あいむあらいぶ

東京の中堅Sierを退職して1年。美術展と映画にがっつりはまり、丸一日かけて長文書くのが日課になってます・・・

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巨大祭壇画が圧巻!ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち@国立新美術館の感想

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かるび(@karub_imalive)です。

7月13日から、ヴェネツィア・ルネサンス展が始まりました。今年の日伊友好通商150周年を記念したイタリア関連美術展のフィナーレを飾る大型展です。混雑する前にじっくり見たかったので、開催初日に行ってきました。以下、感想をまとめてみたいと思います。

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土日は混雑中!大妖怪展はこの夏超オススメの美術展でした!

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※文中の各写真は、主催者の許可を得て掲載しています

【2016年7月18日更新】休日、大混雑中!
かるび(@karub_imalive)です。

先週日曜日、江戸東京博物館にて開催されている「大妖怪展」に行ってきました。会期が始まってまだ最初の土日で、しかも雨だったので、まぁ余裕で入れるだろうとタカをくくっていたら、思ったより熱気が激しく、早くも大混雑していました。

ある程度人が入りそうだなと思っていましたが、出足も好調で、これはこの夏休み、盛り上がりそうな展示会になりそうです。大人から子供まで幅広く楽しめる総合展に仕上がっており、非常にお薦め。今回は、以下「大妖怪展」の感想レポートを書いてみたいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安

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僕が行ってきたのは会期5日目となる7月9日(土)の13時頃。博物館内のレストラン「FINN'S CAFE」で軽くピザとワイン2杯を頂き、いい感じになってから出動です。最近読んだ本で、「美術館に行ったらメシを食え!」とあったので、そうだ、たまにはいいよなと思って、食欲に負けて腹ごしらえ。

・・・しかし、食べ終わってチケット売り場に行ったら、想定外の混雑っぷり!

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しまった。メシとか優雅に食っている場合ではなかった!と酔いも醒めて一気に臨戦態勢です。この日は、チケット売り場での待ち時間が15分くらい。外国人や修学旅行中の学生もかなりいました。入場時は並ばずに入れましたが、会場内は人がパンパンでした。会期中盤以降は、確実に入場待ちが発生すると思われます。

できれば平日などを活用したり、土日でも15時以降に入るのが良いかもしれませんね。

【2016年7月18日追記】
大妖怪展、チケット売り場が混雑しやすくなっているため、Twitterで随時混雑状況を発表しています。チケット購入待ち行列のピークは7月18日(月)実績で、60分待ち。夏休みになると更に悪化すると思われます。公式Twitterをフォローしておいて、平日か夕方にでかけたほうがいいかもしれません。また、チケットは事前にコンビニやプレイガイドで購入してから出かけることを強くおすすめします。

2.音声ガイド活用がおすすめ

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音声ガイドもあります。今回の音声ガイドはベテラン声優の井上和彦が担当。今回の大妖怪展は、縄文時代~現代まで、幅広く「妖怪」をテーマに色々な切り口で日本美術を扱っているので、歴史的な背景を押さえるため、かなり音声ガイドが役に立ちました。レンタルおすすめです。

3.今回の「大妖怪展」の特徴・コンセプト

今回の大妖怪展は、まずその出展規模が過去最大です。展示企画責任者である安村敏信氏が、全国東北~九州まで出展交渉し、重要文化財、国宝はもちろん、レアな一品までかき集めてきました。展示数は、全128点。これを、会期中、前期・後期で順番に紹介していきます。

また、今回の展示では、「日本美術」の観点から、本物、オリジナルにこだわって出品されました。安村氏曰く、

「今の妖怪ウォッチを楽しんでいる子どもたちが、妖怪のルーツにこんな国宝があるんだ、と気づいて欲しい」

という思いで、粘り強く1点1点出品交渉を進めたといいます。

実際、展示物は、浮世絵・絵本・マンガ・絵巻物・屏風・彫刻・絵画と、日本美術で使われたほぼすべての形態で出展されています。

よって、サブタイトルに~土偶から妖怪ウォッチまで~と、子供連れにも対応した文言がありますが、妖怪ウォッチは完全に脇役です(笑)子供が展示に飽きたら、まず最後の部屋においてある妖怪ウォッチコーナーへワープしましょう(笑)

4.妖怪画を見る際に予習しておきたいキーワード

非常に混雑していますから、しっかり見るためにも、行く前に少し予習しておくと良いと思います。今回、実は僕も展示内容を1度では理解できなくて、2回観に行きました。ここでは、2回見終わった後で感じた、事前に予習しておくと良いキーワードを3つに絞ってお届けしたいと思います。

4-1:キーワード①:「百鬼夜行」

室町期から、繰り返し妖怪画の題名として使われた「百鬼夜行」。様々な妖怪たちがおどろおどろしく、また、時にはコミカルに絵巻物の中で騒いだり、練り歩いたりする絵には、たいていこの「百鬼夜行◯◯」というタイトルが付けられています。

4-2:キーワード②:「源頼光」

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引用:Wikipediaより

妖怪退治と言えば、この人。源頼光(みなもとのよりみつ)。実際に歴史上実在した人物で、藤原道長が君臨した、平安時代中期の摂関政治全盛時代に活躍し、後の「清和源氏」隆盛の土台を固めました。「平家物語」「源平盛衰記」では、土蜘蛛退治や大江山での酒呑童子退治のエピソードが描かれ、特に室町~江戸期は、有名絵師に何度も取り上げられました。今回の展示でも、かなりの点数で源頼光の妖怪退治が取り上げられています。

4-3:キーワード③:「六道」(りくどう)

展示終盤では、仏教絵画「地獄絵」が、妖怪画のルーツを探るために集中展示されています。その地獄絵で描かれるのが、「六道絵」(りくどうえ/ろくどうえ)です。六道とは、菩薩や如来が住む、いわゆる”天国”を含む、「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」の6つの世界を指します。

今回の展示会では、「天国と地獄」を6つに描き分けた「六道絵」やそのバリエーションが非常に見ごたえがあり、最後に待っているジバニャンを見る前に、しっかりと見ておきたいところ。

5.個人的に印象的だった作品たち

5-1.伊藤若冲「付喪神図」

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大流行中の若冲を外さず、しっかりと1点入れてきたところは、さすが。先日の山種美術館の記事でも紹介しましたが、伊藤若冲は緻密で超絶技巧な「動植綵絵」だけではなく、こうしたユーモアたっぷりの妖怪画なども手がけています。

この絵画で描かれている『付喪神』とは、作られて99年以上経過して古くなった食器や生活用品に魂が宿り、煤払い(大掃除)の際に捨てられた妖怪化したものです。大抵は可愛く描かれることが多いです。この若冲の作品でも、妖怪らしいコミカルな表情と、「黒・灰色」を基調とした色使いが見事でした。

5-2.歌川国芳「相馬の古内裏」

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そして、若冲にならんで近年人気が高い歌川国芳。日本美術に全く造詣のない超初心者の妻(自分も似たようなものだけど/汗)でも、「あのガイコツはよかった」「国芳はいい!」とひと目見てそのインパクト、ダイナミックな構図に感嘆していました。国貞国芳展でも注目されていましたが、何度見ても見飽きません。浮世絵といえば「美人画」という先入観を見事に壊してくれます。

5-3:歌川国芳「龍宮玉取姫之図」

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国芳をもう1枚。香川県の志度寺に伝わる話で、竜神に奪われてしまった、唐の皇帝から藤原鎌足へ贈られた贈り物を取り戻すために竜神と戦う海女を描きました。竜神のインパクトもすごいですが、周りの魚の妖怪たちもコミカルで見飽きないです。この自由奔放な大迫力の浮世絵、最高です。

5-4:門井掬水「牡丹燈籠」

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古典落語の名作、三遊亭圓朝作の怪談噺「牡丹燈籠」作中前半で出てくる幽霊「お露」を描いたもの。落語だけでなく、歌舞伎・演劇・映画など幅広く上演される怪談噺の定番ですね。落語好きなので、何度も見入ってしまいました。

5-5:大江山図屏風(写真は左隻)

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源頼光が大江山で酒呑童子を退治するシーンを、場面を区切りながら描いた屏風絵。17世紀に制作され、池上本門寺蔵となっていた作品ですが、とにかく緑色の発色が良く、保存状態が良好なので、ストレス無く物語をじっくりと追えました。日本美術だと、血しぶきが飛び散るグロいシーンでも、どこかファンタジックで非現実感が漂うため、楽しく鑑賞できちゃいます。

5-6:伝源信 「地獄極楽図屏風」

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わかりやすく、上方には極楽浄土が、そして真ん中右辺には人間界が、そして下方には地獄が描かれた屏風。鎌倉時代の作で、非常に古く資料的価値がありながら、かつ保存状態も非常に良い屏風絵です。構図もわかりやすいですし、食い入るように見てしまいました。きっと仏教伝導の際に、教育用途で繰り返し民衆に説法する際に使われたのかな。

5-7:妖怪ウォッチ「キャラクターボツ案」など

子供お待ちかねの妖怪ウォッチコーナーは、展示最終スペースに配置されています。その直前のコーナーで超古代の「土偶」を見たすぐ後、現代の「妖怪ウォッチ」へとタイムスリップする、その落差を楽しんで欲しいとは、企画責任者の安村氏の弁。

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目玉となったのは、アニメ中主要キャラとなった「ジバニャン」「ウィスパー」「USAピョン」のキャラクターボツ案です。特に、途中から追加されたUSAピョンは実に20点程度ボツ案があり、慎重に新キャラとして投入されたのだな、とわかりますね。

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正直、これは客寄せのためにちょっと取ってつけただけのようなネタに思えたのですが、うちの子供は食い入るように見ていました。「みて!USAピョンってこんなんだったんだよ?!」「ぱぱ、これぜんぶしってる?」とか興奮しておりました。子供には刺さるコンテンツのようです(笑)

6.展示替えについて

今回の展示会は、重要文化財や国宝が多数含まれていることも影響し、出展される128点のうち、実に75%以上が会期途中で展示替えされる予定です。また、巻物も会期中を4分割、6分割して「巻き替え」されます。沢山見ておきたい!という人は、少なくとも前期(7月5日~31日)、後期(8月2日~28日)の両方足を運べば大半の作品は何とか押さえられそう。9月以降の大阪展も同様となりそうですので、熱心な方は、2回以上足を運んでみるといいと思います!

東京会場の出品リストが公式HPにて公開されているので、リンクを貼っておきますね。
http://yo-kai2016.com/image/list.pdf

7.まとめ

今回は、妖怪展の総決算的な大展示会となりました。僕も、すでに早々に2回足を運びましたが、日本の妖怪画の多様さ・奥深さに非常に感銘を受けました。日本美術史上のビッグネーム達が競って描き、単に怖いだけでなく、コミカルさやユーモアもたっぷりと描かれた作品たちは、見応え充分です。

是非、会場に足を運んで、自分だけの一枚を見つけられるといいですね。お薦めの展示会です。この夏は是非!

おまけ:今回の展示会の予習/復習で役に立ったもの

今回の展示会前に、いくつかムック本が出ていますが、まずは「大妖怪展Walker」がおすすめです。展示責任者の安村敏信氏の熱いメッセージにはじまり、バッチリ展示内容のおさらいができます。また、江戸・上方それぞれの妖怪と深いゆかりがある場所への取材なども興味深かったです。

 

もう一つだけ紹介。すでに見てきた通り、妖怪画は決して怖いだけではなく、どこかしらファンタジックなおかしさやユーモアが漂っている作品が多いです。このムック本「かわいい妖怪画」では、大妖怪展に出展されている作品を含め、どこか可愛さを感じられる妖怪画が集められ、紹介されています。絵はかわいいですが、著者湯本氏の論評は対照的に理知的で丁寧な文章で、コンパクトながら非常に良質な本です。

 

大規模システム開発案件のデスマーチは、どうしてこんなにつらいのか

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かるび(@karub_imalive)です。

この春までSI業界にいたので、たびたび大型システム開発案件の大規模炎上を見てきました。そして、ここ最近はみずほ銀行のシステム統合案件が厳しいようです。

2012年頃からスタートし、一昨年くらいからヤバイんじゃないの?と言われていた案件がどうも最終局面な感じになってきているようですね。

規模的に見ても、大きすぎて後戻りできないっぽいので、カネと時間がいくらかかっても最後までやりきるしかなさそう。しかし、みずほ社内オトシマエとしてたくさんの悲しい人事異動が発令されることでしょう・・・。(まぁ、今回はソースがまとめサイトやマイナー雑誌の抄訳なので、詳細については続報を見守りたいところですが・・・)

さて、プロジェクトの炎上にも色々ありますよね。大きい案件なら数千人規模から、小案件なら2~3人規模のプロジェクトまで、規模を選ばず、炎上するときは炎上するものです。

僕は、都内の中小SIerにて、最初はSEとして、次に営業・採用として、残念ながら炎上した案件に多数関わってきましたが。中でも、大規模プロジェクトでの炎上、デスマーチほどキツいものはなかったです。今日は、このエントリにて、なにがどうキツくて、どう対処すればよいのか、簡単に思うところを書いてみたいと思います。

1.大規模案件の炎上案件は、入場時から燃えかかっている

大規模案件であっても、プロジェクト序盤は、多くても100名程度の比較的少人数でスタートします。プロジェクトが増員され、一気に数百名~数千名体制になるのは、1次請やコンサル会社が要件定義・基本設計あたりまで完成させ、いざ開発工程に入ろうかとなるところからです。

開発工程で一気に工数を積んで、大規模化するわけです。順次、2次請、3次請、4次請・・・といった会社が、順次体制を作ってピラミッド状に集まってくる。つまり、現在のSI業界の最大の課題である、多重下請構造をそのまま体現したような体制になるわけです。図にすると、こんな感じ。

大規模システム開発体制図f:id:hisatsugu79:20160706144319j:plain

そして、大規模案件で規模が拡大するのは、開発工程以降から。顧客とのシステム要件整理や基本設計の入り口くらいまでを1次請企業や、コンサル会社でやってから、開発工程全般を、いくつかのブロックに分けて2次請企業に発注します。さらに、2次請企業は3次請へ案件を切り出し、3次請は4次請へ・・・(以下繰り返し)3次、4次となってくると、プロジェクト現場へ人を派遣するイメージですね。

結果として、大規模システム開発案件にかかわる大半のメンバーは、開発工程以降を担当することになります。

しかし!

デスマーチが発生する案件は、前兆があります。開発工程が始まる前からすでに燃えかかっているんですよね。発注側と1次請にて最初に立てたスケジュール案が、はやくも微妙に遅れている。

本来なら、ここで仕切り直すチャンスです。開発に入る直前で、さっさとリスケして立て直せばいいんです。でも、積極的にはリスケされません。それは色々な大人の事情が絡みあうからです。

例えば、すでに株主総会等で投資計画が発表済みなので、経営陣はスケジュールを動かしたくない。また、リスケとなると予算追加=コスト増から、発注者側にて誰かが責任を取らなければならない。誰も責任は取りたくない。・・・と言った事情から、遅れが出ていても、当初のマスタースケジュールのまんま下位工程で強引に挽回を図ろうとする力学が働きやすいのです。

2.大規模案件のデスマーチはなぜ特につらくなるのか

同じデスマーチでも、大規模案件と中小規模案件では、つらさの質が違います。個人的な経験からは、大規模案件のほうがより数倍キツかった。なぜなら、中小規模案件の場合は、自己への学び・コミュニケーション面でのやりやすさ・継続取引の可能性、といった面で、将来につながる可能性があるから。ちょっと簡単に対比表を作ってみました。

大規模案件と中小規模案件のデスマーチの違いf:id:hisatsugu79:20160706151342j:plain

中小規模案件は、自社案件だったり、お客さんと近い立ち位置で仕事をするため、案件が燃えた場合は、責任はキツいですが、全体像が見えている分、まだわかりやすいのです。何がダメでやり直しとなるのか、お客さんは何を望んでいるのか、どうリカバリーすればいいのか、比較的プロジェクト末端にいても把握しやすいです。

したがって、タスク量から残業・徹夜が発生するにしても、目的がハッキリし、ゴールがつかみやすいので、まだ何とか頑張れます。また、キツいですが、リカバリーで回したPDCAなどから、得られる経験は大きい場合もあります。

それに対して、大規模案件でデスマーチに突入した場合は、基本的に消耗するのみです。何が起こっているのか把握できないまま、方向感・目的感がない終わりなき残業に突入していきます。そして、立て直せないままバッドエンドまで一直線となるのが特徴です。

特に、大規模案件のデスマーチでの問題となる事項を挙げてみます。

2-1:物理的な作業環境が劣悪になっていく

大規模案件でデスマーチが発生すると、とにかく増員につぐ増員となるわけです。開発スペースがすぐに足りなくなります。しかし、1次請or発注元企業に、ゴージャスに新規開発スペースを借りる体力はすでに残っていません。

すると、既存の開発スペースに無理やり長机を持ち込んで、ぎゅうぎゅうで仕事をしたり、倉庫や使ってない汚い会議室に押し込められたりします。

また、往々にして駅から遠く、通いづらいところに行かされたりして、通勤がきつくなる。また、急造環境なので、ネット環境がなかったり、貸与されるPCがなくて、自前で機材持込、とかもよくあります。新浦安とか幕張とかお台場の奥の方とか、遠いしホント勘弁して欲しい

僕がこれまでに見た一番劣悪な環境は、営業として担当したT芝、某特◯庁案件の開発スペース。現場を訪問してみたら、部屋は汚いし、ボロボロの長机に、室内人口過多で、変な匂いがしていました。ネットは接続禁止。また、冷房が壊れ気味で部屋の中は夏でもないのに灼熱地獄。風邪を引いている人も多かったです。あれはヤバかった。すぐに撤退しました。

2-2:何の作業をしているのか全体像が見えない

大規模案件が炎上した場合、今現在担当している作業が、一体何のために行われているのかサッパリわからなくなることがあります。例えば、発注元→1次請→2次請→3次請→僕の会社(4次請)とかだと、情報が錯綜し、全体像も不明、目的も不明。多重請負の下の方だと、情報が落ちてこないので、リーダーすら把握していない事が多いです。何をやっているのか見えない時、非常に不安になります。

2-3:しかし、単純作業は山のように山積・・・

それでも大規模案件の厳しいところは、山のようにモジュールがあって、詳細設計書や単体テスト仕様書、エビデンスなども膨大な量があるということ。山のような単純作業をひたすらオーバーワークで1日中こなすのは、本当につらいです。1日中JUNITとか1日中コピー取りとか、いい年してなにやってるんだかと思いましたよ。

新入社員の時期ならまだしも、何年もキャリアを積んだ後でも、こういう前座修業的な単純作業は、学びにもならず「あー、何をやってるんだろうなぁ」と非常に焦りが出てきます。

2-4:そして、意味不明なやり直し

それでも、何とか割り当てられた工程を消化して、提出しますよね。「あー、おわったー」と安堵していたら、次の日には、上位工程での設計ミスや仕様変更が入り、もう一度また最初からやり直しが判明。大抵は、多重請負構造の中でのつまらないコミュニケーションミスや、人間関係の悪化から来るコミュニケーション不足が原因です。PMOとかがいても、炎上局面では機能せず、お構いなしにひっくり返りますから。

そして、先週1週間かけてひたすらシコシコ書いた詳細設計書が、全部ゴミ箱行きとなった時の徒労感。これは半端ないです。

現役時代は、よく、「あぁ、賽の河原のようだ・・・」と思っていましたが、こういう局面でモチベーションが一気にダウンしていきました。

3.プロジェクト終了後の退職者が続出する

そうはいっても、大規模案件のデスマーチは、たいてい突然の終わりを迎えます。全員のモチベーションが下がりきり、目が死んだ所で大抵は最終局面だったりするものです。やりきって終わり、ではなく、1次請が白旗を上げちゃったり、開発自体が中止・凍結になるんですよね。

しかし、エンジニアの心はこれで晴れるわけではなく、ここで精神的に痛手を負った人は「自分をプロジェクトに参画させた」会社側に不満が向いていきます。日本人エンジニアはおとなしく責任感が強い人が多いので、プロジェクト中はじっと我慢しますが、プロジェクト終了とともに、退職したり、あるいは転職活動を開始したりするケースが多々あります。

僕も、エンジニア→採用・営業となってからは、デスマーチ終了後に沢山の社員を残念ながら送り出してきました。

4.唯一の対策は、大規模SI案件は燃えそうなら手を出さない

孫請け以下、開発工程から入った場合、一担当者がプロジェクトを建てなおすことは到底不可能です。だから、一番の対策は、君子危うきに近寄らず。会社としてデスマーチ案件に参画しないことです。

事前打ち合わせ時点できな臭さを感じたら、たとえ空き工数となったとしても、別案件を探したほうがいいでしょう。すでに参画してしまっているのなら、極力早いタイミングで撤退を図るよう会社に働きかけることだと思います。営業担当と相談し、契約延長をしないことです。

まとめ

大規模案件がデスマーチとなった場合、何が一番つらいか、というと、単純に業務負荷があがることではないのですよね。いつ終わるのか分からない不安、何をやっているのか理解できないもどかしさ、こういった要素が確実に精神を蝕んでいきます。

その中で、現場の雰囲気も、フィジカルな環境面も悪化していきます。エンジニア側にも会社側にもまったくメリットがありません。最終的には、関わった会社も社員もみんな疲弊し、退職者や病気が続出しますから。

残念ながら、現在の日本のSI業界の構造で、大規模案件でのデスマーチを避けるには、消極的ですが「早逃げ」の一手しかない、と思います。慢性的なエンジニア不足の状況下、敢えて火中の栗を拾わなくても良いかと。他にもいい案件はいっぱいありますから。

それではまた。

かるび

 

Twitterはブロックされたけど、ちきりん「未来の働き方を考えよう」はすごくいい本だった

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は、前職が人事労務系の仕事でした。今度復職する際もその系統がいいなぁと考えているので、離職中の現在でも、読書の際は一定量、人事労務系の本を読むようにしています。

最近は、近くに大型書店がないので図書館で片っ端から借りているのですが、人事・採用系の本って、内容の陳腐化が早いのですよね。

法制度の変更や人材市場の需給変化の速さから、僕の感覚としては、平均で約3年程度で内容が古くなってしまい使えなくなってしまいます。

そんな中、これは!という当たりがありました。それが、今日紹介させて頂く、ちきりん著「未来の働き方を考えよう」です。

出版年月は2013年6月と、約3年が経過していますが、その主張内容は全く陳腐化していません。むしろ3年前よりも本書の主張の重要性は益々高まっているように感じました。

あ、過去の経緯から、はてな界隈の人たちには評判が悪いことは知ってますよ。僕も、特に心当たりもないのに、なぜだか本人からTwitterでブロックされているから、わからなくはないです(笑)

しかし、この「未来の働き方を考えよう」は個人的なもやもや(あんま気にしてないけど)を吹き飛ばしてしまうくらい良い本でした。

1.未来の働き方=「人生は二回生きられる」

ちきりん氏が主張する、「未来の働き方」とは何なのか。実は、サブタイトルにこそ端的にこの本の結論が示されています。すなわち、

「人生は二回生きられる」

「人生は二回生きられる」とはどういうことなのか。それは、長い人生の中で、一度はキャリアをリセットすることを念頭に、人生を柔軟に考えてみようという提案です。

医療の発達による長寿化と、労働者人口減少による老齢年金の受給開始年齢の高年齢化により、これからは、より一層長期間働かざるを得なくなる。

例えば、大学を卒業して22才。そこから、年金受給がスタートする70才前後まで、約50年間も働かなきゃいけないわけです。60才で隠居していた昭和高度成長時代に比べると、10年近く労働期間が伸びるわけです。

年功賃金、終身雇用がガッチリ噛み合い、誰しもが右肩上がりの高度成長を実感できた昭和時代ならいざしらず、これだけ不確定要素が高まった時代に、「一生御社に骨を埋める所存です!」といった単線的なキャリア志向は成り立たない。

超長距離走となってしまった労働生活だから、自分の好きなところでどこかで休みを入れられるようにしよう、一旦休んで、また働けるような、そんな柔軟なキャリアを目指そうよ、、、という提案ですね。

2.やりたいことは「いつか」ではなく「今」やる!

では、意図的にキャリアをリセットして、何をやるのか?

それは、「人生で本当にやりたいことをやる」です。

60、70になってから、やりたいことが100%やれるか?というと、どうでしょうか?結構怪しいですよね?老化は誰にも平等に訪れ、そして誰も免れることはできません。

月1、2回美術館に通ったり、たまにバスで団体旅行に行くくらいなら、充分年老いてからも対応できます。でも、70才でトライアスロンができますか?スキューバダイビングができますか?登山ができますか?ということなんです。

やりたいことは、「今」やらないとダメなんです。

そして、本書でその基準、分水嶺とされるのは40才。
40才を境に、体力はピークアウトしていく一方で、様々な成人病のリスクは逆に上昇していくわけです。「老い」が本格的に始まるのですよね。だから、心身ともに若さをキープできる健康なうちに、いちどキャリアをリセットし、やりたいことをやる時間にあてなさい!というのが本書の趣旨です。

3.取りうる方向性のいくつかのパターン

では、「キャリアをリセット」し、やりたいことをやる時間を効果的につくりだすにはどうしたらいいのでしょうか?最終的には、一人ひとり状況や課題が違うので、細かい処方箋は自分で考えるしかないでしょう。その代わり、本書ではいくつかのおおまかな方向性や考え方のフレームワークが提示されています。

3-1.間欠泉的キャリア

市場ニーズの多い分野で就職することで、多少のブランクが空いても強烈な需給ギャップから、再就職の不安なくリフレッシュが可能となります。例えば、医療・介護系の仕事です。給与条件はともかくとして、今後高齢化が進む日本において、超売り手市場が継続することが目に見えています。こういった業界では、何年か働いたら、数ヶ月休みを取る、といった間欠泉的キャリアが可能になる、というわけです。

3-2.支出を抑え、ミニマムに暮らす

一生懸命働き、よりたくさん稼いで、より豊かな生活を目指す、という従来の常識と真逆の考え方を採るということです。必要生活費をできるだけ抑え、働く期間を最短化することにより、やりたいことをやる時間にあてる。「収入を増やす」から、「支出を減らす」へと発想転換を図れ、ということです。

3-3.ゆるやかな引退=プチ引退

40代までは普通に働き、それ以後の第二の人生で、ゆるやかな引退=自分スタイルの働き方に移行してみては?という提案です。例えば、今あなたが35才なら、あと5年~10年は仕事を頑張り、その後はやりたいことに合わせて、徐々に引退へとソフト・ランディングしていく、という考え方。ちきりん氏は、それを「プチ引退」と命名し、プチ引退には以下のパターンがあるといいます。

パターン1:半年だけ働く「シーズン引退」
パターン2:週に2、3日働く「ハーフ引退」
パターン3:好きな仕事だけ請ける「わがまま引退」
パターン4:夫婦でひとり1年ずつ引退する「交代引退」

このパターン別のプチリタイア案は構想としては良いんじゃないかと思います。すっぱりやめるのではなく、一部労働負荷を下げて、空いた余暇にやりたいことをやる。両取りでいいかもしれません。

そういえば、今の我が家のパターンは、まさにパターン4=「交代引退」状態であります。数年前に妻が育児出産中は、1年半ほど産休育休で会社を休職していました。今はフルタイムに戻り、代わって僕が離職中であります。

4.ちきりん氏の実体験に基づく体を張った提案

ちきりん氏のブログが批判される原因として、しばしば「アイデアはいいけど根拠が伴ってない」「思いつきでものを言っている」と言われますが、この本に限っては、それはあてはまりません。

なぜなら、今回の主張「人生をプチリセットして、やりたいことも都度やっていこうぜ!」という考え方は、まさに彼女自身の半生での試行錯誤から生まれた結論だからです。本書のP138には、こう綴られています。

実は私自身も、40代後半に働き方を大きく変えました。大学を出た後、日本の証券会社と米系企業に勤務し、20数年にわたって、資本主義の最先端のような場所で働いていました。[・・・]仕事自体は楽しく、やりがいも感じていましたが、40代になる頃には、「この働き方を今後20年も続けるのは、必ずしも自分の望んでいる働き方じゃない」と考えるようになりました。

その理由として、①加齢による体力の限界、②仕事への飽き、③両親との触れ合いの時間確保、④趣味のための時間と、大きく4点示した上で、このように締めくくります。

でも、今までの働き方を続けていたら、それらをすべて経験することは不可能だったのです。こうして次第に私は、40代の間にひとつめの働き方を終え、その後は別の仕事、別の働き方に移行するのも、ひとつの選択肢だと真剣に考え始めたのです。

なるほど。ちきりん氏が、独身で行動の自由が比較的取りやすい、という事を割り引いて考えたとしても、外資系優良企業でのゴージャスな給与やステータスを放りだして、「ちきりん」という一ブロガーになってしまうのは、やはり相当葛藤があったと推測します。

少なくとも、本書で「煽られている」と感じるようなことは一切ありませんでした。真摯に本音が綴られていると思います。

5.心配なら徹底的にモデルケースを調べよう!

・・・とは直接本には書いてないんですが、ただ、本書の結論部分でも「自分の生きる道を見つける力は、能力の高低や家庭環境の善し悪しには全く無関係」と書かれています。僕も全く賛成です。

そして、それをどう実現するかについては、必ず先人に類似するケースが見つかるはず。心配なら、徹底的にキャリア事例を調べることです。ネット上でも本でも、いくらでも先進的な生き方をしている人が見つかるし、その成功/失敗事例も手に入ります。

心のカンフル剤として一時的に高揚するためではなく、そこから学び、自分自身に活かすために徹底的に調べるのです。そこから先は、ちきりん氏の仕事ではなく、自分自身のタスクですよね。

6.まとめ

この本は、これからの生き方やキャリアに悩みを抱えている全ての人に幅広く役立つ可能性を秘めています。「未来の働き方を考えよう」と問われているので、決して手取り足取り教えてくれるわけではありません。考え方の方向性や、フレームワークをインプットしてくれるに過ぎないわけです。いわば、「こんなキャリアの考え方はどうですか?」という抽象化された提案レベルであります。

それでも、直線的な従来型キャリアしか見えていなかった人には、大きな問題提起となります。そして、本格的にダブルワークや早期引退を考えている人には、その戦略立案の大きな助けになる本です。

決して甘くはないのですが、何度も読み返すと自分自身に気づきが起こる良い本でした。わけもわからずツイッターをブロックされているからといって、ブコメが書けないからといってメゲること無く、虚心坦懐に読み込んでみました。本当に、良い本でした。ブロックされてなきゃなおよかった(笑)

そんじゃーねっ!!
かるび

江戸絵画を堪能したいなら、山種美術館へ行こう!~開館50周年で所蔵コレクションを豪華展示中~

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かるび(@karub_imalive)です。

暑くなってきましたね。ここ最近、3日おき位にせっせと美術館通いに勤しんでいるんですが、こう暑いと美術館にたどり着くのが大変です。都心といっても、美術館は閑静な住宅街の中にあったりと、結構駅から歩かされることもあるからです。

昨日7月3日は、2016年では東京で初の猛暑日。35度を超えるうだるような暑さの中、駅から15分苦行をこなして、山種美術館の「青い日記帳✕山種美術館 ブロガー内覧会」に行ってきました。死にそうになってたどり着いたら、美術館の中は、キンキンに冷えた砂漠のオアシスみたいなところでした(笑)

今日は、そんなブロガー内覧会の様子を少しレポートしたいと思います。

1.山種美術館ではブロガー向け内覧会を強化中

美術館や博物館で「内覧会」というと、通常は展示会会期前や、夕方以降の閉館時間帯に行われる、マスコミや研究者などの、いわゆる「関係者」向けの特別イベントのことを言います。映画の試写会みたいな位置づけだと思ってもらえれば。

日本国内の展示会では、作品保護やビジネス上の配慮から、通常展示会では写真撮影等が厳しく制限されることが多いですが、こういった内覧会では、一定のルールの下、ある程度の写真撮影が許可されます。

今年に入って精力的に美術展回りとブログ記事での感想をアップしている中で、なんとかならないのかな~と思っていたのが、この「写真撮影禁止」というルール。だって海外などではほぼ最近はオール撮影OKなわけですよね。

もちろん、趣旨は理解できるのですが、ブログを書く際にどうしても自分のお気に入りの作品などの画像がないと、雰囲気が上手く伝わらないことがあるんですよね。

そういう時は、色々なWebサイトから写真をお借りするのですが、でもやっぱりブログ書いている限りは、自分で撮影した写真を掲載したい!「あぁ、この写真さえあればしっかし紹介できるのになぁ」と地団駄を踏んだケースが結構ありました。

その点、山種美術館では、情報拡散の目的のためにマスコミ向け以外で、ブロガー向け内覧会を定期的に開催しています。ここ最近は、美術系ブロガーの大御所、Takさんとコラボした企画を行っており、今回、Takさんのブログ経由で応募して行ってきた次第です。

2.山種美術館について

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(引用:http://www.yamatane-museum.jp/

山種美術館は、東京の広尾にある、日本画専門の私設美術館です。1966年に開設され、今年で開設50週年を迎えました。そして、その所蔵する作品群は名品揃い。創始者は、昭和の戦後、米事業等で大成功した、株式会社ヤマタネの創業者、山崎種二氏です。苗字の「山」と名前の「種」を取って「ヤマタネ」ですね。

この美術館は、一般には、明治~昭和期の近現代日本美術に強みがあるとされていますが、実は、江戸絵画も結構強いんです。このあたりのニュアンスは、昨日の内覧会で、山崎館長より説明いただいたエピソードが面白かったのでちょっと紹介します。

種ニ氏は、絵画を集め始めた最初期に、酒井抱一の絵画を購入したそうです。まだ米問屋の小僧をしていた10代の頃に抱一の絵に惹かれ、自分も財をなした後は抱一の絵を床の間で愛でるような主人になりたい!という強い思いを持ったことがきっかけでした。

結果、米相場で大成功し、念願の酒井抱一の絵を手に入れるのですが、それが後でニセモノを掴まされたと判明。それ以来、「今現在同時期に生きている人の作品なら間違いは無いだろう」ということで、一旦は江戸絵画収集をやめて、速水御舟や竹内栖鳳、小林古径らの近現代作品収集へとシフトしていきます。

しかし、美術品を買い集めていく中で、やはり彼の思いの原点である「江戸絵画」への思いは捨てきれなかったらしく、コツコツと収集する中で、結果として江戸絵画においても、今の非常に良質なコレクションが出来上がりました。

実際、昨日の内覧会で見た江戸絵画群は見事なラインナップでした。開館50周年ということもあり、所蔵する江戸絵画のベストメンバーが出てきた感じです。最近江戸絵画にハマっている初心者クラスの僕でも、その凄さがすぐわかるくらいでした。

3.開館50周年の記念特別展を実施中

現在そんな山種美術館では、開館50周年を記念して、来年4月まで以下のように、記念コレクション展を全4回にわたって開催予定となっています。全力で出し惜しみなく作品を出してくれると思いますので、期待しましょう。(詳細はこちらへ

え、僕ですか?もちろん皆勤する予定です!

・絵と絵画への視線ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー
 2016年7月2日(土)~8月21日(日) ただいま開催中
・浮世絵 六代絵師の競演ー春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重ー
 2016年8月27日(土)~9月29日(木)
・日本画の教科書 京都編 ―栖鳳、松園から平八郎、竹喬へ―
 2016年12月10日(土)~2017年2月5日(日)
・日本画の教科書 東京編 ―大観、春草から土牛、魁夷へ―
 2016年2月16日(木)~4月16日(日) 

4.今回見てきた内覧会

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さて、今回参加した内覧会はコレクション展第1弾、「山種コレクション名品選Ⅰ 江戸絵画への視線 ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー」ということで、浮世絵以外の江戸絵画をたっぷりと楽しめる内覧会でした。

内覧会は、17時30分スタート。主催者のTakさんの挨拶で始まり、1時間たっぷりかけて、学芸員の三戸さんによる、ディープでマニアックな解説を拝聴しました。

内覧会の様子f:id:hisatsugu79:20160704204521j:plain

そして、19時からは、1Fの喫茶スペースで、オリジナルの和菓子をいただきながら、あらためてTakさんのトークコーナーと質疑応答。最後は、館長さんからの告知とご挨拶で、19時30分にお開きとなりました。

Takさんプレゼン中。僕は座席で和菓子を頂き中
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あっという間の2時間で、学芸員さんの充実解説は聞けるし、お菓子はいただけるし、写真は撮り放題だし、すばらしいブロガー向け内覧会でした。他の美術館もこういう取り組みをもっとやってもらいたいものですね・・・

5.展示の見どころ~若冲展の次ならこれ~

先日の「伊藤若冲展」で初めて本格的に日本絵画を見た!という人も結構いるかと思います。では、その後どう取っ掛かりを作っていけばいいのか?

僕の考えは、ずばり「江戸絵画にはまれ!」です。

比較的若冲と類似した作風の画家が多く比較検討しやすい、江戸中期以降の「江戸絵画」を流派別、年代別に一気に俯瞰してチェックする中で、お気に入りの絵師を見つけるのが一番だと思うのですよね。

しかも、江戸絵画はまだ新しいので、絵も傷んでなくて見やすいのもストレスがなくて良いです。(室町以前の絵画は、もう茶色くなって劣化しているのが多くて見るのがしんどい物も多い)

ということで、次のセクションからは、今回の展示会で、特に気に入った作品を、幾つか紹介しますね(僕の撮った下手くそな写真で/笑)

6.特に印象的だった作品

点数はそれほど多くないですが、大物の屏風絵を始めとして、1点1点かなり突っ込んで見ていきたいものが多かったです。

6-1:伊藤若冲「伏見人形図」(無所属)

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若冲展を見た人は気づかれた方が多いと思いますが、若冲は意外と作風が幅広いのです。細密な動植物の絵図「動植綵絵」シリーズを始め、超絶技巧なイメージが強い若冲ですが、意外にも力が抜けたユーモアたっぷりの絵画もたくさん手がけているのですよね。

伏見人形は、土粘土をこねて作る「土人形」なのですが、これを表現するために、若冲は「筆使い」ではなく、顔料に混ぜ物をするなど、素材を工夫することにより人形の質感を出そうとしました。これは当時では画期的なことだったそうです。若冲が「奇想」の画家と呼ばれるゆえんですね。

6-2:酒井抱一「飛雪白鷺図」(江戸琳派)

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華やかできれいな図柄、虫や鳥が何気にかわいいのが特徴の「琳派」ですが、18世紀には後継者不在により、一旦下火になっていました。

しかし、そこで中興の祖が出ます。酒井抱一です。始祖である尾形光琳・乾山に私淑し、同時に彼らの研究者でもありました。自ら、江戸で「尾形光琳没後100周年記念展示会」などを企画しつつ、自らも絵の才能を遺憾なく発揮して秀作を連発、琳派を再び盛り上げていきます。「天は二物を与えず」とはいいますが、酒井抱一には、プロデューサー、研究者、画家と3つくらいの才能があったんですね。

僕も、酒井抱一は大好きで、江戸絵画の中ではダントツに一番好きです。飽きが来ないんですよね。絵の前で何時間でもお茶とか飲んで佇んでいたい感じ。

この冬の図柄、「葦と鳥」の図を抱一はいくつか残していますが、恐らく得意なパターンだったんだろうなって思いました。ちょうど同時開催中の出光美術館「美の祝典」展でも同様の構図の絵画が出展されています。

6-3:酒井抱一「秋草鶉図」(江戸琳派)

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同じく酒井抱一の屏風絵。秋草にうずらが戯れていますが、このラグビーボールのような謎の物体は一応は「月」であるとされます。でも月であるならば、弦の向きが反対なのはなぜなのか、そこはまだ研究中とのことです。個人的には、もうちょっと高い所に持ってきたほうがいいんじゃない?って思うんですが、、、。UFOみたいですよね。

6-4:岸連山「花鳥図」(円山四条派)

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孔雀と鶴がゴージャスな、二艘の屏風絵の大作。円山応挙を始祖とする写実的な作風である、円山四条派の流れをくむ画家です。純粋に絵のリアルな迫力と、上品で幻想的な構図にしばらく見惚れてしまいました。

6-5:池大雅「指頭山水図」(文人画)

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文人画とは、元々は、職業御用絵師達の描いた「院体画」に対して、教養人たちが自らの教養を示すための「余技」としてたしなむものとして中国で発達しました。その中国に習い、日本でも江戸中期頃より、京都・江戸や有力諸藩のいる各地方にて、教養人を中心として流行します。教養人同士で詩歌や手紙と一緒に絵を送り合ったりしたわけです。ヒマですよね、江戸の知識人って・・・

池大雅は、その中でも、職業専業画家として文人画(南画)を大きく世に広めた第一人者です。同じく文人画家だった与謝蕪村、写実的な絵画で一世を風靡した円山応挙、そして現在ブレイク中の伊藤若冲らと同時代に京都で活躍していました。この「指頭山水図」は、「指墨」「指画」とも言われ、手の指先や爪、手のひらなどを駆使して描かれた超絶技巧的作品です。・・・しかし画像だと伝わらないな~。

6-6:山本梅逸「白衣観音図」(文人画)

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山本梅逸は、19世紀に三河・尾張で活躍した文人画家です。彼らは、京都・江戸だけでなく、各地の有力藩のお膝元でも活躍しました。恥ずかしながら山本梅逸については、今回の展示会で初めて知ったのですが、個人的にかなり気に入りました。

ネットで調べたのですが、今ひとつ有力な資料や過去の大規模回顧展の記録なども見つからず、どうしたものかと思っていたのですが、購入した図録で、日本美術の大家、山下裕二教授が

「さらに、山本梅逸、椿椿山、日根対山、冷泉為恭などの作品は、これまで研究者にすら公開される機会がきわめて乏しかったから、今後、本展を景気に研究が進展することを期待したい」 

と書いているくらいですから、まだまだ埋もれてる(?)画家なんじゃないかと。若冲のように、我々が積極的に見つけてあげないと?って思いました。この観音様を描いた筆使いとか、ふくよかで中性的な感じとか、すごく良いと思うのですが、どうでしょうかね?

6-7:山本梅逸「桃花源図」(文人画)

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山本梅逸をもう一丁。こちらは、遠く引いてみた時に、桜のピンクの発色がすごく綺麗で、ホントに150年前の作品なの?とマジマジと見てしまいました。美術館の保管もよかったのでしょう。春先でまだ寒さも残る中、割と控えめに咲いている桜と遠景の山、そして川の流れが構図的にも美しいなと感心しきりでした。

7.まとめ

江戸絵画は、比較的状態のよい作品が多く残っていますし、中期以降は特に諸派入り乱れ、本当に見応えのある作品が物凄く多いです。19世紀後半に入ると、流出した日本画がパリで「ジャポネスム」として大流行。近代西洋絵画に大きな影響を与えました。

今回の山種美術館の50周年記念展では、第一弾は江戸絵画、第二弾は浮世絵の所蔵コレクションが一挙大放出して展示される予定です。共に、中身が濃く凝縮された展示会です。江戸時代の各流派の大家たちの代表作品に一気に会える良い機会なので、この夏は是非山種美術館に出かけてみてくださいね。僕も、さんざんこれからリピートしたいと思っています。

それではまた。
かるび

300点以上の充実展示!古代ギリシャ展@東京国立博物館はこの夏おすすめ!

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かるび(@karub_imalive)です。

今年からプライベートで時間ができたこともあり、頻繁に博物館や美術館など、学術系のイベントに行くことが多くなりました。上半期は多分人生40年で、一番見て回ったのではないかと思います。そんな中、上半期最後に行った展示会が大当たり!でした。

「特別展 古代ギリシャ ー時空を超えた旅ー」

2011年に国立西洋美術館で「大英博物館 古代ギリシャ展」が開催されて以来、同様のテーマでは5年ぶりとなります。最初、企画名を見た時は、「まぁ、どうせ土器とか彫刻が置いてあるだけだよね?」いまさらギリシャか~と思ったのですが、その認識は大間違いでした。

もちろん、瓶や土偶、金細工の装飾品みたいに、典型的な古代の代名詞みたいなものもあるのですが、それだけじゃありませんでした!彫像や壁画、美術品など、結構持ってくるのが難しそうなものまで、ありとあらゆる古代の遺品が、なんと充実の325点!

1回じゃ見切れないほどの大規模展で、かつ、話題性のあるトピックも散りばめられていて非常に感嘆いたしました。さすがトーハク(東京国立博物館の愛称)、いい仕事します。ということで、前置きが長くなりましたが、以下、少しレポートを書いてみたいと思います。

1.混雑状況と所要時間の目安

僕が現地入りしたのは、6月29日(水)11時30分頃でした。平日です。なぜ平日にホイホイいけるかっていうのは、こちらを見てくださいね。まだ会期も始まったばっかりだし、地味だから人も少ないだろう・・と思っていたら、意外といます!

さすがに平日昼間という時間帯ですから、高年齢者が多めですが、これは休日や夏休みシーズンになったら混雑しそうですよ!参考までに、前回5年前の「大英博物館展」では257,000人の動員がありましたが、今回はもう少し行きそうな気がします。

展示品がめちゃくちゃ多く、しかも捨て展示品みたいなのがなくて、展示品のレア度やクオリティが高いため、所要時間は最低1時間30分は必要だと思います。混雑したら、2時間は覚悟がいるかも。僕は、3時間15分かかりました。今季最長滞在時間でした。つかれた~。

※7月10日までは、同時開催「ほほえみの御仏」展での持ち物チェックが博物館ゲート前であるので、土日は入場前にさらに少し混むかもしれません。ご注意を。

2.音声ガイドは市村正親

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個人的には、ブータン展での鶴田真由のような癒し系ガイドを期待していたんですが、まぁいいでしょう。お金はかかっている感じ。音声ガイドの監修には、ポンペイの壁画展の企画者でもある芳賀京子氏なども入っていて、分かりやすくて良かったです。

音声ガイドについては、必ずしも借りなくても良かったかなっていう展示会もありますが、今回はお薦めです。非常に勉強になるガイドでした。市村さんの声はともかく、内容が素晴らしかった。余裕があれば是非!

3.古代ギリシャ展のコンセプト

f:id:hisatsugu79:20160701161330p:plain(引用:特別展 古代ギリシャ ー時空を超えた旅ー

一般的な歴史区分で、ローマ以前の「古代」とされる時代全部をひっくるめて見通しちゃおう、という展示会です。

カバーされている範囲としては、世界四大文明とほぼ同時代、紀元前6000年くらいの超古代から始まり、アレクサンドロス大王の最後の後継者であるクレオパトラのエジプトがローマに完全吸収される紀元前30年までの約8000年間です。途方もないですね・・・

また、いわゆる美術展というより、歴史・政治・風俗・文化などにも幅広くスポットライトを当てた展示なので、美術ファン以外の人も充分楽しめる内容です。

4.展示構成

平成館の2F全部を4部屋動きまわる中で、歴史の時系列に沿った展示になっています。超古代の時系列から始まり、ミノス、ミュケナイ時代~アルカイック時代、クラシック時代~ヘレニズムからローマ時代へと、部屋を進んでいきます。

その中で、ちょくちょくミニテーマとしてちょうど「演劇文化」や旬のトピックでもある「民主政全盛時代の選挙」や「オリンピック」などの特集展示もあり、粋な計らいを感じました。個人的には、もう少しプラトンやソクラテスなんかも出して欲しかったかな。

5.ギリシャの歴史や地理について

行く前に予習するとしたら、是非古代ギリシャ時代の歴史年表と、ギリシャ周辺の地図を眺めておくと、絶対に楽しめます!歴史年表は、展示会でメモした情報を元に、試しに作ってみました。うーん、勉強になるなぁ。

古代ギリシャの簡易年表f:id:hisatsugu79:20160701173252j:plain

地図は、ネットで探せばゴロゴロ出てきます。
歴史好きの方や旅行会社が作ってくれているわかりやすい古代のものが沢山あります。こうやって見ると、ギリシャって島が多いんですねぇ。今回、こちらからお借りしました。

古代ギリシャ 地図f:id:hisatsugu79:20160701173627p:plain(引用:http://www.ohjiiji.com/gr/greeceaegeatabi.html

6.特に印象深かった展示品

多すぎて書ききれないんですが、敢えて絞ってピックアップするとこんな感じかなっていうのをいくつか挙げてみました。

6-1.スペドス型女性像(BC2800~2300、後期新石器時代)

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東洋もそうですが、古代の出土品って高度に抽象性が表現されていて、しかも個性的なデザインで。本当に飽きが来ないです。このスペドス型女性像は、例外的に大きくて迫力がありました。

ピカソやモディリアーニなどの近代の美術家たちが、この女性像からインスピレーションを得たという話ですが、まぁ確かに分かりやすく影響を受けてそうです。
モディリアーニ
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(引用:アメデオ・モディリアーニ-主要作品の解説と画像・壁紙-

スペドス型女性像に目を描き足したら、モディリアーニの絵の女性そっくりになると思うんですが・・・

6-2.牛頭型リュトン(BC1450頃、後期ミノス文明)

これは、写真で見るより小さく、サッカーボールほどの大きさでした。ですが、制作された時期を考えると驚異的な精密さです。牛を聖なる動物として崇めたミノス文化の傑作だと思います。

牛頭型リュトン
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で、これは単なる飾り物ではなく、祭祀などに実際に使われていた形跡があります。頭部に空いている2つの穴からワインや水などを注ぎ、それを喉元に開いた穴からコップなどに注ぎこんだと予想されています。

牛型リュトンの使いみちf:id:hisatsugu79:20160701160416j:plain

6-3.漁夫のフレスコ画(BC1700頃、ミノス文明)

紀元前1600年末にテラ島の火山大噴火により、一瞬で火山灰に埋もれて滅亡した都市遺跡から出土したフレスコ画。ポンペイの壁画みたいですね。驚くべきは、制作想定年月です。奇跡的に良好な保存状態からは想像もつかないほどで、何と今から3700年前の作品なんですよ!!火山グッジョブ!!その頃の日本列島は、まだ稲作すら始まっていないのですよね。これは、博物館でナマの壁画を是非見て欲しいです!

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6-4.クーロス像(BC520頃、アルカイック時代)

暗黒時代が終わり、紀元前9世紀に入ると、エジプト彫刻の影響を受けて、急速になめらかで写実的な芸術表現が発達していきます。この時期の大理石の男性彫刻像を、「クーロス像」と呼ぶのですが、今回出品されているクーロス像は、非常に状態が良いです。ふくよかな体格、自然な筋肉美など、すでにこの時代に西洋美術の基本がほぼできあがっているんですよね。その頃の日本は、弥生時代になったばっかりで、良い所土偶レベルであります。(土偶は土偶で大好きですけどね)

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(引用:http://www.asahi.com/panorama/160620greece2016/

6-5.オリンピック特集展示

展示会では、後半部分でオリンピック関連の展示品がかなり大々的にクローズアップされていました。ちょっと古代オリンピックについて、簡単に振り返ってみましょう。

紀元前776年、アテネ北方の城郭都市、オリンピアのゼウス神域にて第1回オリンピックが開催されました。ギリシャ中から代表選手が集まった第1回では、スタディオン走(約190m)という短距離走のみでスタートします。競技は、余計な衣類をつけず、全身裸で行われたと言われます。

その後、正式に以下の「5種競技」の総合得点で王者を選ぶゲームに進化していきます。

  1. スタディオン走(短距離走)
  2. 走り幅跳び
  3. 円盤投げ
  4. やり投げ
  5. レスリング

なんだか、マッチョ系の人材が有利な感じもしますが、この5種競技に、後から加わった戦車競走などをモチーフとした作品群が大量に出土しているんです。4年に1度、合計290回余りも開催される中、各地から参加した選手たちが、戦いを終えて地元に帰った際に、参加記念品を地元の神殿に奉納したからだと言われています。

ちょうど東京オリンピック開催、そして8月にリオ・オリンピック開催を控えて、非常にタイムリーな展示でした。下記のようなツボやコイン、彫刻など、様々な品が飾られています。

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(引用:東京国立博物館 - 1089ブログ

6-6.高度に発達した民主政

今回の展示会では、「選挙」を意識したのか、偶然なのか、民主政に関連する展示品も珍しい物がいくつかありました。

ギリシャ文化が最盛期を迎えたのは、ペリクレスの指導下、西暦477年にデロス同盟が成立し、アテネが覇権を握った前後と言われています。その強固な体制を支えたのが、安定した民主政治でした。

アテネは、住民に対して、法の下の平等や、言論の自由、投票権など、現代民主国家とほぼ同様の人民の基本的な権利を保証していました。

例えば下の「陶片追放」(オストラキスモス)制度。
独裁者になる恐れがある危険人物の名前を陶片に刻んで投票し、6000票を超えた者は10年間の国外追放とする制度です。アテネ全盛期の紀元前510年頃から法制化されて70年ほど続きました。いわば変形版住民投票みたいなものでしょうか。実際にこの制度を使って、当時の為政者が追放されています。是非、M添さんにはこちらの展示品を視察していただきたいものです。私費でね^_^

実際に陶片追放で使われた「陶片」f:id:hisatsugu79:20160701155716p:plain
(引用:http://www.fashion-press.net/news/22644

そして、こちらは裁判員を選定する際の「抽選機」です。訴訟ごとは、陪審みたいな制度で抽選で選ばれた住民代表による裁判が行われていたのですよね。実際に現物を見ると、本当に感慨深いです。

裁判官を選ぶための抽選機
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6-7.アルテミス像(BC100頃、ヘレニズム時代)

古代ギリシャ文化では、男性は裸でも、女性は必ず着衣だったのが印象的でした。わりと性表現が抑制されていたのですよね。女性から衣装が取れていくのが、ヘレニズム時代~ローマ時代に移り変わる中でした。アレクサンドロス大王が征服した奔放な東方の文明と交流が進む中で、より過激で妖艶な表現に変わっていったようですね。

そのあたりも、歴史の移り変わりを俯瞰して見渡せる総合展示会ならではの気付きだったと思います。

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(引用:http://www.asahi.com/panorama/160620greece2016/

7.まとめ

さすがは国立博物館です。企画が立てられてから、6月下旬の展示会本番を迎えるまで、恐らく数年がかりで準備した大プロジェクトだったでしょう。遠く離れた現地に行かなくても、1箇所でこれだけ古代ギリシャの歴史・文化・美術品を一気通貫にリアルで見れちゃうのは、本当に凄いことだと思います。いい時代だ・・・。

夏休みの時期でもありますし、地方在住の人も、近辺に立ち寄った際は、是非検討してみてはいかがでしょうか?下期も含め、トーハクの今期展示会では今のところイチオシの展示会です!

8.今回の展示会の予習/復習に参考になる本

今回の古代ギリシャ展では、ギリシャという国の成り立ちや、考え方、またその創生期から練り上げられてきたギリシャ神話などを頭に入れた上で見て回ると、さらに理解が深まると思います。

当日の物販でも売られていましたが、昨年出版された「古代ギリシャのリアル」がイチオシ。作者の藤村シシンさんは、高校時代に「聖闘士星矢」経由でギリシャ神話にハマってから、古代ギリシャに人生を捧げることになったそうです。

そんな藤村氏が、ギリシャ神話や古代ギリシャの人々について、カジュアルにわかりやすく説明してくれる本です。労働観や恋愛事情など、現代人とはかなり違うギリシャ人の奔放な考え方に驚かされますよ。僕は展示会後に入手して読みましたが、できれば行く前に読んでおけばよかった!

9.ポンペイの壁画展(名古屋展が7/23からスタート!)

また、少し時代は下ってローマ時代(紀元1世紀)になりますが、ヘレニズム時代のギリシャ文化をそっくりそのまま受け継いだローマ時代の壁画そのものをそっくり日本に持って来ちゃった、という「ポンペイの壁画展」が、六本木森美術館にて今週末7月3日まで開催中です。これはガラガラでじっくり見れました。

もし見逃しても、このあと名古屋、神戸、山口、福岡と巡回していくので、そちらでチェックしてみてもいいですね。

  • 2016年7月23日(土)~9月25日(日)名古屋市博物館 
  • 2016年10月15日(土)~12月25日(日)兵庫県立美術館
  • 2017年1月21日(土)~3月26日(日)山口県立美術館 
  • 2017年4月~ 福岡市内の美術館(現在検討中)

それではまた。
かるび

ブログは大好きなんだけど、書き出すまでにうだうだしてしまう優柔不断なくせをなんとかしたい

かるび(@karub_imalive)です。

最近長大エントリばっかりなので、今日は日記のような記事を短くアップしますね。

会社をやめて2ヶ月目に突入しました。退職してから、予定通り、毎日図書館や美術館、博物館、落語会などに通いながら、主夫業にも精を出す毎日です。仕事してる時よりなんか忙しいぞ(笑)

そして、このブログ。サバティカル期間中に見聞きしたことは、極力ブログでアウトプットしよう!と決めました。逐一こういったパブリックの場にアップすることにより、学びの定着を図りたいという思いがあるからです。

 

でも、これが、なかなか筆が進まないんですよね。目下、それが悩みであります。

 

ブログでのアウトプットを、ムリやり擬似的な「仕事」とみなすと、セミリタイア生活下での唯一の仕事はブログを書くくらいのものなんですが、この2ヶ月でアップできた記事はわずかに20件程度。す、すくない・・・。会社辞める前とペース変わってないじゃないか・・・OTL

ブログ書くのすきなのに、なぜか取り掛かれないという。

そこで、なんで筆が進まないか振り返ってみました。

その最大の理由は、記事を書き終わるのに時間がかかるから。僕の場合、ブログを書き出すと1エントリ書き終わるのに平均5時間はかかっているんですよね。字数も平均して4500字くらいはあるから、遅筆な僕にはどうしてもそれくらい必要なわけで。

ちょっと前に新聞記事とはてなブックマークについて調査した記事を書いた時は、きちんと計ってはいないけど、少なくても10時間以上はかかっているという。。。

それがわかっているので、ブログ書きたいのに、大変そうなので取り組むのが億劫になってしまって、なかなか机に向かえないというこのもやもや感。

ブログなんて日記みたいに書けばいいじゃんっていうのはわかるんですが、書き終わったら、日記レベルじゃなくなってるんです。

なんでしょう、こんな感じの思考回路ができちゃってるんですよ。

できるだけ読まれるようないい記事を書かなきゃ →→→ じゃあ内容を充実させよう →→→ いっぱい調べ物しなきゃ →→→ 字数ももりもり書かなきゃ

みたいな感じで、書き終わった記事も大盛りになっているんですよね。人事タックル様から頂いた寄稿依頼も、2000字~3000字くらいで、って言われてるのに、できあがったら5000字超えてたりするし(苦笑)

現役で仕事してる時も、そういえば社長や専務から「お前は文章が長い」とよく言われてました。多分、同じような思考回路に陥っていたんだろうと思います。

で、書く前から長くなりそうなのがなんとなくわかっているから、どうしても筆が進まなくなって、書き出すまで余計に時間がかかっちゃう。この2ヶ月で、わりとトレンド記事に近い時事ネタをいくつか構想としてはあたためていたんですが、こんな感じでぐずぐずしてて、アップしないままお蔵入りになったのがいくつもありました。

でも、一旦書き出すと、そこそこ頭が徐々に回転しだして、書きながら書きたいことが頭に思い浮かぶので、1度に2時間程度は集中して作業できるのです。気がついたら昼飯も食べず、洗濯ものも取り込まずブログだけ書いていて日が傾いている・・・みたいな。

それで、1エントリ書き上がってから、なんだこんなことだったらもっと早くから書き出せばよかった。ぐずぐずしなきゃよかったな。と一通り後悔する。毎日が、子どもの夏休みの最終日みたいな感じになっております。

会社やめるかどうか迷いだしてから、8年も決断できずうだうだしたので、それに比べたらまだマシなのですが、この、何事にもとりかかるのが遅くてダラダラする癖、なんとかしたいものだなぁ、と特に最近思う今日このごろです。

ほんとこれ、どうしたらいいんでしょうね?
幸い、時間もあるみたいなので、これを機にもうちょっと考えてみたいと思います。

それではまた。
かるび

PS
短くと言ったのに1500字超えてた(T_T)。そして、次回エントリからまたいつもの長大エントリに戻ります(笑)

 

「ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝」@パナソニック汐留ミュージアムに行ってきた

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かるび(@karub_imalive)です。

汐留地区といえば、日本テレビ、電通、パナソニック、ソフトバンク、日本通運等々、名だたる会社の本社の高層ビルがあるわけですが、今日はそんな汐留に月曜日の昼から突撃してきました。お目当ては、パナソニック汐留ミュージアムで開催されている、「ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝」展です。少し感想を書いてみたいと思います。

0.無職になってから初めて来た真昼の新橋(笑)

会社員だったときまでは、スーツで頻繁に出入りしていた東新橋の汐留地区。そんなサラリーマンのメッカみたいな汐留地区に、月曜日の昼間からプライベートでうろうろして、優雅に美術館に入っちゃうなんて不思議な感覚であります。

特にこのパナソニック汐留ミュージアムは、サラリーマン臭い場所であります(笑)すぐ下のフロアには白物家電の展示スペースがあり、ミュージアムと同じ空間に商談スペースがあります。美術館に来る客と、パナソニックに商談で来る営業が同居する不思議な空間になっていました。

フロア内にも、パナソニックの社員さんが普通に展示を見てたりして、こんなところでさぼってていいのかな(笑)なんて思いながら展示を見ていました。あれ、やっぱり社員ならタダなのかな。

1.混雑状況と所要時間目安

パナソニック汐留ミュージアムの展示スペースは、どちらかというと小~中規模クラスのコンパクトな展示場です。今回も、ミケランジェロの建築系の素描を中心として80点くらいの展示でした。所要時間は、1時間あれば回れるでしょうか。

平日昼間に行ったのですが、混雑はありませんでした。テーマもわりと専門的ですし、レア絵画や彫刻の出展もないので、恐らく土日含めて混雑はしないと思います。

中の雰囲気としては、こんな感じ。(※別のサイトから映像お借りします。)

2.鉛筆とバインダーの貸し出しがありがたい!

音声ガイドの貸出はなし。ただし、1点1点の展示に非常に詳しい解説のホワイトボードがつけられているので、問題ありません。うれしかったのは、口前に鉛筆が「自由にお使いください」とあり、学習者やブロガーには優しい配慮。

そして、僕がB6のメモ帳片手に書きにくそうにしていると、案内のお姉さんが声をかけてくれて、バインダーを貸してくれました。ありがたいことです。おかげでメモ書きがはかどりました。いろいろと、オリンピック公式スポンサーだけあっておもてなし精神ができているようです^_^

3.ところでミケランジェロって誰なの

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ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は、16世紀のヨーロッパで、彫刻・絵画・建築全てにおいて驚くべき才能を発揮し、数多くの優れた作品を遺した大芸術家です。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロと並んで、ルネサンスの3大巨匠と呼ばれ、非常に長命でした。

性格は気難しく、誇り高き天才職人とも形容されます。制作物について、常にわがままなオーダーを出す教皇に一歩も引かず、自己主張をしたと言われます。日本で言うと千利休みたいな人なわけです。ダヴィンチとは仲も悪かったし、作業場に見学にきたラファエロを「俺の芸を盗むな」と言って追い返したらしい(笑)

代表作は、システィーナ大聖堂の天井画「創世記」と、障壁画「最後の審判」、それから彫刻では「ダヴィデ像」などです。本人の中では、本職は彫刻家であり、絵画や建築には得意意識はなかったといいます。

創世記f:id:hisatsugu79:20160627232241j:plain

展示会では、ミケランジェロが「俺は画家じゃないんだ!天井画を描くときに、上を見過ぎてて腰が痛い、首が痛い」と友人に弱音を吐いた直筆の手紙が展示されており、これは何気に必見です。ブツブツ文句を言いつつも、手を抜かず最高傑作を仕上げてしまう職人魂が感じられ、感慨深い手紙でした。

 

最後の審判
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4.ミケランジェロの「建築」に焦点を当てた展示会

さて、今回は、そんな天才ミケランジェロの芸術の中でも、特に「建築」について、焦点を当てた展示会でした。とは言っても、建築についての展示会の場合、まず、現物そのものを展示会に持ってくることが非常に難しいので、展示方法に工夫が必要となります。

例えば、ひたすらバーチャルな映像で「建物」自体を紹介する手法などは有効です。先日試写会に行ってきた、7月2日公開の映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」では、ルネサンス期のフィレンツェの建物、建物内のデザイン、彫刻などを、ドローンを飛ばしてレアな角度から撮影したり、最新の4K映像技術を活用して、よりリアルに写しだしたりする工夫がなされていました。 

今回は、それに比べると文書中心で、一見するとわりと地味な展示会です。しかし、建物の設計書となるミケランジェロが描いた「素描」や「デッサン」、あるいは本人の手紙や、周辺資料が丁寧に展示されており、落ち着いていてよかったと思います。

5.デッサンは全ての芸術の基本

一番多かった展示物は、「デッサン」や「素描」となる、建物のデザイン案でした。通常の絵画展などだと、デッサン類などはいわゆる下書き的なものとして、さしみのつまのように脇役的な展示が多いような気がしますが、今回の展示会では、これらが主役です。

ルネサンス期では、「彫刻」「絵画」「建築」等は、親方や師匠が経営する工房単位で貴族や教皇などからの発注に対応していました。そこで、各工房で一番大切とされたのが、こうした「デッサン」でした。特に、建築や彫刻の場合は、「デッサン」は単なる下絵ではなく、そのままそれが「制作指示書」となっていたケースも多かったようです。

また、親方や師匠を中心として、徒弟制度により工房が経営されていた当時、こうした師匠が描いたデッサンは勉強のため非常に貴重な資料であり、中には貸し借りにあたって、有料で賃貸料を払ってまでも勉強させてもらっていたケースもあったようです。

ミケランジェロ本人も、親しくない外部からのデッサン拝借依頼を度々断り、自分の重要なパトロンである懇意にしている貴族や、弟子にだけ素描を譲り渡すなど、デッサン類を非常に大切にしたそうです。

残念なのは、本人が亡くなる前に、手元にあった素描類は全部自分で焼き捨てたらしいということ。現存する約600点のデッサンは、他人の手などに渡り、焼却を免れたものを後日彼の子孫たちがかき集めたもので、その最大のコレクションが、彼の名を冠したカーサ・ブオナローティ美術館に所蔵されています。今回の素描・デッサン類はそのカーサ・ブオナローティからの出品が大半となりました。

6.ミケランジェロが実際にデザインに関わった建築物たち

ミケランジェロは、長命だったこともあり、生涯を通して実に12名の教皇に仕えました。(というか教皇早く死にすぎ・・・)そのたびに、あれやこれや造れ、改造しろ、やめろと指示され、振り回されるのですが、本当によく頑張ってそれらの要求に応えました。

展示会で紹介されているフィレンツェ、ローマでの沢山の建築物のうち、特に気に入ったものをいくつか紹介しますね。

6-1.ラウレンツィアーナ図書館(フィレンツェ)

ミケランジェロが関わった建築物の中で、一番重要な建築物と言われています。メディチ家出身のクレメンス7世の発注により、1524年に設計開始、1571年に建築が完了しています。特に、この天井部分のゴージャスなデザインや、広々とした図書スペースが印象的でした。

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図書閲覧コーナー。広々としていて気持ちよさそう。f:id:hisatsugu79:20160627183948j:plain

ミケランジェロが設計した天井部分のデザインf:id:hisatsugu79:20160627190753j:plain
(引用:フィレンツェガイド日記

6-2.カンピドーリオ広場と建築物(ローマ)

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この広場床面の幾何学模様や、左右対称の整然としたルネサンス期のデザインが印象的でした。後に、昭和の大建築家、丹下健三がつくばセンタービルを作った時に、このカンピドーリオ広場の床面から着想を得て、オマージュとしてデザインに取り入れたそうです。

6-3.サン・ピエトロ大聖堂(ローマ)

ルネサンス期になり、老朽化したからリニューアルしよう!ということになって、建築設計競技(今で言う企画競争入札みたいな)で選ばれたブラマンテが、着手中に亡くなってしまい、後継として指名されたラファエロも急逝し、最後の頼みの綱としてお鉢が回ってきた案件。今で言うとさしづめ炎上案件の火消し役といった感じです。ミケランジェロの胸中はともなくとして、彼はこれに晩年のエネルギーをほぼ全部注ぎこみ、財政難の中、実に17年間も無給でやりきってしまいます。

サン・ピエトロ大聖堂f:id:hisatsugu79:20160627191132j:plain

ドーム天蓋部分の、ミケランジェロがやり直した設計部分f:id:hisatsugu79:20160627191146p:plain

 

6-4.プラート門要塞化計画(フィレンツェ)

1529年、神聖ローマ帝国のカール5世とローマ教皇クレメンス7世(メディチ家出身)が手を組み、フィレンツェへ侵攻しました。その際、ミケランジェロは教皇側ではなく、市民側につきます。市民側から、フィレンツェを守る要塞建設のプロデュースを依頼され、これに応えました。

クレメンス7世の仕事もメディチ家の仕事も一杯受注していたにも関わらず、フィレンツェ愛が爆発し、彼はローマを捨てて一旦故郷へ戻るわけであります。ミケランジェロの設計した要塞は、よく持ちこたえて難攻不落でした。

しかし戦争終結後、また何事もなかったかのように、ローマに戻ってクレメンス7世の仕事をやっているあたり、なんだかよくわからないですね・・・。
プラート門(現在)f:id:hisatsugu79:20160627193351p:plain

(引用:プラート門フィレンツェ

プラート門要塞 設計図面
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(引用:プラート門の要塞のための習作

7.まとめ

美術史家としても有名な同時代の画家、ヴァザーリは、「美術家列伝」にて、ミケランジェロに最高位の格付けと賛辞を送っています。絵画・彫刻・建築と、その土台となる素描技術全てに優れ、なみいる美術家たちの頂点に君臨する「神の如き」と表現しました。

僕は、これまで西洋絵画・日本絵画を中心に(というかそれしか見えてなかった)美術展に通ってきました。焼き物や彫刻、建築物、写真、デザインなどはまだまだこれから勉強中、というところだったので、今回のテーマは「天才」ミケランジェロを通してルネサンス期の建築物に触れてみるいい機会となり、個人的には非常に勉強になりました。

しかし、こういった建築物については、やっぱり展覧会に行ったからには、是非現地で見てみたいなぁと思うわけです。つくづく、ローマ、フィレンツェは街全体が美術館っていうのがわかりますね。ローマ、フィレンツェに近いうちに旅行に行く人は、逆にこういう展覧会を見ておくといいかもしれません。会期は、8月28日(日)までです。

それではまた。
かるび

PS
同時期のフィレンツェの建築物、ミケランジェロの絵画、彫刻が美しい映像で見れる映画です。合わせて見ると理解が進むと思います! 

大迫傑、日本選手権5000m、10000m 2冠達成&リオ代表内定おめでとう!

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(引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160624-00000185-nksports-spo.view-000

かるび(@karub_imalive)です。
陸上ファンの上半期を締めくくるイベント、日本選手権が終わりました。その初日と3日目、陸上日本選手権10000メートルと5000メートルで、無冠のスピードランナー、大迫傑がとうとうやってくれました!2012年に初挑戦して以来、5年越しでつかんだ日本選手権初優勝。長距離2冠です。

ここ数年リアルタイムでテレビ観戦していましたが、毎年悔しがる大迫を目の当たりにしてきたので、今回の完全勝利は格別だったんじゃないかなと思います。

そして、こちらは日本陸連のリザルトと公式動画。

さて、陸上長距離は、ここ20年位の低迷が象徴する通り、年末の箱根駅伝以外では、全く注目されないマイナー競技であり、朝刊各種を確認していましたが、扱いはケンブリッジ飛鳥や福島千里に大きく及ばず・・・。今回取り上げる大迫だって、3000mと5000mの日本記録保持者ですよ?!(笑)

であれば、一陸上長距離ファンとしては、それならブログに書いて残しておきたいな、と思い、今回、エントリを残しておきたいと思います。このエントリでは、以下大迫傑の苦節5年間の日本選手権での戦いについて、少しまとめて書いてみたいと思います。

個人的な長距離陸上への思い

大迫の話に入る前に、少し自分語りを。
僕は、まったく走れないくせに、わりと熱心な陸上長距離ファンなのです。学生・社会人を問わず、春~夏はトラックシーズンをウォッチし、秋~冬は駅伝とマラソンを欠かさず見ています。(見るだけです、本当に走るのは全くダメ/笑)

この6月24日~26日までは、そんな陸上長距離ファンにとって、2016年前半戦のハイライトとなる日本選手権が行われました。

陸上の日本選手権は、毎年、6月中の金土日3日間で行われます。たいていの年は、何らかの世界選手権などの前哨戦と位置づけられることが多くなっています。事実上、春・夏のトラックシーズンのフィナーレを飾る試合で、季節柄、かなりの高確率で雨の中の競技となるのが特徴です。競馬で言えば宝塚記念みたいな感じ。野球で言えば、オールスターのようなものでしょうか。

長距離ファンは、その中で、特に3000m障害、5000m、10000mに注目することが多いのですが、その中で、10000mといえば、特に秋冬シーズンでフルマラソンや駅伝でエース級の活躍をする実力上位の選りすぐりメンバーが出場してきます。

特に、今年の出場選手21人は、ほぼ全員が箱根駅伝の経験者でもあり、毎年のエース格として、学生時代から長く活躍をしてきたエリート選手が揃って出場していました。去年、「新・山の神」として騒がれた神野大地選手も出ていましたね。

そして、この2016年大会は、1ヶ月後に控えたオリンピックの前哨戦として、非常にハイレベルな戦いが予想されました。

結果、勝ったのは、今日このエントリで取り上げる大迫傑(おおさこすぐる)。5年越しの日本選手権勝利は、5000m、10000mと文句なしの2冠でした。ようやく、勝てました。長かった・・・。

2012年:挑戦1年目(2位)

大迫が日本選手権の10000メートルに初挑戦したのは、早稲田大学3年生となった2012年。参加即優勝候補として注目されましたが、ラストスパートで、日清食品の佐藤悠基に地力の差を見せられ、2位となります。

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勝負は、最後のバックストレートで決着しました。先行する佐藤悠基選手に、最後のラストスパートで追いすがりますが、逆に佐藤選手にさらにスパートされ、わずか0.4秒差で敗れます。百戦錬磨の社会人に、経験・実力とも及ばず、見た目のタイム差以上の実力差を感じさせる敗戦でした。結果として、ロンドン五輪代表の座も逃してしまいます。この時のひと目もはばからない大迫の悔しがり方は、ぐっとくるものがありました。クールな大迫にしては珍しい光景でした。

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(引用:日本選手権総括 | 早稲田スポーツ

2013年:挑戦2年目(2位)

前年で佐藤の後塵を拝し、捲土重来を期してさらにトレーニングに励んだ翌年。1月2日の箱根駅伝では、1区で見事区間賞。確実にパワーアップして臨んだ日本選手権10000メートルでした。

しかし、またしても佐藤悠基の前に敗れ去ります。通称「コバンザメ走法」とも揶揄されることもある佐藤悠基のラスト200メートル勝負に持ち込まれます。一瞬のキレ味に劣る大迫は、またも佐藤悠基に惜敗。2年連続2位となりました。

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佐藤悠基は、優勝後のインタビューで「最後の100メートルで決めてやるというつもりで、絶対に前に出ないようにしました。プラン通りだったと思います。」と述懐しています。王者佐藤悠基の心憎いまでの余裕でした。

2014年:挑戦3年目(2位)

大学を卒業し、実業団選手として競技を継続することになりました。奇しくも、大迫が選んだ社会人チームは、前年まで2年連続で惜敗中の佐藤悠基も所属する日清食品。佐藤とチームメイトとなったのでした。

そして、迎えた2014年の日本選手権。またも10000メートルの舞台で、佐藤悠基との3度目の対決となります。大会開始前から、下馬評は2012年、2013年に続いて、やはり佐藤、大迫の2強チームメイト対決であろうと言われていました。

絶対王者である佐藤は、この年から年齢的にもマラソン練習を本格的に始めており、そのスピードにも陰りが見えてきたところでした。そろそろ大迫にもチャンスがあるだろう、今年こそ大迫が逆転するかもしれない、と言われていました。

しかし、フタを開けてみたら、佐藤悠基の鉄壁のコバンザメ走法の前に、またしても敗れ去ります。3連敗。一瞬の切れ味に劣る大迫は、ラスト1周半でロングスパートをかけますが、佐藤にぴったり後ろにつかれてしまいます。結果、やはりバックストレート手前で佐藤にかわされ、またも無念の2位となったのでした。

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2015年:挑戦4年目(2位)

日清食品のチームカラーは、どちらかというと「個」の力を尊重する傭兵軍団みたいなプロチーム。社会人2年目となった大迫は、徐々に国内から海外へとトレーニングの拠点をシフトしていきます。

学生時代からたびたびゲスト参加していたナイキ社が、アフリカ勢に対抗できる長距離陸上選手を強化育成する目的で立ち上げた、「ナイキオレゴンプロジェクト」へ正式参加することになり、2015年3月には、日清食品を退社します。

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(引用:大迫傑、まだ見ぬ先へ。 | onyourmark MAG

アメリカに移住し、最高のコーチや、ラップ、ファラーといった世界的な選手と競い合える最高の環境の下で、5000mや10000mといったトラック競技に絞ってスピードの強化に努めました。

奇しくも、4度目の対決となるか?と思われていた佐藤悠基は2015年より本格的にマラソンへ転向していました。そして、調整が遅れていたこともあり、佐藤は直前で10000mを回避することになります。

一方で、大迫も直前の海外試合転戦での疲れが溜まっており、本調子とは言えない状態でした。日本選手権直前に日本に戻ってきますが、5000m、10000mのダブルエントリーは体力的に厳しい状況でした。大迫は、熟慮した結果、10000mには出場せず、2015年は5000m1本で勝負することになります。

参加選手の持ちタイムや、佐藤の不出場により、今年こそは大迫に栄冠か?!と思われていた2015年でしたが、そこに、思わぬところで伏兵が現れました。

その伏兵とは、2015年に城西大学を卒業し、将来の長距離界を嘱望されていた村山兄弟の弟、村山紘太です。

社会人1年目に、長距離の名門、旭化成に進んだ村山は、同年5月、同社本拠地延岡市で開催された「ゴールデンゲームズのべおか」5000mにて、日本人史上6人目となる13分20秒を切る好タイムを叩き出し、好調を維持したまま、この日本選手権にピークを合わせてきていました。

対して、大迫は前走を回避するなど、調整が100%上手くいっていませんでした。大迫に対して現役時代ほとんど勝ったことがなかった村山は、日本選手権での雪辱を密かに狙っていました。

勝負は、最後のバックストレート。切れ味に劣る大迫は、残り1周半でロングスパートをかけますが、村山を振り切ることができません。そして、最後の直線で追いつくと、一瞬の切れ味で勝る村山は、残り200mで並び、ゴール前で一気に抜き去りました。競馬で言うと一瞬の末脚というやつです。

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そして、最後は、大迫に対してこれ見よがしな「昇竜拳」のおまけ付き(笑)どんだけジャンプしてるんですか・・・。村山は余程嬉しかったのでしょう。大迫はこの5000mで派遣標準記録も満たすことができず、世界選手権の出場権も逃してしまったのでした。

そして、2016年・・・

オレゴンプロジェクトでいよいよ勝負の年となる2年目となりました。2015年7月に、海外試合にて、それまで松宮隆行が長年保持していた5000mの日本記録を一気に5秒近く縮める13分08秒台を出すなど、ますますキレが増した2016年。今回は調整も上手くゆき、5000mと10000mの両方にエントリーしました。

まずは10000mから。

そして、日本選手権初日。19時48分に定刻通りスタートした10000mで、とうとうやってくれました。中盤以降、設楽悠太(ホンダ)、村山紘太(旭化成)との3つ巴の争いとなりますが、設楽・村山が残り5周(約8000m地点)で早仕掛け気味に足を使ってしまいます。恐らく、地力に勝る大迫を意識した早仕掛けだったでしょう。

ライバルの戦略ミスも重なり、他選手にスパート余力がなくなる中、大迫が残り1周半となったところで満を持してロングスパートをかけると、今年は村山についていく余力はもうありませんでした。

終わってみると、2着の村山に10秒近くの大差をつけてゴールイン。圧勝でした。5年越しの悲願の優勝と、オリンピック代表を自力でつかんだ記念すべき瞬間となりました。

つづいて、5000m。

初日にデッド・ヒートした村山紘太が欠場し、鎧坂哲哉も調子が上がらない中、ライバルらしいライバルが不在な感じのレースに。

序盤から設楽悠太が飛ばすも、3000m過ぎに一昨日の疲れが残っているのか後退していきます。代わって、上野裕一郎や大六野秀畝が入れ替わりトップを走るそのすぐあとくらいの3番手付近を終始キープ。

残り500mとなったところで、ロングスパートをかけると、あっさりと抜けだして勝利を確定。後方で上野や大六野、一色などもゴール寸前で盛り返すも、時すでに遅く、2位争いとなりました。そして、最後は少し流し気味にゴールイン。

疲れも残っており、万全の状態でない中、地力の違いを魅せつけた感じになりましたね。オレゴンプロジェクトでの成果が遺憾なく5000mでも発揮されました。

まとめ

早稲田大学に在籍した時代から、世界を見据えて積極的に海外へと転戦を重ねていった大迫傑。間違いなく、日本陸上長距離界のパイオニアであり、野球で言うところの野茂みたいな存在です。

日本人選手の中では、特に3000、5000、10000といったトラック競技においては実力No.1であると目されていた大迫でしたが、この日本選手権だけは、鬼門でした。その日本選手権を、5年越しにつかんだ勝利。これは非常に大きかったと思います。

あくまで、これは通過点に過ぎませんが、是非リオオリンピックでは、ケニア、エチオピア勢の上位独占状況に風穴を開け、存在感を示してほしいな、と思います。

大迫、おめでとう!リオでも応援します!!

それではまた。
かるび