者層を狙い「就活」記事が激増する日経新聞ですが、今年は特に多い印象です。発行部数そんなに減ってるのかな、と勘ぐりつつ、今年は特にブログを書き始めたということもあり、おかげさまで毎日のように楽しくチェックしております。

さて、そんな中、一昨日の日経新聞電子版で、こんな記事がありました。

就職・転職業界では有名な曽和利光さんのオーソドックスな正攻法的アドバイス。曰く、「現場で働いている人のナマの声を中心に色々話を聞いてみよう」とのことです。

せやな。いや、本当にそのとおりだとは思うんです。僕も「うんうん、地味に良記事だな」とこれブクマしたのですが、違和感がちょっとあり、まてよ、と思い直しました。

その違和感とは何かというと・・・。

話を聞いてもやりたい仕事が見つかるとは限らない

やりたい仕事とか行きたい会社って、人に聞いたからってやっぱり簡単に見つからないよな、、、と。それは、僕自身の遠い昔の就活のことを思い出したからです。

ちょっと昔話になります。

僕の大学時代は、割と根を詰めて取り組んだ受験勉強の反動で、方向性を見失った5年間だったんですよね。(4年間+1年の留年期間)ここにポエムを詳述してますので、もしお時間があれば見てください(^^)

大学受験終了後は、モラトリアム時期というより、完全に「何がやりたいのか」「どんな仕事がしたいのか」さっぱりわかりませんでした。大学1年生の後期から、それなりに楽しめたサークル活動(英語系)はともかくとして、学業は全く興味がわかず。経済学部だったのに、ミクロ経済と統計学がまるっきりわからない。もちろん、ゼミにも入りませんでした。

自分は何がしたいのか、何ができるのか全く見当もつかない。こんな悩みを漠然と抱えながらも、あっという間に留年1年を挟み、5年目の春がやってきて、就活の時期になりました。この就活の時期には「自分は何がしたいのか」探るため、OB訪問とか、すでに就職内定済の友人の話なども必死に聞いてはみました。けど、それでもわからなかったんですね。曽和さん、重症患者がここにいたんですよ。誰かに話を聞いたくらいじゃダメだったんです。

そして、本当に何をしたいのか、何でこれから就活とかするのか、全くつかめないままタイムオーバーとなり、惰性でとりあえず就職活動へと流れこみました。親を心配させたくなかったから、フリーターになることはあんまり念頭になかったのです。

面接では、やりたくもないのに文系の定番とも言える自己アピール「御社で企画提案型営業をやりたいです」なんてやってました。今思い出しても恥ずかしい。でも、当時は必死でした。こんな歯の浮くようなセリフでも言わなけりゃ、自己アピールをひねり出すこともできなかったからです。

選考を受けた殆どの会社では、そんな志の低さというか偽物の志望動機を見破られて手痛く面接で落とされていましたが、内定をもらった会社は、最終が集団面接だったことと、人事部長が僕と同じ大学出身だったことだったからなのか、何とか内定をゲットしました。最後は学閥かよ、、、しょうもないです、ほんとに。

以上振り返ると、自分にとって、やりたい仕事なんて簡単には見つからないものでした。

やりたいことがどうしても見つからない時の突破口って?

じゃあ、やりたい仕事が見つからない場合はどうしたらいいのか?それは、人生をかけた長期戦として、与えられた仕事をこなしながら見つける努力を続けるしかない、と思います。言い換えると、やりたいことを自分独力で見つけようとするのではなく、他人や環境の手に委ね、偶然との出会いの中でセレンディピティを見出す作戦で行こうというわけですね。

まずは適当でもなんでもいいので、ある仕事に就いてみる。そして、その与えられた仕事を実際に経験し、こなしていく中で、自分自身の手応えや、素養を確認していけば、時間はかかるけど、徐々に方向性が見えてくるものだと思うんです。

再び自分語りになりますが、僕はこれまで社会人として17年間働いてくる中で、大きく4つ、細かくは8つの職種を経験してきました。最初は新卒で内定した会社で経理職。次に転職した会社でシステムエンジニア、そのあと営業職、営業事務職そして最後に採用や教育といった人材開発職。それからついでに、意識は低かったですが会社経営にもタッチしました。

さすがにこれだけやれば、自分のやりたい方向性や、向いている仕事はハッキリ出てきます。僕の場合は、こんな感じでした。

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簡単に振り返って自己分析してみると、就職して17年間、まぁいろんなことをやらされってきたんだなぁと。基本的には、2社目で業界未経験からSEへの転職を決めた時以外は、ほとんど会社の言うママに仕事をしてきた結果です。

でも、これだけやれば、それなりに傾向は見えてくるものです。適性はあるけど、やりたくない職種、逆に、適性はないけど、やりたい職種。そして、適性も自分の方向性も合致している職種。さまざまあります。

上図だと、自分の場合はプロジェクト管理や経営などは割と得意。でも興味が向かないんです。少なくとも今は。逆に、SEの開発職なんかは、才能はないことはわかっているんだけど、やっている分には楽しい。成果は出ないだろうけど、また復帰してもいいかななんて思えたりもします。

そんな中、僕にとって人材開発職は、天職みたいなものになりました。特に採用業務などでは、不思議とプランニング段階ではやるべきことは自然に見えてきますし、仕事をやっている時も楽しいし、成果も上がる。ちょうど自分の進みたい方向性と適性がガッチリ噛み合った理想的な仕事です。

納得行く仕事にたどり着くまでに10年かかった

僕の場合は、1999年4月に就職して、2006年春に、ようやく会社から「採用」業務をやるように指示を受け3年位やってみたところで、「ああこれが天職っぽい仕事かなぁ」と思えるようになりました。仕事をしていて、初めて楽しくやれて、かつ人からも評価されるようになった手応えがありました。

このように、たとえ与えられた仕事を受動的にやっていたとしても、その仕事に対して合う/合わないを丁寧に見ていけば、必ず少しずつ方向性を修正していくうちに、他人にも評価され、かつ自分でもしっくりくる仕事は見つかるはずです。時間はかかるけど、必ず何らかの答えや、方向性は見えてくるはずです。

やりたいかどうかより、得意かどうか、評価されているかどうか

また、自分自身がどんな仕事をやりたいんだろうか?と自分目線で考えることを一旦放棄してみるのも有効です。逆に、他人から見て、自分の必要とされる分野はなんなのだろうか?という他人目線の観点で考えてみると、意外とやるべきことが見えてきます。

例えば、僕の場合は、キーワードとしては「パソコンスキル」と「採用スキル」でした。このスキル2つは、人と比べて特段努力しなくても、気がついたら他の人達よりも上達が速いみたいなのです。

特に、Web上での活動や他人との柔らかいコミュニケーションに関しては、割と努力っぽい努力をしなくても、それなりに何故か形になってしまうという。

特段ガツガツ頑張らなくても、割とこの分野では、自分には素養があるようだ。そんな手応えこそが、他人視点から見た、自分自身の価値、存在意義の源泉になるのです。少なくともこの観点で自分の仕事を寄せていけば、評価も上がりやすく、承認欲求はびんびん満たせるはず。

やりたいことがないのであれば、こうしたアプローチも有効だと思います。

ケンタッキーフライドチキンのおじいさんは65年間こじらせた

自分の場合は約10年間で「天職」的なものに出会えましたが、有名人で特に長く迷い続けた人はいるのかな?と思って、ちょっとネットで調べてみたら、ちょうどいいサンプルがありました。彼です。

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そう、カーネル・サンダース。割と有名な逸話になりますが、彼は65歳でやっと「ケンタッキー・フライドチキン」を立ち上げて、人生の最後の土壇場でビジネスに大成功しました。でも、それまでの彼の人生は、転職と起業を何十回と繰り返しては失敗してきた人生でした。

もう、色々こじらせまくり。何をやってもまぁまぁなところまで行っては、最終的に失敗する、その連続で気づいたら65歳になっていたのです。65歳にして、一文無し。そこからのフライドチキン屋さんでの大逆転劇でした。

ほんと、よーやるなぁと思いますが、兎にも角にも彼の仕事を通じた自分探しは、65年間かかったわけですよね。それまで色んな試行錯誤をして重ねてきた経験が、人生最終盤で一気に結実したわけです。

そう、自分探しには時間をかけてもいいんだよ。ってことですね。

まとめ

40歳にしてやりたいことができた、って以前のエントリにも書いたのですが、そう、40歳にしてやっと明確に、自主的に仕事の方向性も含め、「これがやりたい」っていうのができてきたんです。

やりたい仕事だって、見つからなければとりあえずやってみれば、そのうち見えてくるんだな、っていうのが今この年齢にして腑に落ちた。その気づきをおすそ分けしたくて、このエントリを書いてみました。

人生は長いのです。あせらずいきましょうよ。ね。

それではまた。
かるび

4000記事ほどブックマークして達した結論→「もっと本読まなきゃな。」

かるび(@karub_imalive)です。

短めのエントリです。

去年の9月末に、「はてなブログ」でブログ開設してから、それと同時に「はてなブックマーク」を本格的に使い始めて半年が経ちました。

もともとネット記事やブログを読むのが好きだったこと(まぁ要するにネットジャンキーに近い)、ブログシステムと深く連携して自然に使わされる仕組みになっていたことも手伝い、それから約5ヶ月半、170日間ほぼ毎日欠かさずこの「はてなブックマーク」を活用して、いろいろな記事をブックマークしてきました。今、ちょうど4300記事くらい。ヒマでしょ?(笑)

そこでだんだんと感じてきたのが、ブログやネット記事の表現手段やコミュニケーション手段としての特性、というか限界性です。

ひとことで言うと、ブログをはじめとするネット記事は、一つ一つの作りがどうしても内容的に「浅く」なってしまうのですよね。勉強にならないわけじゃないんです。ただ、何かを学習するための媒体としては効率が悪いかな、と思います。「ブログの記事なんて暇つぶしに読むものだよ」なんてよく言われますが、まぁある程度はそうなんだなと。

NAVERまとめ的なキュレーション記事やライフハック系によくある「何とかを何とかするためのたった10の方法」等々も、情報を取り出したり、まっさらな状態から情報を得るための入り口としては有用なんだけど、それ以上の深い分析や知識を得ようと思うとやはり無理があります。

また、網羅的、体系的なディープな分析記事に出会えることも少ないように感じます。ある分野の知識やスキルを学ぼうと思うと、大量の記事をGoogle検索やSNS上で検索して、それを自分の頭のなかで繋ぎあわせて立体化していく作業が不可欠なわけです。これは結構時間食うし、しんどい。

ただで情報を得て、更に学びや気づきを得ようとするならば、ネット巡回位は時間をかけなさいよ、っていうことなんでしょうね。

じゃあなんでブロクを始めとするネット記事には限界があるのか?これは、ざっくり2つ理由があると思うんです。

1つは、ブログは基本無償提供されるものであり、日記や雑記の延長線上にあるものだから。例えば専業のライターさんだったり、文筆家、論壇で活躍する先生方であったりしても、モノ書きとしてのちゃんとした作品はブログではなく、有料の紙媒体や学会の論文等で別途しっかり残しているのですよね。

で、ブログには、そのための下書きというか、断片的な着想レベルや、本人の思いつきを公式に形にする前の初動反応を見るための観測記事をアップすることが多いのかな、という気がします。

例えば、文体が好きで、最近良く読ませてもらっている内田樹さんなんかも、紙媒体として表現された著作は自身の著作権は放棄しないけど、ブログに発表された文面は、いくらでもパクって活用してもらってもいいって言ってますし。何なら全文コピペで自分の文章として発表してもOKだとも。

もう一つは、ブログと言うメディアの特性に由来する可読性の悪さです。検索かなんかで着地したその記事だけが読まれてしまい、前後の記事までは読者は確認してくれない。前後のエントリと連続して読めば、どうということもない記事も、たまたま着地したその記事が強めの文体だと、意味もなく燃えたりとかする事案もあります。故に、一つの記事に凝縮して要点や背景を詰め込む必要があるため、どうしても本題が薄くなる。

また、長いと読者が読んでくれない。昼休みとか通勤の途中でパッとスマホを開いて暇つぶしに読まれることが多いメディアなので、短くないと途中で飽きられて最後まで読んでくれないわけです。

僕も、どうしても専門記事的な傾向の書き方が好きなので、1記事4,000字とか5,000字になっちゃうことがすごく多いのですが、そうするともう読んでくれないわけです。よくて、長いから「あとで読む」とされ、そのまま読まれずに忘れられてしまう(笑)

つまり、ブログの記事って、どちらかというと雑誌や新聞記事のようにザザッと目を通して、その日に起こった事件や物事を「点」として切り取った「話題性」や「速報性」を提供するのに向いていて、じっくりと腰を落ち着けてある分野の体系的な知見や主張を読むには不向きなんだなと。

じゃあ、どうやってそれを補っていくかっていうと、やっぱり「本を読む」ことしかないのかな。という結論になりました。単純に一冊何かしらの本を読めば、ブログ記事数十本~数百本の分量がありますし、体系的に知識を身に着けたいなら、今も昔もやっぱり第一の情報源は「本」となるのかな、と思い至りました。

要するに、ブログ記事から得たいもの、読書から得たいものを切り分けて考えていければいいのではないかと。では、肝心の読書の効用やそのあたりはどうなのか?というと、長くなってきましたので、それはまたまとまった時にじっくり長文でブログに書かせてもらいたいと思います。

とりとめもなくなりましたが、今日はこの辺で。
かるび

資格取得について考える~社会人生活17年間で最強の資格は日商簿記2級でした。

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かるび(@karub_imalive)です。

一部の読者さんにはお知りおき頂いているのですが、この春に一旦17年間続いた社会人生活を小休止させて、5月から1年間のお休みを自主的に取ることにしています。

そこで、今日は自分自身の社会人生活で、一番役に立った「資格」について考えてみたいと思います。

自分自身、マニアックで何にでものめり込みやすい性格なのか、「覚えこんで詰め込む」いわゆる受験勉強や資格勉強が苦にならないタイプです。これまで、割と資格試験には気軽に挑戦してきました。取得後にどう役立てるかよりも、とりあえず面白そうだし、ヒマだから取っておくか、っていう感じで。

結果としては、こんなに資格を受けなくてもよかったかな、と。もう少し学生時代に勉強しなかった哲学とか社会学、西洋思想みたいな人文科学系や社会科学系のリベラルアーツぽい勉強をじっくりやっときゃよかったな、とは思うものの、受け散らかした資格試験のうち、それなりに役に立った資格もありました。

よって、社会人生活に一旦区切リを付ける前に少しブログにまとめておいてどなたかの役に立てられればと思った次第です。

それでは、いってみましょう。

これまで受けてきた資格群について

17年間も仕事をしていれば、時には会社業務の要請で、時には自分自身の業務や趣味に関連して、色々と資格に挑戦する機会が発生します。

僕はこれまで、会社的には2社(製造業大手、Sier中堅)、職種的には4つ経験してきました(経理、SE、営業、採用)。この中で受験してきた資格は以下の通りです。

★17年間で受けてきた資格一覧

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こうやって見てみると、ちりも積もれば山というか、戦略もなくいろんな資格を受け散らかしてきたなぁという感じ。どれも全く役に立たないわけじゃなかったけど、いわゆる資格試験ビジネス、協会ビジネスにハマった感のある資格もありました。

あるいは、厚労省の「ジョブカード・キャリアコンサルタント」など、労務行政と利権ビジネスの中で誰もが不毛だと考えている中、仕方なく会社業務として受けさせられたりしたものもあります。

役に立つ資格とは何か

こうやって見てくると、役に立つ資格っていうのは、以下の3つの条件を満たすものなのかなと思います。

  • 就職・転職活動に役立つ
  • 取得したステータスや知識が仕事や生活で幅広く応用できる
  • 一度取得したら陳腐化せず、長期間使える

就職・転職活動に役立つのはもちろん、かつその後の仕事や生活でも幅広く汎用的に応用できる。そして陳腐化が遅くて、一度取得したら長期間使える、そんな条件を満たす資格が最強だと思います。

上記の観点から、これまで受けてきた資格の中から、いくつかは一生ものと思えるような資格もありましたので、個別にピックアップしてみたいと思います。

役に立った資格①:日商簿記2級

地味なんですが、実は簿記の知識は一番役に立ちましたし、一生ものだと思っています。まず、仕事での応用範囲がメチャ広い。

1社目の製造業で経理をやっていた時に、仕事の傍ら上司に薦められて受験しました。部署全員が日商簿記2級以上を持っていたためです。商業簿記部分は仕事内容がそのまま出題されましたが、体系的に学べたのが大きかった。取得後は、会計ソフトを使って子会社数社の経理全般を苦もなく回せるようになりました。

また、原価計算、工業簿記も、2社目のSierでシステム開発を行う際、案件見積で活用する機会が増えました。意外に棚卸の概念って、きちんと学ばないととっつきにくいんですよね。

そして、業務系システム開発で企業内の基幹業務系のプロジェクトなら、まず設計段階で会計知識が必須になりますが、意外に会計知識があるSEって少ないです。何度も別プロジェクトから呼ばれて、ひっぱりだこになりました。

2社目でSEを引退して、営業~経営側業務に回った際にも、月次決算、経営分析、予算作成などで遺憾なく使えました。それから、B/S、P/Lが苦もなく読めるので、キャリア後期で、中小企業のM&Aのお手伝いや、経理の人と連携してデューデリジェンス等をお手伝いする際でも2級レベルの知識があれば何とか足りました。

また、私生活などでも、もう今はやっていませんが、株を買ったりする際の企業分析などもやりやすくなりますね。

そして、何よりも一番嬉しいのはそのコスパの高さ。集中的に勉強すれば、2ヶ月間程度で簿記2級レベルには到達します。短期間で習得可能な割に、応用範囲は広く、しかも枯れた技術・知識なので陳腐化しないのです。僕が日商簿記2級を取得してからもう15年経ちますが、その間に簿記の基本的な概念は変わりませんでした。

自分がSEになる前に必死に覚えたVisual Basic 6.0やPerlといったプログラム言語がすでに現場で使わないものになってしまったことに比べると抜群の安定感です。

役に立った資格②:TOEIC

TOEICへチャレンジしたきっかけは、2社目のSierに未経験者として入った時、ゲタを履かされて「英語ができる」エンジニアとして大手電機メーカーの国際的なプロジェクトに派遣されたことでした。世界中のプロジェクトメンバーと英文メールでやり取りしたり、TV会議システムで英語で会話をしたりする必要性に迫られ、1年ほどビジネス英語を身につけるために割と必死に勉強しました。

結果、まぁまぁのスコアまで到達しましたが、どうも英語は、使わなくなると忘れていくので、コスパは悪いです。日本在住で、普段英語を話さなくなれば、だんだん忘れていきます。また、英語は中学生から膨大な時間をかけています。習得するのに膨大な時間が必要なんですよね。「聞き流すだけで3ヶ月でTOEIC900点」とかマジでありえない(笑)

でも、これがきっかけで、英語のブログとかも読むのが苦にはならなくなったので、仕事でも私生活でも自分の世界が一気に広がった感はありました。苦労した分、見返りはあります。

役に立った資格③:キャリアカウンセラー(CDA)

これは2社目で採用業務を行っていた際に挑戦しました。結局2次試験で落ちて、嫌気がさして2回目はチャレンジしなかったのですが、ここで得たコミュニケーションの技法は一生ものになりました。

人とのコミュニケーションにおいて、何よりも大切なのは相手の話を聞くこと。世の中には自分の話を聞いて欲しい人がたくさんいます。でもどうやったら相手の話を効果的に聴けるのか。

簡単なのですが、体系的に学ばないとなかなか気づかない「傾聴」技法を始め、カウンセラーとしての基本的なスキル演習ができたことで、その後営業職・採用職として大きくコミュニケーションの質を高めることができたのは一生ものの成果となりました。

これを取得してから、商談では雑談ばっかりになりましたし(笑)でも仕事は取れるという(笑)

また、日常生活においても応用範囲は無限にあります。何より敵を作らないのですよね。話を聞くだけでみんな味方だと思ってくれる(笑)

お金は30万程かかり、資格という形で結実しなかったけれど、無形の財産としてはまさに「プライスレス」な自分へのギフトになりました。

英語・会計・ITの3大スキルについて

よく自己啓発の書籍などでは、「英語・会計・ITの3大スキル」をまんべんなく伸ばして成功しよう、って言われますが、これはある程度真実だと思います。色んな統計がありますが、これら3つのスキルレベルは、ある程度年収や社会的地位とゆるい相関があります。

17年間の社会人経験では、目の前の必要性に迫られて一つ一つ取得していったにすぎないのですが、後から振り返ると、この3分野のうち、英語と会計については資格取得がスキルの効率的な獲得手段になっていたんだなと実感しました。TOEICと日商簿記で英語と会計が30歳までに得意分野になったのは本当に仕事に役立ちました。

資格取得で必要な知識やスキルセットは、いわゆる現場の様々な実務からエッセンスや考え方を体系的・最大公約数的に抽出した理論部分です。これらを、試験勉強という形で短期間に詰め込むことで、効率的に勉強し、習得できることはやはりスキル向上の近道になっている部分は大きいと思います。

ゲーム感覚で楽しくやろう

また、後で振り返ると、意外にSJC-P(Javaの民間試験、基礎的なJavaの知識を問われる)みたいな簡単な資格でも取得できなかったり、かと思えば膨大な勉強量が必要とされた社会保険労務士でも1発合格できたりと、色々ありました。この合格/不合格を分けた分水嶺は、「やってみて面白かった」かどうかだったのかな、と思います。

例えば、社労士の試験は、基本テキストでも1000ページ以上あるなど、1年がかりの試験勉強を必要とされ、大変でしたが、たまたまTACの通信講座の先生が面白かったりとか、楽しく最後まで取り組めたのがよかった。その反面、Javaの試験勉強はどうしても「生きた知識」に思えず、つまらなく感じました。今振り返ると簡単な資格でしたが、どうしても勉強する気が起きず、試験合格につながらなかったのです。

単純な結論ですが、資格試験はやっぱり取り組んでみて楽しかったかどうか、につきるんじゃないでしょうか。

まとめ

こうやって俯瞰してみてみると、自分の社会人前半戦では、自分自身のキャリア構築に結構役に立ってくれました。さすがに40歳になり、人生も折り返し点まできましたので、もう今後は資格試験は趣味で英語を受けるか位しかやらないと思いますが、節目ということで、少しまとめてブログに書き残してみました。皆さんも是非楽しく、役に立つ資格に挑戦して頂ければと思います。

それではまた。
かるび

 

【美術展】カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)は最高でした

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かるび(@karub_imalive)です。

3月1日より、この上半期で一番楽しみにしていた国立西洋美術館でのカラヴァッジョ展が開かれています。以前、このエントリでも「超期待!」と書いていたのですが、結論からいうと、やっぱり期待を裏切らない出来でした。

結論はシンプルです。とにかく「超おすすめなので見てね!」ということなんです。やばい。ほんと、これは見とかないと後悔します。

何が凄いかって、展示会の充実ぶりです。カラヴァッジョとそのフォロワーたちの作品で、あわせて50数点の佳作群に、ほとんど捨て作品はありません。捨て曲なしの「神盤」みたいなものです。どの絵も最高。中でも、カラヴァッジョ自身の作品11点はずば抜けて素晴らしかった。

今年は、日伊修好通商条約締結後150周年ということで、年始からボッティチェリ展ダ・ヴィンチ展など、イタリア絵画の大攻勢が続いています。個人的な印象では、その2つの先行する展示会よりも良かった。実際、現場で生の絵画に対面した時に受けた感銘・感動は大きかったです。美術展に特に興味がない人でもお薦め。日頃のストレス解消目的とか、デートとかのネタとかでも何でもいいので、是非見に行って欲しい、そんな最高の展示会でした。

・・・前置きが長くなりました。ここから、少し詳細な感想に入ります。

1,カラヴァッジョ展の混雑度について

僕が行ったのは、3月5日(金)の夜18時過ぎ。上手く仕事の段取りを組んで、客先から直帰にしてそのまま上野の国立西洋美術館へ。到着したら、あたりはだいぶ暗くなっていました。

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わざわざ親切に「今日は午後8時までやってるよ」という立て看板が。昔、ここで何年か前にフェルメール展をやった時は、平日金曜日夜に入場制限をかけたくらい混雑していたので、ある程度覚悟して臨んだのですが、なんかあっさりと入れました。

それでも会館の中は、それなりの混雑度。去年、モネ展の最終日に行った時ほどではなかったですが、著名な絵の前には人だかりがそれなりにできる、「中程度」の混雑でした。めちゃくちゃ快適に見れたわけではありませんが、いるだけで消耗する満員電車クラスの混雑ではありません。会期が6月上旬までと比較的長いこともあるのかもしれませんね。

ただし、平日夜でこれなので、土日の午後の時間帯はかなり混雑が予想されます。土日は思い切って早起きして、9時30分ジャストに入館するのがおすすめです。

2,音声ガイドは北村一輝でした

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僕は、音声ガイドがあれば、まず100%間違いなく借りるようにしています。ストーリーや時代背景と合わせて絵画を楽しむことで、理解に立体感や深みが増すからです。また、ブログで紹介しやすいネタも音声でだけ話してくれることもあるので、手放せない。スポーツ中継などの副音声、みたいなイメージでしょうか。

ガイド役は、俳優の北村一輝でした。調べたら、もう46歳なんですねぇ。落ち着いた渋い語り口が違和感なく、作品世界とよくマッチしていました。ぜひ借りてみてください。

3,カラヴァッジョとはどんな芸術家だったのか

カラヴァッジョの本名は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョといいます。1571年生まれ、1610年死去、と短命でした。16世紀末~17世紀初頭に活躍した、イタリアを代表する大美術家です。ちょうど、今東京都美術館で開催中のボッティチェリや、ダ・ヴィンチと言ったルネサンス期の美術家よりも50年~100年後位に出た人ですね。

カラヴァッジョは、日本ではそこまで有名ではないかもしれません。というか、明らかにマイナーだと思います。今回、実は妻にも一緒に行こうよ、ってことで声をかけていたんですが、「カラヴァッジョ?誰それ、私いいや~。ボッティチェリとフェルメールはいく~」ってことで、あっさり断られました。

そんなにマイナーなのか?と思って、試しにGoogleのキーワードプランナーで月間検索数を、他の有名な画家名と比較して調べてみると・・・

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はい、明らかに桁が違いますね。あからさまに市井ではマイナーキャラなわけです。

それもそのはず、実はカラヴァッジョは、没後17世紀~20世紀中盤までは、本国イタリアでさえも完全に忘れ去られた存在だったのです。潮目が変わったのは、1951年、ミラノ王宮の大規模展覧会で出品された時でした。ここで、およそ3世紀ぶりにその天才性が再発見され、そこから一気にイタリアのルネサンス~バロック時代にかけての最重要芸術家として位置づけられるようになっていきました。

以来、本国や欧米では人気沸騰したのですが、日本での人気は今ひとつなままでした。ただし、今回の大規模展示会で、日本での地位・評価もだいぶ変わってくるのではないかと思います。それほど、中身が素晴らしすぎました。

4,殺人を犯してイタリア中を逃亡した半生だった

展示会でも、カラヴァッジョの肖像画が紹介されてますが、まぁ割と悪そうな人相をしております。いかにも少し気難しく喧嘩っ早い感じかな。

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展示会でも、ローマ市内の古文書がいくつか残っていて、銃刀の不法所持記録だったり、酒飲んでケンカをして暴れた時の調書だったり、喧嘩した時の裁判だったりと3つくらいそんなアホな記録が展示されていました。(そんな古文書が普通に残ってるのが凄いですが・・・)恐らく、割と気が短く、粗暴な一面があったのだろうと思います。Wikipediaにもこうあります。

カラヴァッジョの暮らしは「二週間を絵画制作に費やすと、その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかった。

やはり、面倒くさいやつだったらしい(笑)

そして、彼がローマで活動していた時、ある時に、いざこざからとうとう人を殺してしまい、指名手配されてしまいます。そしてローマを出て、以降流浪の旅に出ます。1710年に亡くなるまで、ナポリやシチリア、マルタ島などを転々としながら、その逃亡生活の間に、今日評価されている傑作群を生み出していくことになりました。天才っていうのは、皆どこかしらこういう狂気や闇を抱えているんでしょうね。

5,カラヴァッジョの作風の特徴

カラヴァッジョの生きた17世紀でも、芸術家は相変わらず貴族やパトロン達の庇護、タニマチ的な後見の下で多かれ少なかれ活動していました。彼も、多分タニマチがいたからこそ強気で喧嘩に明け暮れた私生活が送れたのでしょう。でなければ、あっという間にチンピラに絡まれてもっと早く消されていたかも。

それでも、ルネサンス期までの仰々しい宗教絵画だけでなく、果物などを描いた静物画や人々の日常風景をリアルに描いた風俗画など、この時期の画家の取り扱うジャンルは確実に広がっていきました。

今回のカラヴァッジョ展での出展だと、下記の「バッカス」や、

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果物籠を持つ少年

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これらは、本当に美しい静物画でした。
とにかく現場で見て欲しいです!

そして、カラヴァッジョの得意としたのは「光」の使い方です。従来の絵画よりも、よりリアルにスポットライトのような明確な方向性を持つ光を用いました。そして、光と影の対比により、絵画空間によりリアルな3次元空間を創りだします。背景は極力シンプルに暗く抑え、その分暗闇の中に浮かび上がる人物や静物の繊細な表情を引き出すその独特な作風は、当世随一の腕前であり、後世のレンブラントらに確実に影響を与えています。

下記は、そんな「光」を最大限巧妙に操って描かれた代表作「エマオの晩餐」。ある農家に宿泊した見知らぬ旅人が、実は磔にされ、その後復活したイエスであることに人々が驚きの表情を見せる場面を切り取って描いた絵画です。漆黒の闇の中、斜めから効果的に光を当てた構図は、まるで写真みたいですね。

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6,フォロワーさんたちもハイレベル!

さて、私生活はハチャメチャなカラヴァッジョでしたが、腕前は当代随一のスーパースターだったようです。そして、彼の存命中~没後数十年にわたり、「カラヴァジェスキ」と言われるフォロワー群を大量に生み出しました。

驚いたのは、その「カラヴァジェスキ」達のレベルも非常に高く、粒ぞろいであったことです。ルネサンス期などの有名な絵師たち、例えばダヴィンチ、ボッティチェリなどのフォロワーや弟子達は、一部を除きかなりレベルが落ちます。有り体に言うと、まぁ下手くそです(笑)今、ちょうど東京江戸博物館で開催されているダ・ヴィンチ展に行けば分かります(笑)

それが、カラヴァジェスキ達、例えば展示会で紹介されていたバルトロメオ・カヴァロッツィ、シモン・ヴーエ、スペインのジュゼペ・デ・リベーラ、オランダのヘリット・ファン・ホントホルスト、オラツィオ・ジェンティレスキなどは、カラヴァッジョにこそ少し劣るものの、50年~100年前のルネサンス期の画家達よりはるかに高い写実的技量を持っていました。まぁこれも行けば分かります!

中でも一押しで気に入ったのは、このオラツィオ・ジェンティレスキ「スピネットを弾く聖カエキリア」。カトリック教徒の間では有名な、古代ローマ時代に殉教した聖人だそうです。

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これも、ネット上のJpeg画像ではいまいち良さが伝わらないんですよね。何度も言いますが、是非展示会に足を運んで見てきて欲しいと思います!

7,世界初公開の「法悦のマグダラのマリア」

さて、最後に紹介するのは、2014年にカラヴァッジョの真作と認定され、今回が展示会世界初公開となる「法悦のマグダラのマリア」

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よく見ると白目を剥いてたりして、何か怪しい薬がガンギマリしてそうなそんな表情なのですが、なにせ「法悦」(Ecstasy)ですからね。ただ、この表情は、実際に描いて表現しようとするとものすごく繊細なタッチや技量が必要なんだろうな、というのは素人でもよくわかりました。色合いのトーンなどもアセ気味で、鬼気迫るものがありました。

実際、この絵は逃亡生活中、1610年に不慮の死を迎えたその時まで、カラヴァッジョが肌身離さずに置いていた2つの作品のうちの一つです。近年まで行方がわからなくなっていましたが、個人のコレクターが所持していたものを鑑定したところ、カラヴァッジョ本人の真筆として認定されたものです。

8,まとめ

色々長くなりました。でも言いたいのは冒頭でも書いたとおり、まずは是非会場に足を運んでぜひ見てきてほしい、ということです。東京でしかやってないので、遠方の方にはキツイと思います。でも遠征しても見るべき展示会だと思います。これだけの展示会がわずか1,500円だかそこそこで見れるのって本当に凄いことです。興味がある方は是非!

それではまた。
かるび

PS 
そういえば、他にも今期こんな西洋美術展に行ってきました。まだ会期中の物を貼っておきますね。 

それと、近代西洋美術じゃないけど、日本の現代アートの巨匠「村上隆」の展示会も3月末までやっていますので、こちらもお薦め。

現代アートド素人がガラクタの山に圧倒された!村上隆のスーパーフラット・コレクション(横浜美術館)

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かるび(@karub_imalive)です。

今日は、久々に現代アートの展示会に行ってきた感想を書いてみたいと思います。

僕は、現代アートには割と苦手意識があって、普段どうしても現代アートの展示会には関心が向きません。事前予備知識なしに見ても、大方意味不明ですし。

よって、今までも、僕と現代アートとの接点は偶然の出会いに限られてきました。観光・旅行先などで雨が降ったりして、アウトドアで活動できない時の時間つぶしなどで、たまたま現地にあった美術館に入った時に、なんとなく目に入ってくる。みたいな。箱根のポーラ美術館、彫刻の森美術館、裏磐梯の諸橋近代美術館とかは何度か行きました。雨宿り目的で。

で、展示会を見終わると、「もう、ダリとかマティスとかピカソとか意味わからん!」と毒づいて終わるという、そんな感じ。

でも、今年は1年間、美術展には行きまくる!と個人的に年次目標を立てたこともあり、何とか現代アートにも挑戦したいな、と思うようになりました。

ちょうど、横浜と六本木で村上隆の展示会が同時開催されているという状況で、村上自身が「日本で展示会をやるのはこれでしばらく打ち止めにする」と宣言しているし、日本で見られるうちに行こうかな~、でもどうせ行ってもイミフだしどうしよっかな~と逡巡する毎日でした。

そんな中、巡回していたブログでいい感じのエントリをみつけちゃいました。
一つは、最近美術展の感想を参考に拝読させていただいている、在華坊さんのこの記事です。

休日は、いくつもマイナー・メジャーを問わず美術展をさらっとハシゴして年パスも駆使する在華坊さんの記事は、いつもながら読み応えがありました。

そしてもう一つは、はてブでもバズってた、浅田彰の熱の入った10,000字ツンデレレビューです。長いって!自分も人のこと言えないけどな!

http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160129/

この2つの記事を見て、うん、まぁわかんなくても、これをきっかけに、今後こそ正面から現代アートに向き合ってみるか!と、気持ちを新たに家族3人で首都高を飛ばして行ってきたのです。(横浜美術館は地下駐車場が129台あるんです)

しかし、村上隆の展示会に6歳の子供を連れて行くという暴挙。子供は甘くなかったです(笑)
危惧していたことですが、「パパぁ~、はやくかえろうよぉ~」と何度もせかされ、落ち着いて見てられません。その上、目の前には意味のわからないガラクタが。半分頭をやられながら朦朧として回ったので、結論としては、全然理解できませんでした。

それでも、家に帰ってから必死にネットとかで復習して、何とか全体像が見え始めたので、以下、かなり無理やりですが現代アート歴3日のド素人が、短めに感想を書いてみたいと思います。

村上隆って誰?

村上春樹は知ってるけど、村上隆って誰よ?って人結構いません?自分はちょっと前までそうでした。村上龍の誤植だと思ってた時もあります。

村上隆 - Wikipedia

村上隆は、世界でも評価を受けている日本で最も成功した現代アートの巨匠です。主に欧米の美術展を主戦場に、欧米的感覚の作風をベースとして日本的な「スーパーフラット」(超平面的)画風やポップカルチャーを取り込んだ、独自のセンスの作品群が欧米で大ヒット。

特に数年前、過激な「My lonesome cowboy」が1600万ドルで売れたり、ルイ・ヴィトンとのデザインコラボで商業的な成功を収めるなど、ニュースにもなったほどでした。

村上隆が成功した要因は、いわゆる芸術家として優れているだけでなく、コレクターや経営者、教育者として経営センス・営業センスにも優れていたこともあると言われています。

ネット記事で読みましたが、美術家の資産世界ランクでも、推定資産100億円とされ、裕福な芸術家ランキングで世界第6位に入るほど大成功していますね。メジャーリーガーも真っ青な稼ぎっぷりであります。

そして、村上氏の現在の風貌はこんな感じ。最近完全版が完成した「五百羅漢図」をバックに撮影された近影です。

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(引用元:www.roppongihills.com)

一時期よりさらにむさ苦しくなったような。うしろの五百羅漢に風貌が似てきたような気がします・・・

大成功して手に入った大金で、惜しげも無く芸術品を買い漁った

さて、芸術活動では大成功して大金を手にした村上ですが、そのお金を何に使ったかというと、なんと惜しげも無く美術・工芸品の購入費用にあてたのです。

村上にとっては、まず芸術とは何か?」という根源的な問いがありました。それに対して、美術家として、そして画商として、また時には経営者として、いろんなスタンス・角度から「芸術」に関わろうとする村上の姿勢は、彼自身の言葉を借りると「何でも体験、体感してみないと気がすまない頭の悪さ」なんだそうです。

愚直に何でもやってみることで貪欲に「芸術」を吸収しようとする姿勢が、ここ数年の村上の怒涛のコレクション形成につながりました。

芸術作品を自分で創りだすだけじゃなくて、他人や先人の作品を鑑賞して自分の中に取り込む。その最たる形として、単に展示会で見て回るのではなく、自分で「買い手」として作品と対峙することで、作品との真剣勝負ができるという思いがありました。

まぁ、僕達も学生でカネがない頃に、レコード屋でなけなしのお小遣いで、どれ買おうか真剣にレジに行く前に悩みましたよね。それと似たような感じかと。

そして、そのコレクションは、近年高騰する現代アートを買い集めるにはあまりに財源が乏しくなった公共・中小の美術館では到達できない膨大なものになっており、ここにおいて、「近年の村上の作品群は退屈で評価できない!」とした冒頭の浅田彰も、「村上隆個人のコレクションはいいぞ」と高評価なのであります。

そこで、村上隆個展じゃなくてコレクション展につながった

で、せっかく集めた貴重な作品なんだから、皆見てってよ!ってことで、村上隆の承認要求が大爆発した村上隆が懇意にしていた横浜美術館のキュレーターと企画したのが今回のコレクション展。

主に並んでいたのは、まずは現代アート群。村上隆が特に影響を受け、関わってきた現代アート作品群が時系列に機会的に並べられていました。これが、もうガラクタにしか見えないものが沢山┐(´д`)┌ヤレヤレ

こんな切り絵みたいな奴とか、、、

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どぎつい色の金属の塊とか・・・

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中でも一番ヘンで、一番カネがかかってそうなのは美術館に入場してすぐのところに置いてあったガラクタ廃戦闘機の残骸で作られたアンゼルム・キーファー作「メルカバ」でした。これ、運んだり保管するだけでもめちゃくちゃカネがかかるんでは・・・?

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その他ハイコンテキストな現代アート群も一見無秩序に置いてあり、正直どれを見ても事前に勉強しておかないと「一体これは何なのか?」不明なものばかり。

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来たからには、必死に作品と向き合い、理解しようと努めましたが、まったく意味がわかりませんでした。ですが、結構お客さんは理解してそうな人が多くて、これまた凹まされます。

そして、次のコーナーは村上隆の「頭の中」を表現したという部屋。

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土器や東洋的な置物群、よくわからない人形など、一種夢のなかでまどろんでいるかのような混沌とした空間がありました。遠くから見ると、ゴミ屋敷的な雰囲気もあり。ミニマリストの皆さんはこれを見てどう思うんだろうなぁと思って見てました。

あぁ、まぁでも人間の夢の中ってだいたいこんな猥雑でぐちゃぐちゃした感じだよね、って無理やり理解したことにして次に進みました。

そして、最後に見たのはもう少しわかりやすい現代アート以外の日本美術品のコーナー。正直この部屋に入って、少し落ち着きました(^^)

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北大路魯山人のお皿とかの食器類とか、縄文式土器や弥生式土器、それからツボとか江戸時代の白隠禅師の掛け軸とか。この辺はまぁ唯一安心して見てられたというか。著名な作り手のものばかりで、お金かかってるな~という印象でした。

まとめ

今回、現代アートに対しては何の予備知識もなく、村上隆のコレクション展に臨んでわかったのですが、いきなり行って何もわからなかったのって、ある意味当たり前だったのだなと。

現代アートって、目の前にある意味不明な物体そのものの中に「美しいもの」を見出すんじゃなくて、その作品が成立した社会的事情、西洋美術史の中での立ち位置、作者の思想など、そういった文脈や背景知識を頭に入れた上で、作品を通して「暗喩」されている作者の主張を読み取るという作業なんですよね。印象派や写実主義的な19世紀までの芸術作品に対する鑑賞の仕方である、「あなたの見たいように見てください!」とは決定的に違うようだ、ということに気付かされました。

という事に気づいてから、冒頭で紹介した浅田彰の長文レビューを再度読みこむと、まぁ10,000字の大半は確かに村上隆を取り巻く各種コンテキストを踏まえた批評になっていて納得。カウボーイの精子のほとばしる勢いが凄い、ちゃんと肛門がついててリアリティがあって凄いとか、そんなことは一切書いてない訳で。

ということで、個人的には今回のコレクション展で、どう現代アートに挑戦していけばいいのか少し見えたのでよしとしようかな、と思います。 
それではまた。
かるび

 

マラソンは終わってしまうのか?~暗黒時代だからこそ、オリンピック代表には若手抜擢を!~

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かるび(@karub_imalive)です。

いよいよ夏のオリンピックも半年前と近づいてきて、男女ともマラソンの代表選考が佳境に入ってきました。そんな中、男子選考レース第2弾であり最大の山場だった東京マラソンが終わりました。今日はその感想と今後の展望について少し書いてみたいと思います。

東京マラソン2016は厳しい結果となった

結果は、日本人選手にとっては惨憺たる有様でした。
ちょっと簡単にレースを振り返ってみましょう。

レースは、序盤からケニア人・エチオピア人による「ケニエチ]軍団が第1集団を作ると、5キロ過ぎから、代表選考を視野に入れた日本人選手は牽制しあって追随しません。唯一ついていったのは旭化成の村山謙太のみ。

そのまま、日本人の集団は20キロすぎにはすでに先頭と2分差程度離されてしまいます。結果として、村山を除いた日本人選手全員が、トップのアフリカ勢とは一度も競り合うこともなく、敗れ去ることとなりました。

日本人トップは、8位に入ったヤクルトの高宮祐樹。

陸連からは、これまでの実績から格下選手と見られていた選手です。実業団の本命ランナーたちが総崩れになる中、マイペースでスイスイ走っていたらいつの間にか自己ベストが出て、日本人1位になった、そんな印象です。本人的には120点の出来だったと思いますが、代表選考を行う成績としてはタイムは平凡な2時感10分57秒でした。

気温が高めで気候コンディションがベストではなかったにせよ、東京コースは屈指の高速コースです。序盤は下りから入るし、アップダウンは35キロ付近の隅田川にかかる佃大橋だけしかありません。実際、コンディションも絶好だった2014年には日本人も4名が2時間10分を切っています。

であるのに、今回のレースは日本陸連がリオ派遣標準タイムとして設定した2時間6分30秒に届く選手がいなかったばかりか、一流ランナーの証でもある「サブテン」、2時間10分を切れた選手さえ1人もいなかったという惨状でした。

日本男子のマラソン界を簡単に振り返る

さて、今の30代以上の方はリアルタイムでテレビにかじりついて応援した経験もおありかと思いますが、かつては、マラソンが日本のお家芸としてもてはやされた時代もありました。

まだアフリカ勢が台頭していなかったこともあって、80年代~90年代中盤頃までは、毎シーズン誰かしらの日本人選手が世界中のマラソン界の話題の中心に上がっていたものです。80年代の瀬古利彦・中山竹通をはじめ、宗兄弟、谷口浩美、森下広一、そして90年代にも、やや知名度は落ちますが藤田敦史や佐藤敦之など、世界一線級のランナーがいました。そして、2001年には高岡寿成が2時間6分16秒の日本記録を打ち立てます

しかしその後、日本の男子マラソン界は世界との差を広げられる一方となっていきました。箱根駅伝や実業団駅伝レースの盛り上がりなどから、長期間で緻密な体調管理が必要なマラソンよりも、10キロ~20キロ程度の中距離が主戦場となる駅伝に選手のプライオリティが移ってしまったことも遠因かもしれません。

そして、とうとう2009年~2010年には年間を通して日本人で内外のマラソン公式大会で2時間10分を切った選手が、延べ1名だけという非常事態に。暗黒時代が訪れることになりました。アマチュアの裾野は確実に広がり、市民マラソンブームが起きる一方で、トップ選手の成績が振るわない不思議な状況となりました。

2011年~2013年頃は、少し持ち直して川内優輝や中本健太郎などが、コンスタントに2時間10分を切ったり、高速コースである東京マラソンでは2014年にサブテンを達成した実業団選手が4名出るなど、マラソン復活の手応えを感じかけていました。

再び日本マラソン男子は暗黒時代に入ったのか

しかし2014年。再び日本男子チームは暗転し始めます。2013年あたりの成功で手応えを感じた日本陸連は、これからはオールジャパンで強化だ!ということで、2014年4月に鳴り物入りで「ナショナルチーム」を結成して、9名の強化選手を選抜しました。

ここで上げ潮ムードに入るのかと思ったのですが、ここからどうも雲行きが怪しくなりました。実業団チームを中心に、第1期ナショナルチームに選抜された選手が、揃いもそろって大コケしてしまいます。

まず、メンバーの半数が故障中で、2014-2015シーズンの世界大会選考対象レースに一切エントリできませんでした。また、レースに参加できた選手もそろって全員凡走してしまいます。夏の強化合宿は一体何だったんだ。

川内優輝も一度はこのナショナルチームメンバーに選ばれますが、フォロー体制やコミュニケーション不足に由来する不信感から、2015年夏にメンバー組み換えを行った第2期発足を前に、同じく打診のあった佐野広明とともにメンバー入りを辞退します。

2015-2016シーズンもここまで低調

そして今期。今期のマラソン界は、なんといってもオリンピックの選考レースが話題の中心です。リオ選考レース第1弾は、2015年12月の福岡国際。瀬古利彦が世界へ羽ばたくきっかけとなった老舗国際レースです。当日はほぼベストコンディションで、良い記録も期待されました。

しかしフタを開けてみたら優勝はおろか、ナショナルチームから外され、一般参加で選考レースに臨んでいた佐々木悟が2時間8分台56秒で3位入賞できたことぐらい。佐々木自身2度めのサブテン達成となり、これが同時に自己新記録にもなりました。

その反面、ナショナルチームメンバーやメンバーを外れた川内は、2時間10分を切れずに凡走してしまいました。

そして東京マラソンも前述のとおり。実業団ランナーから見るべき記録を残した選手はいませんでした。残り選考レースは、今週末3月6日に行われるびわ湖毎日マラソンのみとなります。

陸連の選考も迷走中

正直、派遣標準タイムの2時間6分30秒に対して、ここまで誰ひとりとして達成できないどころか、影も踏めない状態が続いています。一応、福岡・東京・びわ湖の各選考レース上位3名の中から選抜するというルールにはなっていますが、今の状態だと正直な所誰を選んだら良いのかわからない状態ではあります。

陸連も選考基準は設けているものの、その想定は、あくまで好記録が多数出た場合の選抜のための基準であり、低レベルの中から抜擢するために作った基準ではないため、中の人はかなり悩ましい状況にはあるかと思われます。

明るい兆しは、学生初マラソン勢が頑張ったこと

そんな中、明るい兆しも出てきました。

タイムこそ2時間11分台以降だったのですが、今回のレースで松村、宇賀地、今井ら有力実業団選手が総崩れになる中、学生の初マラソン勢が日本人2位、3位、4位を占めたことは、快挙でした。

下田裕太選手(青山学院大学/2年生)

まず、日本人2位となった下田裕太(P)は、とうとう箱根駅伝以来、全国区にその香ばしい趣味がみつかってしまいました(笑)箱根駅伝にも出場した後、40キロ走を2回流しただけで本番に臨み、自分のペースで走り切った上、ゴールした後もまだ少し余力が見えるなど、底知れない可能性を感じます。

一色恭志選手(青山学院大学/3年生)

同3位の一色恭志もゴール後「35キロ過ぎからは死ぬかと思いました」と話したとおり最後はバテましたが、駅伝で見せるクールな表情そのままに初マラソンを2時間11分台でまとめきりました。いつも上位で堅実にハイレベルな走りを見せる駅伝時の走りそのままの落ち着きは、初マラソンとは思えませんでした。あとは、競った時勝ちきる力がつけば鬼に金棒です。

服部勇馬選手(東洋大学/4年生)

同4位の服部勇馬は今年の東洋大学キャプテン。35キロを過ぎてからの5キロ15分を切る猛スパートには鳥肌モノでした。これを初マラソンの学生がやるか・・・とハラハラしながら見ていましたが、40キロすぎに仕掛けすぎた反動で足が止まりました。仕方ない。攻めた結果です。最後は上述の青学勢2名に抜かれていしまいましたが、ガッツあふれる非常に良い走りだったと思います。

また、その他報道こそされませんでしたが、青学勢の橋本峻選手や渡辺利典選手、城西大の菊地聡之ら、初挑戦で2時間15分前後で走り切り、学生の勢いを感じることができました。

タイムが出ないなら将来性での選考をしよう!

あくまで3月6日のびわ湖が終わらないとわかりませんが、きっとまた今回もマラソン代表選考は揉めると思います。過去は、ハイレベルな中で選びきれずに悩ましい結果になることが多かったですが、今回は「誰も選べなくて納得感のある選考ができない」という特殊な状況になりつつあります。

今回、びわ湖毎日マラソンには実業団の有力選手が大挙して登録しているので、誰かしらは納得の行くタイムで走ってくれるとは思います。いやそう思いたい。

でも、もしそれでも選考に悩むようなら、思い切ってリオは大舞台の経験の場と割り切り、東京日本人2位の下田裕太か、東京日本人3位の一色恭志を出しておくべきだと思います。

下田Pも、レース後翌日に、なんと寮の自室でインタビューされた時にしっかりとアピールしていました。なんだその後ろのシャツは・・・

曰く、「2枠にするくらいなら僕にください!」と。

こういう時に臆さずにアピールできる度胸は青学の原監督イズムが浸透しているなぁと思います。つまらない陸連のメンツで選手の出場枠を減らすのではなく、是非若手の将来性に1枠投資してあげてください。

まとめ

全ては週末のびわ湖毎日マラソンの結果次第だと思いますが、これもダメなら今期は3季ぶりに2時間10分を切った選手が佐々木悟1名となり、2009~2010年シーズン以来の厳しい暗黒時代の再来になるかと思います。

一方で目を転じてみると、アマチュアランナーによる市民マラソン参加者数はうなぎのぼりとなっており、勝負と関係ないところでは、健康ブームと合わせてかつてない盛り上がりを見せています。また、学生の中長距離ランナーの層も箱根駅伝のスピード化により、レベルアップ著しい状況です。周りの追い風は吹いているんですよね。

東京オリンピックまであと4年。今回の東京マラソンで好走した選手たちがちょうど油の乗り切る2020年には、ぜひともマラソンお家芸復活!となるところをまた観たいものですね。

それではまた。

かるび

 

1dayインターンシップの功罪について、現役採用担当が本音で考えてみた

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かるび(@karub_imalive)です。

’17新卒採用がいよいよ本格化しているので、連日人事・採用ネタになります。今日取り上げるのは、「1dayインターンシップ」についてです。我が社の企業ブログに載せられるわけもありませんので、場末の採用担当として、個人ブログで思いっきり書かせてもらいます(笑)

1dayインターンシップって何?

1dayインターンシップとは、いわゆる新卒学生を中心とした未就業者が、実際に就職する前に、業界体験や就業経験を模擬的に積むことができる「インターンシップ」の時間短縮・変形ヴァージョンのことだと思ってください。文字通り、1日で完結するので、インターンシップ、というよりは、どちらかというと企業の採用活動と一体化した就業体験イベントのようになってきています。

インターンシップがいよいよ根付いてきた感あり

僕が就職活動をした1999年当時でも、非常にマイナーでしたが、いわゆる「青田買い」としてのクローズドな形のインターンシップはすでに存在していました。例えば、先輩OBの紹介経由や、どこからか入手した早慶東大の名簿などを元に、一部大手企業が大学限定等の青田買いとセットになったインターンシップを実施することが多かったように思います。

しかし、ここ10年ほどで、状況はかなり変わりました。一部の感度の高い学生や有力大学だけの狭いイベントだったインターンシップも、産官学を挙げたプロモーションが奏功して、ここ最近は幅広く認知され、いよいよ大学3年製の年間イベントとして根付いてきているように感じます。

マイナビのお手盛り統計ではありますが、学生の半数がすでに何らかの形でインターンシップに参加してきており、僕の学生の頃とは隔世の感があります。

通常のインターンシップは結構ハード

僕の会社はいわゆる中堅どころのSierですが、システム受託開発の部隊も幸いにして社内に恒常的に開発体制を持てているため、何とかインターンシップを実施できる環境があります。

東京・大阪・名古屋に事業所があるのですが、3事業所合わせて夏の間に70名~80名は受け入れます。全10営業日の就業体験プログラムを学生の夏休み中に3回転させる、それはそれは受け入れ側の採用担当にはタフでハードな「インターンシップ夏の陣」が展開されています。

もちろん、受けてもらう学生側もそれなりに大変です。参加する学生の大半はプログラミングなんかやったこともありませんが、それでも、その10日間の間に、有無をいわさずプログラム言語を習得してもらいます。

そして、グループ学習で簡単なWebシステムを構築してもらい、それを仮想客にプレゼンする、というところまでを1日8時間取り組んでもらっています。中には、自主的に居残りなんかもして取り組んでいく学生なども結構いて(決して残業を強要してないですよ!)かなり学生にもタフな内容なのではないかと思います。

割と本格的な分、システム開発のエッセンス位は余すことなく伝えることが出来たので、毎回学生さんの満足度は高いのが、やっていてよかったなと思う点です。

インターンシップを実施する際の企業側のメリット

ところで、企業側のインターンシップ実施の最大の意義ってなんだかご存知ですか?

それは、ずばり、翌年度の新卒採用につなげることです。3年生の夏の間にインターンシップに参加した学生が、まるで鮭が遡上するかのように、4年生の春に戻ってきてくれて、「御社が第一志望です」と相思相愛の形で採用が決まる。大体、何もしなくても、企業としてまじめにインターンシップをやっていれば、毎年3%~5%位は入社してくれます。インターンシップを社内調整して毎年大規模に実施すると、かなりの工数と費用がかかりますが、それでも十分モトが取れる投資なんです。

まぁ、マイルドな青田買いができるということなんですね。

中にはあからさまに採用直結であることを学生に隠さない企業なんかも結構あって、インターンシップ終了後に、優秀な学生さん向けに「内定パスポート」的な約束手形を切る会社もあるようですね。(国産ERPパッケージ会社のW社とか結構有名よね?)

もちろん、厚労省の外郭団体なんかから回ってきた企業向けアンケートには、「採用直結」とか「青田買い」のために役立ててますなんて書きません。新卒一括採用が念頭にあるため、現状ハッキリ「青田買いをやってます」なんて書いたら、頭の固い役所には引かれてしまい、まずいわけです。

それで、各企業は本音を隠して、「産官学連携での社会貢献のために役立った。」とか、「今年の学生のリアルな就業意識をつかむことができた」なんてそれらしい文言で当たり障りなく回答するのですけどね。

つまり、これまでは、企業側もやや遠慮がちにインターンシップを採用に役立てていたというわけです。

しかし最近潮目が変わり、あからさまになってきた

しかし、そんな遠慮がちなインターンシップ経由の採用活動も、昨年度あたりから各企業側の余裕がなくなり、あからさまにガツガツ展開されるようになってきたのです。

その一番の理由は、安倍政権下での採用スキームの変更です。昨年度、安倍総理の圧力?を受けて、経団連は企業の新卒採用内定出し解禁時期を、それまでの4月から8月に強引に変更しました。

結果、これは単なる改悪だったわけですが(●`ε´●)、企業は例年よりも後ろだおしで、かつ短期決戦での採用活動を強いられることになりました。

ただし、学生や学校側は心配なので、いつもどおり2月、3月頃から動いているだろうと予測されました。企業側は、その間、直接の採用活動はできませんが、何かやっておかないと学生の心をつなぎとめることができません。そこで、最有力な対策として浮上したのが短期決戦でのインターンシップ・・・という名の採用活動でした。

大学3年時みたいに、1週間とか10日間とか学生を拘束することは出来ないけれど、2,3日、あるいは1日なら学生も気楽に来てくれる。ならば、ということで台頭してきたのが、「1dayインターンシップ」に代表される短期型インターンシップです。

1dayインターンシップは事実上の選考活動

1dayインターンシップでは、文字通り1日間で終わってしまうので、当然何か凄いことができるわけではありません。

ものづくりの会社なら、午前中に会社説明を行って、午後から工場見学をやって、おみやげを渡して終了、とか、IT系の会社なら午前中に説明会、午後には営業提案のシミュレーションゲームや、グループディスカッションなどでお茶を濁して終了、とかそんな感じです。

ハッキリ言って、もうインターンシップでもなんでもなく、単なる会社説明会、いや、もっと言うと学生の名簿集めであります。

学生側は、こんな1日きりの付け焼刃的なイベントで就業体験ができるのかというと、全く無理なわけです。せいぜい「面白かった~」的な前向きな感想が残ればいいところ。

でも、企業側は、必死です。イベントであってもしっかり各参加者の名簿リストを収集し、かつグループ活動をやらせた際のパフォーマンスも細かくチェックしているのです。事実上の1次選考のような感じですね。ここでおめがねにかなった学生を、後日のフォーマルな採用選考会に呼ぶのです。

しかし学生側もそこはよくわかっていて、インターンシップは常に青田買いと表裏の関係にあることは百も承知です。キャリア体験としての文脈で得られるものは薄そうであっても、意中の会社であれば必ず参加しにいくわけですね。

いわば、本音と建前はお互いわかってやっている茶番となりつつあるんですよね。

かくして、インターンシップ本来の産学連携教育の高邁な思想・目的は骨抜きにされた、日本ならではの独自発展したガラパゴス的就業体験イベントの最終形としてできあがったのが、1dayインターンシップだったのです。

しかし1dayインターンが採用構造を変える起爆剤になるかも?

今まで見てきたように、この1day型インターンシップですが、すでに本来の目的・意味としては換骨奪胎されてはいて、中身はスカスカなのです。が、そこは腐っても「インターンシップ」という名称はあるわけで、これが学生側にも、企業側にも通常一括採用とは別途「インターンシップ」と言う形を制度として根付かせる燃料にはなっているんですよね。

例えば、この記事にある通り、今年のインターンシップ実施率は過去最高となっており、大手も1dayに代表される短期型のインターンシップをガンガンやっています。ということは、インターンシップ経由の青田買い採用も過去最高になるはずなんです。

それは、すなわち横並びでの新卒一括採用慣行から、欧米型の通年採用へのゆるやかな、でも不可逆的な移行が、この17新卒採用からようやく始まったんじゃないかな、という予感を少し抱かせます。

日本独自で発展してきた新卒一括採用は、新卒者の失業率を一時的に押し下げるメリットもありましたが、近年はデメリットのほうが目立つようになってきていました。

できる人材も画一的に20万前後の「新卒賃金」で実力以下に賃金がダンピングされがちだったり、一度失敗したら特定企業には「新卒枠」としての入社チャンスはもう二度と無いなど。こういった硬直した採用構造が、企業活動の活性化にマイナスになってるのでは?という議論ですね。

これが、1dayを始めとした変形型インターンシップも含め、インターンシップ型採用と一括採用がしばらく並び立つ形に変わってきた印象があります。特に、東大や京大、早慶といった有力大学が秋季入学、秋季卒業を本格化させつつあることも、企業側でのインターンシップ経由の採用強化を後押しする効果が高そうです。

結語

もちろん、すぐには新卒一括採用文化はなくならないと思います。あと20年、30年は重厚長大産業や経団連系の大企業を中心に、一定数は残るでしょう。ただ、その一方で、従来の新卒枠以外のところから、通年での新卒採用枠ができてくるのであれば、やや遅きに失した感はありますが、良い方向に向かうのではないかなと思います。

その最初のドミノを倒すのが、チート的な1dayインターンシップに代表されるお手軽インターンシップの普及になりそうだ、、、っていうのがいかにも日本的で、奥ゆかしいなと思う今日この頃です。新卒の皆さん、今年もタフな就活戦線が始まりますが、是非がんばって下さいね。

それではまた。

かるび