あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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ルノワール展@国立新美術館は幸せで楽しい絵画がいっぱいでした。おすすめ!

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かるび(@karub_imalive)です。

若冲展でしばらくお腹いっぱいだったのですが、GW明けたらまた美術展に行きたくなってきました。天気も良かったし、今日はかねてから「これは行く!」と決めていたルノワール展@国立新美術館に行ってきました。このエントリでは、その感想を書いてみたいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安について

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入場したのは、5月12日(木)の11時台。写真では、それほど混雑していないように見えますが、平日なのに展示会場内はかなりの人出でした。ツアー等の集団客や修学旅行中と思われる中高生もいましたね。

会場が広々としているのでそれほど気にならなかったですが、会期の後期にかけてTVなどで特集が組まれた後などの土日休日は、ひょっとしたら入場制限がかかるかもしれませんね。

展示数は、映像資料、彫刻、デッサン、絵画など全部合わせると100点を超えます。全部しっかり見て回るのであれば、最低1時間30分程度は見ておいた方がいいでしょう。僕は音声ガイドを聞き、メモなども取りながらだったので、2時間15分かかりました。

2.音声ガイド

あれば必ず借りている音声ガイド。今回のガイド機貸出料は、よくある520円ではなく、550円。いつもよりちょっと高めです。

メインガイドは、元宝塚宙組の大空祐飛さんでした。

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また、本展示会の監修者であるシルヴィ・パトリさんの特別解説が数編、解説で使われたドビュッシーの室内楽も聞くことができます。(フランス人の印象派系展示会といえば大体ドビュッシーなのはワンパターンな気がするのだが・・・)

3.画家ルノワールについて

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ルノワール(1841-1919)の本名は、ピエール・オーギュスト・ルノワールと言います。フランス中西部のリモージュで生まれ、幼い時にパリに移り住みました。父の勧めもあって、若干13歳で磁器絵付け職人を目指して修行を開始しましたが、産業革命の波には勝てず、あえなく失職。

絵付け修行中に、同僚から「小ルーベンス」とあだ名されるほど抜きん出た才能があったため、20歳頃から画家を目指すようになります。スイス人画家シャルル・グレールの主催する画塾で学ぶうちに、その塾にて、後の印象派の主要プレーヤーとなるモネやシスレーと出会い、以後、長い長い画家生活へと入りました。

印象派の大家ではありますが、生涯を通じて細かく画風を変化させています。1860年代、70年代、80年代、90年代以降では、それぞれ微妙に画風が違っていますが、今回の展示会ではそのあたりもたっぷり見比べられますよ。

自分としては、南仏カーニュの自宅にて裸婦の戯れる理想郷的な絵画を描いていた最晩年の作品群に一番心惹かれます。昨年のモネ展や、今年の安田靫彦展もそうでしたが、画家の最晩年の作品って、細かい技法は捨象され、抽象的で、辿り着いた自己表現の極みみたいな凄みが感じられるんですよね。

4.展示会のコンセプトって?

今回の展示会では、オルセー美術館と、その姉妹館であるオランジュリー美術館から、ルノワールと、その作品に関連する画家たちの作品群が来日しています。

オルセー美術館f:id:hisatsugu79:20160512162004j:plain

オルセー美術館は、パリに旅行に行ったらまずルーブル同様に外せない定番観光コースでもあります。元々オルレアン鉄道の駅舎兼ホテルで、老朽化に伴い取り壊されるところを、美術館へと改修して1986年に開業しました。主に19世紀中盤~後半に活躍した美術家の作品群を収集しており、今年で開館30周年になります。

そのオルセー美術館と、セーヌ川を挟んだ対岸に位置するのが、オランジュリー美術館です。

オランジュリー美術館f:id:hisatsugu79:20160512162406j:plain

 こちらには、モネの壁面一面を覆い尽くす「睡蓮」の大装飾画や、印象派、そしてマティスやピカソなどの近現代西洋絵画が展示されています。

今回のルノワール展では、この2つの美術館から、ルノワールを中心としてコロー、ベルト・モリゾ、ゴッホ、ピカソ、マティス等の、合計100点を超える絵画が集められました。(でも安心してください。大半はルノワールの作品で、その他画家たちはあくまで脇役ですから/笑)

 5.目玉は名画「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

今回の展示会の目玉は、酒場での野外の舞踏会の楽しい様子を描いたルノワール中期の名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。ポスター等チラシには、「日本初上陸!」とうたわれていますね。

ただし、厳密な意味では日本初来日ではなく、実はこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、1988年に「東海の暴れん坊」と謳われた大昭和製紙のオーナー、齊藤了英氏が約119億円で落札し、日本に持ち込んでいた実績があったのです。・・・齊藤家の床の間に。

バブル時代の日本企業って、ロックフェラービルは買うわ、ハリウッドの映画会社は買収するわ、ゴッホのひまわりは買うわ(これは新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で常設展示中!)、どんだけやりたい放題だったんだよ、って感じですね。

これにはちょっと面白い恥ずかしいエピソードがあって、この齊藤了英氏、アダ名の通り破天荒な性格で、「ワシが死んだら、これを棺桶に入れてくれ」と放言し、世界中の美術関係者を呆れさせたとか。危うくこの世界遺産級の名画は焼かれて灰になるところだったのでした(笑)

今回の展示会では、そのあたりの恥ずかしいエピソードはなかったことにされており、晴れて「美術展」という形では確かに日本初来日、というわけなのです。では、早速見てみましょう。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1877年、第3回印象派展出展作)f:id:hisatsugu79:20160512164136j:plain

中期までのルノワールの印象派絵画の集大成的な作品と言われ、1870年代当時の社交生活や都市風景の日常をとらえ、正確に描き出したという点で、当時を推し量る歴史資料的な観点からも価値の高い作品と言われています。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というのは、パリ郊外、モンマルトルで1855年にオープンした、実在した酒場兼ダンスホール場の愛称です。2台の風車(ムーラン)を広告塔とし、酒場で出された小麦と牛乳の焼き菓子(ギャレット)が評判となったことから、そう呼ばれるようになりました。

ルノワールも、この絵画を描くために1876年にはこの近くのコルト通りにアトリエを借りて、連日入り浸って遊び狂っていました一連の絵を熱心に描いていました。

絵を見ると、カンヴァス上に空や太陽が描かれていないのに、光と陰を「色」で表すことによって、確かに晴れた屋外にいることがわかります。当時、このような表現方法は他にない類を見ないもので、非常に画期的な技法だと言われています。

また、この絵には様々な階級と思しき人達が入り混じって楽しそうに踊っていますね。労働者階級、ブルジョア階級、そしてルノワールの友人達である画家仲間など。当時、確かに労働者階級の暮らしぶりは決して豊かなものではなかったはずですが、ルノワールは、労働者階級の苦境をリアルに描き出すよりは、あえて人々が幸せそうに喜びに満ちて交流する様子を好んで描き出しました。

今回の展示会では、大広間で一番目立つ位置に展示されています。関連展示も充実しており、次男で映画監督を務めたジャン・ルノワールの映像作品や、ゴッホなどが描いたモンマルトル近郊の酒場の様子や当時のパリの社交生活を描いた様々な絵画もあわせて特集されています。このセクションだけでも、かなりの見応えでした。

6.そのほか特に個人的に良かった絵画を紹介

6-1.草原の坂道

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ルノワールは、印象派の画家らしく、1870年代には風景画に力を入れていました。この頃には、簡単に持ち運びできる「チューブ絵の具」が発明されるとともに、鉄道網が発達したため、画家はアトリエを飛び出し、郊外で気軽に写生するようになりました。特にフランスだと郊外での写実に重きを置いた「バルビゾン派」が生まれるきっかけとなったパリ近郊のバルビゾン村やフォンテーヌブローの森、ヴェトゥイユの森など、街を飛び出して気軽にピクニック的なノリで絵を描きに行くわけです。

ルノワールは、特にモネと仲が良く、たびたび全く同じ場所・モチーフで作品を描いています。お互い「印象派」の重鎮だけあって、屋内とは桁違いに「光」の色彩がたっぷり感じられる戸外での作品にこだわりを見せました。

この「草原の坂道」は、今回数点出展されていた風景画の中で、個人的に一番印象に残った作品です。こういう草原に一日中ゴロっと横になってゆっくり本でも読みたいなーとボーッと見てました。

6-2.ピアノを弾く少女たち

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今でこそ超大御所印象派の巨匠として評価が確立しているルノワールも、現役時代は1890年代に入るまでは、いわゆる前衛派画家的な扱いをされており、政府やアカデミズム主流派からは認められていませんでした。

資料や手がけている作品を見ると、印象派展でアピールするだけでなく、ブルジョア層にパトロンを探したり、有力画商と懇意にしたりと、個人的に営業活動もかなり頑張っていたようです。

その甲斐もあって、ルノワールがいよいよメジャーデビューできたのは、1890年代に入ってからでした。この「ピアノを弾く少女たち」は、6枚の連作で描かれたうちの1枚で、当時「裕福さ」と「教養」のシンボル的な存在である「ピアノ」を題材にした、アカデミズムやブルジョア層にアピールできる勝負作でした。

ルノワールの狙い通り、政府に4000フラン(今の400万円程度)で正式に買い上げられ、当時の現代美術館的位置づけとなる「リュクサンブール美術館」に収蔵されることになりました。これが、ルノワールが、オフィシャルにフランス絵画界でメインストリームに踊り出た瞬間でした。画家デビューして苦節30年。時代がルノワールに追いついたのでしょう。*1

これもルノワールらしい丸みのある柔らかい子供の質感がよく出ていて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットと同様、何度か見返したくなって、絵の前に戻りました。これは良かった。

6-3.浴女たち(1918-1919)

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ルノワールは、晩年に持病のリューマチが悪化させていきます。その療養も兼ねて南仏へ移住してからは、1860年代以来、しばらく封印していた裸婦像を再び積極的に手掛けることになりました。

この「浴女たち」は、亡くなる3か月前に描き上げた、最後の大作です。南仏の未開で温暖な地がかもしだす、野性的かつ牧歌的な雰囲気の草原に横たわる裸婦たちの絵画は、ルノワールの求める理想の「地上の楽園」を表していたとも言われています。

ルノワールの裸婦像は、どれもこれも通常サイズよりもかなりふくよかに描かれていますが、イギリスの著名な美術評論家ケネス・クラークによると、

彼女たちは古典的なモデルよりも太めだが、アルカディア(田園的理想郷)的な健全さを湛えている。ルーベンスの裸体画とは違って、彼女たちの肌は通常の体のくびれや皺はないが、動物の毛皮のごとく身体の形に沿っている。彼女たちが裸であることを自然に認識していることから、ルノワールの裸体画はルネサンス以降の裸体画よりも古代ギリシア的であることは間違いなく、古代に求められた真実と理想の間の平静に近いものを感じる。

ルノワールの辿り着いた理想の裸婦像について、高く評価が与えられています。

あるいは、リューマチでやせ細り、体全身や指先が衰えるに従って、それに反比例するように、絵画内での一種の「健康さ」「健全さ」の象徴として描かれる裸婦のボディサイズが太くなっていったのだ、という説もありますね。

7.まとめ

ルノワールは、よく「幸福の画家」と言われます。生涯を通して、その柔らかい筆使いで人間の生きる歓びや楽しみを好んで描いてきました。展示会では、どれも「ホッ」と一息つける優しい雰囲気の絵画が多く、ある意味「癒やし」として見て回るのも良いと思います。コンテンツ量も多く、質・量ともに非常に充実した展示でした。非常におすすめです。

それではまた。
かるび

おまけ1:参考文献

今回の記事作成にあたり、参考にした書籍を貼っておきますね。

賀川恭子「ルノワール」
ルノワールの生涯を、時代時代に描かれた絵画とともに丁寧に解説した文庫本。安くてポケットにも入るので、予習・復習にぴったりかと思います。

ルノワールへの招待
2016年4月発行。今回のルノワール展と連動した作りになっており、ルノワール展で紹介された絵画を一段掘り下げて解説・分析しています。これも良かった。

おまけ2:同時開催中の西洋美術展です!

★ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝

パナソニック汐留ミュージアムで2016年6月25日(土) 〜 2016年8月28日(日)まで開催中。ルネサンス期、絵画、彫刻、建築とオールマイティに活躍したミケランジェロの「建築」に焦点を絞った展示を行っています。非常に落ち着いた、西洋建築好きにはたまらない展示会でした。もしよければ是非。

★映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝」

7月9日より、シネスイッチ銀座他、大都市にて封切りされる、映画館で見るバーチャル美術館展。ルネサンス期のフィレンツェで見られる代表的な建築、彫刻、絵画を余すこと無く劇画調で紹介するドキュメンタリー映画。

バーチャル、と言っても、4K3D技術やドローンを飛ばした空撮で、従来は撮影が難しかった角度からの美麗な映像満載でした。試写会に行ってきたのですが、普通に美術館の展示会に行くよりも余程印象に残ります。お薦めです。

 

*1:ただし、ルノワール自身は、6枚描いた絵画の内、個人的には一番デキが悪いものを買い取られたと不満だったらしい。

【書評】あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして

かるび(@karub_imalive)です。

5月8日に発売された、はてなの人気ブログ「リンゴ日和。」の今泉ひーたむさんの処女作「あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして」が出版されました。今日は、個人的にいちファンとして、書評を書いてみたいと思います。

ひーたむさんのブログ、「リンゴ日和。」は自分としてすごく思い入れのあるブログです。ひーたむさんが「書籍化されます!」とブログでアナウンスされた瞬間に、これは外せん!ということで、秒速でAmazonでポチっておきました。

昨日、発売日に無事届きましたので、「鉄は熱いうちに!」ということで、読んだ感想を早速書いてみたいと思います。

1.表紙はこんな感じ!

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表紙は、ブログのイメージそのままですね。

ひーたむさんのブログが一気に認知され、人気ブログへと駆け上がっていったターニングポイントとなったエントリのタイトルがそのまま題名、表紙になりました。

僕は、その記事が書かれるちょっと前から「リンゴ日和。」をチェックするようになっていたのですが、この記事を見た時、完全にファンになってしまいました。

見た時、ほろっとなって、その場で妻に「ちょっとこれこれ、このブログやばいよ!」とスマホを持って行って読ませたことをありありと思い出します。

2.この本のコンセプト

はてなブロガーやブックマーカーの人ならご存知かとは思いますが、一応知らない人のために説明しておきますね。この「あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして」は今泉ひーたむさんのブログ「リンゴ日和。」で、2015年秋頃~今年の春にかけてブログに連載された絵日記を忠実に再現して、書籍化したものです。

絵日記では、ひーたむさんが子供二人との日常のふれあいの中で印象的だった出来事を1コマ~2コマの水彩画風のイラスト付きで短く綴られています。ブログでは、2016年5月8日時点で、約150エントリほどアップされていますが、そこから半分程度のエピソードを抜粋して本にまとめられました。

これにプラスして、子育てについての描き下ろしのエッセイやマンガも入ってますし、絵も描き直したものも多いとのことですよ。

3.登場人物の紹介

※イラストは全部こちらのページから引用させて頂きました
はじめまして - リンゴ日和。

この本で出てくる登場人物は、ブログ同様、ひーたむさん一家4人です。

もちろん、主役はこの二人。イラスト左側の長女・ゆー(5才)と、右側の次女・ふー(2才)です。
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ゆーちゃんはちょっとおませなしっかりタイプのお姉さんです。お父さんに対するツンデレぶりが見どころ。書籍では、「泣き虫で負けず嫌い。イチゴが大好き。」と紹介されていますね。

そして、次女のふーちゃんは甘えん坊で天真爛漫な元気一杯なタイプです。食いしん坊でアクティブな妹タイプの性格で、音楽とダンスと白米を、こよなく愛している。」

そして、「私」ことひーたむさん。書籍では「インドア派」と書かれていますが、確かに絵日記の題材は、家の中での出来事がほぼ中心ですね。平日は仕事で忙しいパパの分まで、日々子供の育児に向き合う心優しいママです。

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そして、「リンゴ日和。」の大切なスパイス・・・というか、陰の主役?として、よくオチに使われるお父さん。二人の子供にメロメロで、親バカで、家では特に長女・ゆーちゃんに翻弄されっぱなし。でも、自称「都会的な空気感」をアピールするだけあり、メガネを取ったらイケメンのやさしいパパなんですよね。自分にもこんな時期があった・・・はず(笑)

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4.この本の一番の魅力とは?

ひーたむさんが日々の育児で子どもと向き合う中、印象的だった日常の一コマをオムニバス型式で綴っているのですが、その何気ない日常の切り取り方のセンス・感性が抜群に鋭く、面白いのです。書籍をめくっていくと、「あー、そうそう、子育てしてると、こういうことってあるよね~」と共感できることばかり。

育児・仕事の両立で多忙な中、子供と交わした何気ない一言にハッとさせられたり、泣かされたり、癒やされたり、っていう経験は、小さい子を持つ親なら、日常的にいろいろ感じているはずなんです。

でも、子供の成長は思ったより早く、日常は慌ただしく流れます。意識的に自分の中で思い出として記憶・整理しておかないと、あっという間に流れていって、過去のものになってしまいがち。

ひーたむさんの本は、そんな日常の忙しさの中で無意識に流れ出て、見逃してしまいがちな、子どもとの大切な交流の中で感じていた感情や記憶をいつでもリアルに思い起こさせて、追体験させてくれます。そこが自分にとっては一番の魅力です。

「あー、そんなことあったよね。わかるわかる。」
「そうそう、子供ってバカだけどハッとさせられるんだよな~。」

とか、いつも相槌を打ちっぱなしです。

5.同じ世代の子供を持ち、同時期に始めたブロガーとして

僕の子供も、長女・ゆーちゃんとほぼ同い年の6才になります。男の子なので、細かいところは違う部分もあります。でも、ほっぺたにちゅーしてきたり、幼稚園での劇の出番が少ないことにシュンとしたり、離れ離れになったら心細くて泣いてしまったりっていうところなど、とにかく驚くほど共通項が多く、深く共感できるんですよね。

まるで自分の子供の絵日記を見ているようです。

加えて、ひーたむさんと自分はほぼ同時期にブログを始めたいわゆる「同期ブロガー」的な関係です。僕が2015年9月末に、ひーたむさんは、10月中旬に、とここまで半年ちょっと更新を続けてきた戦友みたいなものだと思っています。(と少なくとも僕は勝手に考えている)

「リンゴ日和。」はすでにその後累計100万アクセスを達成するなど、僕は遠く置いて行かれましたが(笑)、こうした同期ブロガーが頑張って紙の本まで出版したっていう事実は、非常に勇気づけられるし、素直にすごい!と思ってしまいます。

6.まとめ

本のオビには、こう書かれています。

癒やされたり、泣かされたり。子どもたちの、小さいけれどせいいっぱいな言葉たち。

そうですね。僕も、この春に会社を退職して、しばらく家にいる機会が増えました。残念ながら僕にはひーたむさんみたいな鋭いセンスや感受性はありませんが、これからは時間が出来た分、出来る限りもっと子供と向き合いたい。そして、少しでも印象深い思い出を心に残して行きたいな、と思いました。

本当に、おすすめの本です。

それではまた。

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*1

会社では決して教えてくれない、うつにならない一番の秘訣について

かるび(@karub_imalive)です。

GWの真っ最中だというのに、うつ病に関する記事がいくつか上がっていたので、少し自分なりに発見した「うつにならないための秘策」を書いてみたいと思います。

鬱病は病気。 - アニイズム
鬱は病気っていうけどさ

僕も、中小Sierのエンジニアとして、自分自身うつになりかけた経験もありますし、*1さらに人事・営業部門といった間接部門に移ってからは、沢山のうつ状態の人を送り出したり、休職から復帰する手助けをしてきました。

上記エントリの内容やブックマークコメントを読むと、健康管理は自己責任というけれど、それができてりゃうつにはならないわ!的な意見が多かったです。

それはすごく分かります。

会社は社員を働かすための仕組みだから自衛が難しい

だって、会社は基本的には社員を働かすための仕組みですから。社員を働かすために、色々な管理や仕掛けは作り出しても、「君、体調やばそうだし、うつになりそうだから、予防措置として休んでいいよ?」とは正面切って言いませんからね。

特に、労働集約的産業なら、人が稼働してナンボですから、気遣うフリをするだけして、会社側の本音は、「できるだけしっかり稼働しろ」ですから(笑)

労務管理が行き届いた会社でも、基本的には自己責任論をベースとしたセルフチェックシート等のセルフケアを推奨したり、勤怠システムで残業規制を形式的に入れるくらいまでしかやらないでしょう。

そんな弱い対策では、多忙な職場・作業現場からの作業継続圧力にはまず勝てません。そして、劣悪な人間関係や長時間労働、納得感のない作業が続くと、人はあっという間にうつ状態へと落ち込んでしまうんですよね。もう、採用担当としてそんなケースはいやというほど見てきました・・・。

うつになる人とならない人を分けるものは何か

採用担当として、約10年間、労務系の仕事を担当して、数百人の社員の入退社に関わる中で、気づいたことがあります。それは、どんなに劣悪な環境下であっても、きちんと成果を残しつつ、しかも不思議な事にうつにならない人が一定数存在するということです。

その一方で、業務での精神的・肉体的負荷により、うつ状態へと落ち込んでしまい、休職・退職を余儀なくされた人も、沢山見てきましたし、お世話してきました。その話は、このあたりに書いてあります。

まず、うつになりやすい人の特徴としては、

  • とにかく、辛くても真面目に業務に取り組む
  • 決められたことはキッチリやりきる完璧主義
  • ゆえに仕事が集中するか、滞留しやすい
  • 人が良く、仕事を振られても断れない

こんなところだと思います。

真面目で几帳面。そして、任された仕事は懇切丁寧に100%全力でいつもやろうとします。基本的に優秀なんですよね。それ故、山のような仕事の前に圧倒され、処理しきれず破綻してしまう。結果として、心身に変調を来たしてしまい、うつ状態になってしまった。そんな事例が多かったように思います。

一方で、同じような状況に陥っても、決してうつにならない人がいます。彼らは、きつくなってくると、確かにつらそうな顔をして苦しみます。決して楽勝じゃないわけです。それでも、決してダウンはせず、最後には成果を出して案件をクローズできる。

うつになる人と、ならない人の一番の違いってなんなんだろう?と思ってここ最近考えていた中、達した結論としては、うつにならない人は、「うまく、適度に仕事をサボっている」。

大事なのでもう一回書きます。

「うまく、適度に仕事をサボっている。」

そうなんです。プロジェクトや作業は押しているので、あるいは立場的にも会社や仲間の目がある以上、有休等で大手を振って休暇を取得することは許されない。でも、会社商慣習的に、やむなしとして、会社や同僚、上司などが納得できる言い訳を作っちゃえば、休めるわけです。

ちょっと具体例で説明すると、例えば・・・。

1.火消し専門のAさんの場合

Aさんの自衛手段は、「会議ぶっち」。どうでもいい定例会議とか、形だけやっているつまらない会議ってありますよね。Aさんは、そういった会議をそれなりの確率で「カゼ」や「顧客訪問」「他の打ち合わせとのバッティング」などの名目で、よくわざと欠席してました。

その時間、何やってたの?って聞いたら「あまりにもバカらしいので、近くの喫茶店とか家で寝てた」そうです。納得。そうやって、ストレスを抜いていたんですね。

2.優秀なプロジェクトマネージャBさんの場合

Bさんは、朝一、それなりの確率で会社に来ません。(※僕の会社は勤怠が結構厳しく、フレックスではなかった)でも、無断欠勤ではなく、必ず朝に会社に連絡を入れ、やむを得ない事情を報告します。曰く、「今日は熱があります」「病院に行ってから会社行きます」「朝顧客訪問が入ってます」と、他の同僚やプロジェクトメンバーから文句を言われづらい理由を入れて、堂々と昼からゆったりと会社に来ます。

カゼなら仕方ないよね、ってことで、さらっと許されて、しっかり残業が厳しい時でもきっちりと埋め合わせの休みを入れるたくましさ、素晴らしいです。

3.最近管理職に若手として抜擢されたCさんの場合

Cさんは、「客先へ直行」「客先から直帰」を上手く取り入れて、サボる時間を捻出しています。いや、どうみてもすぐ商談終わるだろうから、会社戻れるでしょ?っていうツッコミは意外と入れづらいし、そもそも他人には自分のスケジュールはそこまでチェックされないもの。あるいは、顧客訪問時間を1時間長く入れておき、外でコーヒーを飲んで休憩するなど。うまくそこで手を抜いてます。

4.技術営業のエース格Dさんの場合

技術営業のエース格Dさんは、生来の持病として、軽い喘息を持っています。気圧の大きな谷間には、発作が起きる時もある。疲れが溜まってきたら、思い切って「今日は喘息の症状がキツくて熱があるんで休みます」と会社に報告を入れて、1日休みを取ることが割とあるのです。

で、あとで聞いてみたら、「まぁ本当にキツいときもあるし、そこまででないときもあるっすよ。でも成果出してるから良いでしょ?」だそうで。はい。全く問題ありません。

5.内勤の採用担当だったKさんの場合

子供が保育園に通っていたか◯びさんの必殺技は、「子供が熱を出したので、病院に連れて行きます」です。外回りで直行直帰等の技が使えない内勤者でタバコも吸わないので、営業さんのような調整が難しい。そういう場合は、子供の世話を全面に押し出して調整します。これで半日は自分の時間が確保できる。大抵は、本当にそうなんですよ?!でもね、そうでない時も・・・(以下自粛 ま、たまには活用させてもらってるってことで。それを盾に会社に報告すれば、「あぁ仕方ないか」と現場も諦めてくれます。

小さく、確実に細かく休みを取ってストレスを解放する

つまり、うつに上手く対抗するためには、持続するストレスを一旦どこかで断ち切って、心を解放する「休み」が有効だってことだと思うんです。それは、「1日」単位じゃなくても「数時間」とか「半日」でも有効です。

そういった細切れの休みなら、取得しづらい有給休暇や、査定が下がるリスクの高い無断欠勤という形じゃなくても取れるわけです。とにかく、まず、1)会社側が一応納得できそうな理由をつけ、2)しっかり会社に報告した上で、3)小さい単位で会社に理解されやすい「合法的な」理由で休暇を取得する。

激務でも決してうつにならない社員達は、こうして定期的にサボることで、心身を上手に調整していたということです。

まとめ

うつにならない一番の対策は、やばいな、と思ったら、会社を退職したり休んだりすることだと思います。でも、そこはなかなかスパッと割り切れない。で、あれば、上手く自分で自衛のために調整するしかないですよね。

このあたりのノウハウは、会社に入っても、新入社員研修やメンタルヘルス研修などでは教えてくれません。また、先輩社員も積極的には語ってはくれない「暗黙知」であります。いわば、会社で生き抜くための「必要悪」な知識だと思うんです。

本エントリは、決してホメられた話ではありません。会社で全員が全員毎日こんなことやってたら、経営は多分持たないでしょう。

でも、業務多忙により、たった今、あなたがうつで倒れてしまい、仕事に大穴を開けるくらいなら、自衛の為の非公式な息抜きを取りつつ、うまくこなしたほうが、会社にも、自分にとってもよっぽど良いと思いません?

後口上が長くなりましたが、要するに、うつにならない自衛策として、こういったサボりに近いノウハウは意外に大事なんじゃないか、という話でした。

真面目で頑張ってる人には報われて欲しいので、少し書いてみました。

それではまた。
かるび

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*1:それはまた後日機会があったらアップしたいと思います。

若冲展は素晴らしかった!混雑必至だけど、最強の大回顧展でした!

【2016年11月29日更新】

かるび(@karub_imalive)です。

2016年度上半期の美術展で一番盛り上がったのが東京都美術館で企画された「生誕300年記念 若冲展」。伊藤若冲の生誕300年記念を期して開かれた展覧会でした。

若冲展は、他の美術展に比べてマスコミの注目度が半端無くて、会期の1か月前くらいから、テレビや雑誌、それからムック本などの特集本なども沢山刊行されました。にも関わらず、日本美術の企画展の泣き所として、展覧会の会期は4月22日~5月24日までのわずか33日間でした。開催される前から、大混雑するのはわかっていましたが、それでも予想を超えたフィーバーぶりに、連日大変な騒ぎとなりました。

本エントリは、そんな「若冲展」に行ってきた感想レポートとなります。

  • 1、展覧会の混雑度
  • 2、音声ガイドは中谷美紀
  • 3、伊藤若冲ってところで誰なの
  • 4、なぜ伊藤若冲が今ブレイクしているのか
  • 5、伊藤若冲の作風って?
    • 5-1、詳細まで描きこまれた緻密な作品たち
    • 5-2、だけど完全に写生に徹したわけではない
  • 6、今回の展示会の見どころ
  • 7、まとめ
続きを読む

【ご報告】中小企業採用担当者向け記事を人事タックル様に寄稿しました

かるび(@karub_imalive)です。

3月に引き続いて、4月も人事タックル様に寄稿させていただきました。

中小企業にとって、ここ数年の新卒採用は厳しい、、、を通り越して苦行のような感じになってきています。何やっても説明会に人来ないけど、どうすりゃいいの?!みたいな。いくらお金をかけて就職ナビサイトに力を入れても、知名度がない中小企業にとっては、底なし沼のコンプガチャのような感じでお金だけカモられる現状。

ネットでの情報収集が当たり前の時代だからこそ、新聞や本を読もう、と言われるのと同じように、デジタル就活が全盛の今だからこそ、アナログ的な手法で学生と向き合っていかなければいけないんじゃないの?って、切にそう思います。

今回寄稿した記事では、そのあたりの分析と、個人的な体験談に基づく実践的なアプローチについて書いてみました。もし良ければ、リンク先の記事を読んでみてくださいね~。

それではまた。

かるび

 

PS ちなみに、第一弾の寄稿記事はこちらです。結構読まれてて嬉しい(^^)

会社退職10日前を迎えた心境について

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かるび(@karub_imalive)です。

このブログでも何度か書いてきましたが、僕はこの春に13年間勤務してきた会社を退職することになりました。40歳という一つの区切りとなったため、人生の充電期間として、1年間自主的に休みを取るためです。

最終出社日は4月28日。いよいよ今の会社もあと5営業日で退職となります。(その後有給休暇を消化しての退職なので、最終的な退職日は6月中旬)

人生のうち、そうそう10年以上勤め上げた会社を退職する、という経験もないと思うので、少々露悪趣味だとは思うけど、今の心境をブログに書き残しておこうと思います。

ほっとする気持ちと不安な気持ちと

僕は、23歳で社会人になってから、以来17年間サラリーマンとして働いてきました。基本的には切れ目なく、ストレートに17年間です。以前から、漠然と40歳頃になった時に、1年間自分へのご褒美として、長期休暇を取得したいな、と思っていました。欧米のビジネスマンで良くある「サバティカル休暇」的な感じですね。

ちょうど今の会社の業務にも飽きてきたし、いろいろあって会社への帰属意識もなくなってきたので、このままダラダラ働くのもあれかな、と思って、思い切って一旦辞めることにしました。

本当は「休職」みたいな形が良かったのですが、残念ながら、今の会社、、、というより、日本企業の企業カルチャーとして、1年間も勝手きままな理由で休職させてくれるような余裕のある会社なんてありません。従って、一旦退職するのはやむなしというところです。

来月から、17年ぶりに大学時代のようなモラトリアム的生活に突入するのですが、やっぱりあんまりあれこれ先行きのことを考えなくてよかった大学時代とは、心持ちはだいぶ違いますね。

まず第一に、ホッとした、という安心感と、来月から空いた時間で何しようかな~というワクワクする気持ちはそれなりにあります。割とがむしゃらに働いてきたので、結構プライベートでやりたいことは溜まっています。

だけど、その一方でやっぱり不安な気持ちもあるんですよね。たとえば、世間体的に肩身が狭いこと。中年になってからのモラトリアム的長期休暇って、日本ではまだ一般的ではないので、世間体的にはしんどそうだな、と。

実際、去年試しに保育園のパパともで集まって飲んだ時、ちらっと「来年春に子供が小学校に上がったら、今の会社やめるんですよね~。えっ?仕事?当分しませんよ。」みたいな話を馬鹿正直にしたら、みんなに「えっ・・・」みたいな感じでかなり引かれてしまいましたから。親戚にも、カミングアウトしたら確実に烈火の如く怒りそうな人頭の固い人も何人かいますし。世間の目は思ったより厳しい。

ということで、これからは親戚の前や、あまり親しくない知り合いなどと会う時は、当面「在宅でネット関係の仕事とかしてます」ってことにしよう(笑)

また、1年間休んだ後、仮に就職活動して、またサラリーマンとして社会復帰するとして、40代で1年ブランクが空いている無職の中年をいい感じの給料で採用する会社なんてあるんだろうか?って思ってしまいます。

もちろん、辞める前に散々資格なども取得したし、自分なりにキャリアが断絶しないための準備はしてきたつもりではあります。多分、今ならITエンジニアとしても、営業としても、人事としても、あと経理もできるかな。どれも中途半端ではありますが。また、今は空前の売り手市場。40代でも転職フェアや人材紹介でどんどんマッチングに成功している例が増えてきてはいます。

それでも、なんとなくやっぱり不安な気持ちはあるんですよね。このまま復帰できなかったらどうしよう・・・的な。まだ子供も小学生だし、嫁にばっかり負担をかけるわけにはいかないし。復帰できなかったらいっそプロブロガーにでもなるか大学生の時は、同じモラトリアム的期間であっても、先行きの心配はあんまりなかったので、年を取ると色々くよくよすることも増えるものだな、というのが感想であります。

辞める直前まで普通に使われる

一方、会社では、もうすぐ退職だというのに(だからこそなのかもしれないですが)最後までなんか忙しいです。そろそろいい加減後任への引き継ぎ等に入って仕事のペースを優雅に減速してきたいというのに、仕事が一向に減りません。

直属の上職にあたる役員からは「辞めるからって、最近手を抜いてるんじゃないか」みたいな嫌味混じりの牽制を何度もされるし、退職前なのを分かってて、絶対退職日までに終わらない仕事も平気で振ってくるし、なんだかなーと。

今日なんて、仕事柄、採用担当だから、ということもあるんですが、もうすぐ退職するっていうのに僕よりちょっと前に最終出勤日を迎えた退職者の退職手続きのお世話をしたり、普通に中途採用で採用面接とかしてたり。「当社のどのような点に惹かれて志望されましたか?」なんて聞いてる貴方の目の前に座ってる面接官は、数日後にはもういないんだよ・・・。

なんていうか、イメージと違うんですよね。退職する前って、腫れ物に触るかのように取り扱われ、仕事がサーッっと潮が引くように振られなくなって、所在ない窓際社員のような心持ちでちょっとずつ机の整理とかして余生を過ごすのかと思っていたんです。でも、そんなに甘くはないのね。通常業務が普通にあって、後任への引き継ぎ資料作成工数分が乗っかってくる分、単に忙しくなるだけだった(笑)まぁ、それだけ皆余裕もないし、辞めるってわかってる奴でも普通にガンガン使えるだけ使ってやろうってことなのかなと。

ということで、せっかくブログやってるんだから、会社を退職する直前の今の心境について、少し書き出してみました。会社辞めた後は、あんまりこういった会社ネタはブログには書かなくなるんだろうなぁ。不安な気持ち半分、ホッとしている気持ち半分ってところですね。

それではまた。
かるび

戦火をくぐり抜けた秘宝が大集結!黄金のアフガニスタン展(国立東京博物館)に行ってきた!

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かるび(@karub_imalive)です。

皆さんは、アフガニスタン、って言うとまずどんなイメージを思い浮かべますか?僕は、「戦争」「内戦」「テロ」といったようなネガティブなイメージと、荒廃して乾いた砂の大地しか思い浮かばないです。実際、今でもほぼ準戦時状態のようなものですよね。首都カブールを中心に米軍が10,000人以上駐留する中、この2月にもタリバンによるとされる自爆テロが起こるなど、政情不安が続いている状況のようです。

そんな中、先日黒田清輝展を国立東京博物館で見た際に、「黄金のアフガニスタン展」まもなく開催、と言う看板が出ていたのを見かけました。よくこんな危ない中、企画展ができたものだな、と思い、気軽な気持ちで覗いてきたら、そこには予想外に壮絶なストーリーと、そして文字通り黄金だらけの秘宝が待っていました。

今日は、その展示会、「黄金のアフガニスタン展」の感想を少し書いてみたいと思います。

混雑状況と所要時間について

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土曜日の夕方に行ってきたのですが、人の姿はまばらでした。まだ始まったばかりということもあり、快適に見て回ることができます。展示品は、全246点と展示点数はそれなりですが、細かいものが多いのでそれほど出展量が多いイメージはありません。さらさらっと見て回ると1時間ちょっと、音声ガイドもつけてまじめに見ると1時間30分位といったところでしょうか。

音声ガイドは鈴木亮平

僕は、可能な限りどの展示会に行っても音声ガイドをつけながら見て回るようにしていますが、今回は、若手俳優の鈴木亮平。

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つーか、ドラマあんまり見ないから、若手俳優といってもあまりピンと来ないのですが、人気あるんですよね?(汗)まぁ頑張って語ってくれていたとは思います・・・。

なぜ、今、アフガニスタン展を日本でやっているのか

実はここが少し気になっていたのですが、その理由は、展示会の冒頭のパートでビデオ映像やフリップなどで、詳細に説明されていました。

アフガニスタンの歴史

まず、入り口手前にあるフリップと、入場直後の映像資料の2点は必見です!各遺跡の発掘品を見る前に、是非アフガニスタンの簡単な歴史と、地政学的背景、それと展示に至るまでのストーリーを少しでも頭に入れておくことで、今回の展示会をより興味深く見ることができます。

アフガニスタンは、西はイラン、東はパキスタンと接する内陸国で、西側のヨーロッパ世界、東側の中国、南側のインドの結節点となるシルクロードの要衝にあたる位置にあります。よって、古来から、アレクサンドロス大王の東征があったり、インド系王朝がやってきたり、あるいは遠く東からモンゴル帝国が長駆して攻めこんで来たりと、まぁ騒がしい国なんですね。アフガニスタンの歴史は、異民族の度重なる侵入の繰り返しによって形作られてきているのです。そのため、多様な文明や人種が流入し、そして融合する中で、その魅力的な独特の文化遺産や遺跡が各地に残されてきました。

その、歴史的な工芸品や文化財30,000点あまりをコレクションし、収蔵展示してきたのが、アフガニスタン国立博物館でした。

アフガニスタン国立博物館が1922年に開設される

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20世紀初頭に入り、弱体化したイギリスの支配下から独立すると、国王、アマーヌッラー・ハーン国王は、首都カブールにアフガニスタン国立博物館を開館させます。1920年代、旧宗主国のイギリスに代わり、フランスと組んで国家建設と国力増強を進めていきますが、そのフランスとの共同作業を中心として、以来50年、ソ連によるアフガニスタン侵攻が始まるまで、遺跡の発掘作業は順調に進みました。

ソ連のアフガニスタン侵攻~タリバンによる破壊まで

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しかし、1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻により戦争が始まると、それ以来発掘作業は完全にストップします。やがてソ連が撤退した後は、その空白を埋めるかのように国内有力部族同士で今度は内戦が始まり、博物館も戦火に見舞われることになります。

また、90年代後半に入り、イスラム原理主義過激派グループ、タリバンが国内のイスラム教以外の偶像や美術品をかたっぱしから破壊して回り、博物館は壊滅的なダメージを受けました。最大で100,000点程あった文化財のうち、実に7割以上が戦火で失われたといわれます。

ニュースにもなりましたが、バーミヤンの大仏が爆破されたのもこの時期のタリバンの所業であります。(リンク貼らないけど、Youtubeに爆破動画も上がっています)

しかし、被害を見越して秘宝は隠されていた

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相次ぐ内戦やタリバンによる破壊活動・略奪により、その大半の展示物が失われたり壊されたりしたのですが、いくつかの展示物は、戦火や略奪を免れていたのです。1989年、戦火を避けるため当時のナジブラ政権が博物館を閉館した際に、収蔵品のうち約30%の特に大切なものだけが選定され、心ある博物館スタッフの手によって密かに中央銀行の金庫と情報文化省に持ち込まれて隠されていたのです。

タリバンも資金源確保のため必死で文化財の行方を探しました。その過程で博物館員もその中で厳しい尋問・拷問等が展開されましたが、彼らはプライドをかけて秘匿先について口を割らなかったといいます。

タリバン政権崩壊後、約15年ぶりのご開帳となる

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やがて、アメリカ軍が駐留を開始し、タリバンが政権を追われると、ようやく内戦が終結して、国内政情も小康状態を迎えます。そこで、2004年、15年ぶりに中央銀行の金庫が開けられ、激烈な内戦や戦火をくぐり抜けた秘宝が陽の目を見ることになりました。

アフガニスタンの文化遺産の復興支援のため企画される

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これら秘宝の再公開をきっかけに、アフガニスタンの文化財・名宝を国際的にアピールし、その保全への啓蒙等を目的として、アフガニスタン政府は世界各国で巡回展を開催することを決めました。巡回展は2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での開催を皮切りに、名だたる美術館・博物館で展示され、世界中ですでに10カ国以上、延べ170万人が本展示会に足を運んだと言います。そしてこの2016年、ようやく日本にも回ってきて、九州国立博物館、東京国立博物館と順に展示されることとなりました。

展示会で記憶に残ったもの

今回の展示会では、様々な古代の遺跡のうち、特に有名な4つの遺跡「テペ・フロール」「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「べグラム」から出土した美術品・工芸品の 展示と、戦乱時に非合法に日本に持ち込まれた流出文化財をあわせ、5つのセクションに分けて展示されています。

個人的に特に印象的だったのは、そのうち「ティリヤ・テペ」という、1世紀頃に栄えた遊牧民の王の墓から出土された様々な黄金の装飾品・工芸品です。

「牡羊像」
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「冠」
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「襟飾」
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(3枚とも引用:特集:アフガニスタン 輝ける至宝 2008年6月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

「アフロディーテ」
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(引用:九州国立博物館 | 特別展『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

そして、どの時代の出土品も異国文化の融合する「文明の十字路」と言われる地だけあり、無節操なほどに(笑)、各種東西文化が融合、折衷された出土品が非常に興味深かったです。あからさまにアレクサンドロス大王が東征時に持ち込んだギリシャ・ヘレニズム文化から影響を受けたものもあれば、同じ遺跡から南方インドの仏教文化から伝来したインドっぽい装飾版が出土されたりです。 

「青年上半身メダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419072010p:plain

「エロスとプシュケーのメダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419071950p:plain

(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

「マカラの上に立つ女性像」
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(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

盗掘、流出との戦い

2002年にタリバン政権が去った後も、内乱で国力が疲弊したままであり、首都カブールの街中には貧しい失業者が溢れています。彼らを日雇いで報酬を払い、遺跡で発掘させて盗掘品を買い上げる外国人や、そういった盗掘品を白昼堂々と販売する土産物屋など、日々アフガニスタンの文化財は国外へと流出されていると言います。東京にも、パキスタン~ドバイの闇マーケットを経てかなりの点数がコレクターへと流れている様子です。このあたりの状況は、この展示会を機に復刊されたこの本に詳しく描かれています。

日本では、シルクロードを中心としたオリエンタルな情景を描いた日本画家の故・平山郁夫が、ユネスコと連携して、「流出文化財保護日本委員会」を立ち上げ、日本におけるアフガニスタンの流出文化財を保護する運動を行っていました。今回の展示会では、日本で保護され、「黄金のアフガニスタン展」を機にアフガニスタンに返還される102点の流出文化財のうち、15点が最終セクションで展示されています。

「カーシャパ兄弟の仏礼拝」f:id:hisatsugu79:20160419080512p:plain
(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

しかし考えてみると、日本でも諸外国に遅れて平成14年にようやく発効した「文化財等不法輸出入等禁止条約」により、不法持ち込みは禁じられているものの、アフガニスタンのケースでは、こうして流出したことによってタリバンに破壊されることを免れた点は不幸中の幸いというか歴史上の皮肉としか思えません・・・。

ちなみに、流出保護された文化財102点中、残りの87点は、同時期に東京芸術大学美術館陳列館にて、「素心 バーミヤン大仏天井壁画 ~流出文化財とともに~」と題して、特別展示されています。

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また、山梨県の八ヶ岳山麓ですが、平山郁夫シルクロード美術館でも、「アフガニスタンと平山郁夫」と題して、流出文化財の返還と連動した特別展を実施しています。ちょうど夏前に涼しい時に八ヶ岳方面に旅行に行く人は、是非覗いてみるといいですね。

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まとめ

アフガニスタンは、歴史的に大国になった時期がなく、どの時代でも中国やイラン、インドといった大国に挟まれた周縁国として、文化や歴史を独特な形で積み重ねてきました。おかげで、各文化圏からもたらされた様々な複数のカルチャーがどんどん時代を重ねるに連れて上塗りされていき、多様で多元的な歴史・文化遺産を国内各地に残してきました。

そして、近代を終えて現代になってもずっと戦乱が続くため、その保護や発見は大幅に遅れています。相当量の文化財が非正規ルートで世界中に流出していった一方で、まだまだ沢山の文化財が地下に眠っているところでもあると思うんです。前回タリバンに爆破された東西のバーミヤンの大仏の間に、超巨大な大仏がもう1体未発掘で残っているという話など、夢がある話も沢山あります。

美術品や文化財は、単に見て楽しむだけじゃなくて、人類共通の歴史遺産として、後世に残していくための努力もしていかなきゃいけないんだなぁとしみじみ感じた、そんな考えさせられる展示会でした。

それではまた。
かるび

40歳にして初めてホール落語会に初めて行ってきた感想→落語はライブが一番面白い!

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は割と多趣味なんですが、40年間も生きているとその種類も色々と増えてきます。このブログにも少しだけエントリを上げたのですが、例えば音楽鑑賞ではヘヴィメタルとクラシック。また、美術館などの展示会回り。読書。ワイン。ランニングと陸上長距離鑑賞、家庭菜園、etc・・・。年々増え行く趣味に、やりたいことはたくさんあるのに、時間とカネは有限で非常に最近悩ましい状況です。

そんな悩ましい状況下、2015年の冬から僕にもう一つ加わったのが「落語」でした。ブログを開設して以来、面白くて度々覗かせてもらっている憂き憂きマンドリルのリクさん(id:r1ckey)のサイトやリクさんが留年した暇つぶしにツイキャスなどで落語の面白さを教えてもらってから、はや5か月経過。

その間、同じくリクさんのお薦めの

このあたりを夕飯のしたくや後片付けをしながら(夕飯づくり担当なので。)全部聞いたり、初心者らしく図書館で笑点系の落語家、桂歌丸や先代三遊亭円楽らのCDから、昭和の名人三遊亭圓生、三遊亭金馬、古今亭志ん朝らまだ薄く広く借りて聴いていたりしました。

聴いていてすぐ分かったのですが、落語って特に冒頭の「マクラ」と呼ばれる、場を温めるためのブリートーク部分を始め、演題に入ってからもたびたび挟まれるアドリブ部分が非常に大きいんですよね。その場の観客との呼吸や一体感の中で噺家と観客が即時的作っていく即興的作品としての性格もあるので、一度近場のライブに足を運ばなければ!と思い立ちました。

早速ライブに行ってきました

善は急げ、ということで、速攻でコンビニに走って適当にチケットぴあの端末をたたいて購入したのが、昨日のホール落語会です。余談ですが、僕は近い将来に地方への移住かニ拠点居住を目指していますが、こういう時、本当に東京に住んでいて良かったなって思いますね。文化系・芸術系のイベントはほぼ365日東京ならどこかしらでやっていますから。思い立ったらその日にでもいけちゃうという便利さ。

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(引用:日本橋が大人の遊び場に大変身 「コレド室町2、3」 |フード|NIKKEI STYLE

で、行ってきたのが、COREDO室町1号館の4F「日本橋三井文化ホール」で実施されている、いわゆる寄席ではないホール落語会「COREDO落語会」。

実は僕の家から歩いて10分のところに両国演芸場という三遊亭円楽一門が使っている寄席があったりして、そこが一番近いのですが、いきなり寄席にいくのはやっぱりちょっと敷居が高いな(知らない噺家ばっかりでしょうし・・・)と思い、落語会ライブデビューはホール落語にしてみました。

ということで、今日は落語会にデビューして感じた感想をつらつら書いてみたいと思います。

落語会の内容

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COREDO落語会は、今回で6回目だそうで、料理評論家の山本益博氏の趣味が高じて心血注いでプロデュースするホール落語会です。構成は、毎回ベテラン/人気噺家が4名集まり、一人1席ずつ披露する流れで、昨日の終演は21時20分でした。

価格は5000円。多分、ホール落語としては高いほうなんだとは思います。だけど場所代や落語家のギャラ等を考えるとこんなものなんじゃないかなーと思いました。

落語会の感想

1.客層はやっぱりかなり年配の人が多い

いわゆる若手芸人のお笑いライブとは全然違いますね。どちらかと言うと古典芸能に近いので、客層も40代以上が中心でメインは50代、60代のお客さんが多かったと思います。若い人は残念ながら皆無。客層の平均年齢が高いのは、がよく行くクラシック音楽のコンサートと似たような雰囲気。あるいは、昔良く出入りしたFacebookのオフ会とかかな。日本橋三越前という都心中の都心で、時間帯も19時からのライブだったのですが、案外仕事帰り風の人は少なくて、自宅からわざわざ出てきた人が多そうでした。

2.おしゃれな老人が多い

老人が多いとは言え、身なりも綺麗で、割と裕福そうな人が多かったです。特におしゃれな老婦人が多かったかな。身なりだけじゃなくて、ウィッグをしてたり着物で来てたり、髪がオレンジや紫など、普段行っているクラシックのコンサートや美術館などで見る老婦人よりもだいぶ派手だったような?!これってたまたま昨日場所柄そうだったのか?

男性は、結構気難しそうな評論家風のオジサンや、なんかのタニマチをやっていそうな、富裕層的オーラを出しているおじいさんが多かったです。終わった後、楽屋かなんかにそっとおひねりとか渡してたりするんだろうか。

3.しかしよく寝ている

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(引用:浜 矩子|教員紹介|同志社大学大学院 ビジネス研究科

僕の隣の髪の毛が紫色の浜 矩子楓のおばあさんは、ほとんど全編寝ていました。その隣のおばあさんも半分くらいは寝ていました。クラシックのコンサート(推定平均就寝率30%)ほどじゃないですが、高い金払ってきてるのにもったいない話であります。

ただし、これはなんとなくわかる気もします。僕もクラシックコンサートなどで、仲入りでワインを飲んだあとつまらない演目だった場合、つい眠くなってしまうので。貧乏性なので、根性で目はなんとか開いてますけどね。特に落語ファン歴が長い耳の肥えた客は、メジャーな古典落語の演目ならば、つまらない噺家のものだと寝てしまうだろうな。

4.思った通り落語はライブが一番面白い!

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別にCDやYoutubeでもいいんですけど、やっぱりCDなどだと落語家の表現される作品のうち、「声」の部分しか伝わらないんですよね。言葉に現れないメタ・コミュニケーション的なもの、つまり「顔つき」「身振り手振り」などで表現される感情表現や、観客と噺家のその場だけの相互作用で生み出される空気なども伝わりません。

じゃあDVDみたいに映像が見えていれば良いのかっていうと、多少はCDよりはマシかなっていうレベルですが、五十歩百歩です。録画映像だと不思議とやっぱり大幅に言外のメッセージが減衰して伝わりづらくなるんだろうなってすぐに気付きました。

美術展やクラシックのコンサートでも同様の現象が起きるので、落語の特性を考えると、このあたりはやっぱり落語はライブに行ってなんぼなんだろうと思っていました。

で、実際にホール落語会に行ってみた感想としては、落語こそライブで見るべきなんだろうな、と。特に、上手な落語家ほど、言葉以外の表現やアドリブを駆使したコミュニケーション力が高いため、よりライブで見たほうが満足度が高くなるだろうなと感じました。

昨日見た中だと、4人の噺家のうち、春風亭小朝と三遊亭円楽はそれぞれの持ち味を生かし切った見事な高座でした。小朝は、一歩間違えたら引かれてしまう地震ネタもうまく枕マクラに取り入れて、緩急のついたトーク術が光ったし、円楽はマクラからサゲまで手堅い円熟味のある語り口に非常に納得感を感じました。数十分に及ぶセリフを全部叩き込んだ上、臨場感たっぷりに、かつ機動的に笑いも取り入れて観客との一体感を切らさずに演じきる。芸歴40年以上のベテランの圧倒的な技芸とライブでの存在感に素直に感嘆しました。彼らの独特の間合いや話し方の1/10でも仕事に行かせれば、すごい営業成績とか上がりそう・・・。

まとめ

どんな分野でもそうですが、一流の芸術や技芸に触れると、その一瞬だけかもしれませんが心を空っぽになって作品へと没入し、一体になれる感覚があります。自分の場合はそれが一種の「癒やし」「気分転換」となって、精神的な活力を再充填出来るんですよね。

この落語も、お値段は決して安くはないですが、上手な噺家の演目をライブでそれだけに集中して取り組むことによって、CDやDVDでは見えない良さが感じられたのは良い収穫でした。恐らく、中途半端に何度も行った後に書くよりも「初心者のうちに」ライブ初体験の感想をどこかで書き起こしておいたほうが面白いかな、と思ってエントリを書いてみました。

5月以降、毎月2~3回ライブのチケットを既に抑えているので、またいくつか行って気づいたことができたら色々書いてみたいと思います。次回は26日の柳屋喬太郎のライブに行ってまいります。

それではまた。
かるび

 

東京の商談時間って短くない?ゆったり仕事をしたいとたまには思う

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かるび(@karub_imalive)です。

とりとめもない雑談です。
ふと思いついたのですが、東京の商談時間って本当に短くないですか?

僕は、現在中小Sierの営業兼採用担当として働いていますが、会社の支店が東京・大阪・名古屋にあります。もう今の会社で13年位働いていますが、何年もいると東阪名各地で多数商談の機会があります。

そこで、振り返ってみると、商談一つとっても、東京・名古屋・大阪、あるいはそれ以外の地方都市各地で、地域性や地域差があるように思うんですよね。

東京の場合

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例えば東京です。東京(を中心とする首都圏)での商談の特徴は、仕事や案件の流れるスピードが速くて、圧倒的にドライだってことです。

いわゆる情報システム開発の案件というのは、歴史的な経緯もあり、現状は仕事が東京に一極集中している状況であります。東京・横浜で全国の仕事の70%以上が集中している。だから、競争相手も多いのですが、商談機会も多く、案件が常に同時並行でめまぐるしく動き、あっという間に展開していきます。

例えば、ある開発プロジェクトに人員をアサインしていくとして、案件がバッティングしていようがなんだろうがお構いなしです。で、早い者勝ちで決まった案件に入り、商談中だった他の案件をお断りしても、さしたるお咎めもありません。トラブルになりそうになったら、契約書や法律を盾にとって、正当性を主張しあう。みんなドライなものです。

当然、一度の商談時間も非常に短いですね。新規で営業訪問した際も、あまり話さなければ30分位で終わってしまうこともザラであります。要件が済んだら帰ってね?みたいな。最近は下記エントリでも入れたのですが、雑談をがつがつ振っていくようになり、商談時間がムダに伸びてきましたが(笑) 

単に年取って話がねちっこくなってきただけかもしれませんが、最近だとようやく平均45分位にはなってきました。それでも東京で商談をした際に、1時間はお互いにとって長いかな?と思うレベルです。

大阪・名古屋の場合

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これに対して、大阪、名古屋では基本的には商談は1時間は下回らない事が多いです。あくまで自分の感覚値で、統計データはありません(笑)

単に大阪の人がサービス精神旺盛だったりして、話し好きの方が多いだけなのかもしれません。あるいは、名古屋は「大きな村社会」と昔から言われるように、ウェットな関係が出来上がるので長くなってしまうのかもしれません。一通り商談が終わったら、なんか延々とゴルフの話をしてたり、雑談三昧です。

大阪・名古屋で逆に30分で帰ろうとすると、「やる気あるの?」的なオーラを相手から感じることもありますね。

そんな大阪・名古屋で仕事の話を進める時に大切になるのは、既存のお客さんとの関係性や仁義だったりします。

お客さんと「あ、うん」の関係で進んでいくことも多いので、発注書が来月から来てなかったので、契約終了かと思い、要員をプロジェクトから一斉に引き上げたりすると、「何で勝手に動いてんねん」みたいなトラブルになりがちです。いやいや御社の注文書が来ないから、うちとしても要員を空かせるわけにはいかないし、仕方なかったんですよねみたいな話をしても、まぁ通じない(笑)

逆にそれが良い面もあり、東京みたいにスパッと案件がなくなったりせず、一度気に入られたお客さんには長く贔屓にしてもらえるという良い点も多々あるんですけどね。何かと、人間関係や地縁、過去商談経緯のコンテキストを深く考慮して動いていかなければいけないのが、僕が学んだ大阪・名古屋の仕事の進め方であります。

地方都市はビジネスのスピードがゆるい気がする

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あるいは、東京・大阪・名古屋以外の地方都市だと、もっと時間感覚がゆったりしてくるような気がしています。前の会社の話です。前職は、メーカー勤務で一時期情報システム部にてパソコンやネットワークの調整をしていたのですが、仕事柄、地方の営業所や出張所、工場を沢山回ります。

そこでまず感じたのは、基本、地方都市の営業所では勤怠がまずゆるい(笑)

「あのー、かるびと申します。本日10時からそちらの事務所でパソコン設置にお伺いするのですが、所長さん、いらっしゃいますか?」
「えー、所長?・・・今日は多分二日酔いで朝は来ないよ(笑)。しゃあないから来たらしばらくゆっくりしてなよ。あ、そうだメシ行こう。せっかく来たんだから海鮮丼の美味しい店連れてってやるよ」
「あざーす!(やった、ラッキ~)」

真面目に出張で事務所に行ってみると、相手方の責任者は寝坊して出勤してないとか、こんな感じのやり取りは本当に良くありました。また、いざ事務所を訪問した際も、基本的には定時前になったら帰りの支度をいそいそと始める社員の姿がよく目についたものです。で、終わったら必ず飲みに行くという・・・。

また、事務関係のやり取りでもゆるさを感じることが多いです。
地方の会社と請求書や見積書のやり取りをする際は、全ての会社がそうだ、ってわけじゃないのですが、送ってくるのが遅かったり、宛名の会社名が間違っていたりすることがしばしばあります。その地域の有力企業であっても、そんな感じなのですよね。で、電話して指摘すると、「あ、ごめんごめん~。直して明日までには送るわ~」みたいな。いや今欲しいんだよ今!

でも、そういうシーンに出くわすたびに、確かに少しいらっとすることはあるのですが、同時に、「ゆるい感じで働けていていいな~」なんて思ってしまいます。

まとめ

そういえば今の会社で働き始めてから、割と毎日時間単位でマルチタスクの波に飲まれながら、あくせくと働いてきたな~と思い出して、急遽思い立って書いてみました。

もちろん、こういうのって千差万別だと思いますし、地方企業でもキッチリしっかり働いていたり、商談がドライで短い会社や職種も多数あるかと思います。ただ、全体的には、20年前、30年前と比べると、日本全国どこでも、ビジネスのスピード感は上がってきているとは思います。

そんな中、たまに地方出張などをした際に、いい意味で今の会社がなくしてしまった精神的・時間的余裕を持った「昭和的な」雰囲気の職場をみつけると、しみじみいいな~と思ってしまうわけです。せめて、短い時間の中でもいいから、ビジネスの中で出会ったお客さんとも、楽しい交流を心がけたいなと思う今日このごろです。

それではまた。
かるび

 

ロマン溢れる歴史画が集結!安田靫彦展の感想(東京国立近代美術館)

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かるび(@karub_imalive)です。
当初どうしよっかなと思っていたのですが、友人が「これは行くべき!」と強く勧めるのと、この土日は両日とも外出予定がなかったので、ちょうどいいや、ってことで、急遽参戦してきました。結論としては非常に良かったので、感想を書いてみたいと思います。

1,混雑度と所要時間について

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写真を見て頂いたとおり、ガラガラです。土曜日なので少し混雑しているかな?と思いましたが、まだ朝10時台だったこともあり、全く混雑していませんでした。順路も広めに取ってあるので、ゆったり見れる展示会だと思います。いつもよりきちんとした身なりの人が多かったイメージでした。(土曜日なのにスーツのおじいさんとか)

作品数が100点以上なので、メモを取ったり、音声ガイドを活用してじっくり見ようと思ったら、2時間程度は必要かな?とは思います。僕も10時過ぎに入って、出てきたのは12時30分頃でした。

2,音声ガイドのメインナビゲーターは高橋英樹

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声も渋くてなかなかの好キャストだと思いました。日本画だと、やっぱりこういう時代劇系や歌舞伎系の俳優がやってくれると世界観を壊すことなく、スッと絵画には向き合えるのでいいですね。

また、中身についても、安田靫彦本人の生前の講演会やインタビュー等での実際の肉声をところどころで聞けるようにオプショントラックが用意されており、粋なはからいだと思いました。

これはお金に余裕があれば、借りる価値は大きいと思います。

3,安田靫彦の作風について

デビューは15歳と早熟だった

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安田靫彦(やすだゆきひこ、1884-1978)は、明治時代から昭和の戦後高度成長時代までを生き抜いた、いわゆる近代~現代の日本画における代表的な画家の一人です。明治期の少し先輩格である横山大観や菱田春草、下村観山らの作風にインスパイアされ、日本画を志します。若干15歳で日本画壇にデビューした天才肌の画家でした。

画風は優雅で気品漂う大人の日本画

画風は、伝統的な日本画の描き方を基本としています。ムダの無い構図、美しい線に加え、植物や風景、衣装などの細密で写実的な描写が特徴です。誰もが感じる「日本画らしい」特徴を備えた王道の画風でした。ロマンと気品溢れる柔和なタッチは、同時代のライバルにして盟友、速水御舟にして、気品が”匂い立つ”と評されています。

安田さんの芸術については事新しく述べるまでもないが、一言にして尽すと、安田さんの芸術の特色はあの馥郁(ふくいく)たる匂ひにあると思ふ。梅の花か何の花か非常にいい匂ひが漂ってくる。それはどこに咲いているのか、ハッキリ所在はわからないが実に馥郁としている。安田さんの人格にもさういふ感じがあるが、作品には特にその感が深い。[・・・]ああいう芳香を放つ芸術は現代はもとより古人のうちにも極めて稀れであらう。*1

いやほんとその通り。下にもいくつか絵を貼りましたが、各絵画からは、独特のやわらかで上品なオーラを放っています。現場で是非その「匂い立つ」絵画群を見てきてほしいです。

歴史画にこだわりがあった

また、デビューしてから亡くなるまで一貫して、日本や中国の歴史や古典に題材を得て着想した歴史画を多く手がけました。靫彦曰く、

えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている。*2

現実には見られぬ美しい世界を組み立ててみたい。高い完成された美を求めて今の我々の解釈で表現してみたい。*3

とのことで、自然と同じくらい古典芸術に学び、現代の感覚で捉え直した、品格あふれる普遍的な造形を作ろうとしたといいます。

4,今回の展示会の位置づけについて

そんな安田靫彦ですが、生前は最晩年に同じく東京国立近代美術館で1976年に大回顧展を行っています。今回は、それ以来40年ぶりとなる2度目の回顧展となりました。日本中の博物館・美術館から作品が集結し、15歳でデビューするところから、亡くなる直前の絶筆まで100点以上の作品が展示されています。絵画だけでなく、絵巻物や屏風絵なども展示されており、ものすごいボリューム感ですよ。

見どころは、昭和戦前期のナショナリズムが高揚した時期~戦後高度成長時代で価値観が激変する中、この歴史の大きな流れの中で、何をどう描いてきたのか、作風はどう変化してきたのかということです。これら作風・画風の変遷がわかりやすいように、各作品が時系列で追って行けるような展示になっています。

5,感想

まず、入場して最初に驚くのが、安田靫彦が少年時代に描いた作品群です。入口付近に展示されていますが、若干15歳、16歳の時から、目の覚めるような写実的な歴史画を描いており、天才ぶりにいきなり度肝を抜かれます。

『守屋大連』

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靫彦24歳の時の作品。飛鳥時代、聖徳太子と蘇我氏と激しく対立し、仏教の国教化に反対した物部守屋を描いています。守屋の不穏な表情が、もうすぐ一触即発な事件の前触れを暗示しているようです。聖徳太子じゃなくて物部氏にスポットライトを当てて描かれた題材の絵画はあまり見たことがなかったので新鮮でした。(※聖徳太子の絵もそれ以上に沢山描いています)

『五合庵の春』

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靫彦は、体が弱く、キャリアの途中で何度か大病にかかりますが、そのたびに作風を変化させていきました。作風が落ち着いたのは、30代も半ばを過ぎてから。初期の写実的な描き方から、背景等を大胆にデフォルメした柔軟な描き方も取り入れ、繊細で柔和な色使いで独特の作風を確立します。

これは、初期の写実主義的な絵画から、少し作風をチェンジした中年期に差し掛かる際の代表作品。良寛が長年住んだと言われる国上寺の五合庵という離れを描き出したものです。霧深く神秘的な雰囲気の山中の庵にて悠々自適にくつろぐ良寛がいい味を出していました。

『黄瀬川陣』(重要文化財)

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これは、平氏打倒の挙兵を行った際、弟義経が初めて兄頼朝の陣中に馳せ参じて数年ぶりの対面を果たした際の有名なシーンです。源頼朝の顔が歴史の教科書等に載っていそうな顔つきですね。兄頼朝の余裕のある表情に比べ、弟義経の緊張感と、どこかしら悲壮感の漂う顔つきが、将来の兄弟の運命を暗示しているようでした。

『伏見の茶亭』

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もう、解説も何もなくてもすぐにわかりますね。豊臣秀吉です。歴史の教科書で見た通りの顔つきで、歴史資料に忠実に描いた安田靫彦ならではのわかりやすさ。この展示会でも若い時から老年期まで、たびたび秀吉をモチーフとした作品を好んで描いています。この派手な衣装とバブリーな金色の茶室は、伏見城内での茶会の一コマだと言われます。

『出陣の舞』

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(引用元:http://atelierrusses.jugem.jp/?eid=369

これもまぁ見た瞬間にわかりますね。桶狭間に出陣する直前に「敦盛」を舞っている場面の信長です。ド派手な着物に西洋風の燭台など、時代考証と歴史資料に基づいた細かい描き込みが見事でした。

そして、靫彦晩年の作品では、こちら。

『卑弥呼』(九州バージョン)

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(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shiga-kinbi/20100925/1285371002

派手に噴火している阿蘇山をバックに、堂々たる統治者としての厳しい表情を浮かべた卑弥呼を描いています。日本古代の独特の奇抜な?高貴なファッション(帽子のようなもの)と、体から滲み出るオーラが印象深かったです。なお、展示会には出展されていませんでしたが、バックが近畿地方版の卑弥呼像も残しています。未だ邪馬台国がどこにあったのか、決着がついていないですしね。

まとめ

これまで、僕は日本画といえば江戸時代末期までしか知りませんでした。明治以降で名前だけでも知っていた日本画家は、せいぜい、昔永谷園のお茶漬けカードに入っていた横山大観や竹久夢二ぐらいのものでした。

この安田靫彦のことも、恥ずかしながら友人が「絶対行っとけ」というのでチェックしてみて初めて知ったレベルです。そんな素人ですが、最初の数枚の展示を見ただけで、その実力は素人目にも本物であることはすぐにわかりました。

構図、色彩、人物、テーマ設定、どれを取っても高い技術・品格を持って丁寧に作りこまれており、間違いなくこのあとも後世に語り継がれていく芸術家であると思います。本当に充実した回顧展でした。最後は単純な感想ですが、行ってよかった。こういうのがあるから美術展回りは癖になるんだよな~。ほんとおすすめです。開催は、5月15日まで。

それではまた。
かるび

PS 同じ日本画では、浮世絵の大家「歌川国芳・歌川国貞」をフィーチャーした展示会も6月まで開催されています。これも良かったですよ!

blog.imalive7799.com

 

*1:速水御舟「安田靫彦論」『美術評論 四巻一号 1935年1月』

*2:「古画雑感-日本画とは何か-」『美術評論 1939年9月』

*3:『読売新聞 1941年10月11日』