あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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現代アートへの入門として最適?!ポンピドゥー・センター傑作展@東京都美術館に行ってきました

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2016/7/13更新

かるび(@karub_imalive)です。

東京都美術館での狂騒の若冲展が終わって、「ポンピドゥー・センター傑作展」が始まりました。早速初日に行ってきましたので、その感想を書いてみたいと思います。

(※6000字近い長文です。忙しい方は、絵と赤い太字部分だけ見て頂ければわかるようにしました)

0.僕の現代アートとの長い戦い(笑)

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去年くらいから、頻繁に美術展に行くようになりました。学びのためにも、そのアウトプットとして、ブログで美術展レポートをアップしています。

僕は美術展についてはわりと雑食系です。西洋美術、日本美術、絵画だけでなく彫刻、陶器、その他美術じゃなくても展示会ならガツガツ行くようにしています。仕事してないし

その中で、一番苦手としている、というか、興味はあるんだけど、自分の中で一番消化不良になっているのが、20世紀以降のいわゆる近代以降のモダン・アートだったり、現代美術だったり。(以下、本稿では『現代アート』と統一)

食わず嫌いじゃないんですよね。食ってもわからない、消化不良のような感じです。

意味不明なまで高度に抽象化された絵画や彫刻だったり、ビデオや映像、音や光など、なんでもありのインスタレーションなどを目の前にしても、まず何がいいたいのかさっぱりわからない。

なんでわからないかっていうと、まぁ一つは感受性が足りないのかなっていうのもあるんですが、一番大きな要因は、それらを味わうための事前知識不足なのかなって思っています。現代アートとは何なのか。なぜ中世までは写実的だった具象絵画が、印象派以降、加速度的に画風が崩れ、なんでもありの混沌とした現代アートへ変わっていってしまったのか。そのあたりの歴史的な背景や知識といったところが足りていませんでした。

今回のポンピドゥー・センター展は、近現代アートの巨匠たちの代表作品が、一同に会するという話なので、「よっしゃ、今回こそ現代アートを理解したる!」という強い意気込みで臨んでまいりました。

と、いうことで、果たして僕の現代アートとの戦いは、どうなったか。それは最後の結論の所に書きますね。

1.混雑状況と所要時間目安

僕が行ったのは、開催初日の6月11日(土)11時頃でした。若冲展はいったいなんだったんだっていうくらい空いています。快適でした。

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やっぱりテーマが近現代アートだと、人出はこんなものなのでしょうかね。

所要時間に関しては、作品数総数が70点ちょっとなので、サラッと見れば1時間ちょっとでいけると思います。特に後半は意味不明なの多いし僕は、結局2時間15分かかりました。

2.ポンピドゥー・センターについて

今回の、「ポンピドゥー・センター傑作展」の、”ポンピドゥー・センター”とは、1977年にパリ郊外に建設された、フランスの国家をかけた現代芸術の総合展示施設です。長らく文化・芸術の中心地だったパリは、第二次世界大戦で国土が荒廃し、フランスの国力が大きく落ちたことをきっかけに、徐々にニューヨークにその座を明け渡していってしまいます。

そんな状況をなんとか打開しようと、現代芸術が大好きだった第19代フランス大統領、ジョルジュ・ポンピドゥーは、自らの提案で、パリに近現代芸術の象徴となるような新たな総合施設を作ろう!と提唱しました。

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うん、なんかいかにも戦後すぐの大物政治家って感じですね。タバコが板についてます。それで、そのポンピドゥー大統領の提案が受け入れられ、1977年に出来上がりました。こちらの写真です。f:id:hisatsugu79:20160615215752j:plain

出来上がった施設には、リスペクトの意味も込めて、ポンピドゥー氏の名前が冠されることとなりました。パッと見て思うんですが、これ、フジテレビ本社ビルの側面にどことなく似てません?

特に、外壁に取り付けられたチューブ状のエスカレーターは、絶対オマージュだと思うのですが。ちなみに、フジテレビの本社ビルを設計したのは、日本が世界に誇る丹下健三です。どうですか?ちょっと似てますかね。

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(引用:http://tokyo-esca.com/esca/2009/09/029.html

3.展示会のコンセプトと秀逸な展示方法

今回の展示は、フランスの近現代アートの象徴的な存在である「ポンピドゥー・センター」内の国立近代美術館に収蔵されている名品が、時系列で一挙に紹介されるコレクション展です。

一番の特徴は、歴史的な流れが強く意識された展示となっていることです。フォーヴィスムが台頭し、モダン・アートが本格的にスタートした象徴でもある1906年から、同センターが開館した1977年までの72年間で、「1年、1作家、1作品」を紹介するという明快なコンセプトが打ち出されました。

これに合わせ、展示スペースも効果的に時系列でのフランスの現代アートの歴史をより直感的に俯瞰できるよう、工夫されています。一般的に、「ホワイト・キューブ」と言われる美術館の標準的な白い壁で仕切られた四角形型の展示スペースの部屋を順番に回る形ではなく、一度にたくさんの絵を一望・俯瞰できるように、動線も短く効率的になるように設計されていました。

特に、一番展示物のバラエティが広がる現代アートの展示が中心となった最上階の2Fは、部屋の中心で360度芸術作品をぐるっと時計回りに見渡せるような工夫がされており、飽きの来ないよい展示でした。前回の若冲展の「動植綵絵」を一望できたような感じです。

オフィシャルHPでも事前にダウンロードできますが、こんな感じです。

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(引用:作品リストより)

4.気に入った作品たち

見て回った中で、「おぉこれは!」と思った作品や、これだけはしっかり見ておきたい!という作品を幾つかピックアップしてみますね。*1

4-1.デュフィ『旗で飾られた通り』(1906)

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展示冒頭の1作品目でお出迎えしてくれる作品。印象派を乗り越え、より一層大胆になった筆使い・構図、自由な色使いが特徴のフォーヴィスム時代のスタートを予感させる一枚です。現代アートの幕開けを感じさせるとともに、画面を大きく占めるフランス国旗が目立つこの作品を1枚目の展示に持ってきたところに、ポンピドゥ・センターの意地とプライドを感じました。

4-2.デュシャン『自転車の車輪』(1913)

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まずモダン・アートを学び始めた時に、必ず出てくる巨匠の作品が早くも1913年にお目見えです。出来合いの男性用小便器にサインしただけのブツを「アート」として出展し、現代アートの神となったデュシャンですが、その前身的作品として制作された作品。

デュシャンは、身の回りのある出来合いの工業製品なども、充分アートとして成り立つんだ、と「レディ・メイド」というコンセプトを現代美術に持ち込み、「アート」の再定義を強力に提案しました。デザインうんぬんじゃなくて、近現代アートの歴史的な金字塔的作品として、間近で見れてよかった。

4-3.ブレッソン『サン=ラザール駅裏』(1932)

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20世紀では、リアルな表現分野では絵画に代わって完全に主役となった「写真」ですが、その写真がアートとして広く認識されるきっかけとなった、教科書的名作です。絵画のような緻密な構図で、決定的な一瞬を逃さず収めた写真は、まさに奇跡の一枚。プロ・アマを問わず、世界中の写真家に影響を衝撃を与えたといいます。実物は、意外と小さかったな~。

4-4.マティス『大きな赤い室内』(1948)

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画面真っ赤です(笑)マティスには良くある絵画なのですが、色使いが全く現実を反映していないという・・・。同世代のブラックやピカソなどが、流行に沿って大きく作風を変化させる中、晩年までそれなりに一貫性を持った画風で徹しました。(途中切り絵に走ったけど・・・)

マティスが何であんなに評価されているのか全く理解もできなかったのですが、実は先日息子の宿題を見てる時にこんなことがあって・・・

マティスは、画家としてのキャリアを積み重ね、画風を試行錯誤する中で、敢えて子供のような感性で常識にとらわれず自由な色彩で描くことで、その独特の魅力を獲得することに成功したんだろうなって。マティスの絵について、1/100くらい理解が進んだ気がしました。

4-5.ピカソ『ミューズ』(1935)

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ピカソは、比較的写実的な絵から、印象派的なタッチ、そして前衛的なキュビズムまで、ありとあらゆる作風を試し続け、常に流行の最先端で評価された人でした。この作品は、あの有名な「ゲルニカ」を描くちょっと前に描かれた作品です。

どこからどう見ても「ピカソ」ってわかるのがもう素直に凄いと思うわけですが、この後に並んでいる抽象的な絵画や彫刻群に比べたら、まだピカソの絵が常識的で、かわいく見えてくるのが現代アートの恐ろしいところかと(笑)

4-6.ジャコメッティ「ヴェネツィアの女 Ⅴ」(1956)

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とにかく色々なところで無意識的に目にした経験が多いと思われるジャコメッティの彫刻ですが、その最大の特徴は、大きく縦に引き延ばされた作風の彫刻です。

ただ、当時アートシーンこそニューヨークの後塵を廃していたパリですが、現代思想分野では、サルトル、ストロース、レヴィナスなど、連綿とワールドクラスの人材を輩出し続けました。この彫刻は、美しさというより、時代の最先端の思潮にフィットしたため、そのコンセプトが高く評価されました。特に、本作品は「実存的な生き方を反映した」と巨匠サルトルに大絶賛されました。どう反映してるかって?うーん、それは・・・(汗)

4-7.アガム「ダブル・メタモルフォーゼⅢ」(1968)

色々な方向から見ると、絵柄が変化する面白い作品。前から、右から、左から見て、全部印象が変わります。錯視や動きを取り入れ、鑑賞者に積極的に作品へ向き合わせるキネティック・アートの力作として、コンセプト的にも見た目的にも面白い作品。

こういう、子供でも直感的に楽しめる現代アート作品はある意味ホッとします。コンセプトはよくわからなくても、最低限楽しめるので。

5.現代アートとの戦いには敗れたが、勝負はこれからだ!

上記の通り、数カ月前に挑んだ村上隆のコレクション展に行った際は、完敗を喫したのですが、あれから5か月。ちょこちょこ学習を重ねる中で、(というか感覚がマヒする中で)、ピカソ位ならもう普通じゃね?的な感じになってきました。ピカソの絵って、なんだかんだで描いている対象物が認識できますからね。

今回の展示会は、特に1945年以降の作品群はやっぱり事前知識なしで理解するのは難しかった。やはり戦後、具象絵画から抽象絵画、また写真、映像、インスタレーションと、アートの幅が急速に広がり、方向性が拡散していく中で、自分自身が知識を押さえきれてない感じ。そういう意味では今回も完敗でした。まだまだ勉強がたらんなーという感じです。

6.まとめ

現代アート界で、日本人で一番商業的に成功している村上隆は、ハッキリと「現代アートは文脈を理解してないと作れないし、楽しめない」その著作の中で繰り返し語っています。

現代アートを何の知識もなくいきなり見に行ったとしても、なかなか単純な「美しさ」は感じられないかもしれません。そもそも、もう「美術」という概念ではなく、「アート」という作家の純粋な自己表現なわけですよね。

それでも、良い作品からは、見たこともない目新しさや斬新さがびしびし感じられることもあります。その中で、気になった作品を作った作家の感性やコンセプトを少しでも共有できれば、現代アートの入り口に立った、ってことでいいんじゃないかなぁと思っています。

現代アートは敷居が高いのは確かです。でも、一番面白い分野でもあると思うんですよね。今回の、この「ポンピドゥー・センター傑作展」は、ちょうど西洋美術が、モダンアートへと一歩踏み出したスタート地点から、現代アートへと進化していくまでのめまぐるしい変化を、パリの美術シーンを通して俯瞰して学べるすごく良い展示会でした。おすすめ!

 おまけ:今回の展示会の予習/復習で役に立ったもの

今回のポンピドゥー・センター傑作展は、手ぶらで行ってももちろんいいのですが、できれば前後に背景知識を入れておけば、より楽しめると思います。いくつか、資料としてよかったものを紹介しますね。

藤田氏の現代アートの説明は、非常に分かりやすく、でも情報量はかなりの量です。僕も、最初この本を2回図書館で借りて読んでから、更に読み返すためにamazonで新品を1冊購入して手元においています。マティス、ピカソから現代アートの巨匠に至るまで、20世紀の現代アートの流れを美術史に沿って網羅してじっくり解説した良本。入門書としてイチオシ。

 

この6/15号で、ポンピドゥー・センター傑作展とタイアップした現代アートの解説特集が読めます。僕は、これを前日に2回読み込んで展示会へ出かけました。事前予習には最適なほどよくまとまっていました。

 

マティスさんのキャリア後半の「切り絵」時代を中心に、ミッフィーがマティスさんのマスターピース達を解説します。・・・というか何の解説にもなってないんですが、肩肘張らずにアートを楽しんだらいいんじゃない?って思えるようになる、心あたたまる絵本です。子供向けの絵本は全くバカにできないのです。

それではまた。
かるび

*1:画像引用は一部を除いて全て東京都美術館のオフィシャルサイトからとなっています。

40歳で無職になって1か月経過した、その率直な感想

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かるび(@karub_imalive)です。

タイトルの通り、40歳で無職になって、1ヶ月が経過しました。

最初、退職した直後は、「あー、やっとこれで終わりだ!明日からゆっくりするぞ!」なんて多少は開放感を感じていたものですが、なんかバタバタしている間にあっという間に1か月が経過。

ちょうど良い機会なので、「中年のオッサンが気まぐれに退職したらどうなったのか?」退職後1か月経過した時点での、僕の素直な感想をブログに書き残しておきたいと思います。長文となりますが、ご勘弁を。

1.40歳にして会社を辞めようと考えた理由

元々、前の会社(中堅Sier)を退職した理由は、概ね以下の通りなんです。

  • 40歳くらいで、1年間程度の長期サバティカル休暇を取りたかった。
  • 会社での起用法や立ち位置、自分のやりたいことがよくわからなくなったので、一度リセットしてみたくなった。
  • 会社に対する愛社精神がなくなった。
  • 40歳でアテもなく無職になるというのは珍しいので、やってみたいと思った

こんなところです。

社会人になって17年間、自分で言うのもなんですが、かなり仕事に打ち込んだと思います。特に、28歳から34歳くらいの間は、平均でも月80H以上は残業をしていた時期がかなりありました。毎日自腹でタクシー、、、みたいな。体力もあったし、自分に迷いがなかったからこそこなせたのですよね。

会社やSierという業界への帰属意識がなくなってしまった今、思い返すと、自分としては異例なほどよく頑張ったと思います。たくさん資格も取ったし、社内ではそれなりに早期昇進して、役員手前までに上げてもらいました。

でも、疲れちゃったんですよね。拾ってくれた前職の社長には物凄く感謝していますが、オーナー企業のサラリーマンの正社員なんて、多かれ少なかれ上に上がっていけば行くほど働き方は裁量の余地が狭まり、言葉は悪いですが、「奴隷」みたいになっていきます。昇進しても、逆に業務量と種類だけ増えていく毎日。やりたい仕事は後回しにして、得意じゃなかったり、あんまりやりたくない仕事を会社指示で優先して取り組まざるを得なかった。戦国武将の家臣のようでした。儲かっている会社で、経営は安定しているんですが、社長の経営理念に対して共鳴出来ない点が年々増えていくときつかったです。前職最後の数年間は、人のお世話ばっかりで、自分を殺して仕事をせざるを得ない環境でした。まぁ当たり前っちゃ当たり前のことなんですけどね。

また、無計画に資格やスキルだけつけていっても、会社にいいように使われるだけなんです。弱気で主体性がなかった僕は、知らず知らずに会社で「使いやすいオールマイティ要員」となっていました。とにかく何でも一通りそこそこはこなせるんだけど、何者でもない存在になってました。

いや、会社や回りはどう思っていたのかは知りません。でも、自分の実感としては、常にそんな感じだったんですよね。そんな微妙な感覚のまま7,8年我慢したのですが、もうどう頑張っても毎日が灰色になってしまったので、思い切って病気になる前に休むことにしました。

こういう時、欧米だと、「サバティカル休暇だ」ってことで、たとえば勤続10年以上の中堅社員等をその有資格者などにして、もちろん無給でしょうけど、会社に正社員として籍を置いたまま長期リフレッシュとしての休暇を取得できたりするんですよね。

自分も、できればそうしたかった。でも、まぁ日本の中小企業で、ましてや人手が圧倒的に足りないSierでしたので、状況的にそれは許されなかった。会社にムリを言って同僚などに迷惑をかけるよりは、さっさとやめて自主的に休みを取ったほうが現実的かなぁ、というわけで、4月末に退職し、今に至る、というわけです。

2.周りの反応は結構厳しかった

それで、退職前は、当初、「やめるんだよ」という話を無邪気に色んな所で話していました。今となっては、それはうかつだった。日本という村社会をなめてはいけない。

意外と、一般人の集まりでは引かれてしまうことが多かったんですよね。例えば、保育園のパパ友、ママ友の前で「やめることになったんですよね。え?次?全然考えてないですよハハハ」とか言うと、気まずい空気が流れ、会話がストップしちゃう(笑)

あぁそうかと。そこでやっとわかりました。世間的には「40歳で正社員の職を捨てて無職になる」っていうのは基本的には常識はずれなんだなと。それがなんとなく体感できてからは、自分の嫁の両親にも怖くて退職したことを開示していません。

3.他では言えないので、ブログで本音を書くことにした

でも、逆にいうと、せっかくこういう酔狂なことをやっているんだったら、ブログで定期的に状況報告して、同じようなことをやっている人や後続の人たちに参考になればいいよね?とも思いました。

今後、どうなるかは全く不明です。

再就職するのか、フリーでやるのか、そのまま専業主夫になっちゃうのかは展開次第。場合によっては結構苦しむことになると思うんですが、それはそれで、読者の皆様には人柱、反面教師として役には立つかなと。不快にならない程度で正直に色々ここで書いていきたいなと思っています。

4.退職して1か月、無職中に何をやったのか

退職したらやってみたいことがいくつかあったのですが、せっかくだから自分の後半生につながるヒントを少しでも得られればなぁと。その為には、色々これまでやってこなかったことをやっていこうと思うんですが、今は、主にこの3つをやりたいと思っています。

4-1.読書ざんまい

元々本は大好きだったのですが、ここ数年、知らず知らずに仕事で心を損耗してしまっていたのか、自分の心に滋養をあたえたり、本当に教養をつけるような実のある読書ができていませんでした。(損耗する心への一瞬のカンフル剤として、スピ本や自己啓発本はたっぷり読んでいましたが、今となっては当然何も残っていない)

幅広く教養を身につけるため、様々なジャンルの本の多読・乱読・精読をして自分の見聞と知識を広げたいです。5月は、なんとか50冊程度読むことができました。月100冊は読めるようにしたい。良かった本は積極的にブログで紹介したいな。

また、毎日朝にコンビニで新聞を買い始めました。本物の教養や知識が全然身についていない状況をなんとかしたいからです。大学時代~社会人になってから、ほとんど蓄積がないので、みんなが読まなくなってきた今こそ、新聞が逆張り的に面白いかなと思ってます。

4-2.新しい趣味

元々、多趣味でいろいろ首を突っ込むのですが、去年からはまっている美術鑑賞と落語に集中的にこの1年間でハマってみたいと。5月は、美術展には6回、落語会も5回通うことができました。本当に好きな人は毎日のように寄席や美術館に通う猛者もいっぱいいるみたいですが、無職なのでこれくらいで。

4-3.ブログ

僕は、ネット上での活動は結構長いんです。もともと大学生の頃から、2chや、テキストサイトに入りびたってました。特に、20代後半~30代前半位までは、趣味のヘヴィメタルで、ネット経由で頻繁にオフ会に出たりしてました。社会人になってたので、ロン毛にはしなかったけど。「かるび」というのはその時適当に考えたハンドルネームです。焼き肉がすきだったから、って言うそれだけの理由(笑)また、これは個人的には黒歴史的ですが、30代後半からしばらくは、Facebookでの交流も結構やっていました。

で、そういった交流を通して親しくなった人から、よく「ブログやりなよ」「HP作りなよ」と何度も誘われました。僕の悪い癖ですが、優柔不断なところがあって、ブログについても、やってみようかな、でもめんどくさいな、と逡巡し始めてからが長いんです。やってみたいなと思ってから、15年以上経過していました。40歳になって、「あ、やばい、そろそろやらないと」と急に目が覚めたように立ち上げたのがこのブログです。

幸い、この5月には通算100万アクセスも達成できたし、結構こんな内容でも見に来てくださる方がたくさんいらっしゃいます。ありがたいことです。

せっかく無職になったことだし、もう少し更新頻度を上げて、もっと些細な日記レベルの話だったり、普段の学びや気づきを小さなことからガツガツ書いていこうと思います。ダメな記事もたくさんアップするかもしれませんが、その時にいただく厳しいブコメなども非常に自分のためになるので、いずれにしても学びにはなるんですよね。

5.40すぎの無職生活のメリットとデメリット

良かったこととしては、自由な時間が出来たことです。この時間を使って、色々勉強ができるのは本当にありがたい。そして、何やるにしても混雑しないのも良いところ。美術館は常設展なら空間独り占め状態ですし、落語の寄席にも昼間から入れます。図書館も余裕で席が確保できるし、温泉もガラガラ。電車も座れます。

しかし、社会的にはメリットよりデメリットのほうが大きいですね。まず、対外的に親しくない人達、初対面な人、学校のPTAや義理の両親などに、今どんな仕事をしているのか?という話は当然ぼかさないといけません。言い訳をするのは意外と面倒です。

また、カードは作れないし、多分家も借りられないと思います。近々引っ越しをしたいと思っているのですが、世帯主は収入のある妻にしようと思っています。

もう一つデメリットを挙げるなら、圧倒的に誰かと話をする機会が減りました。在職中は、管理職で、かつ営業兼採用担当だったこともあって、毎日何かしら来客対応や会議等の調整業務が目白押しでした。それが全くゼロになったのです。

退職後、1か月経過して、すでにもう舌が回らなくなってきている・・・。使わないと退化しますね。毎日子どもと妻としか話さないです。このまま、なまってしまったらどうしよう?とか考えて、近い将来趣味の社会人落語サークルでも入ろうかなって思ってます。

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6.40で無職になったらだらけてしまうのか?

退職する前、会社でお世話になった上司から念を押されるように言われました。「おまえ、絶対会社辞めたらだらけるぞ。食って寝て飲んで、また食って寝て・・・っていう生活にだけはならないようにしろよ?!」

実のところ、退職前は、自分もだらけない自信が全くなかったです。過去、大学時代はありえないほどだらけた5年間(留年してる)を送った自負があるので、ひょっとしたらだらけちゃうかなぁと思っていたのですが、、、フタを開けてみたら、全く逆でした。

朝は大体6時起きで、起床したらすぐ読書。子供が起きたら子供の朝ごはんの世話をして、学校に送り出す。続いて、洗濯・掃除を妻の代わりにやって、10時頃から時間ができたら図書館に行ったり、美術館に行ったり。午後前に帰宅したら自炊して、また読書。夕飯を作って、子供を風呂に入れて、ブログ書くか、読書して寝る、、、みたいな。だらけるヒマがありません。

元々、サバティカルはMAX1年間限定で、って決めていたからなのか、人間、限られた時間でやりたいことをやっている時は、だらけないものですね。

あるいは、年を取ったからなのかもしれません。これが20代なら、まだ時間は無限にあるように感じられて、無責任にダラダラしちゃってたとは思うのですが、40歳になって強く意識するのは、やっぱり残りの人生の時間数なんですよね。最近、ハダの張りも少し落ちてきたのを感じるし。場合によっては、もうそんなに後がないんです。

だからこそ、この休暇期間中は、自分に投資して、その後の土台を作っておこう、後悔しないようにやりきろう、という気持ちが無意識にあるんだと思います。

さらに、もう一つ挙げるならば、やはり子供がいるということ。この4月から、子供が小学生に上がって、朝7時50分には学校に行くようになりました。なのに、父親が子供よりも遅く起き出してきて、毎日だらけている姿はやっぱり見せられないです。子供って、本当に親のやることをよく見ているんですよね。

7.まとめ

退職したからといって、ユートピアみたいに自由で心が楽になったか?っていうとそうでもなかったです。自分で選択して無職になったとはいえ、その後再就職できるのかな?とか、あるいは、自分でフリーランスでやっていくにも仕事もらえるのかな?とかやっぱり毎日のように考えてしまいます。

今のところ、妻が結構高収入なため、最悪自分がずっと無職でも家族が困ることはないのですが、やはり無意識に「男はやっぱり働いてなんぼ」という刷り込みも強力です。働いていないと、このままでいいのかな?なんていう罪悪感も感じたりします。

よって、会社を辞めたからといって、そんなに心境的に緩めるような感じでもなかったのかな、というのが、会社を辞めて1か月たった素直な印象です。

今後、このブログでは、1か月か2ヶ月に一度程度、「40歳で無職生活となったあと、どうなったか?」みたいな経過報告をしていこうと思います。露悪趣味だ、と言われればその通りですが、自分にさぼらないようプレッシャーを与える、という一種の自戒の意味も込めて、ブログに書いていこうと思います。
ということで、今後も皆様よろしくお願いいたします。

それではまた。
かるび

PS 
続編エントリを書きました。もしよければこちらも見てやってください。より踏み込んで実情を書いたのですが、割とブコメでお叱りを頂くこともありました。もしよろしければ、読まれた後にブコメでもコメント欄でもどんなものでもいいので感想をいただければ幸いです。 


 

 

書見台(ブックスタンド)は読書の友。劇的に読書生活がはかどるよ!

かるび(@karub_imalive)です。

最近、長いエントリが多くなっていたので、たまには短めの日記スタイルで。(なんか以前もそんな反省をしたような・・・)

さて、最近自主的に会社を退職してから、1年間空いたフリーな時間で「読書」に集中的に取り組んでいます。乱読・多読なんでもありのスタイルなのですが、自分に課した課題として、以下のとおりとしました。

  • 基本は良書を精読する。読書記録をつける。
  • 良書は必ず一度は近いうちに最低1回は読み返す。
  • 2周目は、Evernoteに要点を抜き書きして読書記録をつける

その辺りのマイルールは、以前このエントリに書いたとおりです。

で、現在それを愚直にやっております。また別のエントリでまとめたいと思っていますが、1日1冊~2冊ペースで読み進み、5月はなんとか50冊ちょっと読むことができました。だてに会社に行ってないだけあります。

問題は、その後。

マイルールとして、「良書は要点を抜き書きする」と決めたのですが、この時に、本がきちんと開いていてくれないんです。何かで無理やり押さえていないと、本が閉じてしまい、作業ができない。

それで、空いている手とかその辺にある重しを使って、抜書をしたいページを固定しておくのですが、作業に集中できなくて、イライラとストレスがたまるんですよね。たとえば、こんな感じ。

手で必死に押さえながら作業をするの図f:id:hisatsugu79:20160608122354j:plain

重しで本を固定するの図(パソコン使って固定)f:id:hisatsugu79:20160608122552j:plain

まぁ本を切り裂いたり、強烈に折り目をつければいいんですが、それだと本に致命的なダメージがあるし、そもそも図書館で借りてきたような本にはそれもできないと。

最初は、読書用の鉄製のクリップなどで開きっぱなしにしていたのですが、一つ大きな欠点が。紙や折り目や、クリップを外した跡に細かい傷をつけちゃうんですよね。f:id:hisatsugu79:20160608125222p:plain(引用:BookClip(ブッククリップ)/快読ショップYomupara

それで、色々考えた結果、そうだ、書見台(ブックスタンド)を一度試してみよう、ということで、ネットで探して、amazonで単純に一番上に表示された「ベストセラー」だってことで、購入したのが、これ。

 

使用例としては、本当に簡単・単純でした。こんな感じです。書見台に本を置いて、二つのストップホルダーで本を固定するだけです。f:id:hisatsugu79:20160608123002j:plain

こんな感じで、本を書見台に固定して、Evernoteに抜書きしていくのですが、それまで、手で押さえたり、そのあたりにあった重しを本に置いて固定したりという煩わしい作業から解放され、思考に100%集中できるようになったのは、すごく嬉しかった。精読作業が嘘みたいに捗ります。

しかも、本を固定するストップホルダーの先端が丸くなっていて、紙面を傷つけることもありません。

そして、大きい本から小さい本まで、万能に対応してくれます。一番フィットするのは、中くらいの本。(※大きさ比較のために、スマホを隣に置いています)f:id:hisatsugu79:20160608121312j:plain

中くらいの本が、一番書見台にフィットします。f:id:hisatsugu79:20160608121411j:plain

図書館で借りてきた本でも、傷つけること無くしっかりホールドしてくれます。ちなみに、精読しましたが、僕がマティスさんの芸術を理解するには、まだまだ時間がかかるみたいです。f:id:hisatsugu79:20160608121419j:plain

 つづいて、文庫とか新書みたいな小さな本。今回は、文庫本を使います。f:id:hisatsugu79:20160608121440j:plain

書見台の上におくと、こんな感じ。f:id:hisatsugu79:20160608121456j:plain

ストップホルダーの位置は、中くらいのハードカバーに一番最適化されているので、若干ストップホルダーの位置合わせは気を使いますが、フィットしています。少なくとも手で押さえつけておくよりは100倍マシです。f:id:hisatsugu79:20160608121527j:plain

最後に、大型本。今回は、30センチ以上の本で試しました。これまた、図書館で借りてきた本です。f:id:hisatsugu79:20160608121558j:plain

書見台本体より大きく、本が台からはみ出していますが、不安定な感じでもありません。本の重みで書見台が倒れたりすることもないです。f:id:hisatsugu79:20160608121626j:plain

しっかり固定されています。大きくても大丈夫でした。f:id:hisatsugu79:20160608121705j:plain

・・・と言った感じです。

で、実際はこんな感じで目の前にノートPCを置いて、その横に書見台を置いて、書き物をする感じ。ちょっと背景が見苦しくてすみません・・・f:id:hisatsugu79:20160608121811j:plain

ちなみに、書見台に置くのは、本だけとは限りません。iPadとか新聞なども置いたりできるのです。f:id:hisatsugu79:20160608122001j:plainf:id:hisatsugu79:20160608122018j:plain

うん、まさに万能ツール。応用範囲が広いです。

まとめ

書見台って、ライターさんや、研究者、翻訳家、編集者など、専門職や出版業界の人なら当たり前のツールなんでしょうけど、自分が無知だったのか、40歳になるまでその存在すら知りませんでした。

ネットで調べてみたのですが、専門職の人以外で、読書用に書見台を購入してガンガン使っているところをアップしているブログって、意外に少ないんですよね。なら、これは是非とも自分が書見台を広めなければならん!と一念発起して、ちょっと書いてみることにしました。

僕は、結構文房具なんかでも、新製品が出たら割とマメに試してみたりする方です。でも、大体は「うーん、いまいち」となるようなものが多いんですよね。でも、ごくたまに、ドラスティックに事務効率を高めてくれる自分だけのツールがみつかるんですよね。

そういう意味では、この書見台との出会いは、本当に嬉しかった。読書生活のクオリティを劇的に高めてくれる、こんな有用なツールがあったとは。

ほんと、学生時代にレポートを書く時とか苦労して本を手で押さえつけたりしてて、一体アレは何だったんだ、って感じです。

 みなさんも、是非興味があれば導入してみてはいかがでしょうか?読書生活が、劇的にはかどりますよ!

それではまた。
かるび

映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」試写会行ってきました!

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かるび(@karub_imalive)です。

先週金曜日、美術ブロガーの大御所、ブログ「青い日記帳」のTakさん(@taktwi)に声をかけていただき、今年7月に公開予定のドキュメンタリー映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」試写会に行ってきました。非常に良かったので、感想を書いてみたいと思います。

1.本当は卒業旅行で行くはずだったフィレンツェ

もう18年前の話になります。大学卒業時に、仲の良い友達と卒業旅行に行くじゃないですか。自分も、非常に楽しみにしていて、当時サークルの親友二人(留年組/笑)と企画していたのですが、個人的な金銭的事情から、土壇場で僕だけ行けないことに。

ヨーロッパなんて、そうそう時間も無ければ思い切って旅行に行けないですからね。僕の回りほとんどが、エッフェル塔に行ったり、ストーンヘンジ見たり、システィーナ礼拝堂に行ったりする中で、僕はといえば、卒業間際の2月、3月は奈良ジャスコにて時給750円でレジ打ちバイトをしていました(泣)

それから17年。時は流れ今に至ります。社会人になって、随分と仕事でも海外に行かせてもらい、海外で面白おかしい経験もたくさんできたのですが、唯一心残りなのが、まだヨーロッパに行けていないこと。

妻と美術館に行ったり、テレビで「美の巨人たち」などの美術番組を見るたびに、ローマやフィレンツェ、ヴェネツィア、パリなどの映像が映るわけです。すると、その度に、妻の発する無邪気な(?)「あ、私ここ卒業旅行で行ったよ~」という一言。「ふーん、そうなんだ」と平静を装いつつも、心のなかでは地団駄を踏みつつ、子供もようやく小学生になったので、そろそろ本気で見に行かねば、と旅行計画を練っているところでした。無職になって暇だからね。

そんな折、冒頭のタケさんから、今回の、フィレンツェをテーマにした美術ドキュメンタリー映画の試写会の話をいただき、こりゃちょうど旅行の良い下見になるし、行くしかないな?と、喜び勇んで行くことになったわけです。

2.実は試写会に参加するのは初めて

映画は年に5,6回シネコンなどで洋画を中心に見るのですが、試写会に参加するのは実は初めて。よく、映画が終わった後のステマ的インタビューみたいなカメラを向けられたらどうしよう、その時はダッシュして逃げよう・・・とか自意識過剰に構えていったのですが、まぁそんなのはなかった(笑)

試写会専門の「試写室」っていうのがあるんですね。いや、全然知らなかった。今回試写会が開催されたのは、月島の倉庫みたいな一角を使った「BMS試写室」という所。

大江戸線月島駅から歩いて数分なのですが、これがまた素敵に迷いやすいところなわけです。案の定、入り口にたどり着くまで数分間ロストいたしました。

中はこんな感じです。
試写室と言っても、全部で60席くらいの小規模なものでした。f:id:hisatsugu79:20160608010414j:plain

ソファの大きさは明らかに通常の劇場よりも一回り大きく、フカフカしてます。f:id:hisatsugu79:20160608010456j:plain

今回は、3D映画ということで、このようなメガネを掛けての鑑賞となります。f:id:hisatsugu79:20160608010553j:plain

60名ほどの定員の中、定刻になり、半分の30名位が集まって、試写会が始まりました。

3.どんな映画なの?

映画のカテゴリとしては、ドキュメンタリー映画です。というより、超豪華音声ガイド付き4K・3Dヴァーチャル美術館ツアーといったおもむきです。

今回の映画では、メディチ家が一番栄えたルネサンス期を中心に、14世紀~17世紀でフィレンツェで生み出された建造物・壁画・彫刻・工芸品・絵画などを、ウフィツィ美術館を軸として、順番にヴァーチャル・ツアーで回って見ていきます。

予告編が、オフィシャルで公開されていますので、貼っておきますね。


映画『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D・4K』予告編

映画全編を通じて進行役を務めるのは、サイモン・メレルズ扮するメディチ家のロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)。絶頂期のメディチ家当主をわずか20歳で継ぎ、その圧倒的な財力でフィレンツェの芸術家を庇護し、ルネサンス最盛期の美術・芸術を後世に残しました。治世晩年になり、宣教師サヴォナローラの反動的な宗教改革運動により、晩年にはフィレンツェを追放されてしまいました。まさに激動の時代を生きた人でした。

ロレンツォ・デ・メディチ
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そして、作品の解説役としては、ウフィツィ美術館長アントニオ・ナターリが起用され、たっぷりと各作品を解説してくれます。いいな~。知性あふれる一流文化人オーラがビンビンに出ている人です。こういう年の取り方をしたい。

http://i.res.24o.it/images2010/SoleOnLine5/_Immagini/Cultura/2012/03/Col-vaso-Medici.-258.jpg?uuid=43055288-6deb-11e1-b2e5-2d3508b6898c
(引用:http://i.res.24o.it/images2010/SoleOnLine5/_Immagini/Cultura/2012/03/Col-vaso-Medici.-258.jpg?uuid=43055288-6deb-11e1-b2e5-2d3508b6898c

4.映画のみどころは?

4-1:3D技術・4Kハイビジョンなど最新技術を駆使したリアルな映像

 

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3D、4K、ドローンでの至近距離からの撮影など、最新の撮影技術・手法を駆使して撮影されているので、非常に映像はリアルです。さながら現地に行って作品を見てきたかのような錯覚になりました。

生でその場で作品と対面した際の臨場感には一歩及ばないものの、書籍やネット画像で見るものとは違い、リアルな立体感がしっかり感じられました。特に、肉眼ではきっちり見えないような天井画や壁画の細密に描かれている部分や、空中から見た建築物などの全体像などは、映像ならではの良さが出ています。

4-2:前作「ヴァチカン美術館 天国への入り口」からの改善点

実は、本作に先駆け、2015年春、ローマのシスティーナ礼拝堂などを特集した「ヴァチカン美術館 天国への入り口」という作品が上映されていました。今回と同じ3D、4K技術を駆使して撮影された作品です。

ただ、Yahoo映画のコメントなどを見ていると、それほど満足度は高くなかったようなんですよね。

たとえば、「上映時間60分ちょっとで2,000円弱は高いんじゃないの?」とか、「ナレーターがいまいち」と不満も上がっていました。また、そもそも大阪では3D4Kを表現できる映画館がなく、仕方なく2Dで見た、、、という話もありました。

今作では、それら問題点にもある程度改善されているようです。上映時間は全97分と拡大し、日本語ナレーションでは、「美の巨人たち」ナレーターの小林薫を起用するなど、日本の美術ファンに違和感がないように工夫・改善されています。

4-3:ダヴィンチ未完の傑作「東方三博士の礼拝」修復現場ルポ

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(引用:https://cinema.ne.jp/news/uffizi2016053010/florence_sub3/

生涯、寡作で有名だったダ・ヴィンチですが、描きかけで絶筆となった「東方三博士の礼拝」という作品があります。この作品は傷みが進み、2011年からフィレンツェの修復専門工房にて、大規模な修復作業に入っています。

その修復がもうすぐ終了し、今年中には展示再開される見込みなのですが。その修復状況についてのリアルな現場が取材されています。ダ・ヴィンチの作品は、何度もキャンバスの上で本人が上書きを重ねて制作されるなど、後からの修復作業は非常に困難を極めたようですね。

5.映像で紹介された主な作品

今回、映像で紹介される主な作品は、オフィシャルサイトで予め紹介されています。そして、こちらが作品が点在する場所。有名なスポットから、まんべんなく作品が紹介されています。*1f:id:hisatsugu79:20160607201243p:plain

ここから、特に気に入った作品群を少し個人的に紹介したいと思います。(ところでこれってネタバレっていうのかな・・・)

5-1:ミケランジェロ「ダヴィデ像」

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全長4メートルもあるとは知りませんでした。システィーナ礼拝堂の大壁画にしろ、巨大彫刻にしろ、その美しさは当然として、これを一人で作り上げてしまう根性には恐れいりました。様々な角度から、至近距離で撮影されたダヴィデ像を堪能できますよ。

5-2:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

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建設当時、ヨーロッパ最大だった大聖堂。ブルネッレスキが設計した斬新な二重構造のドームに、ドローンを飛ばして、通常なら難しそうな角度から撮影を試みています。見えない角度からみても、手抜き箇所は当然なく、建築物の壮麗さが際立って印象的でした。

5-3:ブランカッチ礼拝堂壁画 マザッチョ「楽園追放」

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(引用:Facciamo una pausa♪

壁画に描かれた初期ルネサンスの代表的な画家、マザッチョの「楽園追放」では、ルネサンス期以前で描かれることがなかった人間のリアルな表情や、よりリアルな立体表現が見どころです。

5-4:ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」

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西洋絵画で、まだ実際に見ていない絵画のうち、個人的に、今一番見てみたい作品です。これ、2008年来日時には見逃してるんですよね。後世の美術家たちの作品を見ていると、これに影響を受けたんだろうなぁという作品がいっぱい。ティツィアーノの代表作にして最高傑作だと思います。

5-5:ベンベヌート・チェッリーニ「メデューサの頭を持つペルセウス」

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(引用:http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-331.html

こういうのが普通に広場に鎮座してるのが、イタリアの凄い所だと思います。まぁ日本でも上野公園にいけば西郷隆盛像とかあるにはありますが・・・

5-6:その他有名絵画たち

その他、ダ・ヴィンチ「受胎告知」「アンギアーリの戦い」、ボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」など、フィレンツェの美術館に収蔵されている有名絵画達はしっかりと網羅されています。

それぞれ、リアルな3D画像と、アントニオ美術館長の詳細な解説が入りますので、お楽しみに。これら絵画については、いずれ待っていれば、生きている間に日本に何回か来てくれるでしょう。そのための予習にも最適ですね。

6.感想とまとめ

今回のドキュメンタリー映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」は、最新技術の粋を尽くして極限まで「ライブ感」に迫ろうとしています。そして、全くの美術館初見の視聴者にもわかるように非常にわかりやすい語り口で解説されており、美術ファンとしては非常に満足しました。

わざわざ美術作品を「映画」という形で見なくてもいいじゃないか。という見方もあるかもしれません。所詮、映像で見た印象は、実際にライブでナマの作品と向き合った時の臨場感には勝てませんから。

また、美術展に関しては、日本は恵まれています。待っていれば、いつかは東京か京都に運ばれてきて、展示会で見ることが出来ると思います。実際、今回の映画でも紹介されたボッティチェリの「春」やダ・ヴィンチの「受胎告知」、カラヴァッジョのメデューサの盾など、大物作品であっても、普通にここ10年で東京に来ていますから。

でも、壁画や彫刻、ステンドグラスなどの大型工芸品、そして建築物なんかは、どう見ても日本に持ってこられないわけで、こういった五感に訴えるリアルなヴァーチャル・ツアーは時間・場所を超えてどこでも安価に芸術鑑賞を楽しめるという点で、非常に貴重な機会だといえます。

公開は、7月9日よりシネスイッチ銀座他で始まります。技術的な制約や、作品のメジャー性から、公開される劇場は限られてしまいますが、機会があったら是非足を運んでみてください。良いドキュメンタリー映画でした。そして、Takさん、本当に良い機会をいただきありがとうございました。

【7月15日追記】
7月13日~10月10日にて国立新美術館(東京)、10月22日~2017年1月15日で大阪国立近代美術館(大阪)
で、アカデミア美術館所蔵「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展がスタートします。今回映画でフィーチャーされるフィレンツェとはまた違う流派のイタリア・ルネサンスの名画を集めた展示会です。もしよければ、こちらも足を運んではいかがでしょうか?

それではまた。
かるび

*1:アカデミア美術館からは、そういえば7月13日から国立新美術館「アカデミア美術館展 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」が始まりますね。これも楽しみ。

「幸せの国」ブータンがまるごとわかる?!ブータン展@上野の森美術館に行ってきました

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かるび(@karub_imalive)です。

5月に退職してから、すっかり落語会と美術展とクラシックのコンサートに出かける日々が続いています。さて、6月に入って最初に行った展示会は「ブータン展」でした。結構良かったので、以下内容を紹介したいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安

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平日の昼間から入ったので、貸切状態かな?と思ったらそうでもなく、それなりに人が入っていました。結構どうみてもこれは仕事中だろうとおぼしきサラリーマン風の人が多かったです。ブータン展に癒やしを求めているんだろうか。

展示会はコンパクトにまとまっており、速い人なら1時間以内に見終わると思います。僕も、1時間45分と、2時間以内に見終わりました。

2.音声ガイドは鶴田真由

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上野の森美術館といえば、展示規模はそれほど大きくないので音声ガイドとかあるのかな?と思って行ってみたら、ちゃんとありました。ガイドには女優の鶴田真由を起用。

鶴田真由といえば、数年前からNHKBSのドキュメンタリーで、キューバやミャンマー、あるいはミクロネシアの小国など、世界中の開発途上国などマイナーな外国に行きまくっていますが、ブータンには2008年と今年、2回行き、国王にも謁見しています。

今回は、そのあたりの実績を買われて起用されたのでしょう。

鶴田真由って、音声が割と癒し系でいいなと思いました。もう40代後半なのですが、年齢の割に声が若い。いい年の取り方をしていると思います。

3.ブータンってどんな国なの?

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ブータンは、この図の通り、インド、中国(とバングラデシュ)に囲まれた山岳地帯の小国です。人口はわずか75万人程度と、国家というよりどこかの地方都市レベル。

日本とは1986年に国交が樹立され、2011年にはブータンの現イケメン第五代ワンチュク国王と王妃が来日し、国会で演説を行ないました。来日中は、皇室との交流や震災被害地の視察もされていましたね。

イケメン5代目 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王

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来日時の国会演説。展示会出口前で放映されていました。

日本人にとって、ブータンのイメージって言うと、「秘境の山岳国」という漠然としたイメージしか無いと思います。あまりブータンという国が知られていないのは、一つは小国だからということもありますが、もう一つは、歴史的・政治的理由から、21世紀になった現在も半鎖国状態が継続しているからです。

例えば、ブータンへの入国には、全員が旅行計画書を政府に提出し、1日250USドルの供託金を支払って同行ガイドの監視付きで行動しなければなりません。外国人観光客には非常に不便な国です。

しかし、隣国のチベットが中国に占領され、また同じく隣国(だった)山岳国、シッキムがインドに武力を背景に併合された歴史を見てきているため、こういった特殊な少国家が21世紀まで生き残っていく為の戦略としては、致し方ないものがあるかもしれません。

副題に、「しあわせに生きるためのヒント」とあるとおり、ブータンでは、4代目国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが1972年に「経済成長よりも、国民一人ひとりの幸福をめざそうよ」っていうことで、GDP(GNP)に代わる、GNH(国民総幸福量)という指標を掲げました。

このGNHという考え方では、いわゆる物質的な成功だけでなく、精神的な満足、自然との調和といった、貨幣価値として計量が難しい概念も積極的に国民一丸となって追求していく、と謳われています。

後進国として、大国に挟まれながら国家独立を維持し、内政を安定化させるにはこうした特殊な国王を中心とした開発独裁体制を取らざるを得なかったわけですが、ブータンの幸運だったところは、歴代の国王が政治家としてバランス感覚があり、有能だったこと。後発の開発途上国特有の難民問題等、負の遺産は確かに残ってはいるものの、伝統的な仏教的価値観に基づいた、王様による一種の中世的な徳治主義が有効に機能したということなんでしょうね。

4.ブータン展のコンセプトとは

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今回のブータン展は日本・ブータン国交樹立30周年事業の目玉として開催が決まりました。ブータンの人々の古来から大切にしている伝統的な仏教文化に基づいた民族衣装や、仏教行事で使用する仮面などの道具、それから仏像や仏画といった美術品が展示されています。

先述した通り、ブータンは経済的・商業的な国際競争から一線を画し、代わって仏教精神に根ざし、自然と調和して物心両面で本当にゆたかな国になる目標をかかげ、その成功や達成の度合いを、GDP≒経済成長で図ることを放棄しました。

その独自の幸福追求の在り方を直接ガツガツ学ぶのではなく、まずは、素朴にブータンの人達の生活や文化、美術に触れてみようよ、そこからなんか幸せに生きるためのヒントがあるんじゃないの?というのが今回の展示会のコンセプトです。

5.展示会の内容について

今回の展示会は、1Fフロアは写真撮影がOKでした。入り口の1Fでは、まず主にブータン独自で発達した仏教行事の「チャム」で使用する仮面の展示から始まります。ブータンでは、仏教を国民に浸透させるため、難解な仏法や経文の内容を踊りで表現することにより、わかりやすくしました。教えの違いごとに8種類の異なる仮面を付けて踊る、宗教的な仮面舞踊が発達しました。f:id:hisatsugu79:20160604083211j:plainf:id:hisatsugu79:20160604083220j:plain

このあたりの仮面のデザインは、東洋的なものを感じました。日本にそのまま持ってきて、なまはげや獅子舞の中に混ざっていても何の違和感もありません。

これを着て、こんな感じで踊ります。f:id:hisatsugu79:20160604083724p:plain

(引用:ブータン ~しあわせに生きるためのヒント~ <オフィシャルサイト>

いや、これは中の人は暑いだろうな。と思ったら、案の定、展示物から使い込んだ剣道の防具によくある汗臭い匂いがしていました(笑)

仮面のコーナーを抜けると、宗教的な公式行事や儀礼に使う刀剣類、アクセサリー等の展示が続きます。f:id:hisatsugu79:20160604084235j:plainf:id:hisatsugu79:20160604084249j:plain

つづいて、人々が公共の場で着用が義務付けられている男女の民族衣装展示がありました。1989年より、民族としてのアイデンティティを守り、国内繊維業界を保護するため、勅令により、国民は公共の場で男性は「ゴ」、女性は「キラ」という民族衣装の着用が義務付けられました。

衣装は、王族が着るような絹製の最高級なものから、ヤクの毛や綿、イラクサなど様々な原料を用いて作られていますが、そのパターンの豊富さや、デザインの独自性はブータンならではのものがあるそうです。

女性用民族衣装「キラ」f:id:hisatsugu79:20160604085150j:plain

こちらでは、マネキンを使った展示も。f:id:hisatsugu79:20160604085234j:plain

これら民族衣装は、基本的には機織り機を使った手作業での地道な作業により作られているそうです。複雑なデザインの衣装は、1日1センチ程度しか織れないものがあるんだとか。f:id:hisatsugu79:20160604085406j:plain

2Fに上がると、仏像や仏具、そして曼荼羅に似たチベット密教独自の宗教画「タンカ」と言われる仏画などの美術品が展示されていました。18世紀頃から、20世紀初頭までの、ブータン王立国立博物館に展示されている貴重な展示品が並べられています。

残念ながら、2Fの展示からは撮影禁止となります。

グル・ダクボ立像
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おすすめは、仏画「タンカ」です。ちょうどアフガニスタン展で、インド系の仏様を見てきたばかりだったのですが、ブータンの仏様は、どちらかというともう少し東洋系。インドの香りも漂ってきますが、どちらかというと我々が普段京都や奈良などでよく見る仏像に非常によく似ています。

ドルジェ・チャン父母仏タンカ
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様々なタンカが掲示されており、釈迦や菩薩をテーマにしたものから、ブータン建国にかかわった歴史上の重要人物や仏教普及に大きな貢献をした高僧をセンターに据えたものまで、多種多様なものが展示されていました。

面白かったのは、死んだ高僧や建国の偉人達がみんな仏教上の重要人物として崇められる点は、日本の仏教や神道と同じで、そういうところにも日本との類似点を強く感じました。

驚いたのは、非常に細密に描かれた繊細な仏画が、ガラスケースもなく至近距離でガツガツ見れる点。若冲展で遠くガラスと人の壁に阻まれ、ちゃんと細かく見れなかった鬱憤をここで晴らしました(笑)

聞いた所によると、ブータンの王立博物館で陳列されている時は、ちゃんとガラスケースに入って保護されているんだとか。至近距離で見れるのは、ここ日本だけです!

6.まとめ

全体的な感想としては、極力政治色が弱めに打ち出され、代わって生活文化やブータン独自で発展した仏教文化・美術がカジュアルに展示された、地に足がついた良い展示会だと感じました。

この展示会の前に、書店や図書館で予習のための文献を漁ったのですが、旅行ガイドブックはないし、文献は少ないし、あっても古いか、個人的な体験談がメインとなる旅行記ばっかりで、さっぱり予習ができませんでした。

そういう意味でも、今回の展示会は何の予習や事前知識がなくても、見て回るだけでゼロから展示物を理解できるよう、わかりやすく展示されていてよかったです。

アジア最後の秘境となったブータンが少し身近に感じられるようになる、非常に良い展示会でした。おすすめです。

★今後の巡回予定

今回のブータン展は、上野の森美術館を皮切りに全国地方の美術館5館を1年以上かけて回っていく予定が組まれています。東京含め6箇所を巡回する息の長い展示会です。

2016年7月30日(土)~9月19日(月・祝)愛媛県美術館 
2017年1月28日(土)~3月5日(日)岩手県民会館 
2017年3月18日(土)~5月15日(月)山梨県立博物館 
2017年7月1日(土)~9月3日(日)兵庫県立美術館 
2017年11月2日(木)~12月24日(日)広島県立美術館

それではまた。
かるび

サイレントお祈りはなぜ横行するのか?~企業がお祈りメールすら出さない理由とその対策~

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かるび@元中小Sier採用担当です。

今日、Yahooのトップページを見ていたら、こんな記事がありました。

記事によると、毎年の新卒採用において、40%近くの大企業は、採用面接終了後に学生を落とす際、メールや電話等の通知すらよこさないといいます。

通常、採用選考に落ちた際は、その企業から「◯◯さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます」で締めくくられた通称「お祈りメール」が来るわけですが、これすら来ないので、「サイレントお祈り」と数年前から言われるようになりました。

まぁ、ぶっちゃけ就活での毎年の風物詩なのであります。

今から約25年前、つまりバブル期に話題となった若者の就職活動をコミカルに描いた映画「就職戦線異状なし」(1991年)の原作でも、出版社からのアナウンスメントで、こんなくだりがあります。

「最終試験にいらしていただく方には、ご自宅の方に明後日の午後七時から八時の間にお電話を差し上げます。お忙しいこととは思いますが、その時間帯は在宅していて下さい。残念ながら不合格になった方には連絡しませんが、今後とも当社の出版活動にご理解いただけることを望みます」

実際、僕も17年前に就職活動をした1998~1999年は、本当にこんな感じでした。まだ就活にインターネットや電子メールが活用されない「電話」中心の時代ですから、「◯◯日以内に電話がなければ、ご縁がなかったものと考えてください」と言われ、やはり落ちた際に電話が鳴ったケースはほぼ皆無でした。

ただし、一人ひとり電話で通知しなければならなかった昔とは違い、今や採用管理システム上などから、メール1本送るだけの手間なので、各企業には、せめて落ちた時の通知くらいはしっかりやってもらいたものですよね。

では、なぜお祈りメールすら来ない「サイレントお祈り」がいまだに幅をきかせているのでしょうか。

上記の東洋経済のエントリでは、大企業が無作法とわかっていながら、不合格通知すら出さない理由をこのように分析しています。

企業側は最初に合格通知を出す層に辞退者が多い場合のために、ボーダーライン上にいる層を第2次の合格通知者候補として残しておかなければならない。内定辞退者が予想よりかなり多い可能性を考えると、第3次、第4次に通知をする層も残しておかなければならない。最初のほうに出した内定者がすぐに辞退を決めれば次の層に拡大してすぐ通知できるが、内定者の多くが迷って時間がかかるかもしれないので、次の層に通知をするタイミングが事前にはっきりしない。そのために、時期を曖昧にしつつ連絡がなければ不合格といった結果通知の方法を取るのである。

つまり、合否ボーダーライン上の補欠合格者をいつでもキープできるように、あえてあいまいな状態にしたほうが企業側はやりやすいのだ、という意味なのですが、だったら、確定してからでもいいので合否をハッキリさせてほしいものですよね。

実は、これ以外にも、企業側がお祈りメールすら出さない理由や、連絡が遅延してしまうケースがあります。いや、理由になっていないのも結構あるのですが、とりあえずピックアップしてみますね。

「サイレントお祈り」が発生する、補欠調整以外の理由

理由1:忙しくて手が回らない

これが一番大きい理由かもしれません。

ここ数年、新卒採用・中途採用は空前の売り手市場が続いています。そのため、明らかに各企業における採用担当者の業務量は増えているのです。

例えば、新卒採用では、安倍政権が昨年度から就活解禁日を8月に繰り下げたため、通年採用をせざるを得なくなった企業が相当数ありました。また、学生の早期囲い込みのために、インターンシップも採用担当の通常タスクになってきています。これが重たいんですよね~。プラス、サービス業や好況業種などでは、業容拡大のために、各事業部門の要望を聞いて、中途採用も随時行わなければならない。

一昔前までは、採用職という仕事は、経理職同様、どこか季節労働者みたいなところがありました。1年の業務のピークが新卒採用が盛り上がる3月~6月頃で、あとは平常運転でOKでした。これが、今や年中業務のピーク、みたいな感じになっているのです。

にも関わらず、採用担当という仕事は、基本的に景気が良かろうが悪かろうが、一般的には経営陣から「コスト部門」と見られがちなため、業務量が増えても、ギリギリの人員で回そうとする。

こんな中で仕事をしているため、つい忙しくなってしまうと、まず「合格者」「選考中」の人材の対応を最優先で行うことで一杯一杯となってしまいます。「落ちた人」への配慮は後回しになり、お祈りメールを出し忘れていた、ということが頻繁に起こっていると思われます。

理由2:面倒だからやらない

これは駆け出しのベンチャーや、中小企業に多いのですが、つい最近、今年から採用担当になったばかりで、業務を理解していない、とか、何かの仕事と兼任しており、片手間でやっていたりと、業務理解や業務への意識が低い場合です。

面接の場では、「また連絡します」と伝えるのが単なる社交辞令となっているケースもありますね。得てして、こういう会社は中に入ってからもろくに労働法令を順守していないのでしょうから、結果的に連絡が来なくてよかったね、ということですね。

理由3:落とした人からのクレームが怖い

新卒採用の場合はあまりないのですが、中途採用だと、しばしばモンスター・クレーマーみたいな選考希望者が来ます。多くの場合は、そういった人材は面接中にすぐその異常性に気づいて、落とすことになるわけですが、正直な所、そういったクレーマー体質の人に対して、ネガティブな内容の連絡をするのは腰が引けるものです。

僕が現役の採用担当をやっていた時も、何度かはメールや電話にて「僕の何がいけないんですかね?!」的な感情的な反論を頂いたこともありますから。こちら側は手続き通り進めてはいるものの、労働関連法令は、労働者側に有利です。かなりあせりました。

実際は、弁護士や社労士に確認してもらった法的な問題をクリアしたテンプレートを使って機械的にメールか文書で通知すればいいだけなのですが、及び腰になり、ついつい、「まぁいいや」ということで、お祈りメールすら出さずじまいでうやむやに・・・ということも結構あるわけです。あ、言っておくと、現役時代、僕はそんなことしたことないですよ?

理由4:手続き上の遅延(社内承認待ちなど)

特に最終面接前の調整などでよく起こることです。選考プロセスが進んでいくと、業務多忙な上位役職者や役員との面接を設定しますが、なかなか面接の日程調整が決まらなかったり、あるいは、次の面接に進めていいかどうか上司の承認待ちのまま、選考対象者への連絡期限になってしまうことがあります。

この場合は、少し待てば、企業側から数日後に合否連絡が来ることもありえます。

理由5:部内での事務作業分担ミス

よくあるのが、業務のお見合いです。面接時に採用担当Aさんと採用担当Bさん両名で担当しましたが、その後のフォローアップについて、お互いが相手がやるものだと思っている場合。AさんはBさんに、BさんはAさんに任せたつもりでいるのですが、実際はメールが出せていませんでした。と言うケースです。

その他、連絡をしたつもりでしていなかったり、メールが不調で届いていなかったりという事務ミスもそれなりに発生します。

理由6:風邪で休んでいたり、休暇を取得している

冬場など、普通に風邪等で寝込んでしまい、期日までに求職者への連絡が遅延するケースは結構あります。上述したとおり、担当者の数が少なく、中には一人で回している会社もあるわけですから、こういったことは割と頻繁にあります。

また、外資系企業の場合は、連絡が来ないので、こちらから問い合わせたら「海外旅行に行ってます」みたいなのんびりしたところもあります。なんという個人優先(笑)。外資系でも、日本法人の場合はまだマシで、海外法人に応募した場合は、こんなことは日常茶飯事であります。

理由7:求職者側の聞き間違いや認識違い

意外に多いのですが、採用担当が、求職者側から「返事を受け取ってない!」と連絡をもらい、慌てて確認したところ、求職者側の単純な認識ミスだった場合です。

求職者が、履歴書に記載されたメールアドレスとは別のメールアドレスをチェックしている。あるいは、郵送で「お祈りレター」を送ると言ったのに、メールをずっとチェックしているとか。

実は海外でもサイレントお祈りは横行している

この「サイレントお祈り」、日本だけの現象ではなく、海外でも共通する求職者の悩みなんですよね。例えば、アメリカで2012年に約4,000人の求職者を対象に実施された企業調査では、アメリカでも、約75%の求職者は、求職活動中に「サイレントお祈り」を経験しているとのこと。つらいですね・・・。

Seventy-Five Percent of Workers Who Applied to Jobs Through Various Venues in the Last Year Didn’t Hear Back From Employers, CareerBuilder Survey Finds - CareerBuilder

サイレントお祈りへの一番の対策は問い合わせを入れること

さて、サイレントお祈りとなった場合、上記で書いたとおり、「敢えてわざと連絡しない」のではなく、様々な事情や行き違いがあって、連絡が遅れているケースがあるわけです。

もちろん、きちんと遅れるなら遅れるで連絡を入れてこない企業側に責任はありますが、事態を打開するなら、やはり求職者側から問い合わせを入れることが一番です。「◯◯までに合否連絡をします」と言われた期限から、3営業日程度待っても返事がなかった場合は、こちらから、連絡をしましょう。

サイレントお祈り防止の最強の対策は、面接後のお礼ハガキ

サイレントお祈りになってしまうのは、やはり何百人、何千人と選考を受ける中、採用担当者に強い印象を残せていないことが大きいです。面接の出来/不出来に関わらず、確実に採用担当者に覚えてもらうには、面接後にお礼ハガキを出すことをおすすめします。(メールでもいいけど、効果は半減)

ハガキであなたからの好意を受け取った採用担当者は、これで選考の出来/不出来に関わらず、「返報性の法則」により、あなたのことを無碍には扱えなくなるんです。その他凡百の求職者から一歩抜け出し、差別化ができるため、合格の可能性も高まるし、落ちていたとしても、少なくともしっかりと連絡はあなたのもとに届くはずです。

ほとんどの求職者がやらないけれど、非常に効果の高いワザです。サイレントお祈りの防止以上の働きをしてくれますので、ここ一番!の本命企業には、是非ハガキを出してみましょう。

まとめ

求職活動を開始したら、中途/新卒に関わらず、多数の会社の選考を受けるうち、必ずと言っていいほど、企業からのレスポンスを期限通りもらえない悩みにぶちあたります。そういった時、大半のケースでは残念ながら「落ちている」ことが多いです。 それは、以前以下の記事に書きました。

ただし、そこで諦めて泣き寝入りするのではなく、まずはダメもとでいいので、問い合わせを入れてみることは非常に大事です。

企業の採用担当側のモラルやマネジメントに問題があることは明らかなのではありますが、それを嘆いていても始まりませんからね。どうしても入りたい企業であれば、企業側の無作法は笑って流し、能動的に求職者側から動いてみる事をおすすめします。

それではまた。
かるび

若冲展はなぜ大ブームとなったのか~混乱と狂騒を振り返る~ 

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【6月1日更新】

かるび(@karub_imalive)です。

伊藤若冲の生誕300年を記念して東京都美術館で開催された「若冲展」ですが、惜しまれつつも5月24日に閉幕しましたね。

もともと、今年大注目の美術展として前評判も高かったのですが、終わってみれば会期わずか1か月余りの間に、来場者44万6千人の超大入り。1日あたり15,000人弱と驚異的な入場者数に、最高待ち時間は320分を記録するなど、首都圏を中心に大ブームを巻き起こしました。

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(引用:若冲展に長蛇の列、4時間待ち「なんで...」給水スポットも出現(動画)

僕は、会期スタート3日後の4月26日に行ってきたのですが、本当に楽しかった。日本美術の最高傑作をこの目で間近に見れて、感激しました。 

僕が上記エントリをアップした時の待ち時間は、わずか20分。「あぁ、やっぱり注目の美術展は混雑するんだな」位にしか思っていませんでしたが、4日目の4月27日から、徐々に列が伸びていき、最後にはブームのような騒ぎになっていきましたね。

今回と次回と、2回に分けて総括的なエントリを書いていきます。その前半となる本エントリでは、「なぜ社会現象となるほど混雑したのか」若冲展について振り返ってみたいと思います。

1.混雑状況を分析する

今回の展示会は、その激烈な混雑ぶりが話題になりましたが、公式Twitterアカウントでリアルタイムで「現在の待ち時間」について細かくアナウンスされていました。これ自体は非常に素晴らしいと思いましたが、つぶやかれていた待ち時間の数値が絶望的なのでした。

せっかくなので、公式Twitterから数値を拾い出して、下記で開催日別の混雑状況として、一覧表にまとめてみました。

★ 開催日別混雑状況
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すごいですね。会期後半は4時間、5時間待ちは当たり前といった状況でした。午前中から張り切って行った人が多く、混雑のピークは午前中です。しかも休日、平日お構い無く混んでいました。

驚いたのは、会期初日から3日程度のマイルドな混雑を経て、GWが開けてからが、混雑の本番だったということ。GW中、一気に行列が2時間待ちに伸びたので、「まぁGWが明けたら空いてくるので、そこを狙い撃ちしてもう一度動植綵絵を見に行こう」なんて甘く考えていたのですが、大間違いでした。

見ての通り、展示替えの休館日を挟んだ5月10日(火)以降は地獄の混雑ぶりで、特に65歳以上を対象に入場無料となる5月18日には、とうとう待ち時間は5時間以上となります。終わってみれば、GW中に行った人はまだマシだったという・・・。

では、どうしてこんなことになってしまったのか、少し考えてみたいと思います。

2.「動植綵絵」「プライス・コレクション」が並べられると大混雑となる若冲展

若冲展といっても、全ての展示会で大混雑するわけではありません。特に去年あたりから生誕300周年を記念して、いくつか中規模程度までの若冲展は開催されていましたが、人気を博したものの、それほど混雑していません。

伊藤若冲 生誕300年記念 ゆかいな若冲・めでたい大観 ―HAPPYな日本美術―  山種美術館(2016年1月-3月)
生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 サントリー美術館(2015年3月-5月、動員15万人)

本格的に混雑が激しくなるのは、「動植綵絵」「鳥獣花木図屏風」を初めとするプライス・コレクション一式のどちらかが出展された時です。このいずれかが出展されると、以下の通り物凄い人出になってくるわけです。

★混雑した若冲関連の過去美術展一覧*1f:id:hisatsugu79:20160528105100p:plain

若冲ブームの始まりは、2000年の京都国立博物館で開催された「没後200年 若冲展」。それまでは、若冲は忘れ去られた江戸中期の異端の絵師に過ぎませんでしたが、動植綵絵を始めとした140点程が揃ったこの大回顧展で、熱心な美術ファンやマニアに発見されていきます。*2

とは言え、この時は、動植綵絵も30幅完全には揃っておらず、動員は会期1か月でたった9万人。1日平均だと3,000人ちょっとの入場者数。今から思うとかわいいものです。

以降は、見ての通り。約3年に1回ほど、動植綵絵かプライスコレクションが交互に来日し、日本画家としては驚異的な動員数を重ねていきます。

2012年には、動植綵絵が初めて海外へと渡りました。アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーで「Colorful Realm」というタイトルで、お花見の季節にちなんで公開された時です。

海外では無名であり、かつそれほど熱心にプロモーションがかからなかったにも関わらず、口コミと評判で大量に人が押し寄せました。ワシントンでも、見つかってしまうのです。この展示会での1日あたりの動員数は、同美術館歴代3位であり、かつ2012年の美術展世界ランキング第2位となるほどの熱狂ぶりでした。

そして今回。今回は、「動植綵絵」「プライス・コレクション」が同時に揃い、若冲のほぼ全作品が一同に会する史上最大の回顧展となりました。

動員数こそ、過去の若冲展や、かつ2008年に94万人を記録した「阿修羅展」にはかなわないものの、1日あたりの動員数では15,000人弱と、途轍もない大記録を樹立しました。図録も5月11日には早々に売り切れ、15日に再度売り切れ、そして最終日にも売り切れ、10万部を超える発行数となったようです。

3.主な混雑の原因はなんだったのか

いくつか考えられますが、概ね以下のとおりかと思います。

3-1:何度もテレビで特集が組まれ、新聞、雑誌でも取り上げられた

会期中、特にゴールデンウィーク直前にNHKを中心として、異例なほど何度も集中的に特集が組まれました。主な番組でも、これだけ特集が組まれています。これ以外に、朝のニュースやワイドショー等でスポット的に特集が組まれたのもあったと思います。

★4月以降の若冲特集テレビ番組f:id:hisatsugu79:20160527130220p:plain

しかも、NHKの場合は、こういった文化系の番組は、一度放送したら近日中に必ず再放送がかかりますので、視聴者は、実際にはもっと若冲の特集番組を目にする可能性はあったと思います。

特にゴールデンウィーク中に集中的に放送された結果、行楽から戻ってきた人達が一気に5月10日以降の展示会に押し寄せたのでしょう。

また、2016年に入ってから、若冲展を当て込んで出版された雑誌や書籍も数十点ありました。書店でも特集コーナーや平積みになっていたのをよく見かけましたから。ちょっとAmazonで検索しても、この通りです。

2016年3月以降に発売された若冲本や雑誌だけで、数十点!!

3-2:東京開催だった

首都圏での開催だったことが、やはり一番大きかったかと思います。もちろん、こういった大回顧展で1回きりのものは、東京か京都でしか近年は行われないのですが、例えば、Art Annual onlineにてまとめられている昨年度の美術展入場者数ランキングを見ても、ベスト20のうち、12展は東京で開催されており、中でもベスト5のうち4つは東京開催のもので占められています。

3-3:希少性の高さをみんな理解していた

上記にもまとめましtが、「動植綵絵」全幅と「プライスコレクション」が同時に揃ったのは、すくなくとも2000年以降では初めてなのではないでしょうか?プライスさんもだいぶ高齢のようですし(笑)、今後近日中にこれほどの大規模回顧展が行われる可能性は低いわけで、これは見に行くしかないですよね。

3-4:会期が短かった

そして、最後にこれ。希少性が高く、みんなが注目していた展示会であったにもかかわらず、展示会の会期はわずか1ヶ月間。実質31日間の展示と、大規模展示会の割には、異例に短い会期でした。

これだけ人出が予想される大規模な展示会であれば、商業的にも最低でも2か月、通常なら3か月は開催期間が置かれることが多いです。にもかかわらず、約1ヶ月間と異例の短期間開催となった背景としては、法律的な制約があったのでした。 

4.大混雑必至なのに、なぜ短期間しか展示することができなかったのか

これは下記でうまくまとめられているので、時間がある人は是非チェックしてみて欲しいですが、一言で言うと、重要文化財や国宝は、文化財保護の観点から、「原則として公開回数は年間2回以内とし、公開日数は延べ60日以内とする。」という文科省の通達に従って、貸出期間の制限がかかるからなのです。

数ある出展物のうち、この「動植綵絵」といくつかの作品がこれに該当したため、会期をこれ以上伸ばせなかったのでしょう。

厳密に言うと、「動植綵絵」は重要文化財でも国宝でもないのですが、国宝同様の取り扱いを受けているのです。

19世紀後半に相国寺から天皇家に寄進され、一旦は重要文化財・国宝を上回るステータスである、皇室「御物」とされていた時期がありました。その後、宮内庁の「三の丸尚蔵館」に国有財産として移管されていますが、その価値は、間違いなく超「国宝級」なのです。

さすがに制作後約250年が経過して、傷みが目立つようになってきていたため、2006年までには修復作業が行われましたし、貸出期間に厳しい制限があるのは、末永く国民の共有財産として管理していく以上は、致し方無い措置かと思います。

5.今後の若冲展で混雑を避けて快適に見るためには?

全ての若冲展で同じように混雑するわけではないでしょう。恐らく、若冲展で今後も混雑するとしたら、以下の条件が満たされた時だと思います。

  • 東京か京都(あるいは関西圏)で開催される
  • 出展期間に縛りがある「動植綵絵」が出展されている

今回の若冲展の傾向を踏まえ、打てる対策としては、以下の戦略が良いと思います。

会期中、極力早めに見に行く(会期当初3日以内目標)
今回の展示会も、最初の会期中最初の3日間は明らかに混雑がマシでした。並びはしたけれど、食事時に人気レストランに入るのを待つくらいの常識的なレベルでした。

午前中を避け、閉館直前1時間前に入る
データでは、待ち行列のピークは朝一開館時~11時頃に固まっています。昼を過ぎると、15時くらいまではずっと混雑していますが、閉館1時間前くらいには、一気に行列がハケていきます。ここを狙うのが良さそう。

最終日は結構空いていた
みんな諦めてしまったのか、今回はGW後では、会期終了日の5月24日が一番行列が空いていました。僕の知り合いも、最終日の閉館1時間前に覚悟を決めて行ったら、40分待ちで済んだ、と喜んでいました。残り物には福、ということでしょうか。

6.まとめ

いずれにしても、今回の若冲展は1日平均来場者数が15,000人弱と、恐らく過去の統計から見ていても、2016年度では、世界一混雑した美術展になるのは間違いなさそうです。

過去の記録から見ても、今回は、想定外・規格外の来場者でした。その割には東京都美術館の人も、給水所の設置やこまめなアナウンス、深夜までの入館延長、図録発送無料など、やれるだけのことはやってくれたのではないでしょうか。

また、今回、社会現象となった若冲展ですが、これをきっかけに日本美術に目を向ける人も多かったのではないかなと思います。テレビやマスコミでは、早速「次に見るべき若冲展」などの紹介もされていましたが、これは次のエントリで少し僕も書いてみたいと思います。

長くなりましたので、いったん今日はこのあたりで。それではまた。
かるび

*1:id:zaikabouさんから相国寺の動植綵絵展の開催年度と2009年の「皇室の名宝展」が抜けている旨ご指摘頂きましたので修正・追記しました。感謝!

*2:この時の図録は、現在ヤフオクで高値でやり取りされています。

ガラガラで穴場?!でも見応えたっぷりの「ポンペイの壁画展」に行ってきました。

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かるび(@karub_imalive)です。

僕が頻繁に美術展回りをしだしたのは、35歳を過ぎてからなんですが、数をこなしているうちに、好きなジャンルが固まってきます。僕の場合は、西洋絵画と日本絵画が好きなのですが、もう一つ好きなのが、「遺跡系」や「仏像系」の展示会。

遺跡系展示会(と勝手に自分が命名している)の良い所は、陳列された出土品を「美術展」としてだけでなく、「歴史資料」としても味わえるところです。遥か昔に生きた人達の生活や精神文化に触れつつ、歴史を学ぶと、純粋に知的好奇心が満たされるだけでなく、現実逃避ができるのです。(僕の地元近くに平城京跡があるのですが、一日中ぼーっとできる遺跡であります)

今日取り上げる「ポンペイの壁画展」は、そんなローマ時代の世界遺産をテーマとした展示会です。「ポンペイ」の展示会は、特にヨーロッパを中心として、世界的に動員数を伸ばしている今一番熱いコンテンツで、2013年に行われた大英博物館でのポンペイ展では、同博物館の動員数記録を塗り替えたんだとか。

ということで、早速まとめていきたいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安

僕が行ってきたのは、平日午後15時頃でした。いつものように、六本木ヒルズの1F入り口で待ち時間をチェックすると、5分待ちの表示。f:id:hisatsugu79:20160524163427j:plain

おぉ、意外と混んでいるんだなと思って52Fに上がってみると・・・

混んでいたのは、おとなりの「セーラームーン展」に併せて期間限定でオープンしていた「ちびうさカフェ」でした。こっちの喫茶店の待ち時間は180分だそうです。えげつない話や~。

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そして、お目当ての「ポンペイの壁画展」自体は、ガラガラでした。ここ最近行った展示会の中では一番空いていたかも・・・。ひと部屋貸し切り状態でゆっくり見れる瞬間も結構ありました。

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裏で実施している若冲展とルノワール展にお客を取られているんでしょうか?あるいは、後援が東京新聞だから広告宣伝が弱すぎて認知されていないのでしょうか?(毎日のように東京新聞の文化面に記事が出てはいるのですが・・・)

いずれにしても、休日に行ってもそれほど並ぶことはないと思います。

展示点数も、なにせ扱っている展示物が「壁画」そのものなので、約60点ほどと、少なめになっており、所要時間は1時間~1時間30分もあれば見て回れそう。実測した所、僕の場合は2時間15分でした。

なお、1箇所だけ写真撮影が可能な場所があります。下記の写真パネルがある場所なのですが、ここで記念撮影などをして、SNS等で拡散してくれ!ってことなんでしょうね。できればこういうのじゃなくて、フラッシュ無しでいいので壁画を撮らせて欲しかったのですが・・・。

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2.音声ガイドは声優の三木眞一郎さんと畠山美和子さん

アニメファンじゃないのでよく知らなくてすみません(汗)、二人共実績のある声優さんだそうです。こちらで、メインガイドの三木さんからの今回の展示会についてのコメントも聞くことができますよ。正直、今回の展示会で予習をしたかったのですが、あまり予習できる資料が手元に入らなかったので、音声ガイドを調達出来てよかった。非常に重宝しました。

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(引用:http://www.tokyo-np.co.jp/pompei/guide.html

今回の展示会では、ただ壁画を見るだけじゃ絶対もったいないので、音声ガイドのレンタルを強くおすすめします。

もしくは、こちらで内覧会時の本展監修者、芳賀京子氏の解説動画を予習して臨むのもいいと思います。見どころについて非常に丁寧にわかりやすく解説されています。(約13分程度)


世界遺産 ポンペイの壁画展 報道内覧会

おせっかいかもしれませんが、この展示会は背景知識なしで手ぶらで行くより、予習をしておいたほうが数倍楽しめると思います!

3.ポンペイの壁画展について

3-1.ポンペイって?

ポンペイは、現在のイタリア、ナポリのあたりに実在したローマの古代都市でした。ローマ帝国全盛時代に、ローマのほぼお膝元として数百年間にわたり、栄えました。そんな中、紀元79年8月24日~25日にかけてヴェスヴィオ火山の突然の大爆発により、一瞬で高熱の火砕流に街全体が飲み込まれ、街ごと全て、瞬時に消滅します。

イメージとしては、2014年の映画「ポンペイ」の予告編がいい感じに映像としてまとまっていますので、こちらのリンクを貼っておきますね。


ポンペイ - 映画予告編

その後、古代~中世を過ぎ、18世紀中ごろまで、完全に火山灰の下に埋もれ、忘れ去られた存在となっていましたが、1709年、偶然に地元の住民がツボを発掘したところから、遺跡の存在が明らかになります。そして、1748年にとうとう当時のナポリ王国の国王のイニシアチブの下、大規模な発掘作業が始まりました。

発掘は今でも続いていますが、家屋や壁画、調度品や生活用品、遺体跡まで、街全体のありとあらゆるモノが2000年前の当時のまま、火山灰の下からいわばタイムカプセルのような手付かずの状態で出てきたといいます。

様々な推計がありますが、ポンペイの人口はおおよそ1万2千人程度で、広さは約66ヘクタールと当時で見ても割と小規模~中規模程度の都市だったと言われています。(ちなみにローマは100万人を超えていたと推定されている)

その文化水準は非常に高く、上水道完備の大邸宅、公共浴場、劇場、円形の闘技場、運動場、宗教施設(集会所)など、社会インフラはヨーロッパの産業革命前とほぼ同レベルの高い水準を誇っていたそうです。

3-2.ポンペイの壁画はどうやって造られたの?

今回は、60数点のほぼ全部の展示がポンペイの「壁画」だけをフィーチャーした展示会なのですが、当時の壁画は、公共系の建築物だけでなく、少し裕福な一般家庭の住宅内も、まるで宮殿のように壁一面を彩っていたそうです。(正直な所、家の中までこんなに仰々しい壁画に囲まれていたら、ちょっと落ち着かないだろうなぁと思ったのですが、当時のハイセンスな家庭では普通だったのでしょうね)

3-3.壁画展の見どころ

今回は、ナマの壁画の表面を削りとって、そのまま日本に持って来ちゃったのですが、恐らくこれだけの規模でポンペイの壁画を一望できる展示会は、今後もないはず。壁画をたっぷり堪能してみてください。

壁画と言っても、ポンペイの遺跡から出土した壁画だけでも、紀元前2世紀から街が火山に飲み込まれて消滅した紀元79年までの約300年間で、大きく分けると「第1様式」~「第4様式」まで、4つの様式が確認されています。展示会では、時代ごとに細かくその壁画の描かれ方が変わっていくところも、わかりやすく前半部分の展示で説明されています。

壁画は、ギリシャ文化の影響を強く受けた、ヘレニズム世界での古代神話の様々な場面をモチーフに描かれています。中でも、今回の展示会では「お酒の神様」であるデュオニソスの出番が多かったのは、いかにもワイン作りが盛んだったイタリアらしい一面を感じました。

現在、国立東京博物館で開催中の「アフガニスタン展」でも色濃くギリシャ文化の影響を受けた出土品が多数出展されていることから、併せて観ると、古代ギリシャのアレクサンドロス大王の古代世界に与えたインパクトの大きさを改めて実感できます。

4.一番の目玉は「赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス」

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この「赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス」は、1739年11月25日にエルコラーノのアウグステウムで発見されました。これがヨーロッパを出るのは初めてで、もちろん日本初上陸です。そして、展示会後半部分のハイライトとして圧倒的な存在感を持って展示されています。素人目で見ても、他の壁画とは完成度のレベルが違うことはすぐにわかりました。

それもそのはず。「アウグステウム」とは、当時のローマ皇帝アウグストゥスを礼賛するため、街の郊外に置かれた一種の集会所的な特別施設なのです。再現イメージとしては、こんな感じ。

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(引用:http://vast-lab.org/3dicons/page.php?obj=1770

街で一番大切な施設の一番大事な壁面に飾られていたので、腕の良い絵師を使って予算をかけて製作されたものだと思われます。

5.その他気になった展示

5-1.赤い建築を描いた壁面装飾

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入口入って次の部屋の右側一面に展示されています。紀元前1世紀後半頃の「第2様式」と呼ばれるスタイルで描かれており、その特徴は、飛び出す絵本的な効果を持つ遠近法の使い方をしていることです。2000年も前に、一種の『だまし絵』的な立体感を持たせる技法が既に完成していたんだな、と非常に感心しました。

しかしよく見ると、神社の鳥居のように真っ赤な神殿に、大仰な空想上の動物や女神像を配置するなど、現実離れした豪華さですよね。部屋の中壁面いっぱいに空想上のゴージャスな建造物を描くなど、ローマ帝国全盛期らしい派手な絵が印象的でした。 

5-2.コブラとアオサギ

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これはどちらかと言うとつなぎ的な意味合いで飾られていた小品なのですが、どうも若冲展を見てきたばかりなので、こういう動物を素朴に描いた絵画に目が釘付けになってしまいました。

特にコブラは日本には生息しないため、日本画ではお目にかかれない動物ですが、ローマ時代のイタリアでは、建築物を彩るフレスコ画で頻繁に登場しています。若冲だったらどう描くんだろうなぁと考えながら見てました。

5-3.アレクサンドロス大王とスタテイラ

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これは、アレクサンドロス大王と、大王が東征にて滅ぼしたアケメネス朝ペルシャの王女スタテイラ、もしくはバクトリアの豪族ロクサネのツーショットを描いたものです。

壁画展後半では、神話や歴史の一場面を描いた歴史画がほとんどなのですが、気付かされるのは、ローマ人のギリシャ文化への傾倒です。

この頃になったら、一応ローマにもそれなりの文化・歴史があったはずですが、描かれるのはギリシャ神話ばかり。共和制末期以降のローマ人富裕層にとって、ギリシャ神話、ギリシャ文化は抑えておくべき必須の教養・文化だったことがよくわかります。

6.まとめ

紀元79年といえば、日本で言えば、まだ弥生時代に入ったばかり。狩猟採集生活から、ようやく稲作を始めたころの話ですから、こうして、壁画一つ見ていても、当時のポンペイの文明レベルの高さには驚かされます。

今回の展示会、若冲展が終わったらどうなるかわかりませんが、とにかく来場者が少なくてガラガラのようです。展示自体は全然悪くないのです。「壁画」というテーマに絞り込んだ展示会としては見応えたっぷりでした。若冲で並び疲れたら、六本木にぶらっと行ってみるのもいいと思います。

それではまた。
かるび

おまけ:今回の展示会の予習/復習で役に立ったもの

とり・みき/ヤマザキマリ「プリニウス」

買ってみましたが、プリニウスが1巻の中盤で、ちょうど噴火したばかりのポンペイに遭遇するシーンがありました。今回の展示会と併せて読んでみると、当時のローマ文化や歴史について、学びになりますね。スペシャルコラボグッズも出ていましたよ。

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さらにおまけ:同時開催の古代ギリシャ展@東京国立博物館はおすすめ!

ポンペイ展よりもさらに遡ること数百年、今回の壁画のモチーフとなったギリシャ神話の神々が生み出された「古代ギリシャ」の歴史・生活・文化・美術など、幅広いテーマで総力特集した素晴らしい展示会でした。全ての展示品がギリシャから運ばれ、その数何と325点!!東京国立博物館の底力を感じました。是非、ポンペイの壁画展に満足したら、こちらも回ってみてください!おすすめです!

 

落語家のレジェンド、桂歌丸 芸歴65周年記念落語会に行ってきた!

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かるび(@karub_imalive)です。

5月に会社を辞めてから、週1ペースでいろんな落語会に通っているのですが、昨日は、桂歌丸の芸歴65周年記念落語会に行ってきました。その感想を書いてみたいと思います。 

桂歌丸と言えば、つい最近、笑点の司会を5月22日付けで勇退すると発表してから、何かと話題になっていますよね。このチケットは、その報道がされるかなり前、3月上旬の時点で購入してあったのですが、報道後に全席ソールドアウトになったようで、当日券の販売はありませんでした。

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それにしても芸歴65周年って半端ない

落語家は、職業生活に定年はありません。でも芸歴65周年とは半端ない。65歳じゃないんですよ。「芸歴」が65年なんです。笑点でもいじられている通り、もうすっかり骨と皮だけになっちゃって、今年80歳になる歌丸ですが、その経歴は結構異色です。

15歳の時に、いてもたってもいられなくなって、高校も行かずに最初の師匠古今亭今輔に弟子入りしたのが落語家としてのキャリアのスタートです。そこから、実に65年間落語一筋で、笑点も初回から50年出続け、その間落語界の人気噺家の地位を築いてきた。月並な感想ですが、本当にすごいことだと思います。

ちょうど自伝が出ていたので、読んでみましたが面白かったです。

落語会はこんな感じでした

落語会は、定刻通り18時30分にスタート。以下のような構成で、終演は20時35分頃。もう少し演るのかなと思ったのですが、やはり体力面でギリギリなのか、歌丸自身の高座は一席のみでした。

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開口一番(前座):春風亭昇羊『初天神』

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(引用:円丈らくご塾 : 春風亭昇羊(しゅんぷうてい・しょうよう)

開口一番(幕が開いた最初の前座)は、春風亭昇太のお弟子さんで、前座の春風亭昇羊でした。お題は前座噺では定番の『初天神』

年が明けて天神様へ初詣に子供に行く道中、子供が団子やたこを買ってとせがむ、父親は嫌がる、そのやり取りを描いた前座噺です。今年から落語にハマりはじめた僕でも、ライブでも映像でももう何回も見ているくらい、有名な噺です。

定番の噺だからこそ、その話芸の出来が厳しくファンからチェックされちゃうわけですが、マクラも含めてまずまず面白かった。奔放なスタイルで新作落語を得意とする師匠と全くしゃべり方や雰囲気が違うのですが、どうやって修行してるんだろうか。

特別ゲスト:春風亭昇太『ストレスの海』

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続いて、前半のハイライトである春風亭昇太。マクラの冒頭で「弟子の落語を近くで聴くと指摘したい箇所が一杯あってもやもやっとする」と言ってましたが、すぐに笑点の裏話へ。

笑点メンバーのマクラは、やっぱり必ず笑点メンバーの楽屋話になるんですかね。今回はホール落語でも客層がライトユーザーが多かったようで、自虐的な笑点の裏話で盛り上がります。曰く、おっさんとおじいさんがただ座って大喜利やってるだけで、圧倒的にドラマなどの他番組に比べて手間隙かかってないにも関わらず、いつもいつも高視聴率で不思議だと。

あとは、安定の「結婚できない」小話。歩いていたら道端の浮浪者から「早く結婚しろよ」と言われたり、新幹線のホームで5人組のおばちゃんに絡まれてからかわれた話など、笑点で確立した「結婚できない」キャラを活かしたマクラがバカ受けでした。

演題は、長年の持ちネタである新作落語「ストレスの海」。展開が早く奇想天外なバカ話なんですが、マクラで温まったところで、昇太特有の若々しく妙に素人風味なハイテンションで押し切り、最後まで笑いが切れません。さすが人気落語家です。本当に50代後半なんでしょうか、この人は。

仲入り前に桂歌丸よりご挨拶「まだまだ引退しません!」

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昇太が終わると、一旦幕が下りて、アレ?これで休憩かな?ちょっと早いよな?と考えていたのですが、館内アナウンスがなく、どうしたものかと。2,3分待っていたのですが、なかなか幕が開かないので、トイレに立つ人もちらほら。

すると、しばらくして幕が空き、すでに桂歌丸が高座上で、黒紋付で座布団に正座して待機していました。

ここで軽く一席か?と思ったら、そうではなく「芸歴65周年の口上」とのことで、10分程度の軽い漫談とご挨拶。「本当は昇太さんと二人で演る予定だったのですが、あの人が次に仕事をいれちゃったので、今日は一人でやります」と(笑)

そして、やっぱり話題は笑点の司会引退の話になりました。報道されている通り、体力的な限界により、笑点50周年という節目で、司会は引退させてもらうことにしたとのこと。

現在、週に4回医者に通っているそうです。ほぼ毎日ですね。特に2015年に腸閉塞で入院した際にベッドに寝たきりになって、足の筋肉が一気に落ちてしまったため、今もまだ数メートル歩くだけでも非常にキツいそうです。

5月22日の最終生放送で、司会の交代と笑点の新メンバーを紹介するので、「相撲なんてほっといて」笑点を見てねとのことでした。うん、そうするよ。

また、司会を交代しても、落語は死ぬまで続けていきたいとの話でした。夏には国立演芸場で、ライフワークとしている三遊亭圓朝の怪談ものも国立演芸場でネタおろししなきゃと張り切ってました。

三味線漫談:林家あずみ

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(引用:本人Twitterプロフィールより)

仲入り休憩後は、三味線漫談。いわゆる落語会での色物では、漫才や紙切り、コントは何回か見ましたが、「三味線漫談」というジャンルは初めてです。AKB48の柏木由紀がいい感じに年を取ったような美人さんで、京都出身。笑点で有名な林家たい平の一番弟子とのことで、4年間の前座を経て、今は寄席や落語会を中心に高座に上がっているそうです。

三味線の歌が4曲と、その合間に漫談を入れていくスタイルですが、やはり男性中心の落語界だと、立ち位置的にはアイドル的な存在なんでしょうね。それなりに面白かったのですが、ネタのキレやキャラの押し出しがもう一歩で、上品にまとまりすぎかな?とは思いました。芸人として売っていくならもっとエグい方がいいかな。

このジャンル、まだ女流三味線漫談では数名しかいないそうなので、パイオニア的な存在として頑張って欲しいです。また聴いてみたい。

トリは本人が一席:桂歌丸『紺屋高尾』

林家あずみが退席後、一旦幕が降りて、しばらくして開いたら、すでに高座には桂歌丸がスタンバイ。足を崩さないと座れないとのことで、よく上方落語で使う「膝隠し」の机を置いての高座です。

膝隠し(イメージ図)
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演題は、本人のCDも出ている「紺屋高尾」でした。もちろんこれは予習済み。

神田紺屋町*1の染め物職人久蔵が、吉原の超人気おいらん、高尾太夫に一目惚れ。一夜過ごすために、3年間必死に働いて10両ためて高尾太夫のいる吉原に会いに行きます。その一途ぶりに高尾太夫が惚れ込み、二人は身分の違いを超えて結婚する、という江戸時代版格差婚をテーマにした人情噺で、これも非常に有名ですね。

どの芸能でも共通しているのですが、巨匠になって年をとると何かと良い意味でスローテンポになりますね。漫才も講談もそうだし、畑違いですが、クラシック音楽などでも、巨匠指揮者が降ると演奏がどっしりと遅くなりますし。

この「紺屋高尾」も、若手なら20分ちょっとで終わる中ネタ程度の噺ですが、噛みしめるようにゆっくりゆっくり丁寧に噺が進行し、マクラ入れてで45分程度の長丁場となりました。

最近の笑点を見ていると、滑舌が今ひとつで病気の影響などもあるのかな?と思っていましたが、さすがに高座では全く問題なし。スピードは遅いですが、言い淀むところもなく、聴きやすかった。体で覚えているのでしょう。

まとめ:巨匠の講演は一期一会。見逃したくない。

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今回の船橋市民文化ホールは、1500名位の中型ホールですが、時期柄もあるとは言え、ホールを満席大入りにする知名度はさすが。このホールサイズで落語を見たのは初めてだったのですが、特に春風亭昇太と桂歌丸のベテラン達の話芸のレベルの高さもあり、会場の一体感は損なわれていませんでした。

ジャンルは変わりますが、少し前、2009年にクラシックの名指揮者、フランス・ブリュッヘンが晩年に新日本フィルの演奏会で来日したことがありました。彼はすでに75歳を超えて足を悪くしており、昨日の歌丸同様、指揮台では椅子に座っての指揮となりました。「あ、これはもうここで聴き逃したら次はないな」と思って、仕事を無理やり空けて演奏会へ馳せ参じたことがありました。

その演奏会では、巨匠ブリュッヘンが限界まで新日本フィルの潜在能力を引き出し、非常に良い音が鳴っていました。まさにベテラン指揮者とオーケストラの奇跡のコラボ。感動しました。で、その後はもう来日することはなく、2014年に80歳でブリュッヘンは亡くなります。本当に無理して見ておいてよかった。

巨匠は、見れる時に見ておかないと、次がないんです。そして、巨匠の作品・舞台はそのクオリティに関わらず、ただ巨匠がそこで何かをやっているだけで、感動を生みだします。

落語でもクラシックでも、絵画でもなんでもいいのですが、高齢となった超ベテラン・巨匠がなおも第一線で活動を続ける時、そのモチベーションは、お金や名誉といったものではなく、純粋に「これが作りたい」という創作意欲や求道精神を源泉としているのですよね。

自分に残された寿命を強く意識しつつ、人生の集大成として、気力を振り絞って最後の作品を作り上げている姿勢が、共感と深いリスペクトを呼ぶ。

モネは、白内障で目が見えなくても、絵を描き続けました。ルノワールも、リューマチで手が動かない中、やはり死ぬまで絵を描き続きました。ベートーヴェンは完全に耳が聞こえない中、「第九」を完成させました。そして、歌丸も満身創痍になっても、なおも第一線で落語に取り組んでいる。

その、一心に芸に打ち込む姿が、見ている観客を魅了するのだな、と。65年間の集大成として、今があり、そして今日の高座があったわけです。

芸歴65周年を迎えても、まだ鬼のようにスケジュールを入れて、新ネタにも意欲的に取り組んでいる。その原動力は、もう純粋に「落語を極めたい」というものでしょう。

不謹慎な話かもしれませんが、本人も、昨日の高座で「もうあと10年は持たない」と自ら言及していたとおり、今の健康状態を考えたら、プロの一線級としての高座のレベルを維持できるのは長くてあと数年でしょう。

本当に、今回65周年という節目で、船橋まで遠征して見ておいてよかった。今後少しでも長生きして、生きるレジェンドとして、落語道に取り組んでいって欲しいと思います。

22日の笑点は、拡大版生放送だそうですが、その引退口上を楽しみにしています。

それではまた。
かるび

 

 

*1:どうでもいい話だけど、神田紺屋町はまだ実在する地名で、僕が以前勤めていた会社の前の事務所が神田紺屋町にありました。今は残念ながら雑居ビルしかない(笑)

日本企業のインターンシップでは、なぜ実務を学べないのか

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かるび(@karub_imalive)です。

つい少し前に、MTRL社というベンチャー企業でのインターンシップの顛末を巡っての記事がはてなブックマークで注目を集め、話題になっていましたね。

インターンを雇って失敗した話。
インターンとして失敗例になってしまった話

それぞれブコメでは「搾取するな」とか「5時間も会議で拘束するなんて」など、やや感情的な意見が優勢でした。一連のエントリを興味深く熟読しましたが、元採用担当でいろいろな業界・会社のインターンシップを見てきた限りで言うと、MTRL社の社長さんは、それなりに頑張ってインターンシップに取り組んでいたと思われます。

本文を読むと、本格的なインターンシップとして、「実習」レベルを超え、実質上「労働」として、実務に深く参画させています。これに対して、きちんと労働の対価として給与を出しているため、法律的にはほぼ問題なし。(5時間も会議をやるのはアレですが)また、社員でもないのに3ヶ月間我慢して、スペック外の人材育成にも取り組んでいる。

そして、学生さんの満足度もそんなに低くないのですよね。中にいるインターン生側からの擁護エントリもあるし。(ひょっとしたらこのエントリ作成自体、インターンシップの課題であり、会社の半強制かもしれませんけどね?)

もちろん、この会社にも、1)社長さんのインターン生に対する要求水準が高すぎる、2)出来ない学生を3ヶ月間我慢して使うのはお互いに非効率だった、3)受け入れた学生を公の場で批判するのはイメージ戦略上損である

といった問題点はありました。

ただ、インターンシップにおける本来の社会的意義である「学生が社会人になる前に実務を経験する機会を提供する」という点では、しっかりとできていました。ベンチャーなので色々そのマネジメントにはアラはあったでしょうけど、それも含め、あけすけに学生と交流し、共に濃い時間を共有して実務に当たった姿勢は、間違っていなかったと思います。マッチングのプロセスや管理手法、契約期間を整理・改善すれば、次年度からはもっと良いプログラムになりそう。

では、他の大手企業や中小企業は、このMTRL社より、もっと高付加価値で意義あるインターンシップが運営できているのでしょうか?

結論からいうと、日本企業のインターンシップでは、「学生に実務経験を積ませる機会を提供する」ことがほとんどできていません。

では、なぜ学生は日本企業のインターンシップで実務を効果的・効率的に学べないのか、今日はそのあたりを少し考えてみたいと思います。

日本企業ではなぜインターンシップで実務をやらせないのか

その理由は、主に以下の4点が考えられます。

理由①:目的が「採用青田買い」へと変質してしまったから

数年前までは、「インターンシップ」は、企業側の社会貢献の一貫として学生や大学に対して無償で提供される社会活動であり、その副産物として学生とのマッチングがあるよね、という構造が、すくなくとも建前としてはしっかり根付いていました。

しかし、ここ数年、新卒採用市場がバブル期(1988年~1991年頃)を超える異常な「学生側売り手市場」へと傾いたことと、それを好機と見た「就職情報産業」各社による「インターンシップ市場でのマッチング」の商品化が加速していきました。倫理憲章強化により、学生の就活時期が後ろ倒しにズレた分、ビジネスチャンスを失った「就職情報企業」が考えだした、この苦肉の策は、超売手市場に苦しむ採用企業側のニーズにぴったり合致。結果として、ここ2,3年で大学3年生以下を対象とした「インターンシップ」ビジネスが立ち上がりました。

これにより、完全にインターンシップは「倫理憲章に抵触しない、合法的に学生へ早期接触ができる青田買いの機会」と変質してしまったのです。

例えば、経団連で取り決めた2016年度の'17新卒採用は、「2016年6月1日」採用解禁ですから、通常は、4年生の夏まではコンタクトできないわけです。それが、「インターンシップ」として接触するのであれば、その1年前から自由にコンタクトができますから、その間にツバをつけておけばいい。

実際、インターンシップを実施した4社に3社(73.7%の企業)は、インターンシップ生に声がけをして、積極的に内定出しをしている最新統計データもあります

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学情レポート【COMPASS】2015.11『企業・大学アンケート結果に見る 2017年卒採用の展望・2016年卒学生の状況』

したがって、日本企業は各社とも、インターンシップ自体はかつてない規模で熱心に取り組むようになったものの、あくまで第一義には「採用目的である」ため、「実務」にはそれほど取り組ませないのです。

理由②:泥臭い実務を見せると学生に引かれてしまうから

社会人になるとわかりますが、一部のベンチャー企業を除いて、若手社員の実際の仕事の現場っていうのは全く華やかなものではないですよね。一日中集金活動したり、ひたすら電話のアポ取りをしたり、Excelで集計作業をしてたり。

特に、大企業の場合は、華やかな仕事やプロジェクトは、予算規模も大きく、職種横断的な総合的なスキルが必要とされます。また、社内外の多数の利害関係者が複雑に絡み合う中、人脈や高度なコミュニケーションも要求される。そんな高度な業務が、未経験者にできるわけがありません。

したがって、インターンシップでも、まったく未経験の学生に回せる仕事といったら、地味な集計業務や電話とり、議事録作成といった初歩的なものしかなくなってしまいます。

しかし、若手が地味な下積み業務についているところを学生に見せてしまうと、「あぁ、この会社やばいよね?」と短絡的に勘違いされてしまうこともあるわけです。

実際、ある企業では、あえて泥臭い実務に学生を携わらせ、その企業の本質的な仕事を見せたら、失望の声がネット上や口コミで噂が広まり、翌年の応募者が減少してしまったケースも実例としてあるんです。

だから、泥臭い現場はできるだけ見せずに、無難に「擬似プロジェクト運営」だったり、「マネジメントゲーム」をやらせたり、本当に汚い裏側はみせないスマートな「工場見学」に終止したりするわけです。

理由③:コンプライアンス上見せられない業務が多すぎる

日本は、世界一情報セキュリティに過敏で、コンプライアンスにうるさい企業風土になってしまいました。

指紋認証やフラッパーゲート等での多重入退室管理に始まり、各種情報源・情報資産へのアクセス制限、GPSでの位置情報把握は当たり前。厳しい金融系企業に至っては、PCのキーストローク1つに至るまでログを取り、そのログを分析・監視する部署まで別にある始末ですから。

また、それら内部統制を規定する就業規則や、ISO9001、ISO27001といった企業資格により、しつこい内部監査と、そのチェック成績に連動する査定ポイントもあわせて導入されていたりするはずです。

そんながんじがらめの状況下、見ず知らずの学生に、顧客の重要情報や個人情報を取り扱う仕事には入らせるわけにはいきません。万が一インターンシップに来た学生がコンプライアンス違反を故意/過失にかかわらず起こしてしまった時、誰も責任を取れないからです。(誓約書等で学生側に責任を負担させるのは不可能ではないが、道義的には得策ではない)

ではそれら、機密情報を触らないような周辺業務の中に、単純作業の範疇を超える実務って何か残ってるでしょうか?・・・あまり、残ってなさそうですね。

理由④:新卒として入ってきてから教えたほうが合理的

学生側は、意識の上では「インターンシップはインターンシップ」「就活は就活」と割り切って考えています。基本的にはインターンシップ先へ入社するために実習を受けに来るわけではありません。企業側はその前提があるからこそ、あまり深く学生側への教育にコミットするメリットがないのです。

したがって、インターンシップは「入社前教育」ではなく、「社会貢献」や「学生との早期コンタクト」という位置づけにならざるを得ないのが現状です。

逆に、4月に新入社員として大量入社してくる新卒社員は、インターンシップで実務経験済みの欧米の学生と違い、全く実務をやっていないまっさらな状態で入ってくるため、全力で育成しなければ使える状態になりません。したがって、この段階で入社後の教育に一気にカネ・時間を投下することは必須となりますし、タイミング的にも一番合理的な選択肢となるわけです。

このような状況なので、インターンシップ中は会社説明・仕事説明に毛が生えた程度でお茶をにごしつつ、「この先はうちの会社を是非受けてね。続きは入社してご縁があったら教えてあげるね?」といったような感じになっちゃうわけですね。

実務を学ぶならベンチャー企業や中小企業がおすすめ

では、学生側が在学中に、純粋に「業務を学び、実務経験を積む」にはどのような会社をインターンシップ先として選べばいいのでしょうか?

僕の考えでは、本当に実務を学ぶなら、以下のどちらかがいいと思います。

おすすめ1:設立したばっかりの「ベンチャー企業」

ベンチャー企業の場合は、純粋に猫の手でも借りたい多忙な状況だったり、コンプライアンスに厳しくない会社が多く、社員も学生も一緒になってインターンシップ期間中は一緒に仕事をやる。本来のインターンシップに非常に近いわけです。

ただし、ベンチャー企業の場合は社長さんの労働法に対する理解が今ひとつだったり、無給にも関わらず成果物責任を押し付けてきたりする実質「ブラックバイト」状態な会社もあるようなので、そのあたりの見極めは絶対必要ですが。

したがって、事前に情報サイトや学校のキャリアセンター、先輩の体験談など、口コミで情報収集は絶対欠かさないようにしてください。

おすすめ2:地元密着中小企業

昔からインターンシップをやっている地元の中小企業には、良い実習先が多いです。こういった会社の場合、社長さんの善意で長年「地域社会貢献」の一環として細々と取り組んでおり、大学のキャリアセンターとパイプがガッチリ出来上がっているケースが多いです。あるいは、社長さんがその大学出身で、「大学への恩返し」という意味合いで継続しているケースもあります。

こういう会社でも、実務をたっぷりと学べるケースが多いですし、何年も学生を受け入れており、扱いにも慣れているので地味におすすめなのです。また、地味な故に、学生側の人気もなく、応募したらすんなり通ることも多いです。

問題点は、「枯れた」業種業態が多く、最先端の職業分野ではないことが多いことです。昔から、細々と地場で中小企業でやっており、新規性・発展性はあまりなさそうです。そのため、とにかく華やかな業態で働きたい!という人には、あまり向かないかもしれません。

まとめ

日本のインターンシップは、良くも悪くも長年の日本型「新卒一括採用」慣行に大きく影響を受けており、実務よりも型式先行で普及しました。そのため、近年は本来の目的である「学生への実務を通した職場体験」の提供という意義を見失いつつあります。

ただし、今後は東京大学でスタートした「秋季卒業」生が出てきたり、新卒枠が既卒5年以内まで拡大する動きが出たりと、ますます新卒一括採用以外に採用チャネルが多様化してくる流れにはなってくると予想されます。

そんな中、欧米型のインターンシップのように、3か月みっちり実務をこなした後、そのままその会社に入社する、といった形態もぼちぼち出てきてもいいんじゃないのか?と思います。

日本の各企業も、インターンシップをいつまでも青田買いとしてでなく、実務をきちんと見極めて相思相愛で入社させる、そんな中身のある取り組みに近づけていってほしいものですね。

それではまた。
かるび