あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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近代洋画の巨匠、黒田清輝展(国立博物館)に行った感想→裸婦像多めでした(笑)

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かるび(@karub_imalive)です。

今年は特に美術展に見どころが多くて、年明けからずーっと上野に通いっぱなしです。そして今日は金曜日。美術館・博物館の開館延長日です。サラリーマンでも業務終了後にダッシュすれば何とかスーツのまま見て回れる日ですね。

折しも桜が満開で、出先で業務を済ませてそのまま18時過ぎに上野駅に直行すると、もういきなり酒臭いわけですが、桜もお花見の乱痴気騒ぎも何のその、脇目もふらず到着したのは国立博物館平成館。いやー、遠いわここ。そう、今日のお目当ては日本近代洋画の父と言われた黒田清輝の特別回顧展「生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠」でした。

早速ですが、その感想を簡単に書いてみたいと思います。

混雑度と鑑賞時間について

さて、まずは展示会の混雑度です。3月23日から開催されていますが、さすがにカラヴァッジョやボッティチェリに比べると知名度は低いと思われ、全然混んでいませんでした。

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もともと、ハコ自体が「国立博物館平成館」というゆったりとした展示室なので、人が一杯入ってもそれほど息苦しくはないと思います。前回行ったBunkamuraの国芳国貞展の狭い展示室に比べると広々としています。

ただし、今回の展示は絵画の数が非常に多いのです。黒田清輝の生い立ちから亡くなるまで、時系列でその絵画や書簡、メモ、デッサン、写真、映像資料、アトリエ復元など約200点程の大量展示でした。よって、じっくり見るなら2時間は欲しいです。

実際、僕も金曜日は18時過ぎに入場しましたが、閉館時間ギリギリまで粘ってようやく全部見終わったくらいです。なので、しっかり見たい人はある程度時間を確保して来場するのがいいと思います。

音声ガイドは綾小路きみまろ!

マイナーな展示会だから音声はないかもな?と思っていましたが、行ってみたらちゃんと綾小路きみまろの音声ガイドがついていました。うーん、なんかフィットするのかな?と思いましたが、そこはさすが漫談で鍛えた語り口。違和感なく耳に入ってきて大いに理解の助けになりましたよ。

#1を再生すると、黒田と同じ薩摩(鹿児島)出身で、今年65歳になるそうです。もうそんな年なんですね。彼の決め台詞「あれから30年・・・」的な語りが結構あった(笑)

ただ、なんか借りてる人ちょっといつもより少なめでした。

最初は法曹家を目指してパリへ留学した

黒田清輝(1866-1924)は、よく「日本近代洋画の父」と呼ばれます。その名の通り、明治~昭和初期にかけて、日本の西洋画画壇に多大な影響を残した重要人物でした。

ちなみに、明治の元勲で総理にもなった黒田清隆とは1文字違いです。同郷薩摩藩出身ながら、近縁ではなかったようですね。遠い親戚って感じです。

黒田清輝が面白いのは、彼のキャリアのスタートが画家志望ではなく、法律家志望だったことです。当初18歳の時、法律の勉強のためにパリに留学しました。しかしパリにいて、趣味で絵を描いているうちに、後に洋画家になる山本芳翠などの勧めもあり、20歳の時に画家へ転身します。

転身を決意した前夜、両親に宛てた書簡も展示されていました。
「今般天性ノ好ム処ニ基キ断然画学修行ト決心仕候」(超訳:やりたくてしょうがないので画家として頑張るぜ!)と決意が示されたその書簡を丁寧に読むと、近年再評価が進んでいる「五姓田義松」の名前なども書簡中に入っていて、そういえば同時期にパリにいたので交流もあったのだろうな、としみじみしました。

リア充な修行時代(彼女もサロン入賞もゲット!)

それ以来、フランスに約7年間滞在する間に、外光派の大物ラファエル・コランに師事します。そして、現地のパリ近郊農村で絵を描きに遠征したついでにちゃっかりとフランス人の彼女、マリア・ビヨーと出会います。こ、このリア充め!。そのマリア・ビヨーの親戚の家に転がり込んでをアトリエとして、マリアをモデルにした名作を多数描きました。特に印象深かったのは、入り口1枚目に展示されていたこれ。

黒田清輝『婦人像(厨房)』

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そして、同じく彼女をモデルとした「読書」が見事サロン・ド・パリに入選することで、一躍有名画家としてデビューすることになりました。

黒田清輝『読書』

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そう、この人の作品で彼女を描いた作品はいいのが多かったのです。

今回パンフレットやホームページ等で掲載された一番の代表作「湖畔」(重要文化財)も、日本に帰国してから後に結婚する奥さんをモデルにしたものと言われていますしね。フランスの彼女はどうしたんだお前

黒田清輝『湖畔』

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この絵画は、避暑として芦ノ湖畔に彼女(後の奥さん)と一緒にでかけた際に、急遽湖畔に座らせて絵筆を取ることになった作品だそうです。夏の涼し気な雰囲気がよく伝わってくる佳作だと思います。

黒田が影響を受けた画家たち

黒田自体、モネなどの印象派と同世代ではありますが、印象派の影響をある程度受けつつも、一歩引いたところから印象派の絵画については捉えていたと見られます。

彼がフランスにいる間に特に影響を受けたのは、田舎での農民たちの素朴な日常風景を描いた、通称「バルビゾン派」のミレーや、明るい戸外の写実的描写が特徴な自然主義のバスティアン・ルパージュ、そして外光派の主要画家だった師匠のラファエル・コラン達でした。そんな彼らの代表的な絵画も今回の展示会に持ち込まれており、黒田の絵画と合わせて非常に楽しめます。特に、オルセーからきているミレー「羊飼いの少女」は必見です!

ミレー『羊飼いの少女』

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バスティアン・ルパージュ『干し草』

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留学から帰国後、日本画壇で大活躍した

帰国してからは、それまでどちらかと言うと暗めで褐色系の色彩を帯びた西洋画が主流だった日本洋画界に、新風を持ち込みます。フランスで学んだ「外光派」絵画手法そして、印象派的な手法を取り入れた明るい色調の洋画を発表し、日本の洋画界に大きな転換点をもたらしました。

やがて、その勢いで1896年に美術の新団体「白馬会」を立ち上げたり、東京美術学校の西洋画科教授に就任します。さらに流派や作風を問わない文部省美術展(通称文展)を立ち上げたり、自ら絵筆を取るだけでなく、積極的に業界を盛り上げていきます。

元々は薩摩藩の有名氏族出身だったこともあり、この勢いで子爵家を継ぎ、貴族院議員になってしまうなど、晩年まで体制派、主流派のドンとして、日本における西洋画のレベルアップや画家の地位向上などに奔走しました。

今も昔も美術の中心地はパリやニューヨークであり、その西洋絵画に如何に追いつき、国際的な日本美術の地位を高めるかに腐心したあたり、時代は違いますが現代アートで奮闘する村上隆に通じるものがあると思いました。

裸婦にこだわりがあった

彼がフランスから帰国して西洋美術を広める際に、人体のありのままを描く「裸婦像」は西洋美術の基本形である、として、「裸婦像」作品を積極的に内国博覧会や文展等に出品していきます。しかし、なかなか当時はそれが理解されませんでした。たびたび彼が描く裸婦像は「わいせつなもの」として批判を浴び、規制がかかります。

そのたびに、毅然として圧力に負けず、「裸婦像」を出品し続けた熱い反骨精神は見事でした。パトロンが三井財閥の重鎮だったり、後の宰相、西園寺公望だったりと、体制側にがっちりパイプや後ろ盾があるにはありました。ですが、それでも今よりも言論統制が行き届いていた明治・大正期にそこまで自分の信念を貫くのは波大抵の決意ではなかったと思います。代表作を貼っていきますね。

黒田清輝『野火』

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黒田清輝の裸婦像では、代表作です。構図に師匠のラファエル・コランの影響が大きいとされています。

黒田清輝『裸体婦人像』

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1901年に制作され、文展に出品されましたが、審査員から糾弾され、なんと展覧会では下半身に絵画の上から腰巻きの布を被せられたという逸話が残っています。(上半身は良かったんだろうか・・・)

黒田清輝『花野』(未完成と言われている)

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そして、極めつけはこれ。

黒田清輝『智・感・情』

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パリの博覧会に持込み、銀賞を獲得して以来、ずっと死ぬまで公開せず自宅で確保していたというこの3枚の大判の連作です。日本人の理想的な身体像を表現したと言われるこの作品、意味深な謎のポーズが考えさせられます。3枚とも、顔つきがまさしく日本人らしいなと感じました。

黒田がなぜ「裸婦」にこだわったか、明確には展示会で示されてはいませんでしたが、明らかにこれはフランス留学時代の師、ラファエル・コランの影響と思われます。展示会ではコランの代表作品が展示されていましたが、コランはやたら裸婦ばかり描いています。

コランは「外光派アカデミズム」という流派に属し、写実主義と印象派を折衷した、明るく温和な画風が特徴です。黒田の画風にも多大な影響を与えたという文脈で、先に出したミレーなどと同様に、いくつか代表作が展示されていました。これがまた迫力のある特徴ある絵画で見応えがありました。

代表作の「フロレアル(花月)」は、印象派的な色彩の背景に、細部までリアルに描かれた3D画像のように画面真ん中に描かれた裸婦がものすごくリアルです。

ラファエル・コラン『フロレアル(花月)』

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どうでしょうか?画面真ん中に配置された裸婦が立体的に浮いて見えませんか?

まとめ

日本における西洋美術史を眺めてみると、画家として、また美術教育、行政にも深く関わった権威として、必ず名前が出てくる黒田清輝。 その強力な政治力をバックに、非主流派の画家たちに冷や飯を食わせるなど、後に日本西洋画壇の流れを印象派偏重に歪めてしまったと断罪されることもあります。

しかし、亡くなる直前までとにかく描きまくった大量の絵画を時系列で見ているとやはり政治家や教育・啓蒙家である前に、一人の画家として生涯キャリアを追求した熱い人物だったんだなと実感させられます。その意味では間違いなく本物のプロのアーティストでした。

黒田清輝という一人の人物そのものや、彼の人生を通して見えてくる近代日本洋画の歴史、また同時期の西洋画の状況など、いろいろなことが見えてくる濃い展示会でした。本当に行ってよかった。同時開催のカラヴァッジョ展等と比較すると地味かもしれませんが、非常に見応えがある骨太な展示会です。おすすめです!

それではまた。
かるび

PS 同時開催で、上野近辺ではこんなのもやってますので興味があれば、どうぞ~。

★4月3日まで「ボッティチェリ展」@東京都美術館

★6月12日まで「カラヴァッジョ展」@国立西洋美術館